(プロヒ爆轟)
飯を食う自分の横顔が、窓に映り込んでいる。
スプーンを動かし天津飯をすくう。夜更けの食堂には誰もおらず静かで、食器同士がぶつかる音もよく響くようだった。
一人飯はずいぶんと久しぶりだ。
遠征での長期任務は大抵チームだから、このところずっと誰かと飯を食べていた。三食ずっとチームの顔を見ていたし、他のチームも近くのテーブルに着いていて賑やかだった。
卒業してプロになり、一人暮らしを始めたあと、これほど誰かとずっと一緒に飯を食べていたのは久しぶりで、なんだか懐かしい記憶が蘇ってくる。
寮はいつも賑やかだった。
今回のチームは同じ事務所のサイドキックがひとり、別の事務所のヒーローが二人の四人組みだ。彼らは先に寝ている、はずだ。
窓の外に目を向けるも、自分の顔しか見えない。目を凝らせばやっと外の景色が見える。けれど結局、夜だからあまりなにも見えない。
暗かった。静かだ。そこに足音が聞こえた。
「ア?」
という聞き馴染んだ一音に顔を向ける。
声はこちらを向いていたはずなのに、視線の先に既に爆豪はいなかった。「幻か?」と首を捻ると「寝ぼけてンならさっさと寝ろ」と厨房の方から声がした。
やっぱり爆豪だった。
ほどなくして、チン、というレンジの音が聞こえ、爆豪が姿を見せた。広くて席数も多いが今は誰も居ない食堂の通路を真っ直ぐ進んでやってきて、斜め前の席にトレーを置く。メニューは轟同様天津飯だ。というか、今晩はそれしかない。
椅子が床を滑る。不遜な態度で腰を下ろし、丁寧な仕草で「いただきます」と述べ、スプーンを手に取った。
ふと目が合った。うっかりじっと見てしまっていたらしい。大口で頬張った天津飯を嚥下すると、爆豪が口を開く。
「他の奴どうした」
「みんなは先に休ませた。俺は今日の救護者の付き添いで、町中の病院まで行ってたから遅くなったんだ。気になる症状だったからな」
「……あー、あれか」
爆豪の視線が天井へ向く。
これだけの情報で思い当たるとはさすがと言うべきか。いや、ここに来る前に報告書を確認してきたのか。爆豪は態度こそ悪いと言われるが、仕事はマメで丁寧だ。
「そういう爆豪も、他の奴らはどうしたんだ」
「俺はワザとだわ」
「報告書読みに行ったんじゃねえのか?」
「それもある」
他にもあるのかと少し考えて、すぐに思い当たる。
「あ、あのサイドキック、爆豪苦手そうだっだよな」
ここ数日の食堂風景を思い返す。
基本チーム単位でテーブルを囲むので、爆豪はいつも轟とは違う席にいた。
けれどそれでも、状況が漏れ伝わってくる程度に賑やかな男が一人居た。
おしゃべりで遠慮がなくて、爆豪に対して物怖じしないタイプ。「あー」とか「うるせぇ」とか「黙ってくえ」とか、声を荒らげない程度に言い淀む爆豪の声を、何度も聞いた覚えがある。学生時代には即座に怒鳴り返していたよな、と懐かしさを覚える程だ。
目の前の爆豪がスプーンをくわえたまま、轟を睨んでいた。
今にも反論しそうな顔をして、一口を食べ終えるまで唇を結んでいる。言い返してくるタイミングを伺うように、つい眺めてしまう。
喉仏が動く。唇が開く。歯が見える。
同じ任務についているのに、なぜだかすごく久しぶりに会ったような気がした。
「苦手じゃねェわ、ウッセェだけだ」
「あいつ、声大きいよな」
「声はデケェしプライベートへの遠慮もねぇし面倒くせぇし口は軽ィが仕事は出来る」
「評価はしてるんだな」
「だから仕事以外で会いたくねぇ」
「昨日もなんか、すげぇ喋ってたな。あそこのテーブルだったろ。こっちまで聞こえてきた。俺はあっちのテーブルだったんだ」
入り口付近のテーブルを指さしてから、今居るテーブルの奥を指さす。間にはテーブルが五つあって、結構離れていた。さらに昨日はほぼ満席だった。ヒーロー以外の人も居たからだ。
昨日の景色をぼんやりと思い浮かべることで、今日の静けさが際立って見えた。
あの大声が人の話し声に揉まれて途切れ途切れになるほどだったのに、今日は斜め向かいの爆豪の声が食堂の中に響き渡っている。
「昨日は特にうるさかった」
「それで今日、時間をずらしたのか」
「報告書上がってくる時間だったし、丁度良かったわ」
「爆豪はチームリーダーだもんな」
「なに他人事みてぇに言ってんだ。テメェもだろ」
「まあな」
窓に目を向ける。映り込む人影が二つに増えている。大口で食べ進める爆豪と丼の中身が変わらなくなっていることに気づいて、急いでスプーンを動かす。
先に食べ終えたからと置いていかれるのは、すこしさみしい。部屋へ戻るまでの短い距離でも、もうちょっとだけ話したかった。
寮を思い出す。
学生時代に戻ったみたいだ、なんて考えがよぎる。
地方任務の場合、今回のように現地企業の社員寮を間借りすることがある。現地のヒーロー事務所が狭くて全員が入りきらないとか、ホテルがあまりないとか、大きな企業が近くにあって友好的であるときとか。
食堂の広さからも分かるほど、ここの社員寮は大きい。二十人の団体が入ってもまだ空き部屋があるらしいので、逆に不安になるほどだったが、設備はしっかりしていた。大浴場しかないことは不便だが、そのあたりは雄英の寮に似ていて懐かしい。
「寮生活って、もう懐かしいよな」
まだたった数年しか経っていないというのに、様々な思い出が遠くに見える。いつでもみんなやあの日々は大切で懐かしい。
爆豪は大きく開けた口にスプーンを入れる前に手を止め、鼻で笑った。
「雄英のが設備がいいだろ」
「爆豪」と短くたしなめるが「こんな夜中じゃ誰もいねーよ」と反論がある。実際誰もいない。
「……まあ初日とか、入口にも人いたくらいだしな」
昨日の夕食は社員と時間が被ったために人が多かったが、初日は更に多かった。入寮していない社員までのぞきに来て、食堂の人に追い返されていたほどだ。近くに大手のヒーロー事務所がないそうで、ヒーローが集まっている光景そのものが珍しいのだと言っていた。
ここにきているヒーロー達の中で、特に目立っているのは自分たち二人だと思う。色々な理由で、人の記憶の中の目だった立場にいる。
顔を上げ斜め向かいに視線を向ける。
下げたアイマスクは首に掛けられていて、顔がよく見えた。前髪の一部にクセが残って跳ねている。赤い瞳を縁取る金色のまつげは伏せられ、天津飯へと向いている。すこし肌が日に焼けていた。顔に残る傷跡は、こちらからだと見えない。
ひとくち空気を飲み込んで、それから唇を開く。
「なあ、この仕事終わったら飯に行かねえか」
問いかけに対し、燃えるような色の瞳が動く。
大口で含んだ天津飯で頬が膨れていた。それがやけに穏やかで微笑ましく、任務とか怪我とか生死とか明日のパトロールの予定とかが一瞬だけ消し飛んで、あの日々、学生の気持ちが吹き込んでくる。
それでも握りしめたスプーンの感触は慣れないものだし、天津飯の味付けも新鮮さがある。
ちょっと懐かしくなっただけで、明日は今日と同じようにパトロールに出るし、今日とは違ったルートを通りながら事件解決への糸口を探る。算段もいくらかついていた。
「こっちに来た初日に、地元のヒーローが中華料理屋に連れてってくれたんだが、そこがすげぇうまかったんだ」
「……そいや一日早く入っとったな」
「そこの麻婆が特にうまかったんだけど、すげぇ辛くて、たぶん一人じゃ食いきれねぇ」
痺れるような辛さが舌の上に蘇る。痛みを覚える程だがうまかった。ふとしたときに思い出してまた食べたいなと思うくらいに。そのたびに、あいつ辛い食べ物好きだったよな、なんて考えた。
爆豪は目を見開き大口を開けて答えた。
「手伝えってか!」
「本当にうまいんだ。だから爆豪にも食ってほしい。あと本当に辛ぇから完食する自信がねえ」
「……ちょっとだけくれ、っつーことだろうがよ」
「そうなるか?」
「ワガママなヤローだな!」
そう声を荒らげているが、表情から察するに興味はありそうだ。
麻婆をもう一度食べたいのは本当だ。それに爆豪を誘いたいと思ったのも本当。きっと気に入ると思う。
残念なのはここがお互いの拠点から飛行機一本分は離れていて、次は簡単に来られないということだ。
爆豪は返事までの間に天津飯を二口食べた。
「予定が合えばだな」
「おう」
爆豪の「いいよ」は遠回しだ。思わず小さく笑うと、めざとく睨まれた。
予定が合えば、なんてヒーロー同士では中々成立しない約束だが、この任務は事件解決とともに一斉解散になるはずなので、望みが高い。
そう思っていたのに、爆豪が一日先に任務終了になった。
正確には轟だけが一日残留になったのだが、とにかく予定は合わなかった。
社員寮に戻る頃には日が傾いていた。
数日前に付き添った救護者にかけられた個性に、ついて改めて内容を聞きたいというのが依頼だった。個性の解除に手間取ったそうで、病院に赴き事件当時の状況を再度詳細に説明することになった。
結果無事に個性は解除でき、その人は明日にも退院できるそうだ。麻婆はすこし惜しいが、なにはともあれなんともなくてよかった。
空を見上げて、時計を見て、考える。今日帰るのは早々に諦めて飛行機は明日の便に代えてある。
一人で行くか。
チャーハンとかたくさん頼んで休み休み食べれば、ひとりでも完食できるんじゃないだろうかと考える。
荷物をまとめて小さな鞄に押し込み肩にかける。寮は今日までしか借りていないので、今日はホテルに移動だ。
事務所から予約確認のメールが転送されていたはずだと携帯端末を確認する。メールと別にメッセージの受信を知らせるアイコンが光っていた。
爆豪から短く、状況確認が届いていた。返信を面倒くさがり直接電話を掛けると、数コールで直ぐに繋がった。
『よー、終わったかよ』
「おう。爆豪はもう帰れたか?」
『まだ。で、テメェ今どこだ』
「寮だ」
そう返して、なんだか懐かしい返しだなと口元が緩む。
『じゃあさっさと外出てこい』
「なんでだ」
『はよしろ』
一音ずつ言い聞かせるように四文字を述べると、通話がぶっつりと切られた。状況確認と指示が端的すぎる。
急ぎの現場で信頼できる相手からの指示としては手っ取り早くていいが、今はそうではないよなと思いながらも階段を降り、外へ出る。
塀の外に、両手に荷物を持った爆豪が立っていた。
「帰ったんじゃなかったのか?」
「俺がどこでオフを過ごそうが勝手だろうが」
「そりゃそうだが」
近づいていきながら、抱えられた荷物に目を向ける。色とりどりの紙袋は全部お土産の袋だった。事務所や友人にと土産を買い込むタイプだったかと首を捻っていると、察した舌打ちが聞こえてきた。
「全部実家用だわ。行き先バレたらこれだ」
「お、優しいな」
「話聞いてなかったんか」
「俺もお母さんたちに何か買って帰ろうかな。爆豪のオススメどれだ?」
「明日買え!」
「なんで明日帰るってバレてんだ」
「昨日食堂で電話しとったろ」
「……あ」
ホテルの予約の遣り取りは確かに食堂でした。晩飯を食べていたら丁度電話が掛かってきたのでそのまま話したのだが、よく聞いているものだ。
感心していると爆豪が背中を向けて歩き出した。
結局なんの用だったんだと不思議に思って眺めていると、数歩進んだところで振り返る。
眉間に寄った皺と、むき出しの綺麗な歯並びが、じれったさを表していた。
「はよいくぞ!」
「どこにだ」
こっちは報連相の連しかもらっていないのに、と思いながらその背中を追いかける。一歩先に歩き出した爆豪に小走りで追いついて、横に並ぶ。
「なあ」と説明を求めるように声をかける。
爆豪が首を傾けこちらを向く。
今度はなぜか、笑っていた。
「店の場所、轟しかしらねぇだろ」