星空の片隅

(デビサバ・主ダイ、回帰ルート後)

 

「ダイチ」と声を掛けると、教室の中で黄色いマフラーが翻った。帰り支度を済ませ、ろくに中身の入っていないバッグを肩に掛けた大地がこちらを振り返る。
 廊下に比べると、暖房の効いた教室内は天国の様に温かかった。ほっと吐いた息が白くならない。開いた引き戸から流れ込んでくる冷風を遮る様に、後ろ手にドアを閉める。
「セツ、どこ行ってたんだよ」
 先に帰ったのかと思っただろ、と大地が口をとがらせながら言う。自分の机にまだ鞄が置いてあるのだから、帰っていない事ぐらい見れば分かるのにと肩を竦める。
「それよりさ、ダイチ帰り暇でしょ」
「おーおーどうせ暇ですよー」
 答えながら何故か大地は偉そうに胸を逸らし、それからがっくりと肩を落とした。多分先程までいたクラスメイトに「俺今から彼女とデートだから」とか言われたのだろう。教室の中にはもう大地一人しか残っていなかった。
 とぼとぼと近付いてくる大地を横目に、自分の席へと進む。脇に掛けてあった鞄を取り、中から紙切れを二枚取り出し、それを差出しながらひらひらと振る。
「んー何これ」と大地が首を傾げる。
「プラネタリウムのタダ券」
「何でそんなもん持ってんの」
「母さんにもらった」
「はー。そですか」
「リアクション薄いなあ。タダ券だよ」
「タダ券なのは魅力的だけどさ。これがどうかした?」
「今から行こうよ」
 俺と大地の二人で。と言うと大地はうげぇと顔をしかめた。
「男二人で? プラネタリウムに?」
「そうだけど」
「セツさんや、それは空しいぞぉ」
「そんなことないよ。平気平気」
「いやあ、うーん」
 否定とも肯定ともとれない、微妙な唸り声を上げながら大地はマフラーを巻きなおした。ふわふわした暖かそうな生地に顔を埋もれさせる。口元が隠れて見えなくなったが、眉間にぐっと寄った皺は丸見えだった。
「プラネタリウムかあ……」
「嫌いだったっけ」
「うーん嫌いだった覚えはないんだけれど? なぁんかイヤーな予感がして」
「じゃあやめよっか。これはまた別の人誘うよ」
「うえぇ別の人って誰よ?」
「気になるの?」
「セツが意地悪い!」
 にやにやと笑うと、肩を叩かれた。女の子じゃないだろうなぁと大地がオロオロする。それがおかしくて「さあ」と肩を竦める。大地は目を見開きながら、口をぽっかりと開け、今にも殴りかからんと拳を振り上げた。
「冗談だよ。行かないなら誰か、まあ彼女居る奴にでもあげるよ」
「いや、やっぱ行く! 折角のタダ券だし行くしかないっしょ」
「無理しなくていいけど」
「してないしてない! ヘーキヘーキ」
「ほんとに?」
「男ににゃ言はない!」
「あ、噛んだ」

 ダダ券の裏に書かれた地図を頼りに入ったプラネタリウムは、思ったよりも大きなところだった。
 館内に見える人の影は満席の内の、三分の一くらい。
 指定された座席に二人で座ると、周りは誰も居なかった。席の位置は真ん中の真ん中といったところ。腰掛けると座席が後ろに傾いた。天井もといスクリーンが見える。
 隣りの席は意外と遠かった。体を傾けて、隣りの大地の顔を見る。
「遠いね」と言うと「カップルが手繋いでたら一発でわかっちゃうな」と笑うから、「じゃあやってみよっか」と手を伸ばすと断られた。
 館内が暗くなり、パッとスクリーン、空が明るくなる。
 今日の日の入りはここからで、今夜の空にはこんな星が見えます、と女性の声がナレーションを始める。映し出された太陽が地平線に沈み暗くなる。頭上に星空が広がる。「はー」と隣の大地が感嘆の声を漏らした。
 星座の説明を一通りざっくりとした後、今月のプログラムとやらが始まる。今月は惑星のでき方云々。塵みたいな星が天井いっぱいに映り、右から左へと流れていく。
 元素記号の説明が間に挟まったところで、ふわりと眠くなり欠伸を一つ零す。
 寝たい訳では無かったけれど、こうも薄暗い上に、座席がいい具合に傾いていると、どうしても眠気が襲ってくる。ナレーションをする女性の声が子守唄にさえ聞こえる。
 指を組み、ぐっと前に伸ばす。もう一つ迫り上げてきた欠伸を今度は噛み殺す。目尻に涙が滲んだ。
 首だけ動かし、隣の座席、大地の顔を見る。暗くはあったが、顔が見えないという程ではなかった。
 大地の傾いた顔がこちらを向いている。その目蓋は綺麗に閉じられていた。唇はうっすら開いている。穏やかな寝息が聞こえてきそうだった。
「だいち」と小声で呼び掛ける。
 返事は無い。もう一度、先ほどより少しだけ大きな声で名前を呼ぶ。それでも反応は無かった。
(これは完全に寝てるなあ)
 もぞりと体を動かし、大地へと指先を伸ばす。けれど頑張っても指先は届かなかった。空中でぷらぷらと揺れ、だらりと落ちる。
 諦めて手を引っ込め膝の上へと戻す。
 これじゃあ手を繋いだところで、直ぐに腕が痛くなって離すのが落ちだとぼんやり思った。
 再び見上げた天井では、宇宙が駆けていた。星という感覚ではなく、真横を通り過ぎていく惑星と言った印象の映像。何億光年の先へ行ってみましょう、とナレーションが館内に反響する。
 遠くに見えていた星がどんどんと近付き通り過ぎていく。星が雨の様に降っては過ぎる。ぐるぐると渦巻いて、自分の座っている場所は動いてなど居ない筈なのに、宙に浮いて回っているような錯覚を起こす。
 何故か見たことがあるような気がした。
 この景色。似ているけれど、違う景色。あれはスクリーンなどではなくて、なんだっけ。
 星がぐるぐると渦巻いて、横を通り過ぎて、消えていく。吸い込まれていく。
 何だか妙に、懐かしい気がした。
 ふっと横を見る。大地は相変わらず眠りこけていた。

「さっぱり覚えがにゃい」
 ホットのカフェモカに口を付けながら、大地がぼやいた。
 プラネタリウムを見終えた後、コーヒーチェーン店のカウンター席に移動してきた。
 まだ眠たそうに瞼を下げながら、大地がううんと唸る。
「涎垂れてたよ」
「うっそ!」
 慌てて口元を拭う姿に「嘘だよ」と言ってやる。頭を叩かれた。
「でも見事な眠りっぷりだったね。どこまで起きてたの」
「えーっと……今日の星座はーってお姉さんの声がしたかなぁ」
「恒星は?」
「こう、せいとな」
「分かった。結構直ぐ寝たね」
「……面目ない」
「そんなことないよ。むしろ予想通りっていうか」
「うっ、悔しいけど言い返せねー」
 暗闇に浸かっていたせいで、ほわりと現実離れしている頭をどうにか戻そうと、コーヒーを啜る。熱い液体が、喉を通って体にしみこむ。僅かに残っていた眠気も冷めていく気がした。
 ガラス窓越しに見える空は、すっかり真っ暗になっていた。冬の日中は短い。
 店内は人でごった返していた。入り口のドアが開閉する度に、足元へと冷たい風が流れ込んでくる。
 隣に座る大地はマフラーのおかげか、とても暖かそうに見えた。
「どうだった?」と大地に問い掛けられ、首を傾げる。「何が?」
「何ってプラネタリウムだよ。面白かった?」
「うん。なんか凄かったよ」
「なんかって、どんな」
「惑星のでき方とか、なんか」
「おう……なるほど」
「考えるの諦めたね」
「いやいやーそんなことないって」
 笑いながら大地は手元のカップに口を付けて誤魔化した。受験大丈夫なのかな、と心配にならないでもない。いざとなったら勉強見てあげて、と大地の母にこっそり耳打ちされた覚えがあるが、その「いざ」が近々来るような気がした。
 カップの中身を空にしたところで席を立つ。
 外へ出ると、風が身を切るように冷たかった。白い息を吐出し、肩を竦める。
 人混みを縫い、慣れた道を進み、駅を目指す。
 まだ寝惚けが残っているのか、ふらついた大地の腕を引く。「うーん、ねむい」と器用に肩にもたれ掛かってくる大地の首筋に、冷え切った掌を突っ込む。マフラーに守られた首筋はそれはもう温かかった。触られた方の大地は、悲鳴を上げながらしゃんと背筋を伸ばした。
「ちょっおま、セツ……それはやっちゃいけないやつだって……」
「ちゅーとかの方が良かった?」
「うんうん、この人混みでそれやられて、万が一クラスメイトにでも目撃された日には、俺明日からガッコー行けないよ?」
「ならさっきので良かったでしょ。目冷めたんじゃない?」
「危うく心臓止まって目覚まさなくなるとこだったけども!」
「大袈裟だなあ」
 けらけら笑いながら、ふっと空を見上げる。
 ビルに囲まれて、夜空なんてほんの僅かしか見えない。プラネタリウムで聞いた、今日の星座の解説も何の意味も無い。
 ネオンと街灯で、暗くすら見えない空。辛うじて、星がぽつんと浮かんでいるのが見えた。
「なんか、もっと星いっぱい見えた気がしない?」
「なにが?」
 言いながら、大地も同じように空を見上げた。見上げて足元がふらついた大地を支える様に、ブレザーの脇を掴む。
「あんなに少なかったっけ」
「いやーこんなもんじゃないの? この辺りだとさ」
「そっか」
 気のせいかな、ともう一度顔を上げる。
 やっぱりもう少し星が見えた様な気がした。けれどそれが、何処から見上げた空の事だったのかは、思い出せない。
 人にぶつからない様に気を付けながら、器用に空を見上げたまま進む。大地がたまに肩を掴んで引っ張って、人を避けさせてくれる。避けれるんだけどなあ、と思いながらそれに甘える。
「あっ、あのさダイチ」
「はいはい」
「ずーっと空見てて思ったんだけど」
「もー危ないからそれくらいしとけって。で、なんだって」
 一度顔を下げ、隣りを歩く大地の顔を覗き込む。
 目が合う。不思議そうに大地の目がぱちりぱちりと瞬きをした。
 もう一度空を見上げながら、上を指差す。
「なんかさ、あの辺から人が降ってくる気がしない?」
 そんな馬鹿な、と自分で言っておいて思った。
 けれど、確かに、そんな気がした。ふわりと、人影が、あの辺からすっと落ちてくるような、降りてくるような、そんな気が。
「あーそれってあれっしょ。何だっけ、なんか、白っぽいやつとかさ!」
 おかしそうに笑って、大地が答えた。

 その瞬間、ふっと何かが記憶の片隅をよぎって行った気がした。

 

 
(回帰ルート後の主ダイプラネタリウム)