徹夜明けの日差し

(クロジュリ)

 

 

うっすらと開いた瞼の隙間から、緩い明かりが差し込んできた。
眩しさにもう一度瞼を下ろす。眠気にぐずる意識と、妙に痛い体の感覚がせめぎ合い、後者が勝った。
再び目を開け、まず見えたのは自分の腕、そして木目。頭を起こせばテーブルの上に散らばった書類の山もあった。そこでようやく眠気が頭から出ていって、何をしていたのかを思い出した。組んだ腕に頭を乗せたまま、欠伸を吐出す。
なにがあってこうなったかといえば、昨夜クロノの姿が見えないなとあちらこちらを探し回ったせいだった。
特に用があった訳ではないのだが、なんとなく執務室を訪ねたら居なかった。次に私室を訪ねたが、そこにも居なかった。そこでやめておけば良かったなあ、と今ならば思う。なのにどうしてか昨日は、ならば見付けてやろうという気になって、城の中をあちらこちらと歩き回った。クロノが外出したという話は聞いていなかった。
屋上やら中庭やら探し回った結果、居たのがこの会議室だ。広いテーブルと沢山の椅子。妙に高価な調度品。窓枠は大きく、吊るされたカーテンは分厚く滑らか。主に来客対応に使用する部屋なのだが、そこにクロノは一人でいた。
一人で、書類整理をしていた。
扉を開けた先で漸くクロノの姿を見付けたジュリエットは、思わずほっと息を吐いて笑ったのだが、クロノはジュリエットを見て大層人相の悪い顔で笑った。
その時彼は「良いところに来たな」と言った。
まあつまり、仕事を手伝わされることになった。書類整理が朝まで掛かったことを思えば、クロノのあの悪そうな笑みも納得できる。手伝いを捕まえたというよりは、道連れを手に入れたの方が正しかったのではないかと思うくらいだ。
いったいいつ眠ってしまったのだろう。朝までかかった、というより朝になってしまった記憶はある。妙に気分が高まって「朝日ですよ先輩!」と叫んだような気がする。あの時はまだ作業をしていた。もう直ぐ片付くというところまで来ていたはずだが「終わった!」と叫んだ覚えはない。
もう一度欠伸をしゆっくりと体を起こすと、肩から何かがずり落ちる感覚があった。慌てて手を伸ばせば、指先が掴んだのは毛布だった。毛布なんて持っていた覚えがないので、これをかけてくれたのは間違いなくクロノだろう。
目に日差しが染みる。瞬きを繰り返しながら正面を見上げると、クロノが座っていた。そして珍しいことに、眠っていた。椅子に座って、腕を組んで、ゆるく頭を下げ、瞼を閉じている。その姿が背後から差し込む日差しに淡く照らされている。
思わず息を飲んだ。珍しいことも、あるものだ。
クロノが眠っている姿というのは、ほとんど見たことがない。あったとしても一瞬のことだ。直ぐに目を覚ましてしまう。
息を殺してその姿を眺める。日差しの色合いから察するに、もう朝とは言い難いようだ。部屋の見えるところに時計はなく、正確な時刻は分からない。時計はクロノが持っていて、時間が知りたかったら聞いた方が早くて、つまりジュリエットは持っていなかった。
来客用のこの部屋は、食堂や私室だとかからは離れている。おかげでなんの音もしない。話し声も、生活音も。今日は風もないらしく、窓の外も穏やかだ。日差しが木の葉の隙間を縫って差し込んで、柔らかに室内を照らしている。その中でクロノが穏やかな呼吸を繰り返しながら眠っていた。とてもゆっくりとした間隔で、息を吸うたびに肩が僅かに動いている。
生きているな、なんて思って少し、ほっとした。
それから、白い髪が日差しに透けていて、あまりに綺麗だった。
改めて机の上を見ると、書類は散らばっているが、処理前として積まれていた山は空っぽになっていた。きっと全て片付いたのだろう。
片付いてそのままクロノも眠ってしまったのか、ジュリエットが起きるのを待っていて眠ってしまったのかは知れない。けれどやはり、とても珍しかった。
肩に掛けられている毛布を掴み寄せる。クロノにも同じようにかけてあげたい、と思うのだがきっと椅子から立ち上がるだけでも彼は起きてしまうに違いない。
起こそうかどうしようか、ということを少し、悩んだ。
瞼を閉じてじっとしている姿をもう少し眺めていたい気もする。こうしてまじまじと、正面から眺める機会と言うのは、まずない。起きていると目が合ってしまうし、クロノに見詰められることはあまり得意ではなかった。あまりに視線が真直ぐで、少し気恥ずかしい。それに、何かが視線から漏れ伝わってしまうような気がした。
けれど今は目を閉じている。
それにしても整った容姿の人だ。必要なものを必要なだけ正しく配置した、そういう感じがする。
だからといっていつまでも眺めている訳にもいかない。腹も減ってきた。
どうやって声をかけようか、と思案しているとジュリエットの腹がぐうと鳴った。その音を拾ったのか、クロノの獣の耳がぴくりと揺れる。そして目が開く。黒い瞳が瞼の隙間から現れて、ぼんやりとこちらを映した。
「おはよー、ございます」と半笑いで声を掛ける。クロノが瞬きをすると、視線が一瞬でいつもの鋭いものに変わった。
「……寝ていたか」
「お互い、そうみたいですね」
クロノは眉間にしわを寄せ、下を向くと欠伸をした。云千年も生きているとは到底思えない、有り触れた人間っぽい仕草だった。顔を上げると目尻に涙が溜まっていたことも、あまりに普通のことだった。
「十時か……」と時計を確認して呟いた。
「通りで腹減るわけですね」
「ああ、さっきの音はお前の腹か」
「聞こえました?」
「おかげで目が覚めたからな」
「そんな大きい音だった訳じゃないと思うんですけど」
腹を押さえると、クロノがくつくつと笑って椅子を引いた。「飯を食いに行くか」
その提案に、喜んで、と答え立ち上がる。腹が鳴ったのは想定外だが、腹が減っているのは確かだ。掛けられていた毛布を畳みながら「これありがとうございました」と伝えると、ゆるく目を細められた。それがやたら綺麗だった。
「書類って終わりました?」とすれ違いざまクロノに尋ねる。
「全部な。片付けは飯の後でやるが、そこまで付き合ってくれると助かるな」
「ま、ここまで来たんで最後までお付き合いしますよ」
「助かる」とすれ違い様、視線を横目に送られた。僅かに見上げるように寄越されたそれに、勝手に心臓が跳ねた。派手な訳ではないが、整えられた造形の顔でそういうことをされるのは、どうにも心臓に悪い。
「けど、俺結構頑張ったんで、ご褒美とかほしーなー、なんて」
扉へと向かっていくクロノの後ろ姿を追い掛けながら、気恥ずかしさを誤魔化すように軽口をたたいた。
そして、こういう時にふと悪戯心を出す人だということを忘れていたのは、どう考えてもこちらの失態だった。
「ほう」と一言呟いたクロノが振り向き、こちらへと大きく一歩踏み込んだ。
直ぐそばまで迫られ、首にぶら下がるように結ばれているネクタイを、掴まれた。思わずのけぞろうとしたのだが敵わず、ネクタイを引かれる。前屈みになると、クロノの顔が寄せられる。白い髪が揺れ、黒い瞳が真直ぐにこちらを射抜きながら、迫ってくる。
「わ」と間抜けな声を出しながら、つい目をつむった。
額に何かがごつりとぶつかって、至近距離からこらえるような、それでいて愉快そうな笑い声が漏れ聞こえてきた。
ゆるゆると目を開ければ、クロノの顔が離れていくところだった。
「昼飯を奢ってやる」
ネクタイを離され、それでもまだごく近い距離で、晴れやかな笑みを見せられる。
思わずぶつけられた額を押さえた。
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絵柄からクロジュリ書かせて頂くあれそれ、月雅さんへ。