百年の末

(ブラロド)
 
 
 
 

「君が目を覚ますまで、待っているよ」
 そう声をかけて眠る彼の横に座ってから、どれほどの時が過ぎただろう。
 分厚いカーテンに守られた、暗きにこもる彼の寝室。カーテンが閉じられているのは、この部屋だけではない。ほぼすべての部屋。カーテンがある場所はすべて。陽の光の差し込まない私の古城。深い闇の中で眠るクロードの姿。
 長く眠るために誂えた寝具。柔らかな枕。白いシーツ、分厚い毛布。寝台の横に置いた革張りのチェア。そこに私は腰かけ、背を預け、停滞した時間の中で時折瞬きをする。
 闇に順応する瞳には、景色がはっきりと映っている。カーテンの模様。シーツの皺の寄り方。毛布の毛羽立ち。クロードの、動かないまつ毛の影。
 時が止まったかのような部屋の中では、呼吸が必要だという現実さえ忘れかける始末だ。それでも私は何をするでもなく、ただ座っていた。思い出したように立ち上がり、窓を開けることもある。仮にも生きている私の存在が、時をゆっくりと進めていく。それが溜まると、換気をしようと思い立つ。
 そろりと部屋を出て、廊下のカーテンをめくり時間を確認する。深い夜の色をしていたならば窓を大きく開ける。クロードの部屋に戻り、奥の窓をほんの少し開ける。そうして空気が流れ、また時がリセットされていく様を眺める。すっきりきれいになったと思えたら、窓を閉める。勿論、朝が来る前に。
 陽の光が弱点という訳ではなかった。ただ眩しいものは好みではなく、夜行性と言って差し支えない生活を送っていた。夜目も良く効いた。だがそれは、オリジナルである私のことだ。これからクロードが何になるのか、正直なところ、分かっていなかった。
 私のことを吸血鬼と最初に呼んだのは、さて誰だったろう。
 傍から見れば、そう見えるのかもしれない。血は食べ物の一つとして認識している。そうすれば、そうなるのかもしれない。ただ噂話の中の吸血鬼というのは制約が多く、脆い生き物のようだった。私もそれくらい脆ければ、とっくに死んでいたはずだというのに。
 ともかく、私は不安になった。もしクロードがその巷で語られる吸血鬼像に当てはまって目を覚ましたら。そう思うといてもたってもいられなくなり、すべてのカーテンをきつく閉じた。
 椅子に座ることに飽きると、ベッドにもたれかかって眠った。クロードが目を覚ました時、一番に姿が見えるような場所に少し伏して目を閉じる。本当は起きていて迎えたいのだが、どうにも眠たくてたまらなくなる瞬間があった。
 未だぴたりと閉じられたままの瞼を眺め、少し指先を伸ばし、彼の髪に触れる。何か声をかけようか悩んで、思いつかないまま目を閉じる。うとうとと眠りに落ちる。
 そうしていったい、どれほどの時が経ったのだろう。
 ことの始まりは、人の身であったクロードが、自身の有限を嘆いてはらはらと泣いた時だった。よく吐血するような子であったが、存外忍耐強く、泣く姿を見たのは十数年の時間の中で、あれが初めてだった。私はひどく驚き、取り乱したことを覚えている。取り乱すなど、いったいどれ程振りだっただろう。後になって、やたらと新鮮な気持ちになったものだ。鼓動という概念を失って久しいが、心臓が動いていたならばきっと、うるさいくらいに跳ねまわっていたに違いなかった。
「僕は貴方の人生の、ほんの一瞬しかお傍に居られない」
 無理が祟り丈夫とは言えなかった体、治らない吐血癖、そして何より抗いがたい老い。それらが彼に押し寄せて堪え切れず、ついにそう言葉に出てしまったようだった。なぜそこまでその事実に追いつめられるのか。その気持ちが分かるとは、とても言い難い。ただ目の前で胸を押さえ声を押し殺して泣く姿に、ひどく胸が痛んだことは確かだった。
「何になってもいい、ずっとお傍に居させてください」という彼の願いを、私は受け入れた。
 血を分け与え、人の身から生まれ変わるために眠りについたクロードに「君が目を覚ますまで、待っているよ」と声をかけ、ここに至る。
 未だ彼は目を覚まさない。ひたすらに静かに眠り続けている。失敗だったのだろうか、そんな考えも頭を過る。何をもって成功と言えるのかも、分かってはいないのだが。
 毛布の隙間に指を潜り込ませ、ひんやりとした彼の手に触れる。信心などありはしないのに、祈るような気持ちでそっと握った。温度を失った私には熱すぎるほどの体温は、もうどこにもない。すがるように耳を押し付けた胸からも、鼓動は聞こえてこない。視線の先でクロードは今も、目を閉じたままだ。
 今彼が目を覚ましたなら、きっと慌てて飛び起きるだろうに。そんな空想をしながら、ゆっくりと体を起こす。時を失ったようなこの部屋の中で、クロードもまた変わらず眠り続けている。果たしてこれを、眠っているといってもいいのだろうか。眠っていると言っても、良いのだろうか。
 冷たい手、止まった鼓動、朽ちない体。
 こんなことなら、もっときちんと彼を見ているのだった。と、何度目だか分からないことを思った。手から熱が消えたのは、鼓動が止んだのは、いつだったのか。それがゆっくりと私の元へ近づいてくる証なのか、死の傍へ歩んでいるだけのことなのか。探ることはもうできない。
 ゆるりと瞬きをする。閉じても、開いても、変化のない世界。息を吸って吐いて、少しずつ部屋の中にたまってくることで、ようやく感じる時間の流れ。分厚いカーテンに囲まれ、人の寄り付かなくなったこの古城では、外部から感じられる時の流れが失われているようなものだ。
「クロード」と気まぐれに名前を呼んでみる。すぐに返事のあったいつかのことは、もはや幻のようだ。この子が生きて、動いていた事実の方が、空想だったのではないかなどと思うほど。それほどの時間。
 それでも、きっとそう永い時ではなかったのだと思う。ただ無為に過ごしていた数千年に比べたら、ほんの僅かな時だったと思う。
 数百年目の私はついに、諦めた。
 蔵からほこりの被った棺を引きずり出してくる。一度寝台代わりに使ったのだが、結局狭くて使うことをやめてしまった。それでもこれだけの時間が流れても尚朽ちずに残っている品だ。
 積もったほこりを丁寧に払い、中も外もできる限りきれいに磨いた。それを寝室まで引きずっていく。さすがに大きく重たく難儀した。
 時の止まった部屋の真ん中に置き、蓋を開く。ありきたりに花を敷き詰めようかとも思ったのだが、花ではすぐに朽ちてしまう。朽ちた花と共にさせるなどあんまりだ。ならばせめて眠り心地の良いようにと、毛布を敷いた。「少し借りるよ」と声をかけ、クロードに掛けていた毛布を引っ張った。
 柔らかく整えた棺に向け「こんなものかな」と声を零す。音として口からこぼした一言一言が耳に届く度、胸の詰まる思いがした。痛む胸をそっとなでる。なでたところで、痛みは引かないのだが。
 息を吐き、踵を返し、寝台へと寄る。
 やさしくやさしくクロードを抱え上げると、記憶の中よりも重たかった。慌てて腕に力を込めなおす。二三歩よろめいても、瞼が持ち上がることはなかった。分かり切っていたことに落胆する胸の内に呆れ、ほんの少し、ほんの少しだけわらった。
 棺の内にクロードを横たえる。絨毯に膝をつき、彼の顔を覗き込む。もうずっと変わらない表情だ。静かに眠っているだけに見える穏やかな相形。
 頬に指を伸ばすと、ぱたりとそこへ水滴が落ちた。驚き瞬きをすれば、立て続けに水滴が増える。ゆらゆらと視界が滲み歪む。クロードの顔へと落ちた水滴を、袖口でそっとぬぐう。それから自身の目元を手のひらで覆う。
「泣いたのなんて、いつ振りだろうね」
 棺の縁に伏してはらはらと泣いた。今彼が目を覚ましたら、過去に例をみないほど驚くに違いないのに。濡れたまつ毛を持ち上げて、顔を上げ、彼を見る。知っていたけれど、世界は静かなままだ。
 涙もすっかり乾いて久しいころ、私はゆっくりと立ち上がった。棺に蓋をかぶせようと持ち上げる。だがどうしても被せられず、また床へと置いた。けれどこのままでは寒いだろう。毛布はどれも敷いてしまった。悩んだ末、羽織っていた外套を脱ぎ、彼へと掛けた。飾りの羽が彼の頬をくすぐっている。再び膝をついて、それを指先で避けた。そのまま頭を、頬を、撫で、もう一度だけ顔を寄せた。
「ああ、さようならクロード」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 目を覚ました僕は起き上がり、瞬きをする。
 なんだか少し寒く感じられ、掛けられていた見覚えのある外套を羽織った。勝手に借りては不敬だろうか、なんて考えながら。だが他には毛布くらいしかなかったのだ。
 そうして僕は、あの人の姿のない城の中を歩き回る。

 
 
 
 
 
 
 

(お題:もふもふにつつまれたりもふもふされたりなクロードくん)