喧嘩の定義

(爆轟)
 
 
 
 
 
 
 

 俺達はまずまず喧嘩する。
 お互い思ったことが顔にも言葉にもでる。昔に比べたら飲み込み方も覚えた方だが、それでも未だ他人に比べたらずいぶんと多い。
 納得がいかないと思えば反論するし、反論に噛みつきもする。それでも手だけは出さないのは、お互いがプロヒーローだからに他ならない。
 喧嘩の怪我が元で命を危険にさらしてはたまらない。なにせ喧嘩をするというだけで、一緒に住むくらい好きで、愛して、大事であることは事実だからだ。
 というわけで、喧嘩をした翌朝だろうがきっちり朝飯を作る。
 体が資本だからだ。ここで飯を抜いて空腹が元で以下略だ。
 昨日の喧嘩はまあまあくだらなかった。疲れていたので気が立っていたとかそういうやつだ。
 寝て起きてしまえば「アホらし」の四文字で片がつく。
 それどころか、あいつの怒った顔って結構好きなんだよな、とかしょうもないことまで湧いて出てくる。確固たる意思を持って、しかし半ば反射的に、そして堂々喧嘩を売り返してくるヤツは少ない。惚れた弱みなのだか、そこに惚れたのだかなんなのかよく分からなくなってくる。
 今朝はハムエッグにポタージュにトーストだ。こっちが悪いときは機嫌でも取るかと米を炊いてやるところだが、今回はそうではないので好きに食う。
 作ってやったのだからありがたく食え、などと言うにはどうにも好きで勝手にやっていた。人に飯を食わせて喜ぶ趣味が自分にあったとは、こいつに惚れるまでさっぱり気づかなかった。
 惚れた弱みは根深い。しかし喧嘩は喧嘩だ。
 まずは一度轟の出方を見て、それでちゃっちゃと両成敗、水に流して終いにしよう。怒り顔はさておき、険悪な顔より間抜け面のほうがよほど見ていて楽しい。クールなイケメンヒーロー様がソファで溶けてだらけている姿などは、まったく見ていて気分が良い。
「おはよう」
 支度も終わろうかという頃、寝室から轟が出てきた。
 寝ぼけ眼に寝癖、あくびの三点セットを携えたそいつは今日、出勤が俺より一時間遅い。「お、今日はパンか。コーヒー淹れるか? あれ、もう入ってんな……俺やることなくねえか」などとのんきに呟いて、しゃあねえとばかりに食卓に着こうとする。それをじっと目で追って、ギッと音を立て引かれた椅子を前に、文句を言うようにテーブルを軽く叩いた。
「オイ、俺達は喧嘩してンだわそこの舐めプ野郎おはよう」
「初めて聴く種類のおはようだな」
 おまけとばかりにもう一度あくびをこぼし、滲んだ涙を弾くように瞬きを繰り返す。実に見事な間抜け面だった。
 轟と同じように椅子を引き、食卓について手を合わせる。「いただきます」をハモらせてからトーストを手に取り、フォークを手に取った向かいの男の足を蹴る。
「おい、だから喧嘩してんだっつの。無視してんじゃねえわ」
「無視はしてねぇだろ、あ、喧嘩を無視してるって言いてぇのか? え、なんだ、わからなくなってきた、パンになんか甘いの塗っていいか?」
「ンなもんはねェ、大人しくバターで食え」
「あ、もうバター塗ってくれてんのかだ。いやジャムあっただろ。バターもうまいけど」
 思ったよりまだ寝ぼけているらしい轟をぎろりと睨む。大抵のヤツはこれでかなり怯む。だが轟には暖簾に腕押しどころか吐息を吹きかけた程度にしか響かないので、いっそ無意味といっていい。
 トーストをかじる。この家では轟しかジャムを使わないのに、轟はよくジャムの存在を忘れて賞味期限を切らす。
「それで、喧嘩ってなんだ、喧嘩はしてねぇ」
「ハ? 昨日しただろうが」
「昨日のは、ちょっと怒っただけだ、喧嘩じゃねえ」
「……あー、待て待て」
 今度はこちらが分からなくなってきた。
 どこからが喧嘩なんだ、と問い返されたらうまく答えられない気がしてきた。文句に対して言い返したらそれはもう喧嘩ではないのか。だが言い返したからといって喧嘩に発展しないことも多い。言い返さないことのほうが少ないくらいだ。辞書でも引かせてくれ。辞書を引いたとして解決するのかは怪しいラインではあるが。
「んじゃ、まあ、いいわ」
 で、とりあえずうやむやにすることにした。
 喧嘩を長引かせたいわけではなかったし、こちらとてもうろくに怒っていなかった。謝らせたいような内容でもなく、仲直りをする気があって待ち構えていた。ならそれでいいんじゃないか。
 だというのに急に目が覚めてきたのか、めざとく轟がにらみ返してきた。
「おい爆豪、今、うやむやにしようとしただろ」
「話をややこしくすんじゃねぇわ!」
「話を濁すとか爆豪らしくねえぞ」
「ウルセェ! 惚れた弱みがよ!」
「今の、どういう罵倒だ?」
 ジャムは冷蔵庫の真ん中の段に入っとるわ! と怒鳴りを重ねれば「マーマレードとバターってあうのか?」と首を捻っていた。種類まできっちり覚えているじゃねえかこいつ。存在を忘れているのではなく、食べることを忘れるだけか。米派だから。
 溜め息一つ挟む。まあいいか、喧嘩でないならそれで。もう知らん。