小ネタ

(クロジュリ)
 
 

 日差しに匂いがあるとしたら、こんな匂いなのだろう。そんな匂いを嗅いでいた。
 草の青い匂い。土のひやりと生っぽい匂い。木の皮の匂い。
 白く靄のかかった青い空が、木の葉の折り重なりから覗いている。雲が流れていくと、時折日差しがちかちかと光る。寝そべった背中には冷たい土の感触。足先の方の土は日差しに温められていてぬるい。素肌に触れる短い草がこそばゆい。大して物の入っていない麻の鞄は枕には少しごわつく。
 ああヤダヤダ、と出そうになる溜息をひっそりと飲み込んだ。
 木陰、木漏れ日、青い空、草の匂い、昼寝。なんて平和ボケした言葉の群れだろうか。
 そのような状況に身を置いているという現実が一番、信じ難い。鉄の匂い硝煙の匂い暗闇、靄だとか、そういうものは何処にやってしまったのか。
 旨くもない栄養補給の塊を口に放り込み取るわずかな仮眠でもなく、焼きたてでふわふわのパンに勿体ないくらい新鮮な野菜を挟んだ昼飯を食べ、時間があるから眠る。だなんて、いったい、どこの世界の出来事なのだろう。
 この状況を作り出した犯人は、すぐ近くに座っている。少し首を傾け、その背中を伺いみる。白いシャツ黒いスラックス、そこから飛び出す変な形の尻尾のある、後ろ姿。
 クロノは今、愛用している銃の手入れをしている最中だった。使い方によっては一撃必殺の威力を出せるようなのだが、普段はただの銃程度にしか使ってない、彼の二丁の武器。
 丁寧に長く使い込んでいる様子があった。傷はあれど、大きな破損は見られない。それが彼の戦闘スタイルに寄るところなのかどうなのかは、まだ分からない。逃げ道があるならさっさと逃げる戦い方は、未だ理解が及ばずにいる。ただ、走るぞといった彼の背中を追って、逃げきれなかったことはない。
 その、彼の背中。
 白いシャツと、丸まった無防備な背中。
 この人が何を考えているのだかは全く分からない。まだ自分とこの人はごく浅い付き合いだ。
 それでそうして背中を向け、平然としている意味が分からない。今この手の内に銃があったらすぐに殺せるに違いない。そんな背中。まあ撃って、当たったところで、不死の咎は彼を死なせないのだろうが。
 彼にとっての死の定義とは、いったい何なのだろう。
 そんなことを考えていると、急に馬鹿らしくなった。
 スラックスから出ている尻尾がゆらゆら揺れている。なんてのんきで馬鹿らしい光景なのだろう。自然とため息が出そうになる。
 そもそも「昼寝でもしていろ」とここに寝かせられたことからして、馬鹿らしい限りなのだが。
 夜になったら体力が必要になる仕事があるのだったら、その指示も頷ける。だがそんなものはない。今日は街に降りて様々なものを換金しただけだ。自分はただの荷物持ち。そして今はその帰り。休息が必要なほど疲れてもいないし、体力を温存するほどの予定もない。
 ショック死しそうなほどの平和さだ。
 匂いしそうなほど穏やかな日差しも、土と草の感触も、すべて。唯一それらしい現実を感じさせるのは、クロノが銃を組み立てる音だけだ。
 あまりの馬鹿馬鹿しさに、思い切って目を閉じる。木漏れ日が瞼を透けてなでる。すぐそばに置いてあるカノッサを手繰り寄せるように手を伸ばす。
 指先が触れた瞬間、感触が何故か遠ざかった。
 ありえない状況に目を見開き飛び起きる。飛び起きたといっても、上半身を起こす程度にとどまったところが、自身の平和呆けを表していたと思う。気付いてしまうとそれなりにショックであった。
「どうした」と、クロノが暢気そうに、怪訝そうに、おかしそうに笑っていた。
 カノッサは彼の手の中にあった。何をしたいのかを測りかね言い淀む。彼と彼の手の中へ視線をやる。クロノは肩をすくめ、そしてカノッサを少し離れたところに置いた。
「……ちょっと、返してくださいよ」
「お前がこんなところに置いておくのが悪い」
「意味わかんないんですけど」
 身構えていれば、あろうことかクロノはそのまま寝そべった。先ほどまでの自分と同じように。それもすぐ横に。並ぶように。
「は?」と思わず声が出てしまう。「何してんですか」
 理解ができず、そう問う。クロノは一瞬こちらを見て「昼寝だが」と答えると目を閉じてしまった。意味が分からない。
 問への明確な答えではあったが、理解はできない。そのままじっとしていれば「お前も寝ておけよ」と声をかけられた。
 その指示に従うという気は、もちろん起きなかった。閉じた瞼に向け、じとりと、少しの視線を投げる。
 真意が分からない。ひとまずクロノの体をまたぎ手を伸ばし、カノッサを取り戻した。カノッサの目が戸惑ったようにこちらを見る。そう思う。俺だってそう思う。小さく苦笑を返してそれに答える。
 カノッサを手の届く場所に置くと、少し気分が落ち着いた。恨めしいような気持ちになりながら、再度クロノへと視線を落とす。目を閉じている。眼鏡は掛けたままで、銃もホルダーに収まっていた。それでもとても、のんきな寝顔に見えた。
 黒の牙に潜入すること幾日か。この人のことは未だまるで分からない。何を考えているのだか見当もつかない。
 けれどもしかしたら、何も考えていないのでは、なんて思ってしまう瞬間も幾度かあった。そして今がその、幾度目か。
 呆れてため息が出そうになったところで、急にクロノが目を開けた。
 その視線がしっかりと、こちらを見据えていたので怯む。何か見透かされただろうかと、心臓が鼓動を早める。冷静を装って瞬きをする。
 真直ぐにこちらを見るときの彼の視線は、射ると表現して差し支えない力を持っていた。それが少し怖い。見えない物でも見られているような気がしてしまう。
 視線の圧力に耐えかねて「あの、」と声を出そうとした瞬間、クロノが口を開いた。
「晩飯用にバハムートンでも狩って帰るか」

 

 

(お題箱:陽射しが降り注ぐ草むらに寝そべりながら先輩の息の根を止める算段を企てなければならないジュリエットと、何も考えていないようで今日の夕ご飯のことを考えている先輩のクロジュリ)