ちょこれいとで作る甘くない焼き菓子

(主+ゆか)100214

 

 

土曜日の夜。ゆかりは自室でマニキュアの色を選んでいた。何色かあるが、圧倒的にピンクが多い。ピンクでも淡い色、濃い色、ラメ入り、と数色ありどれにするかは悩むところだ。
平日はほんのりと色づく程度の、血色が良いだけに見えなくもない色のピンクを塗っていたが明日は休み。折角の休日なので、お洒落で可愛い色を塗りたい。
「って言っても予定は何もないんだけどねー」独り言を呟き、ラメ入りの赤に近いピンクの小瓶を摘み上げた。
左手の爪を全て塗り終わったところで手をひらひらとさせる。乾くまでの時間は退屈ではあったが、好きなピンクに彩られた手を眺めているのは好きだった。
そろそろ右手にも取り掛かろうかと言うところで携帯電話が鳴った。メールの様だ。差出人は緒張深月。
『件名:
本文:明日用事ある?』
彼からメールが届くこと自体珍しく、そしてこの内容。何かのお誘い、ととってもいいのだろうかと意図せず鼓動が早まった。
ないよ、という意味の内容を少し可愛くデコレーションして返信。
右手のマニキュアをどうしようか、塗ろうか待とうか、と考えているうちに再び受信。
『件名:Re:
本文:お菓子作れる?』
予想外の方向からの返信で少し戸惑うと同時に何だが拍子抜けした。
用事ある、ないよ、の次がお菓子作れる? ってどういうことなの。
仕方ないので一旦、種類によるかな、と返信。でもカレンダーをふと見てもしかしたらと思う。もしかして? でもお菓子”作れる”ってどういうこと?
ぐるぐると思案しているとメールの着信音。今度は前より少し時間が空いた。
『件名:Re:
本文:チョコを使うタイプの。焼き菓子とか』
チョコ、の文字にはっとしながらも返事を打ち込んでいく。チョコで焼き菓子なら、チョコクッキー、チョコパウンド、ブラウニーとかそのあたりだろうか。
その後少しのやり取りを重ね最後に、じゃあおやすみなさい、とメールを送る頃には明日一緒にチョコパウンドを焼く約束を取り付けられていた。
何故こうなった?
今更ながら混乱し、机に置かれたピンクのラメ入りマニキュアと何も塗られていない右手を交互に見た。お菓子を一緒に作るなら、マニキュアは塗っていない方がいいのかもしれない。折角の休みだしお洒落をしようと思ったが仕方ない。
結局塗ったばかりの左手のマニキュアを落とした。

「おはよう、ゆかり」
「……おはよ」
日曜日の昼過ぎ、約束の時間。深月は一足先にラウンジのソファに座っていた。
昨日あれから、ところで自分の頭の中にあるチョコパウンドのレシピが正しいのか不安になってきて調べていたりしたら遅くなってしまった。起きたのは二時間ほど前で、身支度を整え朝食兼昼食を取っていたらあっという間に待ち合わせになっていて、変に心の準備をする時間がなかった。
構えたところで別に何かある訳じゃないし、と大きく息をつき気持ちを切り替える。今日は材料を買いに行くところから始めるので、必要な材料と分量を書いたメモを差し出す。
「取り合えず買出しいこっか」
そういえば私は、何で彼にチョコを用意しなかったんだっけ。

「それでは作りたいと思います」
「よろしくお願いします」
近くのスーパーで一通りの材料を手早く揃えて寮に戻ってきた。作る工程が圧倒的に長いのでそこはぱぱっと、特筆すべき点もない程度に。
寮のキッチンは殆ど誰も使わない割りにやけに設備も道具も充実していた。使われていないはずなのに手入れも行き届いていて不思議に思う。気付いていないだけで誰か使っているんだろうか。
まずはチョコを量りまな板の上に、砂糖を量り生クリームと合わせてボールの中に。並べて置いて深月に問いかける。
「どっちがいい?」
「どっち、というのは先生」
「え、ちょっと先生って何よ」
「教わっている身だから」
「……まあいいや。チョコ刻むのと、生クリーム泡立てるの」
「どっちが大変?」
「どっともそこそこ大変」
「……先生の判断にお任せします」
「じゃあチョコ刻んで」
そちらの作業を勧めたのは、どっちも大変とはいったけど、ゆかりとしてはチョコを刻むほうが重労働だったから。
深月がどっちが大変か聞いたのは、楽な方の作業がしたかったからではない事は分かっていたし、お言葉に甘えた、ともいえる。
やはりチョコを刻むのには彼も手こずるらしく、包丁とまな板とチョコがガタガタ言っている。それを横目に生クリームをぐるぐるとかき混ぜる。
(なんか、変なの)と改めてこの状況に対する感想を心の中に浮かべた。やっぱりどう考えたって変。日曜日の昼間に二人で並んでチョコパウンドつくり。それも仮にも男女。わたしと、深月くん。どうでもいいが口癖の深月が一生懸命、チョコを刻んでいる。変な光景。その隣で生クリームをあわ立てる自分も相当変だと思った。
それに今日は、バレンタインデーなのだ。
「出来上がったら、誰かに上げるの?」
「いや……そういうわけじゃ」
「じゃあ何で、作ろうって思ったの」
「……いつか、作ってあげたい奴がいるから、かな」
それはだれのこと。
なんて聞けなかった。聞くのが怖い、とかそういうのではない。聞いてはいけない、そう、思った。
「チョコ刻むのって意外と難しいんだな」
「、でしょ」
ゆかりは笑った。追求はやはり出来なくて、チョコを刻む深月の、前髪に隠れて表情の読めない横顔を眺めることしか出来なかった。

何事も無表情でそつなくこなす深月なだけあり、作り方を教えるのはさして大変な作業ではなく、とんとん拍子に工程は焼きに入った。
オーブンに入れて道具の片付けまで済ませてしまえば、後はやる事は焼き上がりを待つ事くらい。
ラウンジで材料の一部にもなったココアを飲みながら寛いでいると順平が外から帰ってきた。
「あっれ珍しいなー。ラウンジで二人しているなんてさっ」
「順平こそこんな微妙な時間に戻ってくるなんて珍しいじゃない。晩ご飯食べないで帰ってきたの?」
「もー聞いてくれよー。そりゃ晩飯まで食うつもりで友近と出掛けてたんだけどよ、町中どこ見てもカップルカップル……。こんな男二人連れでやってられかー! つって戻ってきたわけよ」
「あー、はいはい」
「帰ってきたら帰ってきたでラウンジで一組の男女が寛いでいるわけですが。全くもーどーなってんだ今日は! くっそー!」
「はいはい」
「ゆかりっち冷たい。てかさ、なんか良い匂いしねえ?」
「今チョコパウンド焼いてるから」深月が答えた。
「えっマジで。チョコパウンドって何バレンタインとかそういうの? くれんの?」
「順平用じゃない」
「デスヨネー」
明らかに残念そうな顔を見せながら順平は空いている席に腰を下ろした。そのまま手にしていた書店の袋から雑誌を取り出しページを捲り始める。
「……順平、部屋に帰んなさいよ」
「え?」
「何さも当然のように混ざろうとしてるのよ、って言ってんの」
「いやーははは。ここに居たらおこぼれ頂戴できるかなーってな」
「あんたね……」あきれてため息が零れた。
順平は結局戻らないつもりの様で、完全に腰を落ち着け雑誌を読みふけりだした。どうにかして追い返してやろうか、と画策していると深月が椅子を引き立ち上がった。手には空になったマグカップを持っている。
「もういい時間じゃないかな」
「あ、本当だ。もう焼けてるね」
「なになに、出来上がったってー?」
「着いてこないでよ。邪魔になるから」
きりっと睨むと順平は口を尖らせながら両手を挙げた。お手上げ侍。っていつ聞いた台詞だっけ。
ゆかりもマグカップを片手に席を立ち、先に台所へと向かった深月の姿を追った。

チョコパウンドの出来は上々だった。初作品にしては上等すぎるくらい。甘くていい匂いがする。空腹が刺激される。とても美味しそう。
「美味しそうだね」
「うん」深月はどことなく満足げだ。
「そういえば、これどうするの?」だれかに、わたすの? と続けると首を振った。「今日は試作品だから」
一瞬ほっとして、直ぐに後悔した。バレンタインに彼手製のお菓子をプレゼントされる羨ましい相手は居ないらしい、とほっとして。それからいつか作ってあげたい相手の話を思い出して後悔した。
その相手が羨ましくて、嫉妬して、後悔したのではない。
触れてはいけないって思ったことを忘れていたのを後悔した。
自分を呪いながら深月を伺い見れば、何故か少し、笑っていた。
「折角だし、食べようか。ゆかり、お腹空いてる?」
「う、うん」
「じゃあ紅茶淹れておやつにしよう」
「でも二人で食べるにはちょっと多いよ」
「順平にも分けるか……」
「どうせまだラウンジに居るだろうしね」
「あと、寮のみんなにも分ける? ゆかり、美鶴先輩に持ってったら」
「え、桐条先輩? でも殆ど喋ったことないし」
深月ははっとして、それから目を伏せて申し訳なさそうにした。
「ああ……そうか」

それからチョコパウンドは切り分けられ、半分はゆかりと深月と順平のおやつに。もう半分は寮生に配られることになった。
他の寮生とも面識のあると言う深月が今配りに行っている。
「ゆかりっちがバレンタインの為に作ってるんだとばっかし思ってたけど、作ってたのあいつの方だったんだな」自分の分を綺麗に平らげた順平が言う。
「教えてって言われてさ。私もびっくりしたよ」
「で、誰にあげるでもなく結局みんなに配って終わりか。相変わらず良くわかんねーなあいつは」
「ホント」
小さく切り分けて口に運んだチョコパウンドは絶妙な甘さで美味しかった。レシピ通りに作ったのだから当たり前といえばそうかもしれないが、それにしてもやはり深月は器用だ。なんでもそれなりに、そつなくこなす。
異様な視線を感じて視線を移動させると、順平がこちらを覗きこんでいた。
「……なによ」
「いや、おれっちてっきり深月にあげる用のチョコをゆかりっちが作ってると思ったけと違ったじゃん。ゆかりっち深月にあげねえの?」
「バカね。彼、今年誰からもチョコ貰うわけないじゃない」
とスルンと口から出て、驚いた。何でそう思っていたんだっけ。
「え」と順平が首を傾げて、つられて私も目を丸くして、どうして、と頭が混乱していると丁度深月が戻ってきた。
「もう食べ終わったのか?」
「あ、私はまだ」
「そりゃもう美味しく頂きましたともー。お前パティシエ目指せるぜ」
「大袈裟だな」
深月は椅子に掛けると、取ってあった残りのチョコパウンドをほお張っていた。彼も味には満足したようで、分かり辛いながらも顔を綻ばせている。その顔を見ると手伝えてよかったと素直に思える。
ただ何かが胸につっかえてもやもやとする。最後の一切れを口に含んだ。甘い。甘いのに、何か、苦い。味の問題ではない。
「片付けはしておくから。ゆかり空いた皿貰える?」
「え、いいよ私も片付ける」
「教えてもらっただけで十分。あとはやっておく」
「……そっ、か」
深月は頷いて、空いた皿とカップをトレーに乗せて立ち上がった。
「ゆかり、有難う」
「、どういたしまして」
台所へと消える深月の背中を見送る。
何で私は彼へのチョコを用意しなかったんだっけ。
彼は誰に送るチョコを作ろうとしていたんだっけ。
どれも思い出すのはもう少し後の話になる。

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