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じわじわと炙られるような暑さが続いていた。
熱気で空気がぼんやりと歪むような暑い夏だ。氷を出せば重宝され、炎を出せば更に暑くしてどうすると避けられる、そういう夏だ。
数日前からずっと「三年間なんてあっという間だ」という言葉が、頭の片隅でちかちかと光っていた。夕暮れ時に見上げる金星のようだ。眩しくまたたいているわけではないのに、見上げると必ず目に入ってしまう。それと一緒に、やけに爆豪の姿がちらついた。みんながあれこれ言うからだろうかと考えるが、一番良く分からないのは爆豪本人のことだ。近頃のあいつはなにも言わないので、いっそう分かりようがない。
「連日暑いねえ」
そうぼやいた所長の声を聞きながらパトロールを終え、事務所へと戻る。災害救助を得意分野としているが、ヴィラン確保が下手なわけではない。パトロールは抑制力になるし、実際確保の応援に向かうことも多かった。何かと戦闘の中心部に立ちがちな轟にとって、後方支援が得意なチームから学ぶことは多い。
キーボードを叩いて画面に文字を打ち込み、パトロールの結果報告をいつも通りにまとめていく。平和な日の方が内容をまとめ辛いという矛盾を抱えながらも、項目を埋めていく。まとめが終われば、それを持ち寄ってのミーティングがある。
そんな時、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。
メッセージが一通届いている。ヒーローのスマートフォンには、いつどんな連絡が入るか分からないため、非常時以外は確認する。いつかの緑谷からのように、SOSの可能性もあるからだ。
今回のメッセージは爆豪からだった。
珍しいこともあるなと思いながら、だからこそ少し緊張しながら開いた。そこには「この後すぐ、時間あんなら付き合え」という文字が並んでいた。どういう用事なのかはまるで分からない。時間がある、と返事をした時に、初めて詳細が告げられるのだろうか。
この後すぐとはどれほど直ぐなのか。一時間もしないうちに今日の業務は終わるが、それで間に合う用事なのか。返事をするかどうか悩んでいると「どうしたの?」と先輩が声を掛けて来た。
「暗号でも届いた?」
「いえ、私用でした」
「そうなの? 難しい顔してたから、暗号でも届いたのかなーって。たまにあるんだよ、暗号。ヴィンランに見付かりそうだけど、知らせを飛ばさないといけないってやつ」
「もしかして、暗号なのか」
そう言われると、そのような気がしてくる。「どれどれ」と先輩が近寄ってきたので画面を見せると「いや、普通に遊びに誘われてるんじゃない? 素っ気ないけど」と答えられた。
「友達?」
そう聞かれて、ほんの一瞬考えてから「はい」と答える。そうすると所長までもが首を突っ込んできた。
「なに、お友達に遊びに誘われてるの?」
「らしいです」
爆豪から遊びに誘われている、というと妙な気もした。だからといって他にどう答えるべきか分からない。素直に頷くと所長はふとカレンダーを見て手を叩いた。そして一人納得のいった様子で頷いている。
「なるほどね。いいよ、いっておいで。今日はもう上がって良いから」
「でもまだミーティングが」
「今日は大きな議題もないから大丈夫だよ、事件もなかったしね。それに高校生最後の夏でしょ、ちゃんと遊んでおかないと」
そう緩やかに微笑む所長の横で、先輩も頷いた。
「そうそう、プロになったら夏休みなんて遊ぶ時期じゃないからねー。みんなが遊んでいる時がお仕事時」
「ねえ。だから報告書仕上げたら行っておいで」
「ありがとう、ございます」
小さく頭を下げて、キーボードの上に指を戻すと「先に返事してあげなよ」と先輩に背を叩かれた。「あと十分で事務所出れる」と返事をすると、程なくして「ここまで来い」という一文と共に地図が送られてきた。
そこは爆豪のインターン先だった。
◇
道中、わずかに緊張感のようなものがあった。
インターン先に呼び出される理由とは何か。第一、爆豪から呼び出されることなど滅多にない。もっと言えば連絡が来ることがない。あるのは業務連絡のようなそれ、と思い起こしながら、あれも業務連絡だったのではないかと閃く。だがショートへの呼び出しならば事務所を通して行われるはずだ。
ならばやはり、個人的な用事なのか。「お友達に誘われているの?」という言葉がちらつく。爆豪と轟の間を渡る言葉として、それは不似合いに思われた。なにせ爆豪は、轟をお友達ではないと思っているらしい。
しかしそれにしてはやはり、緊張していた。考えがいくつも頭の中で騒いで落ち着かない。つられてか、心臓が走ったようにうるさく脈打っている。
お互い友達だと思い合っている相手、例えば緑谷などに「この後つきあって」と言われたのなら、もっと気楽だっただろう。元より友達から誘われるなどという経験が少ないので、少なからず浮き足立つかもしれないが、それとはまた別の話だ。
電車を乗り継ぎ三十分。
爆豪のインターン先の事務所に入るのは、これで二度目になる。一度目は爆豪が病院に運ばれたと聞き、荷物を受け取りに行った時。その時は事務所ロビーの受付から、人を呼んでもらった。
だが今回はすでに、爆豪の姿がそこにあった。
来客用のソファに、浴衣姿の爆豪が腰かけている。なぜ浴衣なのかという疑問に、待っていてくれたのかという嬉しさが合わさって、妙な気分だ。さきほどから心臓がうるさいせいかもしれない。
爆豪は俯いていて、膝の上で指先同士を遊ばせていた。ポケットがないから手持ち無沙汰なのだろうか。
その横顔が不意に轟の姿に気付くと「遅ェ」と立ち上がった。手招きされたので「わりぃ」と答えながら近付いていく。
するとそのまま、大した説明もなく事務所内部へと連れていかれた。結局なんの用なのか。そもそも知った仲とはいえ、部外者を簡単に招き入れていいのものなのか。どうして浴衣を着ているのか。
疑問はとめどなく湧いてくるが、状況に思考が追い付かず、順繰り脳内から追い出されて行ってしまう。
事務室に通されたかと思えば社長が手を振っていて「いらっしゃい待っていたよ」という。これに挨拶と自己紹介をする間もなく「ショートお久しぶりです、この前はどうも」と、先日の大型ヴィラン捕獲時に顔を合わせたサイドキックに引き渡された。
かと思えば、浴衣に着替えさせられていた。
浴衣を渡され会議室に押し込められ、疑問と状況に流されるまま紺色の浴衣を着た。少しコスチュームに似ているな、なんて思いながら着た。少し前に制服に着替えたところだというのにな、とも思った。
「それで、これはなんですか」
脱いだ服と荷物をまとめ会議室から出たところで、ようやくそう問いかけることが出来た。着替えている間に少し冷静になってきて、色々な可能性を探りもした。しかしどうにもパーツがちぐはぐで、うまくかみ合わない。
社長、サイドキック、爆豪に向け、状況説明を求める。すると爆豪の元に痕の二人の視線が集まった。
「おい、説明してないのか?」
そう社長が目を丸くする。爆豪は悪びれた様子もなく答えた。
「半端に説明すんのも効率悪ィんで」
「それで、良く来てくれたな」
腕を組んでむすっとしているように見えるが、平常通りの爆豪にじっと睨まれる。睨まれたので睨み返す。爆豪は黒地にオレンジの花が散らされた浴衣を着ていた。爆豪らしいが、自前なのだろうか。
社長は呆れたように笑い、轟を見た。
「簡単にいえば、夏祭りに行って来て欲しい」
「夏祭りでなにが?」
「なにも。行くだけ」
「行くだけ」
あまりに短い説明に、思わず同じ言葉で聞き返してしまった。疑問は一切解消されていない。
この場に浴衣の人間は二人いる。つまり二人で行くのだろうか。だとして事務所が絡むのはどういう理由なのか。
呆然と立ち尽くしているとサイドキックが「荷物預かりますよ」とカゴを差し出した。「どうも」と会釈し全て預ける。手ぶらになったところで爆豪に視線を向ける。目が合うと面倒くさそうに顎で壁を示された。そこには「夏祭り」と大きく書かれたポスターが貼られていた。
「今日は近くの神社で夏祭りがあるんだ。毎年地域交流とパトロールを兼ねて、遊びに行っている」
「パトロールなら、コスチュームの方がよくないですか」
「そんな堅苦しいものじゃない。ヒーローが遊びに来ているっていう抑止力程度でいいし、気楽に楽しんできてくれる方いいね」
「つまり! うちの事務所の風物詩なんです」
そう拳を握ったサイドキックが口を挟んできた。
「毎年インターンに来てる子に、夏の思い出を作ってもらおうっていう、まあお節介です。爆心地もこの辺じゃかなり顔を覚えられたし、お祭り会場に居るって分かるだけで効果があるんですよ」
「はあ」
「どうしてそれで自分が呼ばれたんだ、って顔をしているな」
まさにそうですという指摘を受け、正直に頷く。
「せっかくの高校生最後の夏だからな」と、今日二度目の言葉を耳にする。「だから仲の良い友達とか、恋人とかを誘いなって言ったんだが……本当に何も説明してないな」
溜め息交じりに社長が爆豪に視線を向ける。爆豪は相変わらずむすりと無言を貫いていた。代わりに轟が口を開く。
「今から時間あるなら来いって言われました」
「はっ、今日誘ったのか? 前から言ってあったのに」
「そうなのか?」
爆豪へ尋ねるが、僅かに視線が返ってきただけだった。
肯定も否定もない。今日の爆豪は全く静かなものだ。これまでの会話の中で、反論しそうな場面は幾つかあったはずだが、全て無視している。この社長に頭が上がらないというわけでもないだろう。もしそうだったとしても、それで反論をやめる爆豪ではない。
この頃轟からの言葉に無言を返してくることが多いが、これもそうなのだろうか。そもそも何故無言なのか。無視しているならまだわかるが、そうではなく無言が返ってくる。轟でもそう分かる。
じっと見つめていると、渋々といった様子の視線が戻って来た。そして小さく息を吐く。
「そろそろ行くぞ」
「わかった。では行ってきます」
「楽しんできてね」
社長とサイドキックに頭を下げ、先に歩き始めていた爆豪の背中を追う。
◇
からん、と下駄が石畳を踏む。
神社の外まで出店が立ち並び、行き交う人も多く賑やかだ。どこからか太鼓や笛の音も聞こえてくる。連なる提灯の色は淡く、どこか浮き世離れした光景に感じた。
「歴史は長ェってだけの神社の祭りだから、大した催しもんはねえよ」
となりを歩く爆豪が言った。
「そうか? 結構にぎわっててすげえと思うけど」
「花火が上がるわけでもねえし、近場の奴しか来ねえよ」
「へえ」
そう言われても、凄い祭りとそうでない祭りの違いが分からない。浴衣で歩く人の流れやここ一帯の空気だけでも、十分に特別なものに思える。
その中に混じり肩を並べ、下駄を鳴らして進んでいく。遠くに長い階段が見える。そこにも提灯がぶら下がっていて、果て無く祭りが続いているかのようだ。
「あとでご祈祷があって、そのあと盆踊りがある」
「すげえな」
「すごかねえだ、ろ」と、そっけなくぶっきらぼうだった語気の、末尾が揺れた。
爆豪の視線がこちらを向く。瞳の赤い色が、祭りの夜の色に映える。探るように睨まれたかと思えば逸らされた。疑問に思いながらも反対側へと視線を向ける。どうもじいっと正面から見られると落ち着かない。暑さには強いはずなのに、じわりと汗がにじむ。
空を見上げると木の影が映り込んでいて、ここが桜並木なのだと気付いた。今は木の葉が生い茂るばかりだが、どうやら神社を取り囲むように植えられているようだ。それに沿って出店が並んでいた。
春にここへ来たら、きっと壮観だろう。
「なあ」と爆豪に声を掛ける。「で、なにしてたらいいんだ」
今のところ、ただ歩いているだけだ。
初めは市民に声を掛けられもしたが、爆豪が「オフだ!」と騒ぐとそれもなくなった。ただ、怒鳴られたから散ったというわけではなさそうだ。「あ、そっか毎年の」「本当にショートと仲良いんだ」などの密やかな話声が聞こえてきた。所長の言っていた風物詩とやらが、市民にも知られているのかもしれない。
問いかけに対し振り向いた爆豪は、眉を寄せていた。
「テキトーにうろついて、テキトーに遊ぶ」
「ムズいな」
「気になるもんとか食いてぇもんあったら言え」
「わかった」
期待に応えねばという気持ちで辺りを見回す。この辺りは食べ物の屋台が多いようだ。様々な食べ物の匂いが入り混じっているが、総じて空腹が刺激される。香ばしいソースの匂いも、焦げた醤油の匂いも、甘い匂いもする。
辺りを見回していると爆豪に鼻で笑われた。その爆豪は浴衣にはポケットがないから手をぷらぷらとさせていて、どことなくかわいい。かと思えばどこからかがま口の小銭入れを取り出した。それを見て、あっと思い出す。
「爆豪、俺財布持ってねェ」
着替えと荷物と一緒に、何もかも回収されてしまった。この身と服以外に持っているものが何一つない。困った助けてくれと視線を送ると、爆豪は持っていたがま口を、手の中でぽんぽんと跳ねさせた。
「事務所から支給されてっから、テメェは手ぶらでいいんだよ」
「俺の分まで出してもらっていいのか?」
「オコヅカイ、だとよ。やたら多く入ってるから好きに言え」
「おう、ありがとな。あとな、スマホも置いてきちまったからはぐれないでくれ」
「ッハア?」
突如鼓膜に刺さるような大声で叫ばれた。思わず体を逸らして顔をしかめる。
「好きに言えって言っただろ……」
「そういう意味じゃねえわ、ンの舐めプが!」
通信手段を置いてくるなこのアホ。と怒られたが全くもってごもっともだ。渋々お小言を受けると「渋々聞いてる振りしてんじゃねえ」と見抜かれてしまった。よくわかったな、と答えると余計に怒られてしまう。
その最中、ふとりんご飴が目についた。通り道にあったその屋台の前で足を止める。赤い飴でコーティングされたリンゴはつややかで美味しそうだ。それに鮮やかな赤色は、爆豪の瞳の色に似ている気がした。
「なあ」と声を掛けようとしたところで、となりに爆豪がいないことに気付いた。辺りを見回すと、少し離れたところに金色の頭が見付かった。
「おい、爆豪!」
真直ぐ背中に向けて呼びかけると、爆豪が目を丸くして振り向いた。瞬く間に般若の形相になり、大股で近付いてくる。
「早速はぐれるなよ」
「はぐれそうになってんのはテメェだろうが! ふざけんなよ」と目の前までやってきた爆豪に顔面を掴まれた。「せめて声かけるとかできねえんか!」と、お前が言うのかという台詞を口にしながら、頭を叩かれて解放された。
ふんと鼻を鳴らした爆豪が、腕を組み顎を上げて睨んでくる。しかしそれ以上のことは何もなく「で、何見てたんだよ」と言われた。思わず言葉を忘れ、視線だけでりんご飴を見る。
「もっと腹に溜まる物食えや」
そう悪態を吐きながらもがま口を取り出して、りんご飴を一つ買ってくれた。「ん」と差し出されたそれを受け取る。
「……ありがとう」
「さっさと行くぞ」
「おう」
足元から聞こえるからんころんという音を聞きながら、リンゴ飴の棒を握りしめた。持ち運び用にビニールに入れられた赤い飴を眺める。
なんだかむず痒くて仕方がない。
この気分の出所を上手く説明出来ず、もごもごと唇を引き結ぶ。手提げ紐に手首を通し、りんご飴をぶら下げる。それを見た爆豪が「食わねえの」と静かに聞いてくる。答えようとして、言葉が一度喉にひっかかって驚いた。「あ」という音を飲み込み、もう一度口を開く。
「あとの、楽しみに取っておく」
「あっそ」
「爆豪は何食うんだ」
「イカ焼き食いてえ」
「お、美味そうだな」
「てめぇも晩飯まだだろ。なんか食っとけよ」
「そうだけど、なんでだ」
「ヴィラン出たら仕事だからな」
そう言って爆豪は見慣れた顔でにまりとわらった。
遊んで来いといわれたが、十分にパトロール中のようだ。爆豪らしいなと思わず笑う。
「潜入捜査みたいだな」というと「ハ?」と本当に意味が分からないと言った様子で睨まれた。
「いや、私服警官か?」
「あー」
「出たとしてもひったくりとか、そんくらいじゃねえか?」
「だろうな」
そういう会話をして、ふっと雪の日のことを思い出した。この暑い夜に一瞬、冷気が吹き込むような懐かしさを感じる。
しかし爆豪はどういうつもりで、轟に連絡を寄越したのだろうか。恋人とか仲のいい友達とか、という言葉が思い起こされる。パトロールのバディに呼ばれたと思った方がしっくり来るが、真意は分からない。
これにも答えをくれないのだろうか。そう思いながらも尋ねようとした時、爆豪がスマートフォンを耳に当てた。「爆心地だ」と答えたので、仕事のようだ。通話先の相手と会話を進める間に、爆豪はどんどん悪い顔になっていく。きっとどこかでヴィランでも出たのだろうと身構える。
借り物の浴衣の右袖を捲る。通話を切った爆豪がこちらに目配せをして振り向いた。
「隣町で取り逃がした強盗が、こっちに向かってンだと」
「何人」
「六」
「人混みに紛れるにしたって、ヒーローが巡回してる祭りに突っ込んで来るとはいい度胸だな」
「このあたりのヤツじゃねえんだろ」
周囲に気を配りつつ早足で祭りの中を進む。このあたりはまだ祭りの空気で満ちている。ヴィランも祭りの客に紛れて追跡を撒くつもりなら、目立たない装いの可能性が高い。どうやって見付けるか。六人が固まって動いているとも思えない。
それでも違和感があるはずだと目を凝らしていると、予想を裏切って遠くから悲鳴が聞こえて来た。続けて「ひったくり!」という声が上がる。
「とんだ間抜けらしいな!」と爆豪が走り出す。
同時に駆け出すも、足元を邪魔する浴衣に気を取られる。
「クソッ」と悪態を吐き浴衣の合わせ目を崩そうとすると「露出魔になんじゃねえぞ!」と爆豪にがま口を投げつけられた。小銭が詰まった塊は、ぶつけられると地味に痛い。
「おい!」と走りさる爆豪の背中に向けて叫ぶ。
「先に行く。サポート!」
「、分かった!」
頷きながら爆豪を見送る。その中で、爆豪が浴衣の下にハーフパンツを穿いていることに気付き、驚きで口を開ける。
「ずりぃ!」と喚きながら、走れる程度に浴衣を着崩し、がま口を懐に放り込み駆け出す。
爆豪は迷わず境内へと踏み込んでいった。
事務所からの道すがら、さらりと説明された限りだと、神社には正門の他に北門があるようだ。
正門の外、左右に広がるように桜並木があり、出店が並んでいる。轟が今居るのはそこだ。悲鳴は中から聞こえてきた。北門から入ってきたのだろうか。ヴィランがわざわざ門をくぐるとは思い辛いが、浴衣では森を突っ切るのは難しい。挟み撃ちは諦め、爆豪の背中を追い掛けるようにして正門をくぐる。
鳥居の内側の方が、人が多かった。出店の種類も違う上、盆踊り用のやぐらを目印に人が集まっているようだ。
市民には混乱は見られない。ただのひったくりだと思っているようだ。代わりに逃げないので道が開かない。それでもところどころ人垣が割れているのは、爆豪が通った跡だろう。
「これのどこが、近場のヤツしか来ねえ祭りだよ」
人混みに加え鳴り続ける祭りの音で、ヴィランの居所が探れない。悲鳴はあの一度きりだ。叫び声のようなものが疎らに聞こえるが、それがヴィランを追ってのことかは判別できない。派手に暴れられて怪我人が出るよりいいが、このまま走り回っているだけではは逃げられてしまう。
「爆心地!」
既に姿も見えない相手に向かって叫ぶ。
「みんな左右に避けてくれ!」
一瞬足を止め、左の指先で石畳に触れる。そこから氷結が走るように伸びる。市民を避け、最短ルートで氷を伸ばす。
返事のように、爆破で飛び上がった爆豪の姿が見えた。その下へ氷の足場を伸ばす。出来るだけ早く、高く伸ばそうとすると、どうしても細くなる。それでも爆豪なら問題ない。
氷の足場に降り立つと、赤い瞳が獲物を見付けたように笑った。そして更に飛び上がる。
「全員動くンじゃねえぞ!」
拡声器を通したかのような大声がびりびりと響き、続いて四方に爆撃した。夕闇の中で弾ける爆破の色が花火のようだ。七色はないが、暴力的な単色がちかちかと瞳に映り込む。どこからか歓声と拍手が聞こえてきたので、紛れ込んだヴィランに命中したのだろう。
「四!」
叫んだ爆豪が、爆破の色を残して飛び去って行く。
「残り二か」
負けていられねえと別方向に走り出した瞬間、目の前に飛び出てくる人影があった。ぶつかりそうになり「悪ぃ」と反射的に謝ると、相手の男は目を見開いてこちらを凝視した。
ダンプカーに撥ねられる寸前、この世の終わりを観測したような顔をしていた。そこまで驚くことだろうかと、少し焦ったところで「お」と気付く。
「こっちも一だ!」
女物の鞄を抱えていた男を凍らせ、叫ぶ。
声が届いたようで、のろしのように爆破が打ち上げられた。「あっちか」と駆け出す。返事があったということは、最後の一人が見付かったのだろう。
「通ります!」と声を掛けながら走る。
走った先、北門のそばに爆豪の背中を見付けた。その目の前にはヴィランと思われる逃走中の影がある。二人の距離はもうほんのわずかだ。すぐに捕まえて終わりだなと、僅かに息を吐いた。その瞬間、なぜか振り向いて飛び上がったヴィランと目が合った。
かと思えば爆豪が目の前にいた。
「お」
「アァ?」
赤い瞳と目が合った次の瞬間、僅かな浮遊感があった。先ほどまで地面に触れていたはずの下駄が宙を蹴る。
浮いた。どうして。
驚きながら激怒している爆豪の奥、先ほどまで轟が立っていたはずの場所に、ヴィランの姿が見えた。入れ替わる個性だろうか。ならば飛び上がったのは、入れ替わった相手の動きを制限するためか。
「あのヤロウ」
唸ると、地面に落ちるはずだった体が受け止められた。
燃えているかのように熱い、腕だ。
これだけ熱ければ、さぞ調子がいいことだろう。頭の片隅で思いながら、爆豪の肩越しにヴィランを目で追う。しかし直ぐに視界がぐるりと回る。一人分の重さなど関係ないように振り向いた爆豪が「見たもんと入れ替われるらしい」と呟いた。
「見えねえもんとは入れ替わらねえ」
「分かった」
「投げンぞ」
勝手に受け身を取れよと言わんばかりに放りだされた。そう思ったのだが着地は容易かった。大雑把に見えて細かい調整の出来る男に思わず笑う。
笑ってしまう。だって、楽しい。
ここから走って追い付くことは難しい。それは既に走り出している爆豪に任せればいい。とすれば、やることは一つだ。
「見えなきゃいいっつうだけだろうが!」
不敵に跳ねる爆豪の声が、空から降ってきた。腕で顔を庇いながら目を閉じる。「動くなよ!」という怒声の直後、閉じた瞼の内側でも、刺すほどの光が爆ぜたことが分かった。
驚いた小さな悲鳴と、可笑しそうな笑い声が当たりに広がる。爆豪はきっと、今日一番花火みたいな姿だったのだろう。想像しただけでも楽しくて仕方がなかった。
口元が弧を描くことを止められない。
だって分かる。爆豪のやりたいことが分かる。爆豪もきっとこちらがやろうとしていることが分かっている。
なぜ分かるのかを説明することは難しい。けれどあいつならそうするという信頼が、実績がある。二年と半分、色々なことがあった。
一緒に過ごす夏も、もう三度目だ。
これが高校生活最後の夏だ、ということを実感したのはつい最近のことだった。来年になれば、また夏は来る。だが高校生としての夏はこれが最後だ。三度の夏はどれも全く違う姿をしていた。けれど三回とも、そこに爆豪が居た。
来年の夏、爆豪はどこでどうしているのだろうか。もしかしたら全く別の場所にいて、夏の間ずっと姿をみないかもしれない。それは嫌だと思った。次の夏もまた、となりにいたい。
目を開けて氷を奔らせる。
視線の先、ヴィランがよろめいた姿が見えた。
「そっから入れ替わろうとするよな」
砂埃を巻き込むように、荒く作った氷壁でヴィランを取り囲む。凍り付かせても見えさえすれば入れ替われるのかもしれない。とすれば見通せない氷の壁を作る方がいい。
そうすれば、あとは爆豪が仕留めて終わりだ。
◇
ヴィランの引き渡しも終わり、ご祈祷もつつがなく終わり、夏祭りは続いている。今は盆踊りの時間だ。人が輪になって踊る様を、遠巻きに眺めていた。
欄干に腰かけ、屋台で買ったかき氷を頬張る。イチゴシロップのかかった氷をしゃくしゃくと食べ進めていると、爆豪が呆れの混じった視線を向けてきた。きっと「また腹に溜まらねえもん食ってる」とか思っているのだろう。そういう爆豪はイカ焼きを食べ終え、たこ焼きをつまんでいた。
そのたこ焼きは半分こにしようと言って押し付けたものだが、果たしてかき氷を食べ終えるまで残しておいてくれるのだろうか。
視線の先、お祭りの客の合間には、砕かれた氷が塊のまま放置されている。ある程度まで爆豪が砕いてくれたのだが、暑いから残しておいて欲しいという市民の要望に応えた結果だ。
見た目は涼しそうだが、どれほど効果があるのだろう。溶けた水で滑って転ばなければいいのだがと、浴衣で走り回るこどもの姿を見て思う。
「あの時は冬だったよな」
思い起こすように話しかけると、爆豪がこちらを見た。
「いつの話しとんだ」
そっけない返事だが、何の話かは伝わっているのだから可笑しかった。一年生の冬。あれは全員ひったくりだったが。
前から爆豪は連携の取りやすい相手だった。伝わるし、応えてくれる。あの高揚感は、あの場所にしかない。
今のインターン先で災害救助のノウハウを学んだことは、この先ずっと役立っていく。そういう戦場に出ることだって多いだろう。けれどやはり、となりに並んで戦いたい。この先も、ずっとだ。
「つか食うの遅ェ」
「爆豪が食うの早ぇんじゃねえか? やっぱかき氷やろうか」
「いらねぇ」
プラスチックの容器ごと差し出すが、顔を背けて断られてしまった。スプーンですくって差し出し直すも「いらねえ」と改めてお断りされた。仕方がないのでそのまま自分の口へ運ぶ。
轟自身は氷を連発したこともありそう暑くはない。そのはずなのだが、先ほど触れた爆豪の熱が思い出されて、なぜだと暑くてたまらない。そんな気がしてかき氷を食べていた。
爆豪こそかき氷を食べるべきなのではと思うくらい、その体は熱かった。今はその熱を感じさせない平然とした顔で、アツアツのたこ焼きを頬張っている。実は高温適性が轟より高いのでは、と疑ってしまうほどだ。
完全に陽が落ちても、今は夏の夜だ。
蒸す様な暑さに加え、祭りの会場には人の熱気も満ちている。盆踊りを踊る人に交じり、外にはけてうちわで扇いでいる人も多い。さぞかき氷が売れていることだろう。
溶けて底に溜まっていた氷水を飲み干すと、となりから空の手とたこ焼きのパックが、同時に差し出された。空になった容器を手渡し、たこ焼きを受け取る。爆豪は容器片手にふらふらとどこかに行ってしまった。
たこ焼きを恐る恐る口に入れると、思った以上に冷めていて拍子抜けした。のんびりと咀嚼していると、爆豪が別の食べ物を片手に戻って来る。
「なんだそれ」と大判のえびせんべいを折り畳んだような食べ物を覗き込む。
「たません」という答えと実物が目の前に差し出されたので、一口かじる。パリと割れたせんべいとソースの味がした。どうしてせんべいにソースを掛けたのだろうなと思っていると、爆豪が噴き出して顔を背けた。「具まで辿り着いてねえ」と一頻り笑ったのち、またとなりに腰掛けた。むっとして睨むと具のあるところをもう一口くれた。目玉焼きが挟まれていた。たこ焼きより熱い。口の端についたソースをぬぐう。
咀嚼して飲み込んで、ほうっと息を吐く。
今日はもう何も起きないだろうか。ゆっくりととなりへ視線を向ける。底には当然、爆豪がいる。
「なあ爆豪、どうして俺を誘ってくれたんだ」
思い出したようにそう問い掛けると、爆豪はここ最近定番になった顔でこちらを向いた。無言の回答だ。
「俺たち、仲のいい友達、じゃねえんだろ。それにおまえはただのクラスメイトを、わざわざ呼ばねえだろ」
これにも無言。
「インターン先が近ぇ」にも無言。「予定が開いてたのが俺だけ」も無言。
じゃあなんだと半ば睨むように見つめると、爆豪は呆れたように目を細めた。
いい加減、教えて欲しい。
無言の回答ではなくて、爆豪の考えている答えが知りたい。爆豪は何を言わせようとしているのか。頭の中にある様々な、人と人との関係性をひっぱり出す。轟の予想は既にすべて外れているので、全く違うものを出してこなければならない。これが難しい。たこ焼きを頬張りながら考える。その横で爆豪もたませんを食べていた。
「師弟でもねえし、幼馴染みじゃねえし、悪友か?」
言葉を並べていると、爆豪がかつてないほど呆れた顔をしていた。それでいてそろそろ罵声を飲み込み切れなくなってきたのか、俄に震えている。
もう少しかと思いながら、言葉を探る。
「恋人、じゃねえよな」と所長の言葉を思い出して言う。
「ちったァ真面目に考えろや!」
久々に耳が痛いほどの声量で怒鳴られた。キンと響いて一瞬他の音が消え去る。
目を丸くする。
「数撃って当てる問題じぇねえンだよ、舐めプ野郎!」
「おお」
勢いに負け、思わず頷く。爆豪は「フン」と鼻を鳴らすと顔を逸らしてしまった。
戦闘中はあれほど手に取るように分かるのに、今はどうにもダメだ。何が当たりなのか。そもそも当たりは存在するのか。轟の分かる答えなのか。
考えて、空を見上げる。木々の向こうに夜が見える。
夏の夜だ。蒸し暑くて賑やかな、夏の夜。あれから二年、色々なことがあった。それで今こうして、パトロールの一環とはいえ、一緒に祭りに来て並んで座っている。
誘ったのは爆豪だ。
「自惚れてえ」
そうこぼす。
「爆豪がわざわざ、俺のこと選んで誘ってくれたんだって、自惚れてぇ」
一番に連絡をくれたと思いたい。そうだったら嬉しいと思った。もしインターン先が離れていたら、数日前に連絡をくれたりしただろうか。そうだ、と思ってみたい。
爆豪は無言だった。けれど口を引き結んでいるわけでもむすりと眉を寄せているわけでもなく、少し驚いたような無言だった。
「違ぇって言わねえのか?」
初めて違う方向から切り込んでみる。
「ア?」
「違うって言わねえと自惚れるぞ」
なあ、と覗き込む。
爆豪が大きく息を吸い込むように口を開けた。
「ウッセェーな!」
「お」
ぐわと叫ぶと顔が背けられた。けれど気のせいでなければ耳が赤いように見える。それに気付いてしまうと、突如やけに顔が熱くなってきた。じわじわと恥ずかしくなる。ぽつぽつと落ちていた気持ちの断片のようなものが、急にくっついてしまったようだ。それがなんの姿をしているか、気付いてしまう。
深く息を吸って、大きく吐き出す。
「なあ爆豪」
向けられた背中に話しかける。返事はないが聞いてくれていると分かる。
「恋人になってくれって言ったら、お前のこと心配してもいいのか?」
友達でもダメ、クラスメイトは当然ダメ。
あれから爆豪に対する気持ちが減ったとは思っていない。ならこれは元々あったものだ。
だから爆豪は怒っていたのだろうか。ただの友達だと思っていたこれが、なにかを爆豪の方が先に知っていたのだろうか。
「なあ」ともう一度問い掛ける。
爆豪は大きく溜め息を吐き、振り向いた。
「しゃあねェなあ」
呆れたように笑うその顔があまりに綺麗だったので、驚いて見入ってしまった。
まじまじと見つめていると「なにずっと見てンだ」と睨まれて我に返る。ばたばたと騒がしく、心臓が脈打っていることに気付き「うわ」と目を逸らす。空を見上げて、盆踊りの人の群れを眺めて、屋台の並びを目で辿る。そして手元に落とす。空になったパックとつまようじが目に入る。
そして自分の腕が目に入り、唐突に気付く。
「あっ」と声を漏らす。
「……んだよ」
「悪ぃ爆豪、りんご飴どっか飛んでった」
「ハ? ヴィランとっ捕まえる間にどっかやったんだろ」
「せっかく爆豪に買ってもらったのにな」
「事務所の金だっつの。あとでまた買いに行きゃいいだろ」
「おう……。でもやっぱもったいねえな。せっかく爆豪の目みたいできれいだって思ったのに」
確かにまた買えるものだし、落ち込むようなものでもないのだろうが、それでも惜しい。肩を落とすそのとなりで、爆豪が大きく息を吸い込む音がした。なんだと顔を向けると、頬を赤くした爆豪が大きく口を開けるところだった。
「ハァ?」
これが今日一番の大声だった。