小ネタ

(ブラロド)

 

 

三歩前を歩くブラッドが、くあ、と欠伸を零した。
腕時計を確認する。時刻は六時三十分。進む廊下の窓からは、薄く目映く朝日が差し込んできていた。それがちかちかと目に染みる。さて、朝日が苦手になってからどれくらい経っただろう。最早思い出せもしない。
ブラッドが床を踏む度、石の壁に足音が反響する。一歩進む度、羽織った外套の裾がぱさりと揺れる。この後姿がとても好きだった。後ろを着いて歩ける、そういう立場に置いてもらえていることを誇っていた。
彼の携える剣が、時折外装からちらりとのぞき見える。今は鞘に収まっているあれを引き抜き、振るう姿は何年、何千年経っても美しかった。過去から現在、つい先程の光景も、瞼の裏に鮮明に写る。
「それにしたって、クロノも人使いが荒くなったね」
「元からの様な気もしますが」
「さすがに初めは、もう少し遠慮があったよ」
「どうだったでしょう」
一つの部屋の前で、ブラッドが立ち止まる。その背を追い越し、ポケットから鍵を取り出し扉を開けた。きいと音を立て開いた先、部屋の中はそれなりに広い。調度品も整えられている。所謂、客室だった。
黒の牙頭目の仕事を時折手伝う、という条件でこの一室を借り受けている。二人で一部屋だが、特に窮屈もない。
丁度先程までその頭目、クロノから依頼された仕事をこなしに外へ出ていた。討伐の類の仕事は楽でいいが、確かにこのところ頻度が高い様にも思う。ブラッド共々暇を持て余している身なので、断る通りもないのだが。
部屋に入るとすぐ、ブラッドが外套を脱いだ。いつものようにそれを受け取る。窮屈だとでも言うように、スカーフも首から引き抜いたので、それも受け取った。まとめて腕に抱えると、ブラッドはまた眠たそうな吐息を零した。
昨日はいつもよりも早めに起き、仕事に出掛けた。この時間に眠たくなることも道理だろう。もとより夜型の人だ。それはクロードも変わらない。同じように少し、眠たかった。
直ぐに眠りますか、と声をかけようとしたのだが、言葉は出なかった。
気付けば間近に、赤色の瞳があった。零したばかりの血の色のような、鮮やかで艶やかな瞳に覗き込まれている。その赤を引き立てるような白く長い睫毛が、ふわりと揺れる。押し付けられた唇は、触れて、直ぐに離れた。
僅かに離れた彼の顔には少し、不満だとかそういうものが浮かんで見える。クロードはそれに、瞬きを返すことしか出来なかった。
「慣れというのは、時につまらないものだね」
「……はあ」
「昔は驚いて咳き込んで、血を吐いたりして、私を困らせてくれたものだけれど」
「いったいいつの話をなさっているんですか」
「はは、とても前だね」
今度は愉快そうに笑い、腰を抱き寄せられた。そのまま二度目の口付けをされる。先程よりもじっくりと、ゆっくりと。
両腕に物を抱えているせいで、抗うことも応えることも、いまいちままならない。ただ相手の好きにされるままだ。しかしそれは今回に限った話でもないかと、早々に身をゆだねた。
慣れた、と言われれば確かにそうだろう。けれど何も感じなくなったという訳ではまるでない。するりと背を撫でられれば肩も揺れる。
「んん……やはりねむたいな」
「、もう朝ですし。当然かと」
「君がもう少し面白い反応をしてくれると、目も覚めるような気がするんだが」
「素直にお休みなられたらどうですか」
「全くつれないなあ」
はあ、と溜息を一つ吹きかけられ、体が離れる。部屋の奥へと進んで行ったブラッドは、カフスボタンを外すとテーブルの上に転がした。
抱えていた外套を、ハンガーにかける。合わせてクロードも羽織物一式を脱ぎ、並べてかけた。
身軽になった後チェストを開け、二人分の寝間着を引き出す。クロノが浴室に湯を張ったと言っていたはずだ。行きますか、と声をかける前に、後ろからひょいと着替え一式を抱え上げられた。
振り向くと、すっかり軽装になったブラッドが立っていた。
「湯あみをしたら眠ろうか」
「……はい」
「本当は君を構いたくて仕方がないのだが、如何せん眠たいからね。起きてからにしよう」
さて行こうか、と歩き出した背中を少しの間、呆然と眺めた。
着替えは二人分持って行かれてしまった。そういうことはこちらでやるから良いのに、という冷静な気持ちが半分。手持無沙汰な両手をどこへやればいいのか、という戸惑い半分。
立ち尽くしていれば「クロード」と振り向いて呼ばれる。
「早くおいで」
急かしながらも穏やかで、少し眠たそうな声に呼ばれる。「はい」と答えれば、彼は笑って目を細め、また背中を向けた。
慌てて一歩を踏み出す。やり場のない手の片方を、頬に添える。
廊下に出ればまた、目がちかちかと眩んだ。
頬が熱い。