看守の生涯

※帝刻王から処刑王になる人の方の話です。
黒の牙がないif

 

 

 

 

突き付けた銃口の向こうで、男が笑っている。
壁際へと追い込まれた男はもう何の抵抗もできないと言うようにへたり込み、背を壁に預けると四肢から力を抜いていた。
煤けた壁にはべっとりと血の跡がある。ずり落ちるような線を描く血のりはそのまま、男の体へとつながっている。出血は肩からだ。この銃で撃ちぬいた、真新しい傷跡。他にも足に二発、腕に一発。四肢にこめられる力はもうないだろう。幾つかの武器もとっくに、すべて取り落としている。
男が取れる抵抗手段などもう残っていないに等しい。あるとすれば、よく回るその舌くらいだろうか。いまさら何を言って、何を誘ったところで、命は絶え間なくどろどろと流れ出している。早まるか、いくらか遅くなるか。その程度の違いしかない。
この引き金を引けば、その瞬間におしまいだ。それでも男は笑っている。
もう、成すべきことなどないからだ。
***
「新人よ」
上司に紹介された男は、怯えながらもへらへら笑っていた。
すぐ死にそうなやつだな、というのが第一印象。
鍛えられているとは思うのだが体の線は細い。背も高い。おかげで軟弱そうに目に映る。男にしては珍しいほどに伸ばされた長い黒髪は高い位置で一つにまとめられ、おろおろと首をひねる度しっぽのように跳ねている。眼鏡の奥で緑色の視線があちらこちらを伺うように揺れていた。
そして目が合うと、不安そうにはにかむ。
「クロノ貴方、今ちょうど部下はいなかったわね。面倒は任せるから」
「断る」
「命令よ」
首を横に振ったというのに、何も聞き入れられなかった。
部下など必要はない。居たこともあるが、居なくなるばかりだ。なので今は一人。一人でも仕事をこなすに不便をしたこともない。
もう一度断ろうとしたのだが、ヴェルが男の背を勢いよく叩いた。「うわっ」と声を上げて男がよろめいて、つまづいて、クロノの胸に飛び込んできた。避ければよかった、と後から思った。何故だかその時、その男を受け止めてしまった。
すぽりと胸におさまれば、せめてそうなればよかったのだが、実際は相手の方が背が高く、そうはならなかった。胸からはみ出た男は「うわあ、すんません!」と飛び退く。慌てたように両手を上げる。そしてまた困ったようにはにかむ。
なんだこいつ、というのが次の印象。

結局断り切れず、そのまま部下に迎え入れることとなる。
脱獄犯の処分が、クロノの主な仕事だった。勿論ほかにもあるが、これが多い。
監獄勤めだというのに、仕事内容は看守というよりは処刑人だ。脱獄の知らせを受けては監獄から出て、対象を殺すか連れ帰るかのどちらか。逃がすことはない。逃げたやつが悪い。
今日の仕事は、連れ帰る方だ。
殺さずとも済んだというわけではなく、殺せないので連れ帰るしかない。不死までいかずともやたらと耐久性に優れた者は、存外多い。咎人というのはやっかいだ、と己のことを棚上げして考えた。
対象に向けていた銃を下ろす。残弾が無くなるまで撃ち込んだため、よほど起き上がってこないだろう。撃ち込んだのは麻酔薬だ。普通の人間なら致死量かもしれないが、きっと問題ない。それに死んでいてもさして問題になりもしない。
そういう仕事だ。
「回収は任せたぞ」
振り向くとジュリエット・ロウという名の男が口を開けていた。
「え、俺がですか」ととぼけたことを聞いてくる。「他に何がある」と返事をしてやれば、ロウは眉を寄せた。向こうで倒れている脱獄犯は結構な体格だ。あれを引きずっていくのが嫌だ、と言いたいのだろう。そんなもの、こちらだって嫌だ。
「何もしてないだろ。それくらい働け」
「何かする前に先輩が仕留めちゃったんじゃないですかー。時間があれば俺だって役に立ちましたよ」
「仮定の話はいい」
早くしろと顎で示す。
ロウは渋々、足を引きずるように歩き出した。脱獄犯のそばに膝をつくと、背負っていた袋を下ろし拘束具を取り出す。慣れ始めたばかりの手つきではめていく。猿轡、手枷、足枷、目隠し。「慣れてきたな」と声をかけると、トレードマークのポニーテールが揺れた。「おかげさまで!」と嬉しそうな声が聞こえる。
足枷にひもをつなぐと、肩にかけて脱走兵を引きずってくる。「う、重い」
「帰るぞ」
「はーい。次は台車でも持ってきたいですね。持ち運び便利なやつでも作ろうかな」
「好きにしろ」
「そっけないなあ。先輩が引きずって帰る番になっても貸してあげませんよ」
「俺がその担当になることはないから構わないな」
「え、ひどい!」
歩き出せば、追いかけるようにざりざりと土の地面を物が引きずられる音が後ろからついてくる。重たい足音がとなりに並ぶ。「もう少しゆっくり歩いてくれませんか。こいつ、思ったより重たくて」と声に袖を引かれた。
「もっと鍛えたらどうだ」
「俺、人間の中では結構鍛えている方だと思うんですけどねぇ。先輩は人間離れした腕力あるじゃないですか、交代してくれた方が効率いいですよ」
「断る」
「あ、ひどい」
はあ、とあからさまなため息が聞こえてくるが、聞かなかったふりをした。それでも横目で伺えば、必死に綱を引く姿が見える。
「まあ俺は、人間じゃないからな。当然だ」
「そうですねえ。ふかふかなお耳に、しっぽも生えてますもんね」
「むしろ、ただの人間の癖にこんなところで咎人の仕事をさせられている、そっちが気の毒だな」
「そうなんすよ。なので労わってくれてもいいですよ」
「断るがな」
ああひどい、と再びの返事。
この男は、咎人ぞろいの看守の中で唯一の人間だ。正確に言えば禁器に指定された武器を持っているがために咎人と同じ扱いをされている人間。
大事そうに背負っている槍には、魔眼と呼ばれるものの一つが埋め込まれている。ただの人間が持つようなものではないのだが、どこで拾ったのだかさっぱりわからない。そういえば、聞いたこともなかった。
「魔眼なんてもの捨ててしまえば、自由だったろうに」
「そんな簡単に言わないでくださいよ。カノッサには、意思があるんすよ。捨てらんないですって」
「魔眼に名前を付けて話しかけている人間なんて、俺の永い人生でも初めて見たぞ」いっそほめたいくらいだ。
ことあるごとにロウは槍に、魔眼に向かってカノッサと声をかける。随分とおかしな光景だが、嫌いでもない。
「そういえば、先輩って看守の中では長老枠なんですよね」
「そうだな」
「やっぱり不死の咎人だからですか? 何百年くらい生きてるんです?」
「ハッ、桁が足りん」
「え、千単位ですか。もしかして、ウソ」
その辺はやはり人間感覚なのかと、少しばかりおかしく思いながら帰路を進む。千歳も年上の人なんて、初めて会いましたよ。だとか、とぼけたことを言っている。引きずる荷物のことを重たい、重たいというわりに、舌を回す元気は有り余っているらしかった。

記憶に残らないほど他愛ない会話のやり取りをしていれば、すぐに監獄へ帰り付く。もともとそう遠くへ行ってもいない。
クロノの姿を視認すると門番が錠を開けた。「おかえりなさい。相変わらず早いですね」と声をかけられる。相槌を打つよりも早く背中から「ただいま戻りましたー」と軽い声が続いてきた。
それに呆れる、ということもなくなりつつある。そういうものに変り始めている。変な話だ。
慣れた廊下を進んでいけば、ひょこりとうさぎの耳が前方を横切った。あんな耳をつけさせられているのはコニィしかいない。足取り軽やかな彼女はまさにうさぎといった様子だ。
ぴょんと跳ね、姿を消したかと思えば、再び戻ってくる。廊下の角から、顔を覗かせるとこちらに向けて手を挙げた。
「あっクロノさんおかえりなさいっス、あと……おかえりなさいっス!」
「ああ」
「ただいまー」
コニィは後ろ向きに足を動かし、三歩戻ってくると廊下の奥を指さした。「シモーヌさんなら保管庫にいるっスよ。クロノさんのこと待ってました」
「わかった」
「あれ、あのさコニィちゃん、俺の名前まだ覚えてくれてないの?」
「いやー、そんなことないっスよ。えーっと……あっ! 私姐さんに呼ばれてるんで!」
それじゃあ、と満面の笑みを浮かべると手を振りあっという間に駆けていってしまった。
ごまかされたなと振り向けば、ロウはいくらか悲しそうな顔をしていた。「俺はフルネームいえるぞ」と笑えば「お気遣いありがとうございます」とうなだれた。
「それにしても、看守の女の人ってなんであんなに露出度高いんですかね。嫌いじゃないですけど」
「ああ」と看守の割にバニーガールのような恰好をしていたコニィのことを思い浮かべる。そうか、露出度が高いか、とすっかり麻痺していた感覚に気付かされる。どうにも周りには、あのタイプの女しかいなかった。
「あれはヴェルの趣味だ」
そのヴェル本人も、露出度は高い。
「ああー、なるほど。……え、あれってヴェルさんが選んでるんですか」
「知らなかったのか。お前は男で良かったな」
でなければ何を着せられていたか、と振り向いて鼻で笑う。ロウは息を飲み、己の肩を抱いた。
「ははは……。でも逆に男はきっちり着込みすぎなんで、もうちょい崩してもいいのになーって思いますよ。間が丁度いいんじゃないんですかね」
「ほう。俺が選んでいる服に文句があるのか」
「これ先輩が選んでたんですか? いや、ほら、文句じゃないですけど。遊び心は欲しいなあ、なんて」
「覚えておいてやろう」
にまりと笑えば「やっぱりいいです」とロウは肩をすくめた。

監獄の奥へと進んでいった先には保管庫がある。
先ほどコニィが言っていたのがここだ。保管庫といえど、食料は金品がしまわれているわけではない。保管されているのは咎人が押し込まれた瓶だ。
ノックもなしに分厚く重たい扉を押し開く。薬液を調合している白衣の女の背中見えた。
「シモーヌ」と声をかければ、女が振り向く。
「遅かったじゃない?」と笑われたので首をすくめる。「俺より早く帰ってこれるやつはいないと思うが」
「冗談よ。早速その人貸してくれるかしら」
ゴム手袋を外しながら、シモーヌが指をさした。赤く塗られた指先を向けられたロウが驚いたようにのけぞっている。戸惑う彼に向け「お前の背中の奴の方だ」と指摘をすれば、ほっとしたように息を吐いた。
「この机に乗せて」
指示されるまま、ロウが机の上に男を寝かせる。睡眠薬は未だしっかりと効いている様子で、男はぴくりとも動かない。死んでいるのではないかと思うほどだが、鼓動の動く音は聞こえてくる。
「あら、容赦なく撃ち込んだわねクロノ」
「容赦をする必要がどこにある」
「愛がないわ」
理解ができないとため息を吐けば「相変わらずね」と言われる。
このやり取りをロウが恐る恐る伺いみてくる。なんだ、と視線を投げれば目が合った。ええと、と困ったように眉を下げられる。
「……ああ、シモーヌの仕事を見るのは初めてか」
「えと、はい。ずっとナースさんだと思ってたんですけど、違うっぽいなって察し始めてるところっすかね」
「あら、ナースで間違っていないわよ。お注射もできるもの」
「とはいえ治療ではなく、殺す方が専門だがな」
「ですよねえ、この部屋ホルマリン漬けみたいなのばっかだし」
「二人ともやだわ、人聞きの悪い」
シモーヌが男の拘束具を外しながら「これも私の愛よ」と笑う。
部屋の中に並べられた大きなガラスの瓶に詰められているのは、殺されず連れ帰られた脱獄犯たちだ。
ロウはホルマリンといったが、成分は違う。ひたひたに満ちているのは、シモーヌが独自に調合した特殊な薬液だ。沈められたものが意識を取り戻すことはない。殺せないのならば、永遠に保存しておくしかない。
「実際に見るとめっちゃ怖いっすね」
「それは私のことかしら?」
「あっいえ、いっぱい並んでるのが」
あれ、とロウが壁一面の瓶をひきつった顔で指さした。「そうかしら?」とシモーヌが答える。「きれいでしょう」
「やっぱこの監獄で働いてる人みんな怖いっすね」
「それは俺込みで言ってるのか」
「先輩も結構怖いんで、もうちょっと俺に優しくしてくれてもいいですよ」
「遅刻癖だとかをなくして、俺が優しくしたくなるように心がけるんだな」
「ウッ、正論」
「ふふ、思ったより貴方達仲良しになったのね」
そんなことをシモーヌが言うので、たいそう驚いた。全くそんなつもりはない。呆れてロウを見れば、照れたように笑っていた。
何故だ。
***
突き付けた銃口の向こうで、男が笑っている。この期に及んで、へらへらといつも通り、見慣れた顔で、聞きなじんだ声で。
思い出されることは、いくつもある。
二年あまりだ。こいつが、この監獄に来てから。新人と言って部下につけられてから。同じように仕事をするようになってから。プライベートでともに酒を飲むようになってから。いくら飲んでも酔わないことに文句を言われるようになってから。
それなりに、信用を置くようになってから。
「もう言い残すことはないか」
額に銃口を押し付ける。右腕はどこかへ行ってしまったため、左手にのみ銃を握っている。元々二丁同時に扱っていたのだから、片方なくともどうということもない。この距離から外すなどということもない。
銃越しに皮膚の感触が伝わってくる。
「ほん、とは。あんたの首でも取って帰ろうと思ってたんすけど、さすがにムリっしたね。あーあ。まあ、腕一本は、お土産にしますよ」
「冥途のか」
「そっすね」と全く状況にそぐわぬ晴れやかな笑みを浮かべる。「いいんですよ、別に。俺の仕事もう終わったんで。はは、ちょっと気付くの遅かったんじゃないですか。必要な情報は、国に流しちゃいました。残念でした」
ロウの視線が動いた先には、銃弾が二発撃ち込まれ、壊れた無線機が落ちている。魔術と科学技術を併せて作られた帝国製、らしい。破壊せず取り上げれば解析もできただろうか。いや、ロウが手から放した時点で役目は終わっているに違いない。もうここに置いていったところで、痛くもないのだろう。
「見取り図も、人員も、咎の特性も、全部、俺が調べないといけないこと全部っすよ。ま、あんたの首は取れると思ってなかったんで、いいんですけど。でも、時間は、奪えたし」
「殺されるために残ったのか」
「そっちのが、逃げるより早そうだし、ホルマリン漬けにされんのもヤなんでね」
だからちゃんと殺してくださいよ。
そう言ってロウの唇が笑う。
「あはは、ちょっとだけ、逃がしてくれるかなあとか、思ったんですけどね、さすがにそんな甘い人じゃなかったか。ま、よかった。そんなに甘かったら幻滅しそ」
「そうか」
「でも、ちょっと、ほだされました? 情報ぬかれちゃうくらいに? どうです」
「まあ、失態だな。だからここで殺す。そのあとで必要なら、すべて潰す」
「必要になる0、と思いますよ。それ。折角なんで教えてあげますけど、たぶん絶対。それまで、持つといいですね」
はあ、と大きく息を吐くと急に静かになった。
か細くゆっくりとした呼吸が聞こえてくる。銃口は額に振れたままだ。緑色の瞳の色は暗く沈んでいく。ゆっくりと瞬きをすると、息を吸い込む音がした。
そして最後に一度視線が合う。
「貴方と過ごしたここの生活、楽しかったですよ」
にこりと笑う。知った顔が。ピン、と何かの音がする。「なんて、言うわけないだろ」

銃声が響く。
体中にべっとりと、血と硝煙の臭いがこびりついている。
五感は鋭い方だった。離れた場所からでも心音を聞き取れるほど。遠くの血の匂いを嗅ぎ取れるほど。わずかな傷あとも指先でたどれるほど。それもはるか昔のことで、今はどれもあまり、わかりはしない。
義手に置き換わった右腕は銃を握る役目以外何も担っていない。片目は体裁を整えるためだけのガラス球に代わっている。継ぎ接ぎでかろうじて形を保つ体を引きずって、階段をのぼっていく。いつの間にか喧騒はいくらか遠のいて落ち着いている。それもそうだ。通り道にあったものはすべて壊してきた。音がなくなるまで。血と硝煙のにおいに代わるまで。
すべて壊す。それ以外に何も必要ない。壊れる前に、ただそれだけだ。
階段を踏む足音が、うすぼんやりと遠くに聞こえる。かつん、こつんと、静かに響く。銃声と断末魔の波の後では恐ろしいほどの静寂だ。
もうすぐおわる。ぜんぶおわる。すべてが。この。
登り切った先、最上階の扉を開く。
薄暗い部屋の中でぼんやりと光る水槽があった。赤く、暗く、ほのかに明るくそこにある。ちゃぷり、と水音が聞こえる。
そして人影。こちらに背を向け、人、が立っている。
「久しぶりだな」と男がこちらを見もせず、声を発した。
軍帽をかぶった人影は、水槽の明かりに照らされながらゆっくりと動き、振り向く。服装から、地位の高さが見て取れる。そもそもここにいる、それだけで他の兵とは違う。この場所にいる。この場所を知っている。
男がこちらに向き直る。目深にかぶった帽子のつばをつかむ。未だ顔は見えない。
表情も、見えない。
「とはいえ、私は貴方に会うのは初めてなのだが。しかし、情報は聞いている。詳しく。送られてきたからな」
瞬きをする。かすみ始める視界を正すように。手のひらに固定した銃に力を籠める。
引き金に、指をかける。は、と鼻で笑えば、男の影が首を傾げた。
「なんだ、あんまり驚かないのか」
とてもつまらなそうにため息を吐くと、男が帽子をとった。
そしてこちらに向けて笑う。屈託なく。
「どうです、似てますか?」
先輩。