眠りの合間に

(ブラロド)

 

 
ふと、目を開ける。
ごく自然に、とても不意に、浮上した意識はまどろんでいた。なんだかあたたかい。気分の良い目覚めだと、漠然と認識する。そうか眠っていたのかと、この時気が付いた。
ゆるりと起き上がろうとして、あまりに想定外な事態が一つ起きる。
目を開けて初めに、ブラッドの顔が見えた。
視界の中に大きく、彼の顔が映り込む。そのことにあまりに驚いた。
短く吸い込んだ息が、悲鳴だとかその他の何かになって、勝手に口から出て行きそうになる。それを寸でのところで飲み込む。ぐっと唇を噛んで堪える。飛び起きた心臓が、ばくばくとあまりにうるさい。
眼鏡のレンズを通さない視界はぼやけていた。それでも白い睫毛だとか、髪の毛の一本一本だとか、その全てが見えるほど近い距離に、彼の顔はあった。
まぶたも唇もぴたりと閉じられている。自身の鼓動が落ち着いてくると、そこから零れる、穏やかな寝息が耳に届いてきた。
眠っているようだという認識に続き、どうしてという疑問が湧き上がる。眠る前の出来事を、まるで覚えていなかった。
なぜ同じ寝台の上で、同じ毛布を被っているのか。記憶を辿りながらまじまじと寝顔を眺めていると、突如居た堪れなくなった。
息を飲んで、視線を下へと逸らす。
逸らした先で、ブラッドの腕の片方が、クロードの背中を撫でていることに気が付いた。向かい合い、半ば抱き寄せられるようにして眠っていたという事実に、二度目の悲鳴を上げそうになる。
手で口を塞ごうにも触れられている手前、動けば相手を起こしてしまうかもしれない。必死に平然を装って、小さく開いた唇の隙間から吐息を逃がした。
ぱちりと、瞬きをする。
ぐるりと眼球だけを動かし様子を探る。どうやらブラッドの部屋らしい。少なくともクロードの部屋ではなかった。
どうして主と仰ぐ相手の部屋で、寝台で、眠っているのだかは、相変わらず思い出せない。
視界の向こうに見える窓も、分厚いカーテンで閉め切られている。この部屋には時計もない。何時なのかもさっぱり分からない。
どうすることも出来なかった。
こんな風に、誰かと眠った記憶など全くない。相手を起こさないように毛布から抜け出る術も分からない。人と眠ると温かい、という事実すら今知った。平時、体温が低いこの人でも、こうしてそばで同じ毛布にくるまれていると温かかった。
じわじわと内から蝕むようなこの感覚を、どう呼べば、どう処理すればいいのか。その知識が足らない。今まで生きてきた中で、教わっては来なかった。経験も、したことがない。どうすればいいのか、想像もできない。
相変わらず目の前の人は穏やかに眠っている。他人と眠って、無防備でいられるものなのかという思いに、ああそれは自らも同じかと気が付いた。
先程のそれは、あまりに穏やかな眠りだったと思う。
もしもの話だが、こんなに穏やかに眠ってそれで、この人に寝首をかかれたとして、そうなればそれはきっと本望だ。なんて考えた。そうなるなら、それもいい。
それから暫く考え事をして、やることがないことに気が付いて、もう一度目を閉じた。

二度目、目を開ければ先程とは違った景色が見えた。
眠っている場所に変わりはないが、眠る前と反対側を向いていた。ベッドの端が見える。部屋の中の様子を眺め、やはりブラッドの部屋だったかと、再認識をした。
今度はどれくらい眠っていたのだろう。考えるが比較になる時刻も分からない。辛うじて最後に見た日付だけ思い出せたのだが、日付の方が時刻よりも分かり難い。日付は日の傾きでは分からない。その日の傾きも、ここから見えはしないのだが。
相変わらず、すうすうと寝息がそばから聞こえてくる。ブラッドはまだ眠っているらしい。
ただ腕は離れていて、今はどこにも触れられていない。寝返りをうった時に離れたのだろうか。そう思うと少し、惜しく思えた。けれど触れられていたらそれはまた、居た堪れないような落ち着かないような、そういう気持ちにさいなまれるに違いなかった。
背後を振り返る。視界の隅に、白い髪が見えた。カーテンはやはり、閉まっている。
暫し考えた後、起き上がることにした。
眠ろうと思えばまだ眠れるだろうが、特別眠たいという訳でもない。起きたら掃除や洗濯や、食事の支度や、何かをしよう。食事は、この人が起きてから支度をはじめてもいいかもしれない。
ブラッドはいつ起きるのだか知れない。いつも同じように寝起きしていたが、本来どれほど眠る人なのだろうか。そっとしておいたら、幾日か眠り続けることもあるのだろうか。彼に流れる時間は、普通の人のそれとあまりに違う。
そろりと体を動かし、起き上がる為にシーツに手を付く。ぐっと体を起こす寸前、手の上に温度が重ねられた。そのことに大層驚いた。
はっと視線を動かせば、赤い瞳が白い睫毛の隙間から、クロードを見ていた。
起きていらっしゃったのですか、起こしてしまいましたか、と言葉を紡ぐよりも早く、腕を引かれた。バランスを崩して、再びシーツに頬を寄せることになった。
あ、と顔を上げようとする前に、体の下に腕が差し込まれる。その腕に背中から引き寄せられ抱き込まれた。
ぴたりと体温が重なるように触れる。理解がさっぱりと追いつかず、少しばかりもがくと、じっとしていなさいとでも言うように背中を撫でられた。
「もう少し眠ろうか」
そう言われ、ここから逃れる術など、まるで分からなかった。
穏やかに導くような声に呼ばれ、瞼を下ろす。頭上から、くすりと笑う音があった。そしてすうっと意識は眠りに飲まれ、あっという間に途切れた。

三度、四度と同じようなことを繰り返した。
目を開けてはまた閉じる。不思議なことに眠り飽きることはなく、何度も穏やかな眠りに沈んだ。
そういえば、お腹が空いただとか思わないな、と気付いたのは三度目に目を開けた時だった。その時も結局また、眠ってしまった。
四度目に目を開けた時は、抱き寄せる腕がなかった。なんの拘束もない。今なら起こさずに抜け出られると思ったが、この人が起きるまで眠っているのもいいかもしれないという考えに至った。少しの間、眠る姿を眺め、再び目を閉じた。
そうして五度目、ついに起き上がり、外に出た。
この時、眠ってから十日も経過していたことが発覚する。しかしその事実に、さほど驚くことはなかった。
それどころかごく自然なことのように思えて、ああ自分はすっかりこの人の側なのだな、と認識した。