(クロジュリ)
「また今日も遅刻したそうだな」
呆れ顔から吐き出されるその言葉も、既に何度目かだ。
最早聞き飽きる程だ。きっと相手も言い飽きているに違いない。
改善できるのなら既にしているので「すまんせん」と晴れやかに謝る。クロノからの視線がさくりと刺さった。
現在、クロノは机に向かって万年筆を握っている。
ジュリエットはその向かいに立って、報告書を手に持っていた。
今日彼と会うのは、これが初めてだ。いったいどこの誰から今朝の遅刻の話が漏れたのやら。任務の集合時間にちょっぴり遅れただけ(のつもり)なのだが、今日も今日とてお小言が飛んでくる。
いつものことなので軽く聞き流し「これ報告書です。置いときますね」と書類の山に重ねた。相変わらずクロノの視線が真直ぐこちらを射ているが、気付いていない振りをしてにこりと笑う。「あ、書類にインク染みてってますよ」と彼の手元で、書類に押し付けられたままの万年筆の先を指摘する。黒くじわじわと滲んでいる。
クロノは軽めの溜息を一つ吐き出すと、万年筆を机の上に置いた。
「再三言っているが、改善する気はないのか」
「無いわけじゃないですよ」
やっぱりあの程度では話を逸らさせてくれないなあ、と思いながら少しばかり申し訳なさそうなポーズをとる。
今日の会話がこんなテンプレート問答で終わってしまうのはつまらないので、早く違う話題に切り替わってほしい。もう少しこう、任務はどうだったかとか聞いてほしい。けれど遅刻の話が漏れていたので、既に結果も知っているのかもしれない。
「全く反省の意図が感じられないのだが、そろそろ懲罰でも設けた方がいいか?」
「えっ、おしおきっすか。お手柔らかに頼みますね」
ためしにとぼけてみたところ、睨むでも呆れるでもない、なんとも言い難い視線を向けられた。これは何を考えている顔なのだろう、想像がつかない。
懲罰とはなんだろうなあ、とぼんやり考える。減給だろうか謹慎だろうか、逆に休日返上だろうか。どれも嫌だ。地味なところで掃除当番の追加だとか料理当番の追加だとか、そういった類だろうか。どっちにしても嫌だ。
へらりと笑い続けていると、クロノが椅子を後ろに引き、机の引き出しを開けて何かを探しはじめた。がさごそという音の後、引きだしの閉まる音が続く。
そのまま彼は立ち上がると、ジュリエットの横を通り過ぎ、その背後にあるソファの横を通り過ぎ、部屋の入口の方へ歩いていった。それを首を捻って見送る。
この微妙な空気を残して何処かへ行くのか、と思いきや立ち止まった。
「こっちへ来い」
そう呼ばれ、不思議に思いながら向き直る。もしかして懲罰房だとかに連れて行かれるのだろうか。あったっけそんなの、それとも牢屋とか。一晩此処で反省してろとか言われて、硬い床に放置されるのだろうか。
あれこれと想像が脳内を過っていく。
やっぱどれも嫌だ、と思いながら近寄っていく。
いざとなったら逃げよう、などとよそ事を考えていたので咄嗟の反応が鈍ったのだ、と言い訳をしたい。
普段ならば、いきなり襟を掴まれ、足を引っかけられたからといって、あっさりソファに投げ飛ばされやしない。これはあくまで、油断していたのだ。
急襲だった割に、手加減はされていたらしい。ソファのスプリングに吸収されたにしても、背中への衝撃はほとんどなかった。加減されていたのに、対応が出来なかったという話はやめたい。正直に恥ずかしい。
なんの抵抗もする間もなく、気付けば天井が見えていた。そして照明を背にしたことで逆光になっている、クロノの顔が見えていることが一大事だった。
なんで、という疑問が渦巻いて思考が止まる。
ジュリエットの体はソファに綺麗に寝そべる形になっていて、クロノはどうも片方の膝をソファについているようだ。片手でソファの背を掴んで、上半身だけ覆い被さる形で見下ろしてくる。
どくどくと心臓が煩い。はた目に見れば、押し倒されているように見えるのではないか。
ジュリエットにとってクロノは上司であるし、先輩でもあるし尊敬もしているが、それだけだとはどうしても言い切れない。少なからず、やましい気持ちを抱えていて、上手いこと誤魔化し隠しながらそれと付き合っている。
それで、この状況で、動揺せずにいられるわけがない。
遅刻の懲罰の話の延長線上であることは間違いがないのに、懲罰とこの状況が結びつかない。まさか冗談で言ったお仕置き云々の方なのかと考えるが、そんな馬鹿なと却下する。
ぱちり、と瞬きをすることが精一杯の間に、両腕を掴まれていた。意外と冷たい手をしているな、と掴まれた場所に瞬間的に意識が集まる。未だ追いついてこない思考の中で、今度は何をされるのだろうとぼんやり思った。
ぐっと手を引っ張られる。危うく要らない言葉が口から出て行きそうになる。
あっと思う間に、どうしてか捕まれた腕をひとまとめに括られた。親指からはじまり肘までをぐるぐる巻きにされ、綺麗に固定されていく。手付きが鮮やか過ぎて感動する。いや、そうではなくて。
「マジっすか」とやっとのことで言葉を漏らす。
こちらの呟きを特に気にする様子もなく、クロノは巻き付けた紐の端を仕上げにきっちりと結んで手を離した。
胸の上で縛られた、自らの両腕をまじまじと眺める。もしや本気でお仕置きの方なのだろうか。ソファに押し倒して両腕しばって、何の。やましい気持ちがどこからか漏れていて、なにかを試されているのではないかと疑わずにはいられない。
ちらりと見上げると、クロノはいつも通りの顔をしていた。
「あの、なんすかこれ」
「包帯だ」
「あっいやそうじゃなくて。縛ってるものはそりゃ見れば分かりますよ。こんだけ巻かれたのに痛くないですし」
「痛くないならいいな」
「よくないです。なんですかこれ」
どうして縛られねばならないのかが知りたかったのだが、どうも相手には答える気がないらしい。そういえば先程引き出しから取り出していたのはこれだったのか。この人はあの短い間に何を計画したのだろう。
考えていると、今度は眼鏡が奪われた。
視界が僅かにぼやけたと思えば、完全に消えた。
目の周りに何かがふわりと被ってくる感触があった。どうやらそれで視界をおおわれたようだ。咄嗟に手を伸ばそうとすると、やんわりと制された。上げかけた腕が胸元に戻される。そうされるとどうしようもなくて、されるがままになるしかない。
頭の横でごそごそと動く気配がする。訳も分からないまま、目を覆っていた物が少し締まる。縛られたようだ。
「えっ、今度はなんですか」
「布だ」
「そうじゃないっす」
だから知りたいのは、どうしてこうなるのかということだ。
布という割にあまり向こうが透けて見えない。というか見えないも同然だ。
手の動きに続き、視界まで制限され、心臓の音が一層うるさくなった。どくどくと脈打つ音が聞こえてくる気がする。
見えなくなることで感覚が鋭くなり、残りの感覚が要らない情報を周りから集めようとする。目隠しの隙間に挟まっている前髪を、指先が撫でて払う感覚があった。全く関係のない指先がぴりぴりと痛んだ。
慌ただしくめぐる血流が、酸素を食い潰して息が苦しくなる。平静を装い呼吸を落ち着けていると、今まで体のどこかしらに触れていたクロノの手が離れた。
ソファの軋みがなくなり、合わせて気配も少し遠ざかる。衣擦れの音から、立ち上がったのだろうと予想をつけた。
上半身への圧迫感が消えたので起き上がろうと試みる。しかし半分ほど背を浮かせたところで、額を押されソファに戻されてしまった。
「そのまま暫く大人しくしていろ」
「えっ、なんで」
これに返答はなく、代わりに遠ざかっていく足音が聞こえた。「せ、せんぱーい」と呼ぶと「あとそれも外すな、いいな。戻ってきて居なかったら週七日掃除当番にしてやる」と今度は返事があった。
返事というか、それは脅しではないのか。週七日ってつまり毎日じゃないか。嫌だ。というか戻ってきたらと言ったが、どこへ行ってしまうのだろう。
「ねー、どこ行っちゃうんですかー」と尋ねるが 規則正しい足音が遠ざかっていくだけだった。ドアが開いて閉まる音が聞こえる。本気でどこかへ行ってしまったらしい。
どうして。
なんだこれ。
そして、この放置はどれほど続くのだろう。出来るだけ早く帰ってきてはくれないだろうか。
なにせ、拘束されて目隠しもされて放置される理由が分からないのだ。遅刻はそれほど重罪だったのか。そんなことはないだろうが、あんまりに言うことを聞かなかったので、ついに堪忍袋の緒が切れたのか。そういう顔でもなかったように見えたのだけれど。
今日ばかりはクロノの思考がさっぱり分からない。元から分かっていたのかと言われたら、そうではなかったのもしれないが。
ためしに腕を左右に開こうと力を込めてみるが、全く動かない。可動域もかなり制限されている。もし今襲われたら困るなあ、などと考えてみる。いざとなれば解いて逃げればいいのだけれど。拘束からの脱出方法ついては少々嗜んでいる。けれど言いつけどおり、暫くの間は大人しくしておくことにする。
何も出来ることがないので、眠って待とうと決める。元より見えていない視界で、更に目を閉じた。
そのほんの少しあと、廊下から足音が聞こえてきた。
パチリと目を開ける。何も見えないが。
足音は先程クロノが歩いていった方向とは逆から近付いてくる。足音もクロノとは少し違う気がする。
こんな夜中に誰だろうか。ジュリエットがここに来た時既に、随分と遅い時間だった。誰かは知らないが、この部屋へ入ってくることはないだろうとたかをくくる。こんな時間に訪ねてくる非常識な奴は居ない筈だ、と自分を棚上げして考える。
再び目を閉じる。相変わらず視界に変化はない。
足音は一定のリズムで近付いてくる。通り過ぎていくだろうと思っていたのだが、あるところでピタリと止った。ぱちりと目を開ける。
音が止まったのが、丁度部屋の扉の前だった。
嘘だろ、と慌てる間もなくドアノブの回る音がした。蝶番が擦れる俄かな音が立つ。ぎいと扉が開き、足音が一歩部屋に踏み込んできた。
いったい誰だと考えるが、ノック無しで入ってきたということは、クロノに違いない。この部屋にノック無しで入れるというか、入ろうなどと思う人物は彼以外に居ないのだ。反射的に起こし掛けていた体から力を抜き、再びソファへと戻す。
それにしてもわざわざ逆方向から戻って来るとは中々手の込んだ嫌がらせをするものだ。いっそ感心する。そういう嗜好で驚かせるタイプのお仕置きだろうか、と一人納得する。
「先輩お帰りなさーい」
くすくすと笑いながら声をかける。よく気付いたな、だとか返事があるものと思っていたが、何の反応もない。一瞬足が止まったがそれだけだった。扉の閉まる音が聞こえ、足音が部屋の中へ進んでくる。
おや、と思い「先輩?」と再度声をかける。これまた返事はない。
無言のまま近付いてきた足音が、すぐそばで止まった。となりに立たれる。なんだ、と考えているとソファが沈んだ。ソファの背とジュリエットの腰の横あたりの隙間。なんでそんな位置が、と怪しんでいるうちに太腿が押さえ付けられた。
圧迫感と重量からして、近寄ってきた人物が座っているのではないかと予想する。しかしそうだとすると、これは跨られていることになる。
なんで、と再び、幾度目かの疑問。
「あの、先輩。重いんですけど」
これではお仕置きというより、かなり手の込んだ嫌がらせだ。そしてこれが嫌がらせだったとして、こちらがどういう反応をするのがベストなのだろうか。これで何か遅刻を改善しようという気になるのか。全貌が見えない。
起き上がろうとしてもきっとまた押し戻されるのだろう。そう予想し寝そべったままでいると、首の後ろに圧迫感を覚えた。すぐにそれが圧迫されているのではなく、ネクタイが引っ張られているのだと気付く。
「なになに」
しゅるりと音がたち、首の後ろシャツの下で何かが擦れていく。ネクタイは引っ張られたのではなく、解かれたらしい。首元から抜けきると、ぱさりと床に落ちる音が続いた。
「先輩、そろそろこれどういう懲罰か教えてもらってもいいですか。俺全然わかんないっす。お手上げです、俺が悪かったですって、先輩。あのー、ねえ、せんぱーい」
これだけ呼び掛けても、相も変わらず返事はない。相手は無言のままだ。
今度はシャツのボタンを外される感覚があった。ネクタイ、ボタンときて、これはもしや脱がされているのでは、と思い当たると流石に焦った。
「いやいや先輩、冗談っすよね」と恐る恐る尋ねる。
体を起こそうと試みれば、肩を押された。やはり起き上がらせてはくれないらしい。ただでさえ姿が見えないのに、更に返事がないことへの不安感がじわじわと湧いてくる。「先輩返事してくださいよお」と若干情けない声が出た。
ボタンを外していた手が止まる。既に半分ほど開けられている訳だが、ひとまずほっと息を吐く。しかしその安堵もつかの間、顔の横に手が付かれた。ソファが沈む。何も見えなくてもなんとなく、気配や圧迫感でなにかが迫ってくることが分かる。咄嗟に顔を背けると、耳に向けてふっと息を吹きかけられた。「うっ」と声が漏れる。
ここで、これはクロノだろうと思っていた考えを俄かに改める。
そこに居るのがクロノだと断言できるだけの材料がないことが、無性に不安になってきた。勿論クロノではないという決定的な何かもない。
だがもしこれがクロノでなかった場合、今のこの状況は大変よろしくないのではないか、と認識を更新する。端的に言えば、圧し掛かられて服を脱がされかけているのだ。相手が男か女かすら分からないが、質量から十中八九男だろうと予想する。
どうして男に圧し掛かられなけばならないのだ。それだったらせめてというかむしろというか。今はそんな事を考えている場合ではないのだけれど。
ひとまず逃げよう。
結果、そういう結論に至る。この際掃除当番は仕方がない。このまま何が起きるか分からないストレスにさらされ続けるより、そして万が一その後大変なことになるくらいなら、掃除当番をしながら情状酌量を懇願する方が現実的だ。
そうと決めれば、まずは腕の包帯を外そう。そう思ったのだが、これが外れない。本気を出せば抜けられると思っていたのでかなり焦る。
普通に巻き付けられているだけではないようだ。実は凄い技術なのかもしれない。どれほどもがいても緩む気配がない。勿論結び目も見付けられない。そして腕同様、目隠しをしている布も全く解けない。
どうなっているのか全然分からない。上司にそう言う才能があることなど、別に今知らなくてもいいではないか。
湧きあがる不安感に、予想外にほどけない拘束が重なり、焦りがひたすらに増していく。パニック、まではいかないにしろ心は穏やかでない。暫く前に感じていたどきどきとは全く別の、冷や汗が滲むようなどきどきに、酸素を消費され息苦しくなってくる。
辛うじて精神を支えているのは、相手はやっぱりクロノかもしれないという希望くらいだ。
どうにか包帯を外そうともがいていると、不意に首筋を撫でる感触があった。鳥肌が立つ。触れたのは指だと思うのだが、手袋をしているようで定かでない。
「う、きもちわる」と呻く。手袋の布地の感触が、耳の後ろから下へとゆっくりと滑り降りてくる。鎖骨まで辿り着くと、そこで指が離れた。ほっと息が漏れる。
もう嫌だ、助けて先輩。と心の中で思うが、そもそもこの原因を作ったのがクロノだ。
せめてもう少し、優しく縛ってくれたら縄抜け出来たのに。これでは逃げられもしないし、動かせる範囲も狭く殴るにも不足している。
どう頑張ったところで相手を無力化できるほどの力は出せそうにない。一撃で無力化できなければ、視覚が封じられている分、こちらの方が不利だ。
それにまだ、これがクロノかもしれないという期待は捨てられないでいる。中途半端に期待しているせいで、殴るに殴れないというのも、少しある。
早く種明かしするか帰ってきて、と願いながらじわりじわりと泣きたい気持ちが募ってきた。混乱と焦りと不安で心が折れそうだ。
ふと足の上に乗っている圧迫感が消えた。
ついに種明かしか、やっと終わりかと少し安心しながら「先輩?」と再度、期待を込めて呼び掛けてみる。
ついに答えてくれるのでは。そう思ったのだが、残念ながら返事はなかった。
それどころか、緩んだ心を手折るように、ひざ裏を掴まれた。そしてぐっと折り曲げられ、足の間に誰か割入ってくる。
「待って待って、なに、ちょっと」と慌てるが手の届くところには何もない。これは良くない、全くよろしくない。一抹の期待が吹いて消え、ただ危機感に脳内が埋まる。
咄嗟に体を起こそうと試みるが、縛られている腕を掴まれ顔の横に押し付けらる。足も手も押さえられ、身動きが取れなくなる。流石にこれはクロノではないだろうと脳内が結論付けると、そこで思考が止まった。頭が回らない。
「まって、うそ、やだ、せんぱい」
「なんだ」
助けて、と言い掛けると、急に目の前が明るくなった。
突然の明かりに視界がぼやける。久し振りに聞いたかのような自分以外の声は、聞き馴染みのあるいつも通りの響きをしていた。眼鏡がないので鮮明にはならない視界の内に、クロノの顔が見えてくる。
状況を飲み込むことに少し掛かる。
「泣くことはないだろ」と困惑した顔を向けられて、ようやく思考が戻ってきた。
「……なにしてんですか、先輩」
「反省したか」
クロノが手袋を外し、近くのテーブルに投げ捨てながら尋ねてくる。
イエスともノーとも言い難く、ぼんやりとしていれば、手を縛っていた包帯も外された。解けないと思ったのが嘘のように一瞬で解ける。
「あの、泣いてないです」と思い出した様に返事をする。
「鼻声だったぞ」
「や、そんなことないです。っていうか、手込みすぎじゃないですか。マジで最後知らない人だと思ったんですけど」
「そう思うように仕向けたからな」
「……出てった方と逆から帰ってきたり、足音替えたり?」
「一回外出て回って、靴を履き替えてきたからな」
「手込みすぎですって……」
呆れとそれから、安堵で盛大に息が漏れた。
どうしてこの人は時折こう、己の悪戯心に本気で従う瞬間があるのだろうか。
クロノの姿が見えたことで急速に安心して力が抜けた。全く起き上がる気力がわいてこない。ただただ疲れた。「あーもう、勘弁してくださいよ」と呻いて解放された腕で顔を覆う。
先程までの自分の言動を思い起こすと、急速に恥ずかしくなってきた。
最後の最後は大変に取り乱していた気がする。あとうっかり気持ち悪いとか言ってしまった。これは弁解しておくべきだろうか。知らない人かと思ったと言ったから良いだろうか。
それから、早く上から降りてくれないだろうか。
結果あれもそれも全てこの人だったと思うと、それもまた大変に恥ずかしいのだ。こちらがこれ以上、余計なボロを出す前に離れて欲しい。この体勢について、深く考えたくない。ただただ恥ずかしい。勘弁してほしい。こちらの方がよほどお仕置きではないかと思った。
「第一、ノック無しで俺の部屋に入ってくる奴が居るわけないだろ」
「そうなんですけど……」
ふと気配が近付いてくる感覚があった。顔の横に手が付かれたのが、視界の端に微かに見えた。今度はなに、と腕を退かそうとするその直前に「これに懲りたら遅刻をやめるんだな」と耳元で囁かれ「ひっ」と上ずった声が漏れた。
明らかに、今までと違う反応が出てしまった。ただ焦る。まさかこう来るとは思わなくて、ああこれはどう弁解すれば誤魔化せるのだろうか。
恐る恐る腕を退かして見上げた先で、クロノが目を丸くしていた。
あ、やばい。どうしよう。
顔が熱い。