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「救援要請が入ったよ」
言葉と共にバイクのキーが宙を舞った。蛍光灯の光を受けて銀色に瞬いたそれを、右手で掴み取る。「いけるよね」という先輩の言葉に頷くよりも早く立ち上がり、床を蹴る。
ここは轟の、今のインターン先だ。
あのナンバーワンヒーローの事務所に比べるとあまりに狭く、抱えているサイドキックの人数も少ない。だが小さくまとめられた建物は要塞じみていて合理的だ。三階に事務所があり、二階がロッカールーム兼備品倉庫、そして一階が駐車場になっている。
三階の床の一角は丸くくり抜かれ、下へと続く銀色のポールが伸びている。それに掴まり滑り落ちれば、一気に一階の駐車場へとたどり着けるようになっていた。緊急出動が多いからだ。
轟は三階で待機兼事務処理中だったため、コスチュームも着たままだ。二階でピックアップする装備もない。ポールに掴まると止まることなく滑り落ち、一階の地面を踏む。急ぎ前へと駆け出すと、あとから先輩が下りてくる。
駐車場では所長が、携帯端末を片手に待機していた。今日はこの三人での出動のようだ。
「巨大化するヴィランが暴れているって。場所は」と告げられた地名は二つ向こうの街のものだった。ポケットに入れていた携帯端末が震える。取り出し確認すると、詳細の地図が表示される。頭に叩き込むとヘルメットを被り、バイクに跨がる。
「今は近くのヒーローが対応しているそうだよ。ウチはいつも通り救助メインで手を貸すことになるからよろしく」
「了解」の言葉と共に、駐車場を出る。
ここでの移動手段は主にバイクだ。長距離や大人数の場合は自動車を使うこともあるが、この二か月の間には一度しかなかった。救助活動をメインに請け負うこの事務所は、自動車では入り込めない現場へ赴くことが多い。
轟がバイクの免許を取得したのは去年のことだ。自動車は年齢の都合でまだだが、追々取るつもりでいる。爆豪などはインターンの合間に教習所に通っていると聞いた。もうすぐ取れるらしい、と切島が話していた覚えがある。こういう時ばかりは四月生まれをずるいと思う。
その爆豪のインターン先はこの近くだったな、と思い出したのは、遠くの空に見慣れた閃光を見付けた時だ。
ヘルメットで制限された視界が、ヴィランを思われる巨大な影を捕らえた。小さなビルの向こうに頭が飛び出ている。十五メートルくらいだろうか。Mt.レディに比べると小さいが、それでも市街地では十分な脅威になる。
その影の周りを飛び回る光がある。
顔の周りで爆発を繰り返されたヴィランが、鬱陶しそうに腕を振り上げている。攻撃先を誘導しているようだ。しかしその光景も、ビルに隠れて見えなくなってしまう。
次に視認できたのは、暴れるヴィランの一つとなりの通りまで来た時だった。
宙を舞う、爆豪の背中が見えた。
建物とヴィランの巨体を蹴りながら、攻撃と誘導を繰り返している。空中戦といってもいいくらいだ。爆破の反動に耐えられる体を作りながら、あれだけ身軽に動き回る姿を、純粋に凄いと思う。負けてはいられない、と思う気持ちがぞわりと背中を駆けた。
「ヴィランを大きな交差点まで誘導しているんだ」
ヘルメット内の通信機器から所長の声がした。「私たちはこの先、ヴィランの通り過ぎた場所での救助活動にあたる。破壊されたビルでの作業になるよ」
ビルの合間から、複数の種類の煙が立ち上っている。火災も起きているようだ。
「もうすぐそこだ。いつも通り、落ち着いてこうね」
所長の声は、聴く人を安心させる。この人から学べることはまだまだ多いと思わせてくれる。深呼吸ののち「はい」と答える。
それに今日、現場に居るのは爆豪だ。背中にあの姿があると思うと心強い。
市民の避難も完了した頃、ヴィラン確保を行っていたチームと合流した。建物の被害が大きかったのはヴィランが出現したポイントのみで、あとは軽微なものだった。おかげで自体は想像以上に早く終息した。
避難完了より一足早くヴィランは捕らえられ、既に警察に引き渡されたという。被害区画の最終確認も済み、これでようやく一仕事終えたことになる。
「お疲れさま」
所長の穏やかな声に気が抜けるようだ。ほ、と息を吐き、額を拭う。
ただ気になるのは、爆豪の姿が見えないことだ。まだ別チームとして仕事をしている、という様子も感じられない。ぞろぞろと現場を離れる中、一人あたりを見回す。煙も緊急サイレンも鎮まり、静かに日常へと戻りつつある光景だけがそこにあった。
「今日の救援ありがとうございました。到着も対応もどんどん早くなるので、現場が被ると心強いです」
そう所長に声を掛けたのは、爆豪のインターン先のサイドキックだった。あちらの社長は本日不在らしい。
「そちらが誘導して、被害を抑えてくれたおかげだよ」
「おっ、そこは爆心地が頑張ってくれましたからね。あとで伝えておきます」
「彼、派手でヴィランの気を引きやすいし、引きつけながら立ち回れる機動力もあってすごいよね」
「本当に助かってますよ。これでまだ学生ですからね」
「優秀な世代だよね。こちらもショートのおかげで、倒壊への対応が早くなってるところもある。今の雄英三年生は凄いよ」
「ですよねー。実戦経験も豊富だし」
「ねえ。このままうちの事務所に来てくれると嬉しいけど」
「エンデヴァーさんの息子さんですもんね」
「そうなんですよ」
「うちも爆心地が入ってくれるといいんですけど、向上心強いから無理かも」
爆心地、という単語に耳をそばだてながら、視線をさまよわせる。あとから追い付いてくるのではないかとも思ったが、未だに姿は見えない。そうしていると先輩に話しかけられた。
「どうかした? 何か気になるの」
「いえ、爆豪の姿が見えないので」
「そういえば、そうだね」
先輩と二人で首を捻ったところで、前を歩いていた二人が振り向き立ち止まった。確かにという顔をしたのが所長で、そういえばと人差し指を立てたのがサイドキックだ。
「爆心地なら病院ですよ」
あまりに軽くもたらされた言葉に「先に帰ったよ」と聞き間違えたかと思った。
思わず「え?」と聞き返す。
深刻さを感じさせない言葉ではあったが、病院という言葉の持つ印象は良くない。運ばれたのか、無事なのか、怪我をしたのか、それとも誰かの付き添いなのか。インターンの学生が付き添う理由が分からない。やはり本人に何かあったのでは。ぐるぐると思考が駆け巡る。その慌ただしさが顔に出ていたのか、サイドキックが大げさに手を振った。
「大丈夫大丈夫、念のためなので」
「念のためでも病院ということは、なにか怪我を?」
そう尋ねたのは所長だった。サイドキックの視線が轟から外れ社長へ向き、再び歩き始める。
「頭を打ったみたいなので念のためです。ぱっと見怪我はないんですけど、一瞬意識が飛んだようにも見えたし」
「そう。なんともないといいね」
口を挟み忘れたまま、二人の会話を聞いていた。
どうにも据わりの悪い気分だ。同じ現場に居た人が大丈夫だというので、心配するほどのことではないはずだ。だがそれでも、と思考はぐるりと一周する。
もやもやと俯いている時唐突に、そうか心配なのかと思い当たった。
「あ、ショートお見舞いに行きます? 仲良いんですよね」
ふと振り向いたサイドキックに問われ、半ば反射のように「はい」と答え「でも」と言葉を飲み込む。あと少しとはいえ、未だ勤務時間内だ。このあと報告書の作成もある。察したように所長が穏やかに笑った。
「事務所で後片付けだけしたら、もう上がって良いよ」
「ありがとうございます」
「なら行く前に、うちの事務所に寄ってもらってもいい? 荷物届けてあげてよ」
「わかりました」
その先の路地で、相手事務所の面々と別れた。バイクを拾い、事務所に戻る。その間は無言で、行きに比べると静かなものだ。それなのに心は急いている。きっと、行きよりもだ。
◇
病室のドアを開けた先、まず見えたのはこちらを睨む赤い瞳だった。
「遅ェ」
短く吐かれた言葉に呼ばれるように病室へと踏み込む。開けられたカーテンの向こうから、夕暮れの色が差し込んできていた。オレンジの影を落とす真っ白い部屋の中、真っ白なベッドの上で爆豪は胡坐を組んでいた。入院着に身を包んでいるが、不機嫌そうな顔はどこも悪そうに見えない。
「悪ぃ」
相槌のように答えると、爆豪は鼻を鳴らして手を差し出した。轟が抱えているバッグとその中身が目的だろう。
病院の白いスライドドアを開けてくぐる瞬間は、いつも少し緊張した。知らぬ間に詰めていた息を吐き、きゅっと床を踏む。
ずしりと重たいバッグを、爆豪は片手で難なくひったくった。中から取り出したのはノートパソコンだ。通りで重かったわけだと思いながら、ベッド近くの丸椅子に腰を下ろす。
ほうっと息が零れた。重い荷物から解放されたからかのような音をしていたが、きっとそうではない。早速ノートパソコンの電源を入れた爆豪の横顔を眺める。
「俺が来るって知ってたのか」
「ノート持ってこいって連絡いれたら、テメェに持たせたっていわれた。なのにテメェは遅ぇし、どこで油売っていやがった」
「いや、これでも結構、急いで来たぞ」
焦っていた、と言っても良いはずだ。
事務所に戻り学生服に着替え、手早く片付けを済ませ、転げるように爆豪のインターン先へと向かった。立ち止まっていた瞬間はなかった。歩いていても走っているかのように心臓がうるさくて、じっとしていられなかったからだ。
「爆豪の荷物が多いからわりぃ」と軽口を叩いてみると「ンな軟弱野郎の知り合いはいねえ」と肩を殴られた。
いてぇと呻いて肩を押さえる。茶番を繰り広げている間もずっと、爆豪の視線はモニターの上を走っていた。何をしているのか気になるが、守秘義務などもある手前、覗き込まないのが礼儀だ。
それでも「何してんだ」と尋ねる分には問題がない。
キーボードを叩いていた爆豪の指が一瞬止まり、視線がこちらを向く。だがすぐに逸れ、また作業に戻ってしまった。
「報告書」
「爆豪、入院してる身だろ」
「ただの検査だ。やることねえんだよ」
さっさと帰りてぇ、と舌打ち交じりに呟く。
まじまじと眺めた姿に大きな傷跡はない。頭を打ったと聞いていたが、包帯の類もなかった。入院着の袖口から覗く腕に、いくつか絆創膏が貼られている程度だ。
「大丈夫なのか」
改めて問い掛けると、鼻で笑われた。
「検査だって言っただろうが。聞いてきたんじゃねえんか」
「検査結果は聞いてねえ」
「まだ出てねぇ」
「なら大丈夫か分からねえじゃねえか」
膝の上に置いた手を握りしめる。じっと見詰めた先の爆豪は、いつもと変わりないように思う。だが病院のベッドの上にいるというだけで、湧き上がってくるものがある。
病院へ見舞いに訪れることなど、これまで何度もあった。それは母であったりクラスメイトであったり、自分が見舞われる側のことだってあった。ただ、爆豪がそこにいることは滅多にない。
この据わりの悪い気分は、珍しいと思うからだろうか。いつもこれほど、空気がのどに張り付くような気分だっただろうか。
それが漏れ出て視線に乗っていたのかもしれない。爆豪が眉をひそめていた。だが怒っているという訳ではなく、それでいてむすりと下唇を突き出している。
「つか、いつまで居ンだよ」
「もう少し居てもいいか」
「これ届けた時点でてめぇは用済みだ」
ノートパソコンを指差す爆豪に向け「ひでぇ」と返すと、気の抜けた笑いが唇の端から漏れた。緊張していたのだと、実感が追いついてくる。そっけない物言いに安心するなど変な話だ。
深く息を吐き、背中を丸める。頭上で爆豪が身じろぐ気配を感じた。作業に戻ったのかもしれない。息を吸いながら顔を上げると、予想に反して爆豪はこちらに向き直っていた。正面から視線が絡むと、落ち着いたはずの心臓がまた走り出す。
真直ぐに見られると、緊張するのはなぜだろうか。
正面から見られる機会が、戦闘訓練で向かい合う時くらいだからだろうか。爆豪に無言で見詰められることは珍しい。慣れなくて、負けた気分になりながら視線を膝の上に落とした。握り閉めていた両手の指を開いて絡ませる。
変わらず爆豪は無言のままだ。まだこちらを見ている気配がする。組んだ指の上で視線をさ迷わせながら考える。
爆豪は意外と、こちらの言葉を待っていてくれる。
なんて緑谷などに言っても信じてはくれないだろうが、そういう一面もある。そんなことを思っていたら気が抜けた。なにか爆豪に待たれるような、伝えたい言葉があっただろうかと顔を上げる。
そこに爆豪が居る。いつだって目付きが悪く、赤い瞳は燃える命の色をしている。
「病院に運ばれたって聞いて、心配した」
素直に吐露すると、爆豪は片眉を吊り上げた。
「てめぇはクラスメイトだからっていちいち心配すンのかよ」
「心配するだろ、友達なんだから」
これに答えは返ってこなかった。
いつだって何か言い返してくる男だ。違うなら違うとすぐ吐き捨てる男だ。まだなにか待たれるような言葉があるのだろうか。
爆豪は口を引き結んだまま、けれど轟を見ている。ぴくりと眉が動くがそれだけだ。視線は観察するように険しく、見つめ返せば睨み合っているようにも感じる。
「なんだよ」
先に言葉を発したのは轟だ。沈黙に混じる違和感に耐えかねたといってもいい。覗き込もうと頭をかたむけると、爆豪は呆れたようにそっぽを向いてしまった。
「おい」
「ただのクラスメイトに心配される筋合いはねえンだよ」
「んだと」
「さっさと帰れ」
反論しようと開いた口の前で、追い払うように爆豪の指先が振られた。吸い込んだ息が行き場を失い喉につまる。これで話は終わりだと言わんばかりに、爆豪の視線はモニターへ移ってしまった。キーボードを叩く音だけが病室に響いている。
轟の存在を無視する涼し気な横顔を睨むが、一方的なものにすぎなかった。夕暮れの色も消え始め、室内は蛍光灯の色が強くなる。窓の外は暗く、何も見えなくなっていく。「分かった」と鞄を肩に掛け直す。
「邪魔して悪かったな」
そう吐き捨てた言葉にも、なにも返っては来なかった。
◇
二十時を回る頃、ハイツアライアンスに帰り着いた。大きな扉をくぐった先で、最初に声を掛けてきたのは緑谷だった。
「あ、轟くん。お帰り」
「ただいま」
靴を履き替え、賑やかな共有スペースの横を通る。今日は人が多い。代わる代わる「おかえり」と声を掛けられ、一つ一つに返事をする。なんだかくすぐったいと思うそれにも随分慣れたものだ。寮生活も、もうすぐ丸二年になる。
「轟くん、夕飯食べた?」
エレベーターへと向かう途中、駆け寄ってきた緑谷に呼び止められた。「まだだ」と答えると「丁度良かった」と笑いかけられる。
「一緒に食べない? 僕もさっき帰ってきたところなんだ」
「今日はハヤシライスだよ! まだ鍋にあると思うから温めて食べてね」
ソファに座っていた芦戸が手を振りながら教えてくれた。「ありがとう」と返した緑谷がこちらを向く。
「だって、どうかな?」と再度笑いかけられる。
「荷物置いたら行く」
「分かった。じゃあ温めておくね」
「悪い」
「いいよいいよ」
食堂へと向かう緑谷と、エレベーター横で別れた。一階に止まっていたエレベーターに乗り込み、部屋へと向かう。
クラスメイトが全員散り散りにインターンへ行くようになってから、一緒に食事をする機会も減ってしまった。一年生の頃は全員が食堂に集まることも、大半が共有スペースでくつろいでいることも、珍しくなかったというのに。今ではどれも思い出の中の光景だ。
そんな中で良く会う奴、あまり会わない奴の差が出てくる。そう思えば爆豪とは良く会う方だ。お互いインターン先が寮から近いことも関係もあるだろう。
あの自我の強い金色の髪の毛と一緒に、先ほどの出来事が思い出され、腹立たしさまで蘇ってきた。エレベーターの中で一人唇を引き結ぶと、五階到着を知らせるランプが点滅した。
しかし緑谷と夕飯の時間が被るのは久々だ。腹を立てていてはは勿体ない。頭を切り替えながら部屋で荷物を置き、さっと着替える。夜の時間が被るとゆっくり話せるので楽しみだ。緑谷のインターン先は少し遠く、一度出ると数日帰って来ないことも多かった。あまり会わない奴、の方に分類されてしまう。
一階に戻り、食堂に向かうと何故か緑谷の姿はなく、代わりに切島が寸胴鍋をぐるぐるとかき混ぜていた。物音に気付いた、赤く尖った特徴的な頭が振り向いて、大きく手を上げた。
「よっ、轟」
「切島も帰ってたのか」
「おーさっきな。轟も食うんだろ。もうすぐ温まるぜ」
「ありがとう。なあ緑谷は」
漂ってくる良い匂いに腹がぐうっと鳴る。腹が減っているという感覚はなかったが、体は現金なものだ。
「その辺にいるぜ」という切島と「ここだよ」という緑谷の声が重なって聞こえた。その辺のここ、と振り向いた先、食器棚に頭を突っ込む緑谷が居た。中から皿を三枚とスプーンを三つ取り出して「今日は三人だね」とテーブルに並べた。
「手伝うことあるか?」
「えーっと、あとはお茶かな」
「冷蔵庫に麦茶入ってたぜ、共用の」
「分かった」
入れ替わりで食器棚を覗き込み、グラスを三つ取り出す。緑谷はその間に白米をよそっていた。「二人ともごはんどれくらい?」と訊ねられ「普通」という轟の後に「大盛り!」という威勢のいい返事が響いた。
「あと砂藤が作った、なんかのゼリーが冷蔵庫のどっかに入ってるから食っていいってさ。あとで食おうぜ」
「何かって?」
「あーっと、みかん、じゃねえなんか」
「柑橘系」
甘夏、でこぽん、グレープフルーツ、日向夏。と緑谷と柑橘系の名前を交互に挙げながら食卓を整えていく。「忘れた!」と潔く笑った切島が、コンロの火を止める。
「俺たちで最後らしいから、全部食っていいってさ」という言葉に甘え、多めにハヤシライスをよそった。やたらと大盛りになってしまったのは、爆豪が帰ってくる予定だったからだろう。冷蔵庫で冷えていた、小分けにされたサラダの器が二つ、切島の手元にあった。
緑谷を真ん中にしてテーブルに横並びに座った。
「いただきます」
三人分の声を重ねて、スプーンを手に取る。大雑把な男三人の食卓では、サラダ用のフォークの存在など忘れられていたので、全てスプーンで食べることになった。
空腹に駆られて黙々と食べ進む。食堂の中には食器が立てる僅かな音だけが響いていたが、半分ほど食べたところで空腹感が薄れ、余裕が生まれて来た。
ふう、と息を吐いた切島が口を開いた。
「なんか珍しいメンツだよな」
「確かにな」
「最近は一緒に食べる人も少ないしね」
「緑谷も切島も、遠いからな」
「ほんと、すっげえ久々な気がする」
「授業とかでは会うけど、夕飯はほんと久しぶりだよね」
「授業終わったら即移動とか多いしな」
「そうそう」
緑谷と切島が、顔を見合わせて頷く。
「轟は毎日戻ってきてんだっけ」
「ああ。たまに泊まりがけもあるが。二人とも次はいつまでこっちに居るんだ?」
「暫くインターンはお休みだよ」
「俺も。期末試験あるからな」
「だよね」
「勉強頑張らねえとな」
肩を落とす切島に対し、緑谷が苦笑する。
「また勉強会やろうよ。みんなも暫くいるんじゃないかな」と励ませば「ガチで頼む」と深刻な頷きが返る。
最初に食べ終えたのは切島だった。「ごちそうさま」と小気味よい音を立て手を合わせると、冷蔵庫へ向かった。食事の進捗としては轟が一番遅い。気持ち急いでスプーンを口に運ぶ。
「勉強会、轟くんも一緒にやろうよ」
「日程が合えば頼む。俺はまだしばらくインターンの予定が入ってんだ」
「マジか。こういう時、日帰りできる距離なのはいいよな」
「なら予定また送っておくね」
「たのむ」
「二人ともゼリー置いとくぜ」
切島の笑顔と共に、目の前に透明なグラスに入ったゼリーが置かれた。元々料理の腕が良かった砂藤だが、今は更に腕を上げている。透明なゼリーの中に浮かぶ鮮やかな黄色は涼しげで、買ってきたと言われても疑わないだろう。
「ありがとう」と伝えれば切島はにかっと笑う。そして早速ゼリーをすくい口に運ぶ。
「美味い!」
「果物、なんだった?」
「……夏蜜柑、か? ちょっと酸っぱいけど美味いやつ」
「んんー」と緑谷が首を捻る。
「緑谷も食ったらわかるって」
そう急かされた緑谷がハヤシライスをかきこんだ。そしてグラスを引き寄せ、果物ごとゼリーをひとすくいし口に入れる。咀嚼しぱっと顔を輝かせた後、考えるように先程とは反対側へと首を捻った。
「おいしい……クダモノ」と緑谷がぎこちなく答えると、切島は腹を抱えて笑った。
「ま、美味いからなんでもいいよな!」
その間も轟は黙々とハヤシライスを食べ進める。もうあと少しというところで「あっ」と切島が声をあげて轟を見た。
「そうだ轟さ、今日爆豪と現場一緒だったんだよな」
「ニュースになってたやつだよね。僕も見たよ」
「おお」
「爆豪どうだった?」
そう問われ、轟が答えるより先に「えっ?」と緑谷が声を上げた。「かっちゃん、どうかしたの?」
「爆豪、今日は検査入院だってよ」
「えっ!」
「で、現場一緒だった轟なら詳しく知ってるかと思って」
米の最後の一粒まですくい口に運び、スプーンを置く。
緑谷が知らないということは、ニュースには詳しく出なかったようだ。流れで今日のニュース記事に目を通していないことに気付く。帰り道も苛ついていて失念していた。
「まだ結果出てねえっていってたが、元気そうだったぞ」
「おーそっか。なら良かったぜ」
切島は安心したように晴れやかに笑うと、再び席を立った。「麦茶まだあったか?」という言葉に「ある」と返しながらゼリーのグラスを手に取る。表面が結露するほど良く冷えていた。透明なゼリーは甘さ控えめで美味い。代わりにシロップにでも漬けられていたらしい果物が、ほどよい酸味を残しながらも甘くて丁度いい。
戻って来た切島が、三つのコップに麦茶が継ぎ足すと、ボトルが空になった。
「あれ、轟もしかして、病院まで行ったのか?」
「おう。荷物届けに」
「マジか」
「切島もよく知ってたな、爆豪が入院したって」
「俺はあれ、久々に戻るから飯一緒に食おうぜ、って連絡したんだよ。したら病院だっつーから」
納得しながらスプーンを口に運ぶ。そして病院の光景を思い起こす。夕暮れの橙色と白い病室、爆豪の横顔。つられて掻き消したはずの、もやりと胸の内に渦巻く感情まで蘇ってきた。むっとして眉を寄せる。
「なあ、クラスメイトでも心配くらいしてもいいよな」
「うん、えっ」と緑谷が頷きかけて首を傾げたので「友達……じゃなかったとしても、心配くらいするよな」と続ける。
「そりゃ心配はするだろ」と答えたのは切島だ。
「だよな」
頷き、グラスの縁をスプーンでなぞる。やはり爆豪の言い分の方が分からない。
緑谷が怪我をしても、切島が怪我をしても心配する。B組のメンバーが怪我をしたと聞いても心配するだろう。名前を聞いて顔が思い浮かぶ相手なら、心配するのではないか。名前も顔も知らない相手のどこまでを心配する気かという話なら別だが、爆豪はもっとずっと近い。
「轟くん、かっちゃんのこと心配したいの?」
そう緑谷に問い掛けられた。
「心配くらいするだろ」と答えると「そうなんだけど、そうじゃなくって」とよく分からないことを言う。
「おっ、轟あれだろ。心配すんなウゼェとか言って追い返されたんだろ」
「おう」
眉を寄せながら頷くと、切島がけらけらと笑った。
「爆豪はダチにでも心配されんの好きじゃねえからなー」
「友達でもダメなのか」
「おー。俺も今日見舞い行っていいかーって送ったら、ウゼェくんな検査だけだクソ、って返って来て以降ムシだぜ」
なんともないってことなんだろうけどな。と切島は笑う。
つまり少なくとも病室での言葉は、爆豪からしてみたら轟はクラスメイトに過ぎないから心配される義理はない、という意味ではない、と思ってもいいのだろうか。ただのクラスメイトと括られては納得がいかない。
轟にとって爆豪は、クラスメイトの中でも一緒に居た時間が長く、思い出も思い入れも多い。
ゼリーのグラスを空にしてスプーンを置き「ごちそうさまでした」と手を合わせる。そしてまた考えて顔をしかめる。
「あいつのこと、誰なら心配していいんだ?」
クラスメイトはダメ、友達でもダメ。ならあとは誰がいる。親族か。
食器を片付けながら唸るように考えていると、となりに立った緑谷に覗きこまれた。爆豪と違った意味で良く動く表情筋を使い、恐る恐るといった様子で眉を下げている。
「轟くん、どうしてそんなにかっちゃんの心配したいの?」
「友達なんだし、当然だろ」
「あのかっちゃんを友達って言いきっちゃう轟くんも凄いけどさ……じゃなくて。かっちゃんが心配されたら怒るなんて前からでしょ。それになんか、友達だから心配する、にしては轟くん、怒ってるみたいだから」
なんでかなって。
これに「そりゃ」と答えようとして、答えられなかった。怒っている理由を問われて、確かに怒っていたなと認識する。苛ついていた。腹が立っていたのだ。何に。ただのクラスメイトと言われたことか、心配もさせてもらえないことか。
考えて、首を捻る。
「なんでだ?」
「うーん」
困ったように緑谷がさらに眉を下げる。
結論は出なかった。