延長戦

(クロジュリ)

 

 

いつの間にか、となりが静かになっていた。
よく笑ってよく喋るものだと、半ば呆れ半ば感心しながら耳を傾けていた。声は全く耳障りではなく滑らかで、聞いて適当な相槌を打つだけでも愉快だった。その相手の声が、いつの間にか止んでいる。
口をつけていたグラスを置くと、残っている氷が音を立てた。卓上に並んでいた料理の数々はほとんど空になっている。まあ食べたのは概ねとなりのこいつだが、と視線を横へ滑らせた。
初めてやってきた酒場の、カウンター席。となりに座るジュリエットを見れば、うとうとと船を漕いでいた。グラスや皿を端に避け、頬杖をついてこくりと頭を揺らしている。
無防備なことだ、と思わないでもない。
それでもただ油断しているだけで、一瞬で覚醒できるだろうことも知っている。あえて油断したままでいる、というべきなのだろうか。呆れるような、感心するような。何とも言い難い。
そう広くはない店内のカウンター席で、二人の肩は拳二つ分ほどしか離れていない。それでも器用なもので、こちらへもたれかかってくる様子はまるでない。因みにクロノの方が他の客と接していて、ジュリエットの向こう側は壁だ。そのせいでより一層油断しているのだろう。別に構わないが。
店内をゆるく流れる音楽と、ほのかに聞こえてくる他の客の雑談にぼんやりと耳を傾けながら、呑気な寝顔を眺めた。そろそろ帰るかと会計を先に済ませ、僅かに残っていたグラスの中身を空にする。
「帰るぞ」と一声かけると、瞬間的に目を開けた。
ぱっと覚醒した後、またふわりと表情をまどろませる。状況と緊急度の把握が早いことは感心するが、全くもってあからさますぎる。
息を一つ吐き、椅子を引く。木の床を踏めば「まってくださいよー」と眠たそうで欠伸の混じった声が引き留めてきた。それをさらりと無視すれば、慌てた物音ががたんごとんと続く。何かを強かに打ち付ける音と「いって」という声も聞こえた。全くいつまで寝惚けているのだか。
からんころんとベルを鳴らし、店の外へ出る。夜の冷えた風がふわりと通り過ぎていく。遅れて出てきたジュリエットが「さむ」と首をすくめていた。
時計を覗けばまだそう遅い時間ではなかった。通りで街中に人の気配も多いわけだ。店でかなりくつろいだつもりだったが、存外時間は経っていなかったらしい。
途切れない人の流れを避けながら本日の宿を目指す。その歩調が普段よりも緩いのは、となりを歩く人物が明らかにゆっくり歩いているからだ。普通に歩けるくせに、と思いながらそれに合わせてやるのだか仕様がない。
「こんなに飲んだの久々です」とジュリエットが緩んだ表情で呟いた。
「俺もだな」
「せんぱいは、一人で晩酌とかしそうなイメージですけどね」
「一人で飲むことはそう無いな」
「へーなんか意外」
「そうか」
「そうですよ。ちょっと一杯とか言いながら、凄い飲みそう」
「俺が酒を持っているところを見たことあるか?」
「そういえば、ないですね。私室でも、無いかも」
そもそも酒自体を飲んだのがいつ振りだか、というくらいだ。
今日も予定していた仕事がたまたま早めに片付いて、ジュリエットが通り掛かった店を指差して晩飯ここにしましょうと言ったのが酒場だった、というだけだ。自主的に飲むことはそうない。酔う訳でもない。
「んー、でも今日先輩俺より飲んでましたよね」
「飲まないが弱くはないからな」
「そーですか」
「思ったよりお前は弱かったな」
「あはは」
確かに思ったより早く回っちゃいました、と朗らかに笑った。
言葉の真意は定かでないが、酔っているのは本当だろう。目尻も口元も緩んでいる。歩くたびに揺れる長い髪も、いつもより跳ねている。
「さっきの店、飯も酒も美味かったですね」
「そうだな」
「またこの街に泊まることあったら寄りましょーね」
「いいが、いつになることだかな」
「せんぱい意地悪い」
「次にこの街に来るのがいつになるか知れないからな」
「まあ、討伐のお仕事じゃ、そうですよね」
「第一、俺とお前の二人で仕事に出たのもこれが初めてだからな」
「そうでした」
なんだかんだ、二人きり、というのはこれが初めてのこだ。
ここにあともう一人二人居たことならばあった。だが今回は他の誰も居ない。荒事向きの人物で他に誰も都合が付かなかったことや、あれやこれやと重なった。ジュリエットの実力なら一人でも十分なくらいだったが、お供に付けられる誰かも居なく、たまたまクロノは手が空いていた。
ジュリエットが黒の牙に在籍するようになって、クロノのそばで仕事をするようになって、同じ場所に居る時間がそれなり増えて、積み重ねた言葉の数も多くなって、それでもこうして数日の間を二人だけで行動したのは、これが始めてのことだ。
案外悪くないものだった。思うことも尽きないが。
「先輩と二人っきりで遠征って、ちょっと緊張してたんですよね。でも出掛けてみると案外そうでもないもんですね」
「俺をなんだと思っていたんだ」
「だって、言い方によっては王様みたいなものですよ。それに俺、ちょこちょこ怒られてるし」
「怒らせるのは、ロウが時間に遅れるのが主な原因だろ」
「あはは、そーですね」
愉快そうな声が転がる。王様という言い方は引っ掛かったが、あえて追及はしなかった。
ジュリエットを見ると、へらりと笑っていた。やたらと嬉しそうで愉快そうだ。そのくせ妙に淋しそうに見えるなにかが滲む。なに、とは言わないが。
その後しばらく無言で歩いた。人通りは相変わらず途切れない。
次の角を左に曲がれば宿が見える、というところでジュリエットがぽつりと言葉を漏らした。
「楽しい時間は続かないものですよね」
「どうした」
「さっきの酒場、美味しかったなあって思い返してたら、ちょっと腹減ってきた気がして」
「あれだけ食ったのにか」
「ちょっぴり」
そうはにかんだ顔に、思わず呆れた。
「あと、少し酔いが醒めてきました」
控え目に囁く声に、さてどう返事をしてやろうかと視線を投げる。言葉の真意と甘えとから、何を拾い上げようか。
表情を伺おうと横を向けば、ジュリエットは首を傾けて反対方向を眺めていた。首筋にかかる髪と、耳元で揺れるピアスが見える。「ロウ」と呼ぶと、こちらを向く。髪が揺れ、はっきりとした視線が控えめに寄越される。
「明日寝坊するなよ」
「んー、善処しますね」
「はい、と言え」
「え、はい」
半ば強制的に頷かせ、にまりと口元を緩める。ジュリエットは不思議そうに瞬きをしていた。
それから角を通り過ぎ、道を真直ぐに進んだ。
――――――――――

絵柄からクロジュリ書かせて頂くあれそれ、睦水さんへ。