正月を踏ん付ける

(正月/高校が違って初対面の綾主パラレル)

 

 

 

 

(初詣を舐めきっていた)と深月は今猛烈に後悔している。
それから友近を猛烈に呪っている。「寮で一緒にカウントダウンして年越して、そのまま深夜の初詣に繰り出そうぜ」と言った友近の提案に何故乗ってしまったのだ。数日前の自分を恨まずにはいられない。

深月が入っている男子寮は、毎年大晦日に食堂で集まって軽いお祭り騒ぎをしながら年を越す習慣があった。各自菓子などを持ち寄り紅白を見て、優しい寮母さんが作ってくれる年越しそばを食べ、事前に年越しイベント出席者による投票により見るチャンネルが決まっているテレビを眺めながら年を越す。寮生の大半は実家へと帰っていたが、残っている寮生はほぼ出席。且つ実家住まいの生徒も何人かやってくるので(友近もその一人だ)なかなかに賑やかだった。
そこまでは良かった。
そこから初詣に行くという約束に基づき、友近と二人寮を出た。寮内ではまだお祭り騒ぎが続いていて、こんなに寒い中初詣に行こうという酔狂なのは二人以外に居なかった。
近所の神社へ向かうとそれはもう人だらけだった。前後左右人しか見えない。「これははぐれたら絶望的だな」と友近と笑った。その時はまだ笑っていた。
人混みに流されるまま進み、お参りを済まし、さておみくじでも引いて帰ろうかと横を見たら友近が消えていた。
後ろを見ても居ない。前にも居ない。もう一度左右を見るが居ない。「はぐれたら絶望的」と言いながら笑う友近の顔が脳裏できらきらと光っていた。
冷静に考えて携帯電話を取り出す。今も尚何処へ向かっているのかさっぱり分からない人の流れに乗ってしまっているので、歩きながら友近の番号ををコールする。待てど鳴らせど出ない。粘って二十コールし、それでも出なかったので切った。この喧騒では着信音は聞こえないのかもしれない。けれどはぐれたと流石に気付いているだろう。ならば何故、携帯電話を見ないのだ。友近馬鹿野郎。
友近と連絡がつかなくても人の波は進んでいく。どうしようか。このまま友近の事を忘れて寮へ戻ろうか。この一瞬で押し寄せた疲労で、おみくじの事は大分どうでも良くなっていた。別におみくじで何が出ても大して気にしないものだ。
寮に戻るならメールを入れておけばいいか、と携帯電話のメール画面を起動する。友近の宛先を探していると、足元に変な感触があった。今まではずっと石畳だったのだが、突然絨毯の様な感触がした。ぎょっとして足元を見ると黄色い布を踏んでいた。
「うわあ!」
前方から叫び声がして、目の前がふっと暗くなった。下を向いていたから気付かなくて、顔を上げようとしたら何かにぶつかった。というより前から何かがぶつかってきた。
ぶつかった衝撃で尻もちを着いた。じゃりっとした感触が掌から伝わる。いきなり転んだせいで後ろを歩いていた人に事故で背中を蹴られた。もう何だか散々だ。
「あっ、ごめんなさい。大丈夫?」
「……えっと」
ぱちりぱちりと瞬きを繰り返していると、目の前に手がにゅっと出てきた。あまりに真っ白な手だったものだから、一瞬幽霊じゃないかと思った。
手を伝い顔を上げると黄色が目に入る。あれこの黄色どこかで。
「足捻ったりしてない? 立てる?」
「あ、うん」
携帯電話を一旦コートのポケットにしまう。掌についていた砂利を払っていると、目の前の白い手が迫ってきた。そしてするりと手を取られ、ぐっと引き上げられる。驚くほど簡単に自分の体が浮いた。凄く滑らかで軽やかな動きで手を引かれ、立ち上がった反動と驚きでよろめいて、引っ張ってくれた白い手の持ち主にぶつかってしまった。
眼前には黄色。顔を上げると自分と同じくらいの歳だと思う、少年の色白の顔があった。
目の色が青い。透明で深い、青空と同じ色だ。
「ぶつかってごめんね。怪我はない?」
「……あ」
空色の瞳がぱちりと瞬きに隠れて、思わず魅入っていた事に気付いて慌てて後ろに下がった。けれど未だ手が掴まれていて、二歩下がったところで引っ張られた。
「あれ、てのひら擦りむいちゃってる。うわーごめん」
「え?」
少年が掴んでいた深月のてのひらを指でなぞるとぴりっと痛みが走る。見れば確かに掌に細かい傷が幾つか走っている。
「さっき手を着いた時かな。洗えるところ探すから付いてきて」
「あーこれくら平気だから。気にしないで」
「ダメだよ! 砂が入り込んでたらどうするの」
掴まれていた手が離されたかと思いきや、傷口に触れない様に握り直された。そのまま引っ張られ、今までいた人の大きな流れから脇道に逸れる。
深月が驚きのあまり呆然としている間にも、目の前の少年はぐんぐん進んでいく。これくらいの擦り傷全然大したことないのに、何故言われるまま引っ張られて来ているんだろう。
と、よくよく考えたらこれはまるで手を繋いでいるみたいじゃないか?
気付いた瞬間洪水の様に恥ずかしさが襲ってきた。あの人混みから逸れたとはいえまだ境内の中で、人はそれなりに沢山いる。同い年くらいの少年に手を引かれて歩いている自分はどこからどう見ても男だ。一体どういう状況なんだ。それに画的にもすっごく恥ずかしい。良い歳した高校生なのに手を引かれて歩いているだなんて。たまにすれ違った人がきょとんとしてこちらを振り返るものだから余計恥ずかしい。
「だ、大丈夫だからちょっと離して」
「駄目だよ!」
「なんで!」
「僕のせいで怪我させちゃったんだから」
「こんなの擦り傷だから平気だってば」
「ばい菌とか砂とか入ってたらどうするの。傷残っちゃうかもしれないよ!」
「それくらい大したことないって」
「良くないよ!」
「良いよ!」
「もー君大人しそうな顔なのに割と頑固だね!」
「はあ?」
「分かった。僕の気が済まないから付き合ってください」
突然立ち止まってぐるんと振り返ったこの少年は、言うに事欠いてそんな事をいった。割と大きな声で。ざっと自分達に視線が集まった気配を感じる。元々大声で言い合いをしていたせいでそこそこ注目を集めていたのだ。
深月は絶句した。
言い返そうと思ったのに口は開いたまま何の言葉も吐出せない。それを見た少年はそれはもうにっこりと、綺麗に笑うと再び歩き出した。もう何も言えなくて、がくりと肩を落としただ引っ張られていくしかない。
とても残念なことに、この青目の少年は綺麗な顔の作りをしていた。事故の様に綺麗に配置された整ったパーツと、青い瞳が強力なコンビネーション攻撃を放っている。さっきからやたら振り返られるのはこの顔の所為も何割かあるに違いない。
もう何をしても目立ってしまうなら、極力大人しく付いて行くしかなかった。
その後、途中で少年が「和装素敵ですね」と巫女さんに声を掛け、手を洗える場所を聞いたおかげで直ぐに手洗い場へ出た。
蛇口をひねると冷たい水が勢いよく流れ出てくる。手を洗おうと思っても一向に少年は手を離してくれなくて、それどころか両手で掴まれた。脳内が大混乱している隙に掴まれた手が流水に突っ込まれる。分かりきっていたけれど水は痛い程冷たかった。思わず「冷たっ!」と声を上げると「ちょっとだけ我慢してね」と少年の指が流水の中で傷口を撫でた。冷たさが勝っていたせいか痛さは感じなかった。
傷口を丁寧に洗うと少年は水を止め、どこからか取り出したハンカチで深月の手を包んで水気を拭き取った。陸上部で派手に擦り剥いたした時でも、容赦なく消毒液を浴びせられガーゼを貼り付けた上から叩かれるという雑な目に日頃合わされている深月としては、ただの擦り傷でこの対応は破格すぎるというか過保護すぎる。驚きと感動と、それから「そこまでしなくても」と少し引いていく気持ちに同時攻撃を受け再び絶句した。
始終無言でいると「ちょっと座って」と少年に促され、近くにある膝程の高さのコンクリート塀の端に腰を下ろした。少年は目の前に立ったままで、これまたどこから取り出したのか、絆創膏を傷口にぺたりと貼った。
「これで良し」
「……なんか、凄いな」
「あ、絆創膏? 持ってると意外と役立つよ。女の子にあげたりとか」
「うわあ」
「え、何その顔」
ここでやっと掴まれていた手が解放された。掌に貼られた絆創膏を撫でる。ちょっと擦り剥いただけだったのに、こんなにも大事になってしまった。「変な奴だな」ぽつりと呟き、少年を見上げる。黒髪に青目。ハーフなんだろうか。
良く見れば彼の真っ白な手が赤くなってしまっている。擦り剥いた方ではない手を伸ばしてその指先に触れると氷みたいに冷たい。あれだけ冷水に触っていたのだ、当たり前か。指先を掴まれた少年は首を傾げている。首元の黄色いマフラーが吹いた風になびいて揺れた。
そこでハッと気付く。彼の首に巻きついているそのマフラーの裾にくっきりと足跡が付いている。
何処かでみた黄色だと思ったら、あの時踏んだ黄色だ。
「あのさ、ちょっと座って待ってて」
「うん、いいけど。どうしたの?」
「いいから」
立ち上がって入れ替わりに少年を座らせる。きょろきょろとあたりを見回し、後ろの垣根の脇に自販機を見つけて駆け寄る。財布を取り出し硬貨を投入し、ホットのカフェオレとミルクティーを買う。どちらも冷え切った手には熱くて、袖を引っ張り素肌に触れないよう抱え直し、座らせていた少年の元へと戻った。
「どっちがいい?」
「え?」
「あ、甘いの苦手だった?」
「ううんそんなことないよ。じゃあ、カフェオレで」
「はい」
カフェオレを手渡し、自分はミルクティーの缶で暖を取りながら隣に腰を下ろす。少年は「熱い熱い!」と缶を両手の間で投げ合っている。
「自販機の飲み物ってこんな熱かったっけ……あ、ちょっと待って百二十円」
「いいよあげる。手冷え切ってたし、手当てしてもらったお礼ってことで」
「でも僕がぶつかったせいで君に怪我させちゃったんだから、君が気にする事じゃないよ」
手の中のミルクティー缶が掴んでいられる温度になったのでプルタブを引く。暖かい缶に口をつけながら横の少年の顔を見る。眉を下げた情けない顔をしていた。嚥下したミルクティーが食道を通り胃に溜まり、内側からじわりと温度が染みるのが分かる。
「そもそも俺が、君のその、マフラー踏んだのが悪かったみたいだし」
「え?」
「ほら、ここ」
少年の背中へと垂れている黄色いマフラーを引っ張り、見える様に摘まみ上げる。
「足跡付いてるでしょ」
「あ、本当だ」
「ほら。むしろごめん」証拠は見せたので一旦缶を脇に置き、自分の足跡を丁寧に払う。幸い濡れたりはして居なかったようで、汚れは直ぐに取れ見えなくなった。
「あーじゃあなんか突然首が締まったのは意地悪されたわけじゃなかったんだ」
「うん踏んでごめん」
「ううん! 僕がこんな長いマフラーしてたのがそもそも悪いんだし。良く邪魔だから短くするかもっと巻き付けるかどうかしろって言われてたし……あ、そういえば僕はぐれたんだった」
カシュリと小気味良い音がした。少年の声はとてものんきで、たった今開けたカフェオレにのんびりと口をつけている。はぐれた、という割に緊迫感は無いらしい。
というか。
「そういえば、俺もはぐれたんだった」
「あれ奇遇だね。……うわごめん、連れまわしちゃったけどそれじゃ急いでたよね。大丈夫? 大丈夫じゃないよね? ごめんね?」
「あー平気平気。さっき丁度連絡してたんだけど、電話でなかったし」
思い出してみればメールを打っていた途中だった。携帯電話を取り出すと打ちかけのメールの画面のままで、着信もメールも来ていない。はぐれてから三十分は経っていたが未だ連絡無しとはどういう事だ。一応途中かけのメールを完成させて送信する。
『宛先:友近 本文:どこ行った』
念の為着信音量を二段階大きく設定し直してからポケットにしまう。少年が何故か食い入るようにこちらの顔を見ていた。思わず身を引く。
「な、なに」
「一緒に来てた人に連絡したんでしょ? 彼女?」
にこ、と微笑まれてため息が出る。ああ今年初溜息がもう出てしまった。
「違う」
「なんだ」
「そっちこそはぐれたの彼女なんじゃないのか。早く連絡したら」
「残念ながら僕恋人居ないんだ」
「嘘言うな絶対とっかえひっかえだろ」
「違うよ本当だよ!」
「さっき巫女さんナンパしてたしてた奴が言えるセリフか」
「え、ナンパ?」
少年は目を丸くした。これはどういう意味のきょとんだろうか。とぼけている様には見えないから、無自覚なのか。声を掛けられて頬を染めていた巫女さんを思い出すと、口に含んだミルクティーが苦くなった気がした。気のせいだけれど。
「僕が一緒に来たのは順平君って言うんだよ。マフラー長い邪魔鬱陶しいって言ってたのも順平君でね……てっきり僕順平君にマフラー引っ張られて首絞められたんだと思ってたんだ」
「……それはええと、大丈夫か?」
「あ、面白くて凄く良い奴だよ。最近やけに僕のマフラーを狙っては来るけど」
深月の中でとりあえずその順平君とやらは危険人物に指定された。もしかしたらこの後少年を探しに来た順平君と鉢合わせたりするかもしれないけれどその時はいつでも逃げられる様に身構えようと思う。
最後の一滴まで飲み干してミルクティー缶を脇に置く。さて、どうしようか。
「その順平君とやらを探さなくていいの?」
「あー……うんまあ大丈夫じゃないかな。僕の携帯にも何の連絡も無かったし。それに君の方がちょっと気になるというか」
「待って俺は巫女さんじゃない」
「えっ知ってるよ! ちょっと、君は僕をこの短時間で一体なんだと認識したの!」
「たらし」
「わあ、僕面と向かって言われたの初めてだよ」
「言われない?」
「順平君にお前の言葉は発泡スチロールの様に軽いな、っては言われたけど」
「どんどん俺の中の順平君像が迷子になってくんだけど」
少年は「面白くて、まあ良い奴だよ」とさっきより少しランクダウンした褒め言葉を口にしてカフェオレの残りを煽った。
缶を掴んでいる指先は赤から白に戻っていて少し安心する。手を伸ばし指を掴んで確認すると大分暖まっていた。「え?」少年が目をパチリと瞬かせた。あ、睫毛が長い。手を離す。
「あのところで君のお名前は」
「え」
「順平君の名前を出したけどそういえば僕たち名前知らないよね?」
「確かに。何でか順平君は浸透したけど」
「あの僕、望月綾時って言います」
「はあ。あの、緒張深月です」
今更過ぎる自己紹介が何故か敬語でおかしくて名乗ってから吹き出す。少年、綾時は驚いて目を丸くして、それから笑った。
「僕たち同い年くらいかな」
「高二だけど、えと、望月は」
「あ、同い年だ!」
「へー」
「こんな偶然もあるんだね」
綾時は嬉しそうに目を細めた。良く見たら目元に黒子がある。凄い、泣き黒子まで備えているとは。
「お、やっと自販機見っけた!」
「まじでか、でかした! ホット、ホットはあるか!」
いきなり後ろが騒がしくなった。今までこの辺りは人がまばらにしか居らず静かだっただけに突然の大声は良く響いた。というか何か今後ろから聞こえた声、凄く馴染みがあるような。
「あ、友近」
「あれ緒張、こんなところに居たのか」
振り返ってみれば声の通り友近が居て、今まさに自動販売機のボタンを押していた。ガコンと缶が転がり出る音が聞こえ、手に取った友近が「熱い熱い!」と言いながらこちらへ向かってくる。
「お前電話も出ないで何処行ってたんだよ」
「いやー悪い悪い。中学ん時の同級生に偶然会ってさ、ずっと喋ってたんだわ」
「緒張君、この人が君のはぐれた人?」
「あ、うんそう」
「あれ、この人緒張の知り合い?」
「えっとさっき会った」
「え何で?」
「大体お前のせいだ」
「えっえっ? 何で」
「やートモチーお待たせ。なんかこの自販機熱くね、むっちゃ熱くね?」
友近に続き、缶を両手の間で投げつけ合いながらもう一人出てきた。これが友近の言っていた中学の同級生だろうか。
「あ、順平君」
「おっ、リョージじゃん。お前どこ行ってたんだよまたナンパ……ってかこの異様な空気何」
座ったままの深月と綾時、ホットの缶ジュースを手に持って立ち尽くす友近と順平。
四人が四人とも顔を見合わせた。
「え?」と言った声が綺麗に四人分重なって響いた。