間取りの図面

(綾主)

「どんな家に住みたい?」
 聞いて深月はノートを一冊出した。
 真っ新な、キャンパスノート。薄い青色の罫線の引かれた、表紙も青色のノートを、人差し指の腹で引っ張り出す。本棚から滑り出る様な弧を描き、空中からノートが現れる。
 腕に抱える様に、何も書かれていないページを開いた。筆箱から摘まみ上げる様に、ペンを滑り出させる。金属っぽいボディの、一番使い慣れたシルバーのシャープペンシル。二三度ノックし、HBの5ミリ芯を押し出す。
 直ぐ側で寝そべっていた綾時が体を半分起こした。深月はその隣りに座っている。膝を立て、そこにノートを固定するように置いた。
「どんな家って?」と聞きながら、綾時がノートを覗き込んでくる。
「綾時の希望は。間取りとか、家具とか」
「君と一緒に住めるなら、どんな家でも」
 にこりと柔らかに微笑んだ青色の目を見ながら、小さくため息を零す。「そういうんじゃないくって」
 ペンを滑らせて、ノートに四角を二つ並べてかき込む。
「まあ一緒に住むんだから、お互いの部屋はあった方がいいよな」
「お互いの部屋?」
「リビングとかとは別の、それぞれの個室」
「そんなの要るの?」
「要るだろ……。何か一人でやりたい時とかあるだろ」
 ずっと一緒なのだから尚更、プライベートな空間は必要じゃないのか、という気遣いだったのだけれど。綾時はガバリと起き上がると胸に手を当てた。
「そんな、一人でするくらいなら僕を呼んでよ」
「お前は何を言ってるんだ」
 思わず間髪入れずに答えた。
「それはさておき、無くても良いと僕は思うけどなあ」
 握っていたペンを軽く奪い取られ、ノートを一ページ捲られる。再びの白紙。そこに綾時の白い手が伸び、大きな四角を一つ書き込んだ。
「大きめのリビング一つで事足りない?」
「でも一人で何かしたい時ってあるだろ」
「だからその時は僕を誘」くどい、と言って綾時の頭を叩く。冗談なのに、としょげた声が漏れた。
「そうじゃなくても、同じ部屋に居てもそれぞれ好きな事は出来るでしょ。それよりも立て籠もれる場所があることの方が問題だと僕は思うけどな。喧嘩した時とか、長引くと引っ込みがつかなくなりそうでしょ、特に君は」
「……喧嘩するかな?」俺たち、と聞く。
「してみたいね」と綾時が笑った。
 喧嘩らしい喧嘩はしたことが無い。特に深月は元々喧嘩する性質でもない。順平としたのだって、喧嘩というより一方的に怒らせてしまっただけだったように思う。勿論綾時ともしたことが無い。今のところ、まだ、そんな機会には恵まれていない。
 してみたいという綾時があまりに嬉しそうだったので、もしかしたら楽しいのかもしれない、なんて思った。
「書斎、くらいはあってもいいかもしれないけど。お互いが別の部屋に立てこもれる状況は良くないと思うから無しね」
「……まあ分かった」
「暮らしてみてどうにも不便があったら部屋を変えよう」
 大きな四角の隣りに、少し小さな四角が書き込まれた。かっこ書斎かっこ閉じる。続けて綾時はリビングの反対側に、書斎よりは大きい四角を書いた。
「寝室は必須だよね」
「一緒にするんだ」
「これもさっきの理論で一緒。ベッドは大きいやつね」
「そんな大きくなくて良くないか。寮にあったのくらいで」
「二人で寝るには狭いんじゃないかな」
「ふたり?」と首を傾げる。
「でも君が狭いベッドでくっ付いて寝たい、って言うなら僕は構わないよ」
 会話が噛みあっていないな、と一度呼吸を置く。綾時があまりに真面目な顔で言うので、つい混乱する。
「二人で、一つのベッドで、寝るのか?」
「勿論」さも当然、と言うように頷かれた。「嫌かな」
「嫌というより、二人で寝るとかいう考えが無かったから」
「そういう僕も無いけどね。じゃあこれから慣れていこう」
 サクサクとノートに「ベッドは一つ」と書き込まれる。
「あと寝る時は絶対一緒ね。喧嘩しても何があっても」
「なんで」
「全部同じ理由になっちゃうけど、長期戦の回避の為だよ。喧嘩して気まずくても違うところで寝るのは無し」
「やたらこだわるな、そこ」
 本当に全部がその理由だ。そんなに気にする事なのか、と綾時を伺う。
「僕たちには時間が沢山あるから、長期戦になったら永遠に引っ込みつかなくなっちゃいそうでしょ」
「結構心配性だな」
「心配だよ不安だよ。折角君と一緒なのに顔が見られなくなったら悲しいじゃない」
「ほんと、心配性だよ」
 笑う。綾時がこんなに心配性だったなんて知らなかった。そう気付くと、これからも沢山知らない物が見付かるかもしれない。それこそ、喧嘩だってするのかもしれない。
 深月と綾時は長い間、凄く近くに居た割に交わした言葉は少ない。当たり前のように近くに居て、だからこそ知らない事があるんだろう。これから交わす言葉はいつか星よりも多くなり、降り積もって宇宙になる。
「あと水回り? 台所とダイニングがこうで……洗面所にお風呂」
「風呂広くないか?」
 綾時が走らせるペンを止める。脱衣所と書かれた横に、寝室程の広さの風呂が書き込まれている。人差し指と親指で摘まむように、消しゴムを取り出す。白色で、青色のカバーのついた、親指大の消しゴム。
「狭い方がいいの?」と綾時ににこやか聞かれ、しまったと深月は思う。案の定「狭いお風呂にくっついて入る方がお好みなら構わないよ」と言った。
 呆れ気味に消しゴムを掌の中に隠す。
「風呂はのんびり入りたいから、狭いなら絶対に、一緒に入らない」
「広ければいいってことだよね」
 何とも答えないでいると、了承と受け取った綾時が構想図の体裁を整えていく。
 ノートは完全に奪い取られて、綾時の膝の上だ。ペンが走る軽やかな音が駆けていく。最初はただの四角しかなかったのに、すっかりそれっぽい図面に仕上がった。細かな記号は実際の図面とは違うのだろうが、深月と綾時の二人の間なら十分に通じる。
 玄関があって廊下があって、リビングがあって。寝室は一つで、大きなベッドがあって。お風呂は広くて。
 隅にあった不自然に開いた空間に、綾時が梯子の様な線をかき込んだ。
「何それ?」
「階段だよ」と言われて成程、と思った反面疑問が浮かぶ。
「二階作るのか?」
 正直二人暮らしなら、一階部分だけで十分すぎると思う。深月自身物が多い方ではないし、綾時もそのはずだ。果たしてこの先掃除という概念が必要になるのか分からないが、無駄な面積はなくっても。と考えていると綾時が目をキラキラとさせ、首を傾げて顔を覗きこんだ。
「屋根裏部屋」瞳の青色が悪戯にきらきらしていた。「って魅惑的な響きだと思わない?」
「……おもう」と素直に肯定する。憧れるなと言う方が無理な響きだ。階段というよりは梯子に近いそれを登った場所にある、天井が低く屋根の形の分かる屋根裏部屋。隠れ家のような秘密基地の様な、閉鎖的な空間。
 そわりと深月がしている間に、綾時は手際よく先程一階の間取りを書いた隣りのページに「2F」と書き、ペンを走らせた。
「大きめの、月見窓って言うのかな、あれが欲しいな。あとランプシェイドに小さなソファ」
「窓はちゃんと開くやつ」
「勿論。それで星を観たりしよう」
 さらりと二階の書き込みを終えると、図面は完成した。ノートに書かれた線を眺めているだけで、どんな家かが想像できる。柔らかな色をした、穏やかで落ち着く、春の夕暮れの様な空気。長い時間を変わらず過ごせる静けさ。
「あとはどんな外観にするか、くらいかな」
「希望は?」
「聞いてくれるの?」嬉しそうに笑って綾時が手招きをした。肩を寄せ顔を近付けると、深月の前髪を白い手が掻き上げた。額に綾時の額が触れる。ぴりっとした、静電気に似た感覚が走る。深月の脳内に、映画のワンシーンの様に景色が浮かんだ。白い家に、テラス、手前にはコスモスの花畑が揺れていて、何故か大きな犬が走っている。
「どこで見たんだ」これ、と深月が問う。
「海外ドラマ?」と疑問形で綾時が答えた。
 ちょっと呆れた。深月が見たことのない光景なので、十一月の間、綾時がどこかで見た光景なのだろうとは思ったのだが。「タイトルは忘れちゃった」と加えて笑い声が零れた。
「白は嫌だ」
「えー、白くて小さな家で大きくて白い犬を飼うのが皆の憧れなんじゃないの」
「どこ情報だ、それ。っていうかテラス、増えてる」
「あっそうそう。僕縁側が欲しいな」と思い出したようにさっと書き加えられた。でも縁側はちょっと良いな、と思うのでそのままにする。似たのか偶然か、深月と綾時の好みは似通っていた。
「縁側ならこうだね」と再度額が触れて、風景が流れ込んでくる。小さくて少し和風な家。縁側がある。
「まあこんなものだな」
「じゃあ決まりだね」と綾時がそれはもう嬉しそうに、直ぐ側で笑った。
 立ち上がって、ノートを受け取る。二ページ分の平たい構想を、頭の中で立体に膨らませていく。引き戸の玄関があって、上り框があって、落ち着いた茶色の床板の廊下が続く。突き当りの扉を開けると広いリビング。まだソファくらいしか置く物が決まっていない、閑散とした部屋。
「家事の分担とか、どうしよっか」
 綾時の声が跳ねた。
「まだ決めなくてもいいんじゃないか。そもそも、食べても食べなくても変わらないって言っちゃえばそれまでだし」
「そうだけどさ。習慣、っていうの? あった方がいいのかなって」
「どうだろう。まあ当面は二人でやって、二人で分けて。分担決めた方が都合が良さそうなら、決める。でいいんじゃないか」
「そうだね」
 リビングの右手には寝室。広いベッドがあって、枕が二つ並んでいる。カバーは濃紺。枕元に小さいランプが置いてある。
「全部、君と僕だけだよ。僕か、君のどちらか。僕には君だけ、君には僕だけ。ずっと。君は」
 カーテンの柄を考えていると、綾時の声が途切れた。隣りに立つ顔を伺えば、正面を向いていた。今から家を作ろうとしている、まだ何も無い空間をじっと見ている。
 言いたい事を何となく察して、勝手に頷いた。
「望むところだ」

 そんな簡単に、飽きやしない。

14/03/16発行ペーパーより