朝食も夕食もお弁当も

(ジンヤス)

 

 

 

冷蔵庫の中を覗き込みながら、今日の夕飯の献立を考える。
食材が少ない。上手くやりくりすれば朝までは食べられそうだが、明日の夕飯の分は買い出しに行かないと厳しい気がする。明日の帰りに食材を買い込まなくては。
残っているのは野菜が少しと豆腐が一丁と鮭一切れと、おや卵が切れている。あと二つくらい残っているつもりだったのだが、いつ使い切ったのか。
卵と言えば、卵かけごはんを作ってやったら大層喜ばれたことがあったな、とついでに思い出す。直ぐに出せる物があれしかなかくて申し訳ない、と思ったのにあの喜ばれようだ。あいつの食生活の質が心配になる。
この前も作り置きしてあった煮物をタッパに入れて渡したら尋常でない喜びようだった。作り方を教えてくれと言われ、メモを渡したが果たしてどうなっただろう。というか、何故ジンソクは当たり前のように家に飯を食べに来ているのだ。何をどうするとこうなるのかさっぱりだ。人生は謎に満ちている。あまり違和感を覚えないあたりも謎に満ちている。
取り敢えず夕食は野菜と鮭で何か一品作って、明日の朝は豆腐の味噌汁にしようと決める。エプロンを着て腕まくりをして、食材を取り出す。ああ腹が減った。
包丁を握ると呼び鈴が鳴った。
こんな夜に来客とは珍しい、ような最近はそうでもないような。包丁を置き、一旦エプロンを脱ぐ。適当に椅子に掛け、玄関の扉を開けるとジンソクが立っていた。被っていた帽子を取ると「お届け物でーす」と軽い調子で言った。もしかしなくてもそのお届け物というのは、ジンソクが肩に担いでいるそれのことを言っているのか。目の錯覚でなければ米俵に見えるそれのことを言っているのか。
「米なんて頼んでいないぜ」
「お届け物、ってか贈り物?」
「米俵一俵を送ってくれるような間柄の奴も居ないぜ」
「へえそうなんだ」とジンソクは少し楽しそうに言った。今の会話の中で何か笑顔になる理由でもあっただろうか。しかし自分で言っておいてあれだが、米俵を送ってくれる間柄が一体どのようなものなのか分からなかった。
「送り先が間違っているんじゃないのか」
「俺がそんな初歩的な間違いするわけないだろ」
「そうか、疑って悪かった。しかし俺にそれが送られてくる理由が分からないんだが」
「いやだから贈り物。俺から、あんたに」
「はあ」と思わず気の抜けた声が出た。ジンソクの指が自らを指差した後でヤスツナに向けられた。あんたというのはつまり自分のことか。それは分かったが、どうしてか分からない。何があったら米俵を贈られるんだ。
「つか重いんだけど。下ろしていい?」
「あ、ああ構わない」
「ここに置いたらまた持たないといけないだろ、ヤスツナこれ持てる?」
「君が持てて俺が持てないわけがないだろ」
「じゃあはい」
軽く渡されたが当たり前のように重かった。しかし持てなくはない。日々鍛えている身だ。
「いや待ってくれ、その前にどうして俺は君にこれを贈られないといけないんだ」
「飯作って欲しくて」
はあ。と分かったような分からないような返事をする。
理解は追いつかないが、ずっと抱えている訳にもいかない。重い。米俵を持って家の中を移動し、適切な場所に安置した。さり気無く後ろをジンソクがついて来ていた。ちゃっかり靴を脱いで上がり込んでいる。それが当然の光景に見えるのだから大分毒されている。
「それで、この米俵と飯を作って欲しいというのはどういう意味なんだ」
尋ねると、ジンソクが首を傾けた。「この前煮物の作り方教えて貰っただろ」
「ああ、メモを渡したあれか」
「家で作ってみたんだよ。書いてある通りに作ったら出来たけどさ、あんま美味くないわけ」
「俺の書き方が悪かっただろうか、それはすまなかった」
「そういうわけじゃなくて、不味くはないんだよ。食べれるし。ご飯だけ食ってた頃に比べると劇的な変化だし。でもヤスツナが作った方が断然美味いんだよ」
正面からまるで当然のことのように言われると流石に照れる。つい「まあそうだろうな」と偉そうに答えてしまうがジンソクは「そういうわけだ」と真面目に頷いた。余計に照れる。
いやそうじゃなくて。
「それが、米俵とどうつながるんだ」
「ここ最近度々俺ここに飯食いに来てるだろ」
「来ているな」週に一度は姿を見るほどだ。
「その度に炊飯器を空にするだろ」
「そうだな」お蔭で米の消費量が尋常じゃないが、何を出しても美味しそうに食べるのでそう悪い気はしていない。
「流石に悪いなと思って、米を持ってきた」
「ああ」
なるほど、と頷き掛けるが何かおかしい気がする。んんと首をひねる。
「その米好きに使っていいから。無くなったらまた持ってくるし」
「それは有難いんだが」
「あ、米俵じゃ邪魔だった? もっと小分けにした方がいい?」
「いやそういう訳ではなく、その、君はこれからも定期的に家に夕食を食べに来るということなのか?」
そういう宣言に聞こえたが気のせいか。今まではフラフラと時折食べにくる、といった様子だった。それが確実に数日に一度は食べにくるようになるということなのか。
俄かに混乱しながら尋ねると、ジンソクは何を今更という顔をしていた。
「ヤスツナの飯美味いから、正直毎日食べにきたい」
その解答はずるいのでは。

貰った米俵を開け、追加で炊飯器のスイッチを入れた。大飯ぐらいが早速夕食を食べていくのだそうだ。そうなればご飯が足らないのは明白だ。食べに来るなら来る出先に連絡してくれれば炊いておけるんだが、とぼやくと「明日からそうする」と言われた。どうやら明日も来るらしい。
炊けるのを待つ間に買い物に出かけた。ご飯もだが、おかずも二人分となると足らない。ならいっそ明日以降の分も含めて買いに出る方がいい。
食材を買っている隣りで、ついて来たジンソクがきょろきょろ周りを見回している。なんだか落ち着かない。誰かと食材を買い出しに行くことなんてないのだ。そもそも誰かと出掛けることすら滅多にないのだ。購入する食材食材に「それ何」と聞かれることもなければ、買った食材を詰めた袋を「持つよ」と言われたこともないのだ。そわそわする。
家に戻った頃には妙に疲れていた。ただの買い物でどうしてこうも疲れるのだろうか。冷蔵庫に食材を押し込んでいる後ろで、袋を持ったジンソクが棒立ちになっている。何をしたものか分からないようだ。彼の私生活が透けて見える気がした。ちょっとばかり不安になる。冷蔵庫という概念はあるんだろうか。
冷蔵庫が食材でぱんぱんになる頃にはご飯が炊けていた。炊き立てのご飯はどうしてこうも食欲をそそる匂いがするのだろうか。元々減っていた腹が一層減ってくる。因みに空腹感はジンソクの方が圧倒的らしく、炊飯器から立ち上る湯気をまじまじと見つめていた。今にも涎が垂れてきそうだ。食器棚からどんぶりを取り出してジンソクに向け差し出す。
「今からおかずを作るから、少し待っててくれ」
「なにこれ」
「どんぶりだ」
「それは見りゃわかるけど、で?」
「お茶碗じゃ間に合わないだろ。君用に買っておいたぜ」
「天才かよ」
「よせよ、褒めてもこれくらいしか出ないぜ」
卵二つとしゃもじを渡すとジンソクは目を輝かせて、いそいそとご飯をよそい食卓の方へ行った。ご飯の前にどんぶり一杯食べたからと言って彼にとっては何でもないことはこれまでで学習済みだ。お腹が空いたと台所をうろうろされるよりはよほど健全で安全である。つまみ食いも防止できるしいいこと尽くめだ。と考えながらこれまた何かおかしい気がした。
まあいいかと置きっぱなしにしていた包丁を握った。
買い足した材料で当初の予定通りのメニューを作った。鮭と野菜で一品と、あとおひたし。おかずの量は普通の二人前だ。ジンソクはおかず一口お茶碗一杯食べる。そこは有難い。
おかずが出来上がるまでにどんぶり二杯分の卵かけごはんを食べていたが、それでも平然とおかわりを数回要求された。炊飯器を抱えて食べた方が早いのでは、と思いながらどんぶりにご飯をよそってやる。
食べながらしきりに美味いと呟くのがジンソクのずるいところだ。急速に消えていくご飯だとか、なんでこいつは家に飯を食いに来ているんだろうとか、全部どうでも良くなって、次はもう少し凝った夕食にしようという気になる。
お皿の上もも炊飯器の中身も綺麗さっぱりなくなって、満足そうに「ごちそうさまでした」と言われると悪い気はしない。むしろやりきった気分になる。
「今日も美味かった」
「お粗末様」
「あーでも腹いっぱいになったら眠くなってきた」
「そうか、なら今日はもう帰るか?」
「帰るのめんどい、泊まっていい?」
「とまる」
「泊めて」
「……家にか」
「他にどこに泊まるわけ。嫌なら帰るよ」
「嫌じゃないが」
しかし何故だ、と考えている間に「じゃあ俺が洗い物しとくから、ヤスツナは先に風呂入ってこいよ」と言われる。食器が重ねられて流しに運ばれる。ジンソクの背中を見送る。「じゃあお言葉に甘えて」と先に風呂に入る。
この違和感はなんだ、と考えながら湯船に浸かった。ぽかぽかしてむしろ思考がまとまらない。しっかりと温まり出てくると、入れ替わりにジンソクが風呂場へ向かった。あ、と呼びとめて着替えを貸してやる。
髪を乾かしながらぼんやりしていると、やたら早くジンソクが風呂を上がってきた。まだ髪を乾かし終わってすらいないのに。烏の行水という言葉を思い浮かべる間にも、ごうごうとドライヤーが温風を吹き出し続けている。それにしても自分のTシャツをジンソクが着ているのが妙な光景に思えた。なんでこんなことになったんだったかと、ジンソクが降って来た日のことを唐突に思い出した。
こんなに近く、手を少し伸ばすと触れてしまうくらいの距離に他人が居る。自分の家という完璧なプライベート空間に他人が居ることすらまずないのだ。それでどうして、寝食を共にすることになったのか。基本が単独行動のヤスツナとしては十分異常事態だった。
「そういえば、家には来客用の寝具がないぞ」
「マジ」
「人を泊めることがないからな」
「へえ」とジンソクは今日二度目になる顔をした。
「どうして楽しそうにしているのか分からないが、どうする。もう少し早く気付くべきだったな。すっかり失念していた」
「あー、じゃあ取って来るわ。ちょっと待ってて」
言い残すとジンソクの姿が消えた。
幻だったみたいに居なくなる。ドライヤーのスイッチを切ると、さっきまでと比べると部屋の中が静かに感じられた。本当に幻だったのでは、と思うくらいだ。この光景を見るのは初めてではないが、プライベートな空間で見ると凄絶だ。ジンソクなんて居なかったのかもしれないと、考えずにはいられない。
考えてみたところですぐにジンソクは戻ってきた。部屋の中の全く同じ場所に現れる。手ぶらだ。
「どこかに行ってたのか?」
「布団取りに行ったんだけどさ、うちベッドだった。流石に持ってくるのやめた」
「ベッドならそれがいいな。うちは敷布団だ」
「ふうん、じゃあ問題ないか」

これのどこに問題がなかったのだろう。
そうヤスツナは真っ暗な部屋の中で思った。
横向きに寝そべり、ちょっと手を伸ばすと指先が畳に触れる。足先も同様だ。背中には人の気配がする。まあ同じ布団にジンソクが寝ているのだから当然だ。
ベッドじゃないならけり落とされる心配もないし一緒に寝ても問題ない、別に畳でも寝れるから畳でも良い。とジンソクが言ったのが発端だ。
いや流石に客を畳の上で寝かせるわけにはいかないだろうと反論すると、泊めてと言った身で家主を畳みに寝かせるわけにもいかないだろと更に反論され、少々の小競り合いを起こした後、意外とあっさりとこの形に落ち着いた。「一緒に寝たら問題ないな」とジンソクが言ってヤスツナは頷いたのだが、やはり問題はあった気がする。
それに気配だけではないのだ。実際に背中に触れている。多分腕だろう。寝巻越しに柔らかに体温が伝わってくる。静かな部屋の中にすやすやと寝息が響いてくる。もしやもう眠ったのか。こっちはまるで眠くなって来ないというのに。
これはとても今更だが、気のせいでなければさっきジンソクは一度自宅に帰ったはずだ。
布団取ってくると言った後間違いなく家に戻っている。そもそも彼の能力はそういうものだ。瞬時に遠くに移動できる。眠いからと言ってヤスツナの家に泊まる理由がない。家に帰ればいい。それどころか実際に帰っている。なのにどうして戻ってきたのか。自宅のベッドで一人優雅に眠ればいいところを、なぜこうして二人で狭いところで窮屈に眠っているのか。いや、さほど窮屈ではないが。
「なあ」と声を掛けようと後ろを振り向くと、予想外に近いところにジンソクの顔があり思わず悲鳴が出そうになった。いつの間にか寝返りを打ちこちらを向いていたのか。随分安らかな顔をして眠っているものだ。小声で「じんそく」と呼びかけるが反応はない。きっちり寝入ったようだ。
眠ってしまったなら仕方ない。目を閉じ眠ることに勤める。
寝ようと思ったのだが、目を閉じたことで直ぐ後ろから聞こえてくる寝息がよりはっきりと耳に入る様になった。一層気になって仕方ない。再び目を開け、体の向きを変えてジンソクの方を向く。起こさないように気を付けながらジンソクの肩を押す。
頼むからあっちを向いて寝てくれ。
肩を押してころんと頃がし背中合わせになって眠る、はずだった。しかし眠っているくせにジンソクが逆らってくる。ううんと唸ると体を丸めてむしろ近付いてくる。
「ちかい!」と思わず顔を手で阻む。流石に起こしてしまったかと思ったが、起きなかった。少し眉間にしわを寄せたが目を閉じたままだ。ほっと息を吐いたのもつかの間、手を噛まれた。詳しく言えば、ジンソクの顔を覆っている左手の人差し指を、噛まれた。
むぐむぐ唸っているので何か食べている夢でも見ているのか。取り乱しそうになるところを耐え「俺は食い物じゃないぜ」と手を引きはがそうと試みる。なんとか指を救出しほっと息を吐く。なんとなく歯形がついている気がする。今度は溜息を吐くと、目の前でジンソクの目がぱちりと開いた。いきなり目が合ったので心臓が止まるかと思った。
起きたのだろうかと考えながらしばし見つめあう。ジンソクが瞬き一つしないのが少し怖い。じいっと見詰められる。なんだかドキドキしてきた。
少し間を置いた後やっと瞬きをしたかと思えば「なんだヤスツナか」と言ってまた目を閉じた。
また直ぐに寝息が聞こえてくる。いったいなんだったんだ。心臓が煩いし噛まれた人差し指が痛いし散々だ。嘆息し、ジンソクの寝顔を眺める。気持ちよさそうに眠っていて羨ましい。ああこのあとどうやって眠ろうか。ためしにもう一度目を閉じてみるが、やはり気になって仕方ない。目を閉じているのに視線を感じる気がする。
この後ジンソクの背後に移動して眠るという方法に気付くまで、もう暫く起きていた。

朝やたらと早く目が覚めたので少し手の込んだ朝食を作った。妙な疲労感に体が包まれているが、朝の風はひんやりと吹き抜けて心地よかった。早朝の暗闇が明け方の色に塗り替わっていくのを見た。
台所で黙々と支度をする。ほぼ無心だ。もしかすると人生史上最高傑作の味噌汁が出来たかもしれない。自画自賛に浸っていると炊飯器から炊き立てのご飯のいい香りが漂ってきた。ふとと思い立ちおにぎりを握った。少し大きめの物を四つほど。これ以上ご飯を使うと朝食に響く気がする。しかし夕食を食べに来た時はあればあっただけ白米を食べるが、朝はどうなのだろうか。朝はあまり食べられないというタイプも居るが、ジンソクはどうだ。まあ余ったらおにぎりを増やせばいいだけだ。
朝食の支度が終わったのを見計らったかのようにジンソクが起きてきた。寝癖がはねている。
「おはよう」と声を掛けると「おはよ」と返ってくる。どうしてか妙な気恥ずかしさを感じた。誤魔化すようにけほりと咳をする。そういえば人差し指の歯形は残らずに済んだようだ。朝起きた時には跡形もなかった。
「朝飯出来てるけど食べれそうか」
「食う」
「ごはんは」
「いつも通りで」
ということはどんぶりで出していいということか。
これでもかと盛り付けて、彼の目の前に置く。ついさっきまで寝惚け眼だったのだが、朝食の匂いを嗅いで目が覚めたようだ。ぱちりと目を開けると、両手を合わせて丁寧に「いただきます」と言った。
その後はただ白米が飲み込まれて消えていくばかりだ。食べているというか、消えている気がする。すぐにおかわりを要求される。ヤスツナはまだ茶碗三分の一も食べていないというのに。しかし白米を食べる合間に味噌汁をすすって「めっちゃうまい」と言われては悪い気がしないので安いものだ。
「今日はこの後仕事か?」
「そ、食べてちょっとしたら出る」
「そうか。おにぎり握ったが持っていくか」
「マジで」
「嫌いな具とか無いよな」
「ない。つかマジで言ってんの」
「なんだ、要らないのか」
「いる、すげえ要る」
「ならいいんだが」と机の隅に置いていたおにぎりの包みを渡す。どんぶりを手放さないまま器用に受け取ると、ジンソクは目を輝かせた。今にも食べそうだとはらはらしたが、きちんと自分の横に置いた。置いても目がおにぎりを見ている。凄い熱視線だ。
本当にご飯が好きだな。飯が美味ければなんでもいいのか。なんてことを考えていたら、熱視線がこっちに向けられた。目がきらきらしている。視線は確かに、ヤスツナを見ていた。
「三食ヤスツナが作る飯食える最高だな。俺もうここに住みたい」
呆れて一呼吸飲み込んだあと、半ば叫んだ。「君は本当にズルいやつだな!」