コーヒーゼリー

(高3パラレル・夏)

 

 

じわじわと焼ける。
日差しが強くてとてもじゃないが日の下になんて出いられない。出たくない。ポートアイランド駅を行き来する人の流れをぼんやりと目で追いながら思う。日傘を差している人も何人か見える。しかし皆一様に暑そうだった。
ポートアイランド駅にある、路地裏に近い場所にあるカフェに居た。いつもシャガールだからたまには店を変えよう、なんて思ったのがいけなかった。あと、ここのケーキ美味しかったよ、と綾時に聞いたのもいけなかった。この炎天下、店内は避暑と冷たい飲み物を求めてやってきた客で埋め尽くされていた。開いていたのはこのテラス席だけだ。パラソルが落とす影は、それなりに暑さを和らげてくれていたが、閉め切った屋内の冷房には到底及ばない。
カランと音を立てアイスコーヒーの氷が解けていく。
「お、お待たせ!」
向かいの椅子を引く音がした。テーブルには重そうな鞄がドンと乗る。綾時が萎れるように椅子に腰かけた。
「遅かったな」
空になって氷しか残ってないグラスを、ストローで掻き回す。カラカラと音を立てる氷が涼しげだったが、それだけだ。残念ながら暑い。
そしてこれを飲み切る程度の時間をここでずっと、綾時が来るのを待っていた。正直先に行ってるなど言わずに、図書館で勉強でもしていたら良かった、と後悔している。
綾時が向かいで情けなく眉を下げた。
「いやね、進路指導がなかなか終わらなくて……」
「あれ、綾時は順平と違ってもう進路出してただろ」
「うんうん、そうなんだけど。あっ、その前に飲み物頼んでもいい? 君も追加頼んだら。待たせちゃったお詫びにおごるよ」
「じゃあカフェオレ」
「はーい。ちょっと待ってて」
ふう、と息を付き綾時は立ち上がると冷房の効いた店内へと吸い込まれていった。ひんやりと冷えた店内で表情を緩めている綾時の顔が見える。
店内は女性客が多かったが大丈夫だろうか、声を掛けやしないだろうか。あ、早速声掛けてる。多分「暑いですねー」とか言ってるんだろう。全くあれはもう病気だ。呼吸をするように声を掛ける。
それでもってあいつの悪いところは、容姿が整っているところだ。罪作りも程々にしないと、そのうち刺さるんじゃなかろうか。まあ声を掛けても連絡先を聞いて来たりデート(二人で)の約束を取り付けたりはして来ないので、大丈夫だと信じたい。刺されたら困る。
そうこうしている間に綾時が戻ってきた。トレーにカフェオレが二つと、コーヒーゼリーが一つ乗っている。
「はいどうぞー」
ストローを指してからカフェオレを目の前に置いてくれる。入れ替わりに空のグラスは回収される。こういう事を呼吸をするように行うところも綾時の恐ろしいところだ。
「あとコーヒーゼリーね。これ半分こしよ。これだけ暑いとケーキよりはこういうツルッとしたものの方がいいかなって。ケーキはまた今度来た時に食べようよ。フルーツタルトとか美味しかったよー。あ、ちゃんとスプーン二つ貰ってきたから。はいどうぞ」
「……ありがと」
「スプーン二つくださいって言ったらデートですか、って言われちゃったー。えへへ、そうです!」
「ああうん、お前暑いのに元気だな」
「深月くん、大分へばってるね」
ほらコーヒーゼリー冷たいうちに食べなよ、と目の前に差し出されたコーヒーゼリーの乗ったスプーンを、ぱくりと食べてしまう程度に今日は暑かった。食べてしまってから我に返ったが、取り乱すにも暑かったので何も無かった事にした。
水滴で覆われたグラスを掴み、カフェオレを吸い上げる。ついさっきアイスコーヒーを飲んだばかりだというのに、冷たい水分は体に染み渡る様だった。
「綾時は暑くないのか」
「え、暑いよ?」
コーヒーゼリーを口に運びながら綾時はけろりと答えた。そう言うが、色が白いせいかあまり暑そうには見えない。何より、首に何か巻きついている。見るだけでため息が漏れる。
「暑いのに良く首にマフラーとか巻いてるよ。尊敬する」
「さ、流石にこれマフラーじゃないよ!」
綾時が首元に巻きついている黄色い布を引っ張った。まあ確かに毛糸でもないし、マフラーではないのは本当だろう。
「マフラーじゃなくてもこの暑さでそんな首に何か巻いてることが信じられない」
「うーん、まあ暑いんだけどさ……首になにか無いとどうにも落ち着かなくって」
「ふーん」
「家の中だと外してるけど、外だとどうもね……」
「ふーん」
「興味ないね」
「そんなことない。今度寒いときに聞かせて」
スプーンを伸ばしゼリーを掬い上げる。この暑い中、そんなもこもこした話は正直聞きたくなかった。暑いと時にはやっぱりこういうツルリとしたものの方がいい。上に載っていたバニラアイスも崩し、ゼリーと一緒に口に運ぶ。
「あ、それでさ。進路相談なんだけど」
「ああうん。何かあったわけ」
「そうなんだよ」綾時は絶望的な表情を見せた。どんよりと暗くなる。そこだけ一気に気温が下がった気がする、なんてことはない。暑い。
「英語以外……今のままだと成績辛いって」
「あー」
「あーじゃないよ! それでもって夏期講習強制参加にされちゃったんだよ! 高校最後の夏休みが僕勉強で終わっちゃう!」
「頑張って」
「うわあん軽いよ! 僕今年の夏は君と海に行ったり山に行ったり川に行ったりしたかったのに」
「大丈夫、そんな予定立ててない」
両肘を付き項垂れ頭を抱える綾時をよそ目に、ゼリーを食べ進める。あっという間に空っぽになった。途中から嘆いていて全然食べていない綾時に、何となく申し訳ない気がしたので、最後の一欠けらを掬って目の前に差し出す。これだけ項垂れていれば先程の自分同様特に気にせずぱくりと行くかな、と思ったがそんなことは無かった。
ぱくりと食いついた後「あーんしてもらっちゃった」としっかり顔を上げた。学力不足と夏休み終了のお知らせによる絶望はどこへ。
「で、夏期講習に二週間くらい拘束されることになった以外は何とも無かった?」
「う、うん……どうしてもその大学行きたいなら死ぬ気を見せろって脅されたくらいかな……」
「だったら夏期講習頑張ればいいだろ」
「うん……そうだね……君と四年間も大学で別たれるよりは、ひと夏別たれる方がまだ……短いもんね」
「まあ俺も夏期講習出るんだけど」
「え」
夏期講習のフレーズの応酬にどんどん体勢がひねくれていき、絶望の淵で倒れていた綾時ががばりと体を起こした。
空色の瞳がこれでもかと言わんばかりに見開かれている。
「何で、君学力足りてるでしょ。なんでそんな、ジュンペー曰く夏を陰鬱に変える魔物に自ら戦いを……」
「なんだよ魔物って。夏期講習去年も出たけど、家でやるよりはむしろ気が楽っていうか……課題もついでに片付けられるし」
「君が何を言ってるのか分からないや」
「まあ、夏期講習で別たれないからいいんじゃないか?」
「一緒に居るって言っても夏期講習だけどね」
「そこは自分の学力を恨め」
まあ綾時の場合は学力が、というか勉強してないだけなので勉強させればそこそこ出来るのだけれど。順平と同じノリで生きようとするのがいけない。テスト勉強なんて嫌だと二人で窓辺で黄昏たりしないで大人しく図書館にでも籠ればいいのに。
「あれ……でも僕が夏期講習回避しても結局君は夏期講習なんでしょ? うん? 結果オーライ?」
「そういう事にしたら」
空っぽになったコヒーゼリーの器をよけ、カフェオレを飲む。綾時はどこか腑に落ちない様だったが、同じようにカフェオレに口を付けた。あ、またストロー噛んでる。
「うーん、でもやっぱり勉強しないといけないよね……。大学僕だけ落ちたとか言ったら笑えないし」
「じゃあ勉強見てやろうか」
「え、ほんと?」
「夏休み中みっちり見てやるよ。泊りがけで来い」
「わっ、えっ、それは……喜べばいいのか、喜べないのか……」
また綾時はテーブルに突っ伏した。四六時中一緒だけど四六時中勉強ってそれって……と呻いている。まあその通りだ。
「勿論勉強終わるまで席立たせないけど」
「う、うわあああああやっぱり嬉しくない!」
「早めに終わったら遊びに行けばいいだろ」
「え、本当?」
「終われば、な」
「これは僕試されてるね……」
「うん、がんばれ」にやりと笑う。
ふと、綾時が勢いよく体を起こしし、重そうな鞄の中から手帳を引っ張り出した。真っ青でシンプルな薄い手帳。それを捲り、七月のページを開いてテーブルの上に乗せた。
「今ここでしょ」と日焼け知らずな白い指が今日の日付、七月の上の方を指す。
「夏休みがここからだな」と手を伸ばし、七月の下旬を指差す。
「夏期講習が八月入ってから半ばまで……」
ページをめくり八月を開くと、既に夏期講習の日付に赤丸が打たれていた。丸の形が逆さまなところを見ると、先ほど担任に強制的に印をつけられたんだろう。よれた字で「カキコウシュウ」と書かれている。
「七月下旬……は?」
「何が?」
「遊んじゃだめ?」
「だめ」
「ひどい!」
「大学別になってもいい、って綾時がいうなら仕方ないけど……」とわざとらしく目を伏せる。向かいで分かり易く綾時がうろたえた。
「そ、そんなことないよ! そうだよね、四年間別たれるよりはってさっき言ったところだったよね……うん、遊んでる場合じゃないね……僕の夏は来年からの為に勉強に消えるんだ……」
深刻な顔をしながら自分に言い聞かせている綾時の顔を、ちらりと視線だけ上げて伺う。珍しく眉が寄っている。ちょっと可哀想かな、と思ったが、甘やかして綾時だけ落ちられても困る。
すっと指を伸ばし、手帳の七月下旬を指差す。丁度夏休みに入る日だ。
「この日から勉強見てあげるから、泊まりに来たら?」
「え、初日から?」
「そ」
綾時の手から手帳を取り上げ、再び八月を開き、下旬を指でなぞる。鞄から適当にペンを一本取り出し、二十日に花丸を書き込む。
「で、夏期講習終わるくらいに勉強はもう十分だな、って思ったらこの日海行くか」
「ホントに!」
「はい」
もう一文字「海」と書き添え手帳を返す。
「ダメだったらそこも勉強だけど」
「頑張るよ!」
嬉しそうに手帳を覗き込んだ綾時の姿に笑う。単純だなあ。

お互いカフェオレのグラスが空になったところで席を立つ。店内は未だに混みあっていた。日が陰ってきて、駅にはむしろ人が増えた気がする。
「ところでさ、勉強見てもらうのって今日からじゃだめ?」
「今日からって、随分熱心だな」
「そりゃ、君と同じ大学行きたいし……海行きたいし」
「まあ、いいけど」
「本当? じゃあ今から僕の部屋おいでよ」
定期を取り出しながら改札へと走り出す綾時に手を掴まれる。そんなに急がなくてもどっちにしろ電車が来る時間は決まっているのに。まあ勉強頑張ってくれるならいいか。
前を走っていく綾時の後姿を見ながら少しだけ笑って、掴まれた腕を思いっ切り振りほどいた。

「暑い!」