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相部屋の続き

 

 

 

眠い。
眠い眠い眠い。
部屋に入るなりブレザーを脱ぎ、椅子に向けて投げ捨てる。抱えていた鞄は机に落とし、靴をぽいぽいと放り、ベッドに頭から突っ込んだ。空気を含んだ音が立ち、ベッドが揺れる。そのまま自然と体がすっぽりと収まり包み込まれる、なんてことはないので、転がりながら器用に毛布に包まる。ふかふかの毛布に包まれて幸せいっぱいに欠伸を一つ零し、あっという間に意識を手放した。
何せ一昨日の夜からろくに眠っていない。
それもこれも、幾月修司と言う名の理事長に謀られたせいだ。
あんなに相部屋は嫌だと泣いて嫌がったのに(泣いた、というのは大袈裟だけど)ルームメイトを勝手に決めらた。抗議もままならないほどあっという間の出来事で、つい一昨日、この部屋に新たな住人がやってきてしまった。どう考えても嫌がるからギリギリまで隠しておいたとしか思えない。来ちゃったものはしょうがないでしょ、と言いくるめる為に黙っていたとしか思えない。幾月修司卑劣なり。眼鏡を割ってやりたい。
そして部屋に他人が居ると眠れない自分は、見事寝不足になっていた。
他人が苦手でパーソナルスペースが広め。苦手な行事は泊りがあるもの。一週間後に控えた修学旅行を思うと胃痛が止まらない。そんな自分が相部屋だなんて無理にもほどがある。巌戸台分寮は元々全て二人部屋なんだから諦めろ、と言われたらそれまでかもしれないが、兎に角自分にとっては死活問題なのだ。
何せ本当に眠れない。目を閉じれば他人の気配が気になって、逆に目が冴えてしまう。気にし過ぎだ、と順平あたりには言われるが、気にならなくなる効果的なツボでもあるというなら聞きたかった。
他人がいる部屋で眠れないのに、授業中に居眠りなんてことも出来るわけがなく、まんまと不眠のループに嵌っていた。今朝覗いた鏡には、調子の悪そうな自分の顔が映っていた。見事なくまも出来ていた。なんだか悲しかった。
しかし今、この部屋には自分の他に誰も居ない。
誰も居ないから、今の内だとベッドに潜り込んだのだけれど。
この部屋のもう一人の住人、望月綾時は今駅前のワックに居る、はずだ。下校途中にちらりと覗いた店内に、あの目立つ黄色いマフラーがあった。女の子を五人はべらせていたので、もう暫くは帰って来ないだろう。まだ転校二日目だというのに、自分ですら知らないような女生徒を連れ歩くとは恐ろしい奴だ。たった二日で順平に「口から生まれたナンパ師」と称されるだけのことはある。でもきっと、本人はいたって普通に話しているだけのつもりなのだろう。でなければ自分は既に七回程口説かれたことになってしまう。
綾時の青い目があまりにも綺麗だったので、素直に褒めたら「君の灰色の瞳の方が綺麗だと思うけどな。グレーダイヤモンドみたい。知ってるグレーダイヤモンドの宝石言葉ってね」とにっこりと微笑まれたあれも、綾時にしてみれば普通なのだ。きっと普通の喋り方が軟派なだけだ。流石帰国子女様は違う。
因みにその天然ナンパ師望月綾時には現在彼女が居ないらしく、静かに女子の間で戦いの火蓋が切って落とされている、らしい。順平情報なので信憑性はちょっと怪しいけど。
まあ綾時の人柄がどうであれ、それと眠れることとは全く関係がないので、彼が居ない今、寝るしかなかった。だから寝ている。綾時が女の子に取り囲まれて静かな戦場のど真ん中に立っている間に、眠るしかない。一時間でも良い、五分だっていい。兎に角眠りたかった。
眠れないけれど、ずっと眠くて仕方がなかったのだ。

ドアノブの回る音に目を覚ました。点けっぱなしにしていた部屋の電気に目がちかちかと痛む。慌てて瞬きを繰り返し、もう一度今度はゆっくりと目を開ける。
起き上がり、欠伸を零しながら体を伸ばす。部屋の入り口で綾時が、あっ、と口を開けて突っ立っていた。
「……おかえり」と声を掛ける。
綾時はふにゃりと表情を崩し「ただいま」と答えた。が直ぐに眉尻を下げ、首を竦めた。
「起こしちゃった?」
まさにその通りなのだけれど、今まさに叱られようとしている犬みたいな顔をされると可哀想で「その通り」とは答え辛い。別に綾時が悪いわけではないし。ドアノブが回っただけで起きような相手でなければ、起こしてしまったりはしなかっただろう。どう返事をしようかと考えていると、また欠伸が迫り上げてきた。
「べつに、人が居ると眠れないだけ」と結局素直に答えて、欠伸を吐き出した。
綾時は真っ青な瞳の収まっている目を、これでもか、というくらい見開いていた。青いビー玉みたいに見えた。
「もしかして、夜も眠れてない?」
「まあ……」首を半分ほど縦に振ったところで、綾時が死にそうな顔を見せたので「ちょっとだけ」と顔を横に逸らしながら言葉をぼかした。
「なんで言ってくれなかったの、そんな、僕凄く邪魔だったね。今夜からでも僕、えっと、ラウンジで眠るよ。あっ大丈夫だよ、コロマルくんに湯たんぽの代わりをお願いすれば、間違いなく暖かく眠れるから。僕の事は気にしないで」
「いや、えっと、そこまでしなくても」
「駄目だよ。緒張くん自分の顔見てないの? 折角綺麗な顔をしているのに、目にくまは出来てるし何だか凄く疲れた顔をしているよ。体調が悪いのかなって心配していたんだけれど、眠れていなかったんだね。君にそんな顔をさせてまで、僕はベッドで悠々と眠ったりしたくはないよ!」
「えっ、ちょっとまって望月」
胸に手を当て、今にも膝を床に付きそうなほど低姿勢になっていく綾時の姿に慌てる。そんなにしてくれなくても。ぐっすりとは眠りたいけれど、こんな綾時を追い出してベッドに潜り込んだところで良く眠れる気がしない。罪悪感でむしろやつれそうな気がする。
良い奴なのだ、綾時は。ちょっとどころか大分言葉選びがおかしいだけで、細やかな気遣いの出来る優しいやつなのだ。そんな彼をラウンジのソファでコロマルを抱き枕に眠らせるのは、どう考えても気が引ける。
「大丈夫だから」と慌てて上っ面だけの返事をする。
「大丈夫な訳ないよね?」と直ぐさま反論された。上っ面だけだったので直ぐに返事に困り、目を泳がせる。今まで自分のこの特性の事を、他人が居なければ眠れるから平気、と軽視していた事を急速に後悔し始める。もっと改善する努力をしておくのだった。
どうしようどうしようと、視線を天井の隅からドアノブ、床、カーペット、綾時のマフラーとなぞって移動させる。自分が眠れさえすれば解決する問題なのに、そんな簡単に眠れない自分の事を、初めて憎いと思った。
せめて綾時が「お前他人がいると眠れないとか不便だなー! おれっちどこでも五分以内に眠れる自信あるわー。はーお前大変だなーまっ頑張れよ!」と順平の様にニカッと笑いこちらの殴りたい気持ちを増幅させてくれたなら、どんなに気が楽だっただろうか。何せ殴れば済むのだ。
ああ、うう、と呻いていると唐突にお腹が鳴った。それなりに大きな音を立てたお腹に、必然の様に綾時と目が合った。青い瞳がきょとんとしている。相変わらずとても綺麗な青だった。
時計を見ると七時を少し過ぎていた。まさにご飯時真っただ中。今日は外に食べに行こうか、何か買って帰ってこようか、材料を買ってきて荒垣に晩飯をたかろうか。考えていると、ふと綾時が「あ」と声を零した。
「ラウンジに牛丼が山ほどあったよ」
「……何で」

とりあえずご飯にしようか、という綾時の意見に全面的に肯定し、ラウンジに降りると本当に牛丼が山ほどあった。正確には並盛り五個、大盛り五個の計十個。今巌戸台分寮に住んでいる人数と同じだ。
ソファ側のテーブルに積まれた牛丼の容器の横で、真田が床に正座していた。していた、というかさせられていた。真田の目の前には荒垣が仁王立ちしている。近寄るとろくなころにならない匂いがプンプンしていた。にも関わらず、綾時が「何してるんですかー」と手を上げながら突進していってしまう。
荒垣の首がぐるりと回り、こちらを向いた。別に逆光になっているわけでもないのに、顔に影が降りている。凄く怒っている。荒垣の顔が見えた時「あ、死んだな」と一瞬思う程に彼の顔は怒りに満ちていた。
声を掛けた綾時の肩が跳ねた。ここからでは彼の背中しか見えないが、きっと世界の終わりの一端でも見た様な悲壮な表情をしていたんだろう。般若の形相だった荒垣の顔が、ハッとしてから意識的に緩められた。
「望月に緒張か」
「はい」と直立し、綾時が恐る恐る答える。その声があまりに悲しげに沈んでいたからか、荒垣は深く息を吐きながら後頭部に手を回した。因みにこの間、床で正座している真田は、うなだれたままぴくりとも動かなかった。ボクシング部主将無敗のチャンピョンが正座させられている姿なんて、きっと彼の取り巻き達は知らないだろう。知りたくも無いかもしれないが。
「お前ら、今から飯か」
「そうです……あの、真田先輩が、牛丼……」
首を竦めて、ちらりと真田の姿を伺い見ながら話す綾時の姿が、とても小さく見えた。悔しいことに自分よりも十センチ近く背の高い彼が今、自分よりも小さく見える。目の錯覚な事が悲しいが。
綾時の様子を見る限りでは、きっと彼が帰ってきた時はまだこんな状況になっては居なかったのだろう。綾時が部屋に戻った後、荒垣が真田を発見し、正座させたというところか。
荒垣が真田を怒っているのは、巌戸台分寮では良くあることなので寮生はもう誰も気にしないが、初めて見る綾時にはきっとさぞかし怖い光景に見えているに違いない。元々顔が少し怖いタイプの荒垣が怒っているのは、傍目にとても怖い。とてつもなく怖い。本当は下級生には優しい面倒見の良い先輩なのだけれど。怒られるのは主に真田ばかりだ。
その怒られていた真田が、顔を勢いよく上げた。
「そうだシンジ、望月が牛丼を食べたことがないというから、食べさせてや」
「アキ」
静かに低く名前を読んだ荒垣の声に、真田と、それから連られて綾時が肩を強張らせた。
「望月に牛丼食わせてやろうってのはいい。だが全員分買ってくる奴がどこにいる。それも半分は大盛り買ってきやがって」
「なっ、シンジそうは言うがな、並盛りで足りるわけがないだろ」
「全員が全員、晩飯食わずに寮に戻ってくるって確証がどこにあった。テメェはもう少し計画的に行動しやがれ」
暫くそこでそうしてろ、と吐き捨てた荒垣がこちらへ近寄ってくる。正座させられたままの真田が、奥から「助けてくれ」という視線を送ってくる、がそっと見なかったことにした。美味しいご飯を作ってくれる分だけ、荒垣への信頼度の方が高かった。
「望月、緒張」
「はいっ!」と綾時が短く返事をする。ピンと伸びた背筋を見て、荒垣がくすりと笑った。珍しい。
「そうビクビクすんな。飯まだだったんだよな」
「そうです」
「じゃあ悪いがそこの牛丼消化すんの手伝ってくれ」

積み上げられていた牛丼は、あの後綺麗に片付けられた。
部屋から出て来た順平と天田や、部活を終えて戻ってきたゆかりや風花、他の皆も奇跡的にまだ夕飯を取っていなかったおかげで、一人ひとつ牛丼が行き渡り、綺麗に消化された。
ラウンジに全員が集まり、わいわいと取る食事は結構楽しかった。いつも一人で済ませることが多いので、新鮮だ。綾時は元々大人数に囲まれることが好きな性質のようで、兎に角嬉しそうだった。順平に牛丼を食べる作法なる嘘を吐かれ、騙されながらも楽しそうにしていた。
大盛りの方の牛丼を食べ終え、お腹いっぱいの心地のまま、ラウンジでテレビを見ていた。と言っても、適当なバラエティ番組を流しながら、談話を楽しむ綾時の横で風呂の順番待ちをしていただけだが。
風呂の順番は決められている。一番は早めに寝るからという小学生特権を行使する、天田、順平。その後女子の年功序列、男子の年功序列と続く。自分と綾時は一番最後だ。
真っ先に風呂から上がった順平が宿題をテーブルに広げるだけ広げている。眠る天田に気を使わせない様に、とここでやっている、と言っているが全く捗っていない。ノートも開いて勉強している「格好」としているだけだ。
英語のページだけは、帰国子女で英語の得意な綾時が脇から教えている。ここはこうだよ、と流暢な発音で述べ、順平に「ちょお前何言ってっか全然わかんね」と言われるのを繰り返していて、結局進んでいない。
そうこうしているうちに、荒垣と真田が風呂から出てきた。適当に上着を羽織り首からタオルを下げるだけの真田を、荒垣がたしなめている。見れば見るほど荒垣が保護者にしか見えない。
「緒張と望月、風呂開いたぞ」
渋々ボタンを留めながら、真田が声を掛けてくれる。はーい、と答え、着替え一式を用意していた綾時が立ち上がる。隣りから人が消えたことで、少し浮いたソファにだらりと座ったまま、それを見上げる。
何か足らないなあ、と思ったら綾時がトレードマークとも言える黄色いマフラーをしていなかった。これから風呂に入るのだから、当たり前かもしれないが。一色掛けただけで随分と印象が変わる、と言っても今まで気付いていなかったのだけれど。あまり人の顔や姿をじっと見るタイプではないから仕方ない、とこっそりと心の中で言い訳をする。
「あれ、緒張くん行かないの」綾時が振り返った。
「お先にどうぞ」のんびりと答え、手を振る。なのに綾時は踵を返し素早く戻ってきて、ソファに逆戻りした。勢いよく腰掛けたせいで、クッションが跳ねる。何なんだ、と綾時を見ると、やけに近い距離でこちらを凝視していたので、思わずのけぞる。
「一緒に入ろうよ」
「ヤダ」
即答すると更に綾時が距離を詰めてきた。詰められた分だけ後退る。
「なんで。だってこの寮のお風呂って部屋ごとの交代制でしょ? 割り当てられた時間も少ないし。他の部屋の人達は皆一緒に入ってるじゃない。その方が効率良いもの」
まさか二日間でばれてしまうなんて、と目を逸らす。昨日、一昨日は別々に入浴することに何の疑問も抱いていなかったのに。
綾時の言うとおり、他の部屋の人は皆二人一緒に浴室へ向かっている。風呂場は広いし、二人で入ったところで何の問題も無い。一組あたりの入浴時間が三十分あまりな事を考えても、別々に入るよりは一緒に入った方が、どう考えても効率が良い。
が、それとこれとは全く、そりゃもう全く別の問題だ。
「一緒の部屋で寝るのも無理なのに、一緒に風呂なんてもっと無理だ」
「そうだった! まだその問題も解決していないんだよ。ねえ緒張君、僕たちこれから卒業までの間あの部屋で一緒に寝起きを共にするんだよ。お互い楽しい相部屋生活を送る為にも、もっと打ち解けていくべきだと思うんだ。だからさ、裸の付き合い」
「ムリ」
「なんで! 裸の付き合いって日本の伝統的な親睦を深める儀式じゃないの」
「だから、眠れもしないのにいきなり裸の付き合いなんて、そんな奥義から極めるみたいなこと出来ない」
「そうなの? でもね、でもでも」
言いながらぐいぐいと綾時が近寄ってくる。その都度首を左右に振りながら後退する。ギリギリ一緒の部屋で生活できているのに、どうして一緒に風呂など入れようか。裸の付き合い、なんて言葉を生み出した過去の誰かの事を、今だけ心の底から恨んだ。
ソファの上で攻防戦を繰り広げている中、順平が一言も発しないのが不気味だった。普段ならどんどん乗っかってきて、面白おかしく話を曲げていくのに。ちらりと見た順平は、眉毛を持ち上げ口元を両手で覆い、明らかに笑いをこらえていた。それも大笑いして水を差すより、黙ってずっと見ていた方が面白いから必死に黙っている風だった。
凄く殴りたかった。
「ねえ緒張君ってば。僕たち男の子同士だし大丈夫だよ」
「望月が何でも無理だよ」
「でも」
「ムリ! 頑張ってもこればっかりはムリ! 無理無理無理!」
尚も迫りくる綾時の肩を両手で押し返す。「先に入ってくれればいいから」と背後をとり、背中を押し風呂場の方へと押しやる。綾時はちょっぴり寂しそうな顔をしながら、渋々風呂場へと入っていった。
はあ、と息を吐きソファに倒れ込む。順平が堪えていた笑いを一気に噴き出し、膝を叩いて大笑いした。
「お前らホント面白いんだけど」
「順平、頼む殴らせてくれ」
「いやもー綾時さ、しゅんってしてただろ、かーわいそー」
腹を抱えて体を折り、笑い続けた結果咽始めた順平にいい加減むかついたので、テーブルの上にあった消しゴムを掴んで投げつける。消しゴムは順平に当たることなく、弧を描き後ろの方へ飛んで行った。
「はーもう良いじゃねか風呂くらい。絶対綾時今さ、背中丸くして風呂入ってんぞ」
「そんな簡単に入れるなら苦労してない」
「けどよ、今のうちに慣れておいたほうがいいんじゃねえの。来週から修学旅行だし」
「いいよ。部屋の風呂入るし」
「お前、修学旅行で泊まる旅館の個室に風呂ついてると思うか?」
「あ」
どうしよう。

「じゃあ電気消すね」という声に少し遅れて部屋が暗くなる。
真っ暗になった部屋の中で、毛布に包まれながら瞬きを繰り返す。目が慣れてくると、もぞもぞとベッドに潜っていく綾時の影が見えた。あのベッドもつい数日前までは毛布も無かったのに、今は人影が横たわっている。平坦だった暗闇が、人の形に盛り上がっていた。
こうして寝そべっていると眠気が襲ってくる。今も凄く、凄く眠たい。
欠伸を零して目を閉じる。けれど眠れない。目を閉じ視界が制限された分、他の感覚が鋭くなり、人の気配に敏感になる。もしかしたら思い込みかもしれないが、やっぱり気になってしまう。
部屋の中に誰か他人が居る。
眠いのに眠れない、落ち着かない。寝返りを打ち、壁と向き合う。直ぐ側にある壁紙の質感が見えた。夕方に少し寝たとはいえ、全く足らない。もっとぐっすり眠りたい。
「緒張くん起きてる?」
綾時の声に呼ばれる。少し考えてから素直に「うん」と返事をする。
「やっぱり眠れそうにない?」
「うん、まだ無理そう」
「僕やっぱり違うところで寝ようか」
「それはいい。これからずっと一緒の部屋に居る望月に、そういう風に迷惑掛けたくないし。出来れば、慣れたいし」
そうだ、慣れて眠れるようになるのが一番いい。どこでも眠れる、まで行かなくても、せめて誰かが居ても眠れるくらいにはなりたい。ずっとこうだったからあまり気にしていなかったが、やっぱり不便だ。眠れるなら、眠れる方がいいに決まってる。
せめて綾時が居ても寝れるくらいにはなりたい。
綾時の事自体は、嫌いじゃない。むしろ結構好きだ。かなり軟派だけれど良い奴だし、意外と話し易い。どうしても相部屋じゃなくてはいけないなら、相手は綾時がいいかな、とか思わなくもない。
ならやっぱり、慣れるしかない。頑張って風呂も一緒に入れるようになれ、るといい。もしかしたら、やってみたらやれるかもしれないから、明日は頑張ってみようか。
あれこれ考えていると突然「じゃあさ!」と綾時が明るい声を出した。何、と体ごと振り返ると、起き上がっている綾時のシルエットが見えた。さっきまで寝てたよな、と記憶を確認している間に、綾時はベッドから抜け出た。床に素足を下ろし、立ち上がる。トイレにでも行くのかと思えば、真直ぐこちらへ向かってきた。
ベッドの直ぐ脇に立つと、おもむろに毛布を捲り上げられた。そしてあろうことか潜り込んで来た。
この時「なんで!」と叫んだ声が若干裏返ったのも仕方が無い事だと思う。
「何してるの!」
「ね、一緒に寝よっか」
「なんで! なんで!」
距離を取ろうと飛び退くと、思い切り背中を強かに壁に打ち付けた。ドン、と鈍い音がし、地味に痛かったがそれどころではない。問題の綾時は堂々と寝そべっている。距離が近くなったことで、この暗闇でも表情が分かるようになった。綾時はにこにこと笑っていた。頭の中を大量の「なんで」が通り過ぎていく。
「もちづき、なにしてんの」
「だから、一緒に寝ようかなって」
「なんで」
この時一瞬、綾時の事が言葉も通じない宇宙人の様に思えた。
「ほら、僕が居ると眠れなくって、今緒張君寝不足でしょ。でも僕が出ていく程じゃない、みたいに君は言うけど、僕は君にぐっすりちゃんと眠って欲しいんだよ」
「だからってなんでベッドに入ってくるの」
「えーっと、同じ部屋に居ると眠れないなら、距離を縮めて同じ布団で眠ったら寝られるかなって。こういうの確か、ショック療法って言うんでしょ」
「それ、俺がショック受ける事前提じゃないか」
全く理解が追い付かなくて悲しくなってくる。壁に体をぴったりとくっつけ、顔を枕に押し付ける。
こういう時はどうしたらいい。飛び起きて、綾時を飛び越えて部屋から飛び出せばいいのか。でも十一月の夜は地味に寒い。それこそコロマルを湯たんぽ代わりにしても一夜乗り切れるかどうか。隣りの順平・天田部屋に飛び込もうか。そうしたら確実に天田を起こしてしまう事になる。そんな事が荒垣に知れたら、夕方の真田みたく正座させられて怒られるのが目に見えている。かといって荒垣・真田部屋に飛び込む勇気はない。あとは女子の部屋なので、どの部屋だろうと入った瞬間美鶴に処刑される。どれも現実的じゃない。
「みつきくん」と名前を呼ばれ、つい顔を上げてしまう。視線の先には綾時の青い瞳があった。空の様な綺麗な青色をした瞳は、暗闇の中では深い海の色のように見えた。
あまり近くで見られることに慣れていないので、思わず視界を片手で覆う。青い瞳が見えなくなってホッとしたのも束の間、手を掴まれた。真っ白な指先に手を引かれ、再び視界が現れる。やめてほしい、と思ったのに、自分の手を包む綾時の手が暖かくて、何故か心地よかった。
「ためしにちょっとだけ。本当にダメそうなら出てくから。ちょっとだけこうして寝てみよう」
ね、と微笑むと綾時は体の向きを変え、天井を向いた。視線が外され、圧迫感が薄れる。けれど手は掴まれたままだ。どうしたらいいんだろう、と目を泳がせる。
先程までの、今すぐ飛び出して何処かへ逃亡したい、という気持ちは引っ込んでいた。意外にも嫌ではない。どうしてだろう、と考えるが眠気に支配されている脳みそでは、全く考えがまとまらない。掴まれている手があまりに暖かくて、眠くなってくる。眠れるかどうかは、別にしておいて。
背中を壁に押し付け、体全体に込めていた力をゆっくりと抜く。ほっと息を吐き、伸ばしていた足を引き寄せる様に曲げると、途中で綾時の足にぶつかった。慌てて元の様に伸ばすと、綾時がくすりと笑った。
「邪魔だったら蹴ってもいいよ」
「そういうわけには」
「ちょっとぐらい気にしなくても良いから、ね」
なんだか少し恥ずかしくなる。今度は蹴らない様に気を付けながら、僅かに足を曲げる。そうすると少しだけ落ち着いて、眠り易くなった気がした。
「おやすみ」と綾時が囁いたので「おやすみ」と返す。たったそれだけで綾時はやけに嬉しそうに笑った。
静かになった部屋の中で、瞬きを繰り返し、綾時の横顔を眺める。凄く近い。ちょっと動いただけで体が触れてしまいそうな程に近い。それから暖かい。綾時の体温が高いのか、そばにいると暖かい。未だに掴まれた手は離してもらえておらず、そこからぽかぽかと温度が伝わってくる。
こんなに近いし、手が触れているのに、嫌じゃないことが不思議でならない。これならもしかして、眠れるかもしれない。そう思いながら、目を伏せた。

「お前ら早く起きろよ遅刻すんぞー」
という声が真っ暗闇の中で聞こえた。実際に部屋の中が真っ暗だったわけではなく、純粋にまだ眠っていた。夢の中からゆっくりと引き上げられる様に意識が戻る。ふわりとした意識の浮遊感に飲み込まれながら、今の声は誰だったんだろうと考えた。聞こえた声を、覚醒を始めた脳内で反芻する。
「深月いるくせに起きてねえの?」
先程と同じ声だった。順平だ、と思い、目を開ける。
開けたが何も見えなかった。真っ暗だった。それからやけに暖かくて、妙な圧迫感がある。なんだこれ、と考えた頭はとてもすっきりとしていた。
にしても何故真っ暗闇なのか。順平は起きろと言っていたから、朝じゃないのか。もしこれが夜中だったなら、悪質な嫌がらせとし順平を捕らえ、真田にサンドバックとして差し出そう。
「うわ、鍵空いてるし……おーい電気付けるぞー」
再び順平の声がし、パチリと音がする。言葉通り電気のスイッチを押したのだろう。だがあまり視界は明るくならない。何でだろう、と体を起こそうとするが起き上がれない。というか動けない。腕が押さえられているのか、何か絡まっているのか、動かない。足は動きそうだったので、バタつかせてみると爪先が何かを蹴った。
「痛っ」と声がした。その声に「望月?」と問い掛ける。
「ギャー! 何してんのお前らー!」
叫んだのは順平だった。電気を点けてそのまま入って来たようだ。何で勝手に入っているんだ、と思うがそういえば先程「鍵空いてる」と言っていた。かけ忘れて寝てしまったんだろうか。
で、何って、何。
「うーん」と望月の呻き声が聞こえ、ふっと腕周りの拘束が解けた。合わせて視界も明るくなる。上を向けば、視界の先、薄く開いた隙間から覗く青い瞳があった。
あまりの近さに驚き、飛び退くと背中を強かに壁に打ち付けた。痛みにベッドに逆戻りする。なんかこんな事、最近もあったなと思ったところで、現状を綺麗に思い出した。
ベッドの隅っこは寒かったので、暖かさに釣られて綾時の隣りへもぞもぞと戻る。起きた時やけにぽかぽかしていたのは、綾時のせいだったか。丸くなって再び目を閉じる。
「いやいやいや!」と叫んだ順平に毛布を剥ぎ取られた。「何二度寝決め込もうとしてんのお前、遅刻ってさっき聞こえたろ!」
いやいや寒い寒いと更に丸くなると、肩を綾時に掴まれ揺り起こされた。
「流石に起きないとまずい時間みたいだよ」
仕方なく目を開けると、確かにそろそろ支度しないと朝飯抜きになりそうな時間だった。目を擦りながら体を起こす。寒い。いきなり毛布を剥ぎ取られてしまったから余計に寒く感じる。先に起き上がっていた綾時の背中に吸い寄せられるようにくっ付いてみると、凄く暖かかった。ぴたとくっつくと綾時がおかしそうに笑った。ぬくいからなんでもいいや。
「いやいやいや!」
再び叫んだ順平の声に、穏やかに飲み込まれそうになっていた睡魔から引き戻される。欠伸を零しながら、順平を見上げる。遅刻がどうのという割に、順平自身まだ部屋着姿のままだった。
「何」
「何じゃねえよそれこっちのセリフだわ! お前らなに一緒に寝てんの。流石のオレッチもドン引きだわ!」
自分で自分の肩を抱きながら順平が凄い顔をした。まさにドン引き、というか困惑、というか。
綾時の背中にくっつたまま、うーんと首を捻り、再び順平を見る。
「良く寝た」

読みたい本があったので、早く寮へと戻ってきた。部屋で読もうかとも思ったが、ラウンジのソファに腰掛けた。本を読みながら飲み物をのんびりと飲むのが好きなので、そうするとここの方が便利なのだ。巌戸台分寮のキッチンは、食材は充実していないが、飲み物を作るには十分だった。それにラウンジは空調が整っていて暖かい。
暫く一人で読書を楽しんでいると、深月が帰ってきた。
「おかえり」
「ただいま」
挨拶を交わすと、深月はそのまま二階へと姿を消した。と思ったら着替えて戻ってきた。
「どうかしたの」と問い掛けるも返事はない。
ふらふらーと近寄ってきて、僕の隣りに座った。意外と読書家な彼の事だから、一緒に読書を楽しむつもりかな、と思ったが手ぶらだった。何も持っていない。
深月はテレビの電源をリモコンで入れ、適当なニュース番組にして放置した。番組を真剣に見たい訳ではなさそうで、ソファに背を預けてだらりと体から力を抜いている。
パッと見、何がしたいんだか良く分からないが、何となく察した。放っておけば暫くすると何かし始めるだろうから、気にせず本の世界に没頭する。
それから十五分経った頃。突然肩が重くなった。深月がもたれ掛かってきて、うとうととしている。長い睫毛を揺らし、グレーダイヤモンドの瞳をぼんやりと滲ませている。
「眠い?」と聞くが返事はない。まあ予想通りだ。
深月は眠くなってくると僕の隣りにやってくる。もしかして僕って睡眠導入剤の効果とかあるんだろか、と馬鹿なことを考えるが、女の子達と出掛けて隣りに座った子が眠くなり始める、なんてことは無かった。眠くなるほど退屈な話はしていない、つもりだし。かといって、深月はつまらないから眠くなっている訳じゃなさそうだけれど。というか、最初から眠いからやってくる。
僕ってば布団か何かなんだろうか。
なんて考えていたら肩を押された。深月はもたれかかっていた体を起こし、僕の肩をぐいぐいと押している。
「えっ」
なに、と思っている間にソファに押し倒された。更に圧し掛かられる。ソファに押し倒されるなんて実は初めての体験、とかのんきに考えていたら、深月が僕の胸辺りに頭を落ち着けて動かなくなった。
先程僕って布団か何かかな、と冗談で考えたところだが、本当にそうかもしれない。
「膝枕してあげよっか」
「やだ、寒い」
この格好よりは膝枕の方が本が読みやすそう、と思ったのに良く分からない理由で断られた。膝枕のどの辺りが寒いんだろう。まあいっか、と押し倒されながらも離さなかった本を持ち上げる。
圧し掛かっている深月の背中をテーブル代わりにし、読書を再開する。

次に寮に戻ってきた順平が、これまた凄い顔をしながら近寄ってきた。この顔は深月と打ち解ける切っ掛けになった同衾事件(順平命名)の日の朝に見たそれに近い。
「何してんの」
「本を読んでるんだ」
「ちげえよ。綾時が乗っけてる掛布団の事だよ」
「ああ」
掛布団、とぐっすり睡眠中の深月の旋毛を見る。てっきり僕が敷布団にされていると思っていたのだが、それは盲点だ。なるほど、僕が掛布団をかけてぬくぬく読書を楽しんでいる、という見方もなくはない。
「なるほどね」と素直に感嘆する。
「なるほどじゃねーよ!」と順平が怒った。
ずんずんと順平が近づいてくる。直ぐ側までやって来ると、眠る深月の頭を眺めてううん、と首を捻った。
「これ本当に深月か?」
「深月くんだね」
「綾時が連れ込んだ深月そっくりな女子、とかではなく」
「深月くんそっくりな女の子が居たら、それだけでびっくりするけど。っていうか僕がそんなほいほい女の子連れ込んでるみたいな、誤解を招くような言い方はやめてよ!」
「おう、ってことはこれ本物か」
「本人本人」と深月の背中を片手でとんとんと叩く。
それを見ていた順平が仰け反った。
「叩いても起きねえとかやっぱ別人じゃねえの。つか寝てんのこいつ」
「この格好で狸寝入りする理由があるなら、是非とも教えてもらいたいなあ」
僕を下敷きにしながら狸寝入りして一体なんのメリットがあるんだろうか。見ても、順平みたいに仰け反るくらいしか、リアクションは無いと思うのだけれど。
「マジで寝てんのか……パーソナルスペース激広で人の気配に敏感ですぐ起きる小動物みたいな深月が……綾時下敷きにラウンジで熟睡してんのか……世の中分かんねえな」
はあ、と溜息を吐いた順平は黄昏た面持ちで天井を見上げた。かなり衝撃を受けている、ということだろう。まあ僕自身もかなりびっくりだ。
「綾時なら部屋に居ても寝れる、ってはきいたけどさ。まさか俺が近寄っても起きねえとはな。いやーすげえな。どんだけ安心して寝てんだか」
「ねー」
「つか、綾時的にはありなのか? お前女の子大好きだけど、こいつ男だぜ」
「まあね。でもこれだけ見事に僕にだけ懐かれるとさ、悪い気しないね」
あはは、と笑うと、順平もはははと棒読みで笑った。
悪い気しない、っていうのをもう少し具体的に言うと、懐かないと評判の野良猫に懐かれたような気持ちだ。ちょっとずつ可愛く思えてきてしまって、こんな風に下敷きにされてもちっとも嫌ではない。ちょっと重い、のが玉に傷だけれど。
「まあ、なんだ……深月が不眠から解消されて良かったな」
順平が軽く深月の頭を叩くと、グレーダイヤモンドの瞳がぱっと現れた。「うおっ」と驚いた順平が後退り、テーブルの角に脚をぶつけ鈍い音がした。
「綾時以外の奴に触られると流石に起きるんだな……」
「おはよう深月くん。良く寝た?」
「……まずまず」
まあ一時間も寝ていないからね。深月が起き上がったので、僕も起き上がる。本にしおりを挟み、テーブルに置く。すっかり冷めきってしまったマグカップの中身を煽る。
「よ、深月おはよう」
「……なんで順平が居るんだ」
「帰ってきたんだよ!」
「いつ」
「五分前くらい。お前全然起きねえもんびっくりするわ」
「ウソ」
深月が僕の顔を見た。本当だよ、と言うとそんなまさか、と驚いた顔を見せた。まあ、今までずっと誰かが部屋に現れた瞬間、目を覚ます様な子だったのだから、驚くのも仕方ないかもしれない。
「はー不眠で悩んでた頃のお前が懐かしいぜ。これでさ、修学旅行も安心だなー。つか、もう綾時さえいれば生涯安眠なんじゃねーの。羨ましいこった」
順平が溜息を吐く。深月が「それだ」と膝を叩き、改めて僕の顔をじっと見詰めた。
何だか凄く期待の籠った、きらきらとした眼差しだった。

「え?」

 

 

 

13/08/18発行無配本再録