悲恋ごっこ

(綾←主片思い気味綾時が酷い奴/お題・失敗・涙・明日)

 ああ失敗した。
 目の前の望月の顔を見てそう思った。
 なんだかんだ一緒に帰って、一緒にご飯を食べて、一緒に暗い空の下、街灯の明かりの中を歩いて、そうやってなんとなくあたためていた言葉をぽろりと零すんじゃなかった。
 望月がすきなんだ、なんて言うんじゃなかった。ごめんね君のことそういう風には見ていないんだ、なんて想像通りの分かりきった答えを貰うだけだと知っていたのに。
 望月は眉尻を下げて、それでも柔らかい笑みで申し訳なさそうにしながら、優しく優しく柔らかに言葉を吐いた。
 きっとこういう風に何人も何人も断られてきたのだろう。自分も晴れてその人々の仲間入りだ。ただ違うのは、自分の前に居た仲間たちは皆女の子で、自分は望月と同性だということだ。
 上級生の可愛いと評判のあの人も、同級生で綺麗と評判のあの子も等しくその他大勢の仲間入りをした。その中で自分は同性だから、友人だからとそこそこ近いところに居て、二人きりで出かけることだってあった。望月は女の子とは二人きりで出かけない。絶対に出かけない。対して自分はこうして暗い帰り道を二人で並んで歩いている。うぬぼれてみたくもなるところだが、それはただただ自分が同性で、友人だからに他ならないのだ。
 ああなんだか泣きそうだ。
 目がきりきりと痛くて涙が出そうだ。それでも涙が出ることはなかった。涙の出し方なんてすっかり忘れたように一滴も湧いてこない。なんて薄情なんだ。こんな時くらい涙が出たっていいのに。こんな時ではくても、あの時も、その時も。いつだって涙が出ることは無かったからもう枯れてしまったのかもしれない。それならそれでよかった。泣いているところまで見られたら、情けなくて目も当てられない。
 直視できなくて目を逸らしていた望月の顔を、こっそりと伺い見た。未だに並んで歩いているけれど、この後どこで別れたらいいのだろう。そう思っていたのに、考えはすっぽり頭から飛んで消えた。
 望月が泣いていた。
 これには流石に慌てた。悲しいとか気まずいだとか、あれこれドロドロに渦巻いていた感情が吹いて消えて、ただ慌てた。思わず足を止めて「望月」と声を掛けた。勢いで呼んだ名前は随分慌てた響きをしていた。
「なんで泣いてるんだ」
「え、うそ」と望月は自分の目元を触った。「本当だ。なんでだろう、分かんないや」と驚いたように言った。指先が涙にぬれたのを見て、そしてこちらを向いた。
「泣きそうな顔をしていたのは君の方だったのにね」
 そう言うと、手の甲で目をぐしぐしと拭った。頬も掌で大雑把に撫でれば、そこで涙は止まった。どうして泣いていたのか不思議なくらい、なんのあとも無くなった。目薬を差し過ぎて目から溢れただけだったかのようだ。望月はべったりと濡れた自分の手を見ておかしそうに笑った。
「へえ、これが涙かー。僕、泣いたのはこれが初めてだよ。もう止まったみたいだけど、なんだったのかな。涙ってこんなに勝手に出るものなのかな」
 そんなのこっちが知りたいと思った。泣いていた本人はあっけらかんとしたもので、濡れた手のひらをぱたぱたと振ると何事も無かったように歩き出した。
「緒張くんはこの先の寮だよね。僕は駅の方に戻るから、じゃあここで。また明日ね」
 そう言って、笑って、望月は帰って行った。
 真直ぐに背筋を伸ばして、歩みも軽く遠ざかっていく。マフラーの揺れる背中を茫然と眺めた。
 また明日だなんて、なんて酷い奴。ああまた悲しくなってきた。泣きたい、涙が出そう。でも涙は出ない。
 静かに暗い寮までの道のりを歩いた。乾いた目に冬の空気は冷たく痛かった。

    * 

 今日も今日とて望月は女子に取り囲まれていた。今度は下級生の中で可愛いと噂のなんとかちゃんだとかが来ているらしい。教室内だというのに下級生まで入り込んでごった返している。
 教室の前の方、窓際寄りの場所に人だかりが出来ている。その中から頭一つ抜き出ているのが望月だ。あそこは彼の席だ。
 にこにこ笑顔を振りまきながら何か喋っているのが見える。会話の内容までは流石に聞こえない。教室の喧騒と、人の垣根に吸い込まれて望月の声は分からない。たまに笑い声が聞こえる、それくらい。
 ああいう風に笑っている望月の顔を近くで見ることはもう無いのかもしれないなあと考えて、そう言えば昨日振られたんだなと再確認した。ごめんね、という綾時の声が脳内でよみがえったような気がした。
 今あそこで望月を取り囲んでいる女子たちには、まだ可能性があるのだ。ごめんねと言われていないなら、もしかしたらという淡い期待だとかを抱ける。そういう可能性がある。それが羨ましいと思った。ああ未練がましい。そう思うと泣けてきた。やっぱり涙は出ないけれど、泣きそうだった。
「綾時くんどうしたの」
 慌てた女子の高い声が聞こえて、はたと顔を上げた。望月は相変わらず女子に取り囲まれていた。けれどこっちを向いていた。青い瞳が真直ぐにこっちを見ている。
 そしてどうしてか望月は泣いていた。
 昨日みたいに、泣いているのが不思議なくらい普通な顔をして、それなのに目からはぼたぼたと涙が零れ落ちている。それを見て周りの女子が慌てている。そりゃそうだろう、今まで一緒ににこにこ会話していた望月が泣きだしたのだから。
 どうして泣いているのか分からないだろうし、もしかして泣かせるような何かを言ったのかと慌てているのだろう。不憫だなあ、と他人事のように思った。実際他人事なのだ。もう他人事でしかないのだ。
 絡まった視線を外そうとした。なのに、その前に望月は人の垣根を越えてきた。ごめんねちょっと通してねと丁寧に、だけれど素早く女の子達を退かして抜け出て、何故かこちらへ進んでくる。真直ぐ、迷いなく。
 どうしてだ、と思っている間に彼は正面に立っていた。
「ちょっと来て」
 言葉と同時に手を掴まれて、半ば強引に連れ出された。呆気にとられた女子たちと、そのほか教室に居た面々の視線を浴びながら教室を出て屋上に向かった。
 誰も居ないがらんとした屋上は風が抜けて寒かった。
 寒い、悲しい、掴まれた手が苦しい。
 望月は屋上の中ほどまで進んだところで手を離し、振り返った。彼はまだ泣いていた。
「僕泣いたことが無いんだ、って昨日話したでしょ」
「……きいた」
「でもさ変なんだ、昨日から涙が止まらなくって。あの後君と別れた後もなんでか泣けてきたし、今もこう。おかしいんだ、僕が悲しいわけじゃないのに」
「知らないよそんなの。なんで俺に言うんだ」
「だって、僕が泣いてる時、君が泣きそうな顔をしているんだもの」
 そんな事を言われたって知るものか。
 泣きたい原因はお前なんだから放っておいてくれないか。そう思うのに元凶の望月は顔を覗き込んでくる。
 泣きたいのはこっちなのに、やっぱり泣いているのは望月だった。
「それで思ったんだけれど、もしかして僕は君の代わりに泣いているんじゃないかな」
「、なんだそれ」
「分かんないよ。でもそうだったら凄くしっくりくるんだ」
 分からないのはこっちの台詞だ。どうして自分の目からは涙が出なくて、代わりに望月の目から涙が出るんだ。全く意味が分からない。
 なのにああそうか、と妙に納得した。
「ねえ、だから泣きやんでよ」
「うるさい、泣いてるのは望月だろ」
「僕じゃないよ、君だよ」
 無理を言わないでくれ。泣きたい気持ちなのに涙は出なくて、なのに泣きやめだなんて言われていったいどうすればいいのだ。泣きたい原因を作っているのは他でもないお前の癖に。
 はらはらと泣いたままの望月に、片手を取られた。涙で濡れた両手に手を包み込まれる。そしてまじまじと顔を見上げられる。自分よりも背の高い彼は屈んでいた。
「昨日からさ、涙が出るたび君の顔が浮かんで仕方がないんだよ。助けてよ」
「知るかそんなの。泣きたいのはこっちの方だ」
「それはそうだよね。ごめんね、僕のせいだね。でもね、僕君の事だけは好きになったらいけない気がするんだよ」
「知らない、そんなの、知るか。勝手にしろ」
「君のことすーごく好きだよ。でも好きになったらきっと辛いんだ、ってどうしてか分かるんだ。ゆるしてよ」
「なんだ、それ。男だから、そりゃそうだろ」
「違うんだそんな、そんな事じゃなくて、もっと別の。上手く言えないけど」
「じゃあなんだって言うんだ」
「分からないよ、分かっていたら苦労はしていないんだよ。でもダメな気がするんだ。きっとこれ以上そばに居たら苦しいんだって分かっていて、でもそばに居ないことも出来なくて、そうしたら君が僕を好きだって言ってくれるから、ああここで別れようって思ったのに。なのに君はずっと僕の瞼の裏に居るし、目から零れていくんだよ、どうしよう、ねえ助けて」
 勝手だ勝手だなんて身勝手なんだ。なんて酷い奴なんだこいつは。心の底からそう思う。人のこと振った次の瞬間にまた明日ねなんて期待させる言葉を放るような酷い奴だ。
 そう思う。思うけれど望月の言うように、そばに居ないことも出来ないのだ。
「知るかよ、そんなの。泣きたいのはこっちの方だ」
 いったい何回言えば分かるんだ。