サラリーマンと座敷童

(憂ヤマ、リーマンパラレル)

 

 

峰津院大和は大手企業の営業部に勤めていた。
大学卒業一年目、入社一年目の社会人一年生。
仕事は覚える事しか無く、手帳をびっしりと文字で埋め研修を終えたと思えば、取引先にあっちこっちと連れ回されたりと何かとまだまだ忙しい。体力にも記憶力にも何もかもに自信はあったが、如何せん疲れて仕方がない。
春から借りている、職場から五駅離れた場所にあるマンションの一室に戻れば、直ぐベッドに倒れ込む日々だ。
今日もくらくらと目を回しながら、鍵を開けて部屋になだれ込んだ。
早くスーツを脱いでハンガーに掛けなくては、と思うのに体が床に吸い付いて行ってしまう。重力がここだけ倍かかっているのか、それとも床が驚くほどの吸引力を持っているのか。そんな事を考えてしまう程に、とにかく体が重い。
夕食は外回りの最後に職場の先輩と済ませていた。あとは風呂に入って眠るだけ、なのにもう既に随分と眠い。明日が休日だから、余計に気が緩んでいるのかもしれない。

ところで何故「峰津院」などという明らかに常人離れした苗字を持つ人間が、一般企業で営業マンなどしているのか。峰津院が実は庶民の苗字だから、ではなく本当に名家の苗字なのだが、それが過去の話というだけの事だった。
大昔から続く名家、峰津院家。というのも大和の祖父の代までの話。
大和の祖父が立ち上げた会社が失敗し、あれよあれとと言う間に一般家庭クラスまで転げ落ちた。大和が生まれた頃には、過去の栄光など殆ど残っていなかった。夢物語のような思い出話が、大和にとっての「峰津院家」という家名の全てだ。恩恵なんて、何も無い。
そのおかげで大和は奨学金制度を使い大学へ進むことになり、面接を受け新卒採用されて新人営業マンになることになった。
その事については、大和本人はそこまで悲観したりしてはいない。
何せ勉強も運動も大体の事がそつなくこなせたので、これから幾らでものし上がればいい。営業マンをしつつ各方面にパイプを作り、資金繰りの目途さえ立てばいつでも起業するつもりでいたし、その会社をたった一代で一流企業へ押し上げるのも面白いだろう、という野望と呼ぶにも夢と呼ぶにも、大和にとってはあまりに現実的な目標を持っていた。
まあ、今はまだ入社数ヶ月の下っ端もいいところだが。

ふと大和が目を開けると、何故か朝の日差しと、天井が見えた。
ゆっくりと瞬きをし、状況を整理しようと思うのにぼんやりとして上手くいかない。寝起きの状況と似ているな、と考えて自分がベッドに寝ていることに気付く。
真直ぐにベッドに横たわっていて、毛布が丁寧に掛けられている。上半身を起こし毛布を捲ると、何故か分からないが寝巻を着ていた。そっとズボンの中を見れば、穿いている下着も記憶のそれと違う。
壁に掛けられている時計を見れば、七時を指していた。昨日この部屋に戻ったのは十時過ぎのことだったはずだ。カーテンの隙間から差し込んでいる日差しを見ても、朝の七時に違いない。
というか、昨日帰った瞬間からの記憶がない。先程帰ってきたばかりじゃないのか、と思う程だ。
ついさっき玄関を開けて部屋に入り、靴を脱いだところで猛烈な睡魔に襲われて、みるみる床に近付いていった、はずだ。
その後そこで寝てしまったなら分かる。
だが何故ベッドに寝ていて、下着まで着替えているのかさっぱり分からない。
酔っぱらっていて記憶を無くした訳では無い。何せ昨日は酒の類を一切飲んではいないのだ。ただ疲れていただけ、のはず。
どうしてこんな事に、とは思うが、残念ながら心当たりがある。
額に手を当て、盛大に、出来る限り嫌そうに溜息を零す。
「ああ、起きたのか」
と、案の定な声がした。
声の主はベッドの直ぐ側にあるテーブルに肘をついて、壁掛けタイプのテレビを見ていた。チャンネルは良く分からない通販番組になっている。この万能包丁5本セットが今なら、とエプロン姿の男性が熱弁している。万能なら5本も要らないだろうに。
「……何故居る」
「何故も何も、私はずっとここに居るのだけれど」
「貴様、不法侵入という言葉を知っているか」
「それは人間が人間を縛り守る為の法に基づくものだと認識しているが」
「……化け物め」
本日二度目の溜息を零す。
大和に化け物と言われた、緩く癖のある白髪をした少年は可笑しそうに目を細めた。見た目は大和よりも幾分若い少年に見えるが、それも見た目ばかりだ。本当は幾つなのか想像もつかないくらい、長い時間を生きている。らしい。
「百歩譲って居る事は許してやろう。だがこれはなんだ」と寝巻の首元を引っ張る。ああ、と彼は口元に弧を描いた。
「見たら峰津院大和が玄関で寝ていたからね。ほら、スーツが皺になると前嘆いていただろう。だからスーツは脱がせてあちらのハンガーに掛けて置いた。ついでだからちゃんと着替えさせて、ベッドに寝かせておいたのだが、何か不服だったかな」
「……とてもな」
何が悲しくて成人男性が他人に総着替えさせられなければならないのか。
それも少年は大和に比べると背も低く華奢だ。大和を抱え上げる事すら不可能に見えるのに、一体どうやって着替えまでさせたのか。
考えるだけで恐ろしいが、何せ既に何度目かだ。何度もこう勝手に着替えさせられているという現実に眩暈がする。
玄関で行き倒れの様に眠らなければ良いとは分かっていても、どうしても睡魔に勝てないのだ。不甲斐なさに歯噛みする。
むやみに他人の手を借りることを良しとしない大和には中々に耐えがたい現実なのだが、相手も人間ではないのでセーフとするかは微妙なところだ。
どんよりとした気持ちを抱えつつベッドから抜け出て、洗面所へと向かう。
少年の背後を通った時、思い出したように彼が顔を上げ大和を振り返った。
「ああそうだ、おはよう」
「……おはよう」
返事をしてから、何故返事をしてしまったのかと後悔して眉間に皺が寄る。職場の礼儀的な挨拶以外で、大和におはようなどと言わせるのは、間違いなくそこで通販番組を見ているこの人外だけだ。
「あと着替えさせはしたけれど、流石に風呂には入れられなかったから、入った方がいい」
「そこまでしてみろ、本当に追い出すぞ」
ジロリと睨むと、彼はどうしてという顔をした。
ところでこの白髪の少年、どうも峰津院家と昔からかかわりがあるらしいのだが、それにしてはさっぱり人間の事情や機微に疎い。
峰津院家の栄光の裏にこの男の姿があった、と言われる程に昔から、それこそ日本史の教科書で言えば割と序盤からの付き合いであるらしいのに、とにかく疎い。今も大和が何に不満を覚えているのか、察する気配すらない。
まあ付き合いと言っても、居たり居なかったり、見たり見なかったりくらいに希薄な関係だったとも聞くので、仕方がないかもしれないが。大和の父も祖父も彼のことを見たことは無いという。
彼自体が何なのか、と言えば大和も詳しくは知らない。僅かに残された古い文献を漁ると、峰津院家が祀っている神のような存在、とされていたが、大和としては神と呼ぶには全く有難味が分からないので、現代版座敷童のような何かだと思っている。
それにしても何故峰津院家で崇められていた神様が、こんなマンションの一室に居着いているのか、まるで分からない。
栄えていた過去の峰津院家にならともかく、落ちぶれた今の峰津院家にくっ付いている理由が何処にあるのだ、と毎回問い掛けるも、少年はほんのりと笑うだけで答えてくれる気配は無い。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、相変わらず彼は通販番組を見ていた。
「面白いのか」とためしに聞いてみると、真白い睫毛に縁取られた青い瞳が大和を見上げた。
「とくに欲しくも無い商品が、説明を聞いていると素晴らしいものの様に思えてくるこの巧みな話術に感動している」
「……そういう楽しみ方をする番組ではないと思うが」
水気の残る髪をタオルで拭きながら、近くに腰を下ろし何となくテレビを眺める。今度は掃除機が紹介されている。何故掃除機を買ったのにおまけでハンディークリーナーが付いてくるのか分からない。
「おい」
「何かな」
「今朝は食事を作っていないのか」
「ああ。この前君に不味いと言われたから作っていない」
「……根に持っているのか」
「そんな事はないよ」
にこりと口元だけを歪めて笑ったので、これはきっと根に持っている。
この前今日と同じように玄関で行き倒れていたところを着替えさせられて寝かされた日は、朝起きたら朝食が用意されていた。だがまあ確かに絶妙に不味かった。驚きの薄味だった。
仕方ない、と立ち上がりキッチンへと向かう。面倒くさいので食パンと卵を焼くだけでいいか、と冷蔵庫を覗きながら思う。そろそろ食料を買い足さないといけない。
「お前も何か食べるか」
気まぐれに聞いてみると「とくに食べる必要も無いから遠慮する」と返事があった。それから「峰津院大和の家計を圧迫するのは本意ではない」と添えられた。
「勝手にテレビを付けて観ているのは私の家計を圧迫していないのか」
「そこまで安月給じゃなかったと記憶しているが」
「……都合のいいことだな」
手早く朝食の支度を整え、再びテーブルへと戻る。デジタルカメラの商品紹介を横目に食パンを齧る。半熟の目玉焼きを崩しながら口へ運び、ぺろりと朝食を平らげ、空になった皿を流しに置いて、ふと思い出し振り返る。
「貴様いつまで居るつもりだ」
言えば少年は顔を上げ、ぱちりと瞬きをした。不思議そうに目を丸くしている。何故そんなに驚くのか分からない。
「ずっと居る、と先程言ったはずだが」
「ハッ、冗談じゃない。さっさと帰れ」
「帰るも何も、私はずっとここに居るのだが」
「何を言っている。居ない時だってあるだろうが」
「それは姿を消しているだけなのだが。ああ、つまり見えなくなれ、ということか」
「……ちょっと待て」
大和が呼び止めると、ふわりと半分ほど姿を消していた少年が再び姿を現した。どっちなんだ、と少しばかり呆れられたがそれどころではない。
大和は腕を組み眉間に皺を寄せた。
「それは、姿が無いときはこの部屋に居ないのではなく、この部屋には居るが姿を見えなくしているだけ、と言っているのか」
「そうだが」
「どうしてだ」
「他に行くところも特に無いからね」
「……本当に、ずっとこの部屋に居たのか」
ああ、と頷く少年の姿を見て大和は眩暈に襲われた。居ないと思っていたあの時もこの時も、姿が見えないだけでどこかに居たというのか。信じられない。
本当に人間の常識の範囲外に存在しているな、と改めて何度目かの溜息が零れた。
「まあいい……」
諦め交じりに呟き、テレビのリモコンを取り電源を切る。プツンと画面が暗くなり、少年は「あ」と声を漏らした。まだ見ていたのに、と視線が訴えてくる。が、無視する。
テレビを消されて文句を零す神様なんていてたまるか。ならばこいつは何なのだ、と考えるが、簡単に結論が出ていれば苦労はしない。
部屋着から外出用に身なりを整えていると、テーブルに肘をついたまま少年が不思議そうに見上げてきた。
「出掛けるのかい」
「ああ」
「そうか」
「……近所まで食材を買いに出るだけだが、一緒に来るか」
「おや、珍しい誘いだね」
「ふふ、荷物持ちにしてやろう」
「それは構わないが」
するりとした動作で少年が立ち上がる。二人並んで立つと、やけに部屋が狭くなった気がした。
少年が大和を見上げ、白い睫毛を揺らしにこりと笑った。
「取り敢えず、出掛けるにあたりその派手な服を着替えてもらう」
「着替える?」
「当たり前だろう」
少年の赤と黒の縞模様の服の襟を摘まんで引っ張る。何でこんな恰好なのかは知らないが、とにかく目立つ。せめて赤か黒の一色にしてくれたらいいものを、何故縞模様、それもV字なのか。
ところで少年に着替えはあるのか、無ければ何か適当に着れそうなものを見繕うか、とクローゼットの中身を脳裏に思い浮かべる中、少年は笑ったまま首を横に傾けた。
「着替えるって、どういうことだい」

大和が少年の服を脱がそうとして脱がせられなくて頭を抱えるのは、およそ三分後の出来事だ。