家事は分担制で

(ブラロド)

 

 

サラサラとカーテンの布地が寄せられていく音に目を覚ます。
瞼を開いて見えたのは、夜の暗闇の色だ。その下の方で、ゆらゆらと炎の色が微かに揺らめいていた。
いつの間にか見慣れてしまった光景と、聞き馴染んでしまった物音。それらに意識を引き寄せられながら起き上がる。
分厚い遮光カーテンは左右に開かれ、ゆるくタッセルでまとめられていた。夜空の僅かな明かりが窓ガラスの向こうから差し込み、部屋の中の影を長く伸ばしている。
いつもの光景だ。いつもの寝起きの景色。
くあ、と欠伸を零しながら正面を向く。揺れる炎を灯したランタンを片手に持った、自称我が従者が立っていた。
「おはようございます」
こちらからもおはよう返せば、緩やかに微笑まれる。
彼はその言葉の後、明かりを持ったまま部屋の隅で静かに佇んでいた。まるでインテリアだ、なんてことを頭の片隅に思い浮かべながら寝台から降り、さくりと着替える。
身支度を終え寝室を出ようとすると、彼が三歩遅れてついてきて「夕食は出来ていますよ」とささやいた。これもすっかり慣れた出来事だ。
はて、いつの間に習慣付けられたのだったか、と考える。さっぱり思い出せない。一か月前のことだったか半年前のことだったか、はたまた百年前のことだったか。
そもそもこの古城に住人が増えたことでさえ、いつのことだったのか詳しい記憶がない。そう最近ではない、ということは分かる。日付の感覚が希薄なものだから、どうにもそのあたりが曖昧だ。こんこんと数年眠り続けたこともある身なものだから、余計にだ。
それでもこの自称従者くんが住み着いて、規則正しく食事を支度してくれるようになってからは、幾分か人道的な日々を送っている。ように思う。まあ人ではないのだが。
毎日彼はある時間になると、先程のように起こしに来る。
起こすと言っても部屋のカーテンを開けるだけだ。外も中も変わらぬくらい暗いというのに、カーテンを開ける意味があるのかは怪しい。けれど彼は毎回律儀にカーテンを開ける。このことに対し以前理由を問うてみたところ「カーテンが空いていれば星空が見えますよ」と答えられた。なるほど、とその時妙に納得したものだから、以降好きにさせている。
起きた後は食堂に向かい、支度された夕食を取る。
一人で食べるのはつまらない、といつだったかに私が言ったため、彼も斜め向かいの席に座って一緒に食事をする。
最近どうにも彼の料理の腕前が上達しているように思う。以前は下手ではないな、という程度だったのが、近頃はこれは美味しいな、と思うことが増えた。いったいいつ練習しているのか。それとも毎日作っている賜物なのか。考えていると、どうして彼は毎日三食も律儀に料理を用意しているのだろうな、という疑問にぶつかった。よくわからない。そんなに食べなくても困らないのはお互いさまのはずなのに。
食生活はこうして変化したが、それ以外の時間は特に変化はない。
それでも起きている時間がいつもよりも長いものだから、散歩を良くするようになったのは少しの変化だ。
城の周りを回ったり、少し遠くまで足を伸ばしたり。まあ時々で気まぐれに。一人で行くとこともあれば、彼を連れていくこともある。ただし、彼は誘わないとついて来ない。「散歩に行ってくる」と言えば「行ってらっしゃいませ」と言う。「散歩に行こうか」と言えば「お供します」と笑う。
あとは読書をしたり、うたたねをしたり、概ねだらけて過ごす。大変自堕落だ、と思うが起きているというだけで以前よりは健全である、と主張したい。
そんなゆるりとした時間を過ごしている間、彼は同じ部屋に居たり、居なかったりする。基本的にとても静かにしているので、居なくなっていても気付かないし、居ることに気付かなかったりもする。
こんなに物静かなタイプだったろうか、と記憶に埋もれかけている様な、鮮烈過ぎて埋もれようがないような、彼との初対面の時の印象を引っ張り出す度に思う。これは最近気付いたことなのだが、物静かなタイプというより、こちらの邪魔をしない様勤めて大人しくしている様子だ。思い出したように城を襲撃してくる相手を、率先して血祭りにあげている姿を見ると深く思う。
そうして夜の時間を過ごした後、日が高くなってきた頃に眠って一日がお終いになる。
眠る時もカーテンは彼が閉めてくれる。日差しに目を細めていると遮光カーテンを引き「おやすみなさい」と声をかけられる。これが一日のサイクルだ。
そしてまた夜になり、カーテンが開かれる。

廊下の暗がりを、後ろを歩く彼の持つランタンの明かりが揺らしている。
彼は夜目があまり効かないので、ああしてランタンと共に移動している。明かりをゆらゆらと揺らしながら歩く姿は案外愛嬌があるものなので、今度別のランタンでも買い与えてみるのも良いかもしれない。漏れる明かりの形が変わる物がいい。そういう店が開いている時間に起きることがあれば、街に降りるとしよう。さてそれはいつになることやら。
少し立てつけの悪い食堂の扉を押して開ける。中からパンの香ばしい香りが漂ってきた。
食堂には不必要に長いテーブルが置かれているが、使われなくなって久しい。すっかり過去の遺物である。
今は厨房寄りの扉のそばに、四人掛けのテーブルを一つ置いている。食事はそこでとる。広いテーブルは豪勢で良いが、如何せんぽつりと座っていると物悲しい。どうせ城には二人しか住んでいないのだ。この小さなテーブルで十分だった。
定位置の椅子を引き、座る。テーブルの真ん中に置かれた燭台に、彼が火を移した。
お互い小食のため、夕食はパンとスープで事足りる。というより、これで十分だからと説得した経緯もある。寝起きからフルコースを出そうとしてきた為止めたのも、それなりに前のことだ。
夕食をぺろりと平らげ、ふと斜向かいに座る彼の顔を見た。
なんだか違和感があるな、と眺めていると彼の視線がこちらを一瞬見た。目が合うと、するりと逸らされる。戸惑う様に視線が下を向く。睫毛が目元に濃い影を作った。
はたと違和感に思い当たる。
「クロード」と呼ぶと素直に顔が上げられた。「上を向いてご覧」と天井を指差すと、これにも素直に従った。
「寝不足かい? 隈が出来ているよ」
上を向かせたことで睫毛の作る影が消えた。けれども彼の目元にはくっきりと影が残ったままだった。それを指摘すると、彼は慌てて顔を背けた。ふむ、心当たりもあるようだ。
「気になっていたんだが、君はいつ眠っているんだ」
「主が眠っている間、同じように寝ています」
「少なくとも私が起きる前にこれだけ支度しているのだから、私よりは睡眠時間が短いはずだね」
「夕食の支度は僅かなものです。量もないですし」
「それと他にも尋ねたいんだが、掃除や洗濯もいつやっているんだ。私が起きている間にやっているところを見たことがないよ。やっていないという訳でもないだろう」
じわりと今まで感じていた疑問を立て続けに投げると、彼は困ったように俯いてしまった。ということは、これも心当たりがあるということだ。
気にかけてやるにはあまりに今更ではないか、という気もする。彼が勝手に行っていることなので、咎めるほどのことでも無いかもしれない。だがああもくっきりとした隈を作られては、見ているこちらが忍びない。
返事をしない彼の名を呼ぶと、恐る恐ると言った様子で顔を上げた。おもちゃを捨てられそうな子供のようなな顔をしていた。
「一応、眠ってはいますよ」
「何時間?」
「……二時間ほどは」
呆れた。という言葉を口に出すかどうかは少し悩んで、結局辞めた。彼が「主が起きている時にそのようなことに時間を割くのが、勿体無く思えて」なんて、言うものだから。
呆気にとられていると、彼は困ったように目の下を片手で覆い隠そうとした。
「隠し忘れたなんて失態だ……」
「隠す、とはどういうことかな」
尋ねると言い淀んだので、無言で微笑んで続きを促す。暫くの間を置いたのち、観念したように再び視線を寄越した。
「普段は、化粧で」
「そんなことまでしていたのか」
「こうして気付かれないようにと、」
「君は全く……。それで、いつからそんなことをしていたんだい」
「えっと、いつから……でしたっけ」
と呟かれた言葉は、誤魔化すそれではなく、本当に覚えていない様子だった。その様子を眺めながら、なんだか似てきたなあ、と少しばかり思った。そして呆れた。やっぱり。
「何も私は君を召使として雇っている訳でもないのだから、そこまでしなくてもいいんだよ」
「好きでやっていますから」
「そうは言っても、私がのんきに眠っている横で君は寝不足というのはどうにもね。明日からの寝覚めが悪くなりそうだ」
「気にしないで頂けると幸いです」
申し訳なさそうな顔をしながらも、譲る気のないはっきりとした口調だった。
この子は意外と頑固だな、と今更気が付いた。
さて、このまま行ってもきっと話し合いは平行線だ。となればこちらが譲歩するしかないのだろう。どうするかなと考えていると、食べ終えた皿を回収された。席を立って厨房へ消えようとするので、慌てて腕を掴んで引き留める。
まだ話は終わっていないというのに。
そうだ、と閃いたことを、そのまま口から吐き出した。
「明日は私も一緒に食事の支度をしようか。そうしたら君は早起きしなくてもいい。掃除や洗濯だって分担にしたっていい」
名案だなと思ったのだが、あっさり却下された。「主にそんなことをさせられません!」だなんて声を荒げられたので、ついついこちらも声を荒げた。
「君がどうしても家事に時間を割いて眠らないというなら、私は今晩君を無理矢理ベッドに引き込んで寝かしつけるぞ」
ここで彼は絶句した。
反論がないということは、この議論は私の勝利ということだろう。満足して笑い、引き留めていた腕を解放した。
彼はその手をそのまま口元に持っていくと、突如血を吐いた。