小ネタ

(ブラロド)

 
 
 

 時折クロードの姿が見えなくなる。
 もとより広い城の中だ。意識的に探して会おうと思わなければ、それなりに顔を合わせないまま時は過ぎていく。
 それでも比較的、頻繁に、姿を見る。私があまり部屋を移動せず過ごしていることと、クロードは定刻通りの行動を送っていることが、上手く重なりあうからだろう。
 夕方ならば厨房、夜は掃除をしていることが多いので場所は様々、明け方には書庫、少し間を置いてまた厨房。私は概ね自室、時々何処か。昼間はお互い日差しを避けるように眠っている。
 なので、おや姿を見ていないな、と思う時は大概何かしらの異変が起きている時だ。
 今朝の食事の時間にクロードは呼びに来なかった。だがそんな日もたまにはある。大して気にすることもなく、白む空に追われるように眠りについた。一食食べなかったところで、どうということもない。
 次に目を覚ました時、時計を確認すれば、長針も短針も仲良く真上を指していた。まさか正午に目覚めたかと思ったが、もちろんそんなことはなかった。
 カーテンをめくれば、外は優しい夜の闇だ。
 いよいよ珍しいなと思い、城の中を探し始める。探すことは存外嫌いではなかった。あまりすることのない日々だ。探し物というのはそれだけで面白い。
 クロード、くろーど、と声を掛けながら部屋をのぞく。
 私室にはいなかった。以前読書に熱中して数日を過ごしていたこともあったなと思い出し書庫へ向かうも、そこにも姿はなかった。外へ行くとは聞いた覚えもないし、断りもなく出かけるような性分でもない。
 暇だったのでとても適当にあたりを付け、あちらこちらを歩き回った。おかげで随分と余計な時間を使ってしまった。順序良く扉を開けて、注意深く観察していたら、五分の一の時間で見つけられたに違いない。
 大捜索の末、クロードの姿は厨房で見つかった。
 やけに見付からないと思っていたが、倒れていたのなら仕方がないだろう。通りで扉を開けて声をかけただけでは見つけられないわけだ。おかげで城の中を、三週は回ってしまった。
 彼は厨房の床に、うつぶせに倒れていた。
「クロード」と呼んでもピクリとも反応を示さない。
 おやおやと近寄り、抱き起こす。意識がないものだからぐねぐねとしていた。
 こちらに体を預けさせるようにし、抱きかかえる。「生きてるかい?」と尋ねながら手袋を外し、口元にてのひらを寄せる。呼吸はしているようだ。死んでいるとは思っていなかったが、それでも少しばかりほっとした。
 目をぎゅっとつむって眠る表情は険しい。うなされてでもいるのだろうか。顔に眼鏡はなく、額はいささか赤くなっている。口元には乾いた血の跡もある。
 また貧血で倒れたのか。
 これには少々呆れた。気を付けなさいとあれほど言ったのに、と嘆息した音は彼には届かない。
 クロードは度々血を吐くためか、慢性的に血が足りていない様子がある。だが本人はそれをよく失念する。こうして倒れていたことも一度や二度ではない。
 額が赤いのは、倒れた拍子にどこかにぶつけたからだろうか。たんこぶ程度で済むならばよいのだけれど、それで済まなくなってしまえば少々困る。やはり気を付けてもらわなければ。
 さて眼鏡は何処へ行ったのだろう。辺りを見回せば、少し離れた場所で無残に割れて落ちていた。予備はあっただろうか。なければまたしばらく不便な生活になってしまうなと思いながら、これまたメガネだけで済んで良かったなと思った。
「おーい、クロード」と再度呼んで、頬をひたひたと叩く。反応は全くない。改めて顔色をうかがうと、とにかく白かった。隈はないので寝不足ではないのだろう。血を飲ませて寝かせておけばいいだろうか。そういえば数日前に作った非常用のカクテルがまだ残っているはずだ。
 クロードを肩に担ぎ、貯蔵庫へ向かう。担いで歩いたところで、大して重くもないところがよろしくない。厨房に併設された貯蔵庫への入り口を押し開く。
 昔は物置同然だった貯蔵庫も、今では手入れが行き届いている。保存食も棚に分けてしまわれている。ビンに注がれたカクテルも、しっかりと栓がされていた。
 それもこれも、ほぼすべてクロードが管理をしている。名家の産まれで人を雇う側であったはずなのに、すっかり侍従の仕事が身に馴染んでしまった。さて彼にとっては、これで良かったのだろうか。私が考えても詮無いことなのだけれど。
 赤い液体で満たされたビンを一つ掴み、私の寝室へと向かう。クロードの部屋でもいいのだが、彼の部屋は殺風景で落ち着かない。必要最低限の家具が置かれただけの、静かな室内には寂しさがある。クロードはそれに、まだ気づいていない。
 ベッドにクロードを横たえる。はて、どうしようか。赤色の液体の揺れるビンをみる。飲ませればいいかと思っていたが、未だ目を覚ます気配はない。
 ベッドの縁に腰かけ、クロードの背を支え上半身を起こさせる。
「クロード、クロード、おーい」と呼びかけるが、勿論返事はない。ためしにがぶりと鼻先を噛でみるがなんの反応もない。
 この短時間にほんとうに死んでしまったのではと確かめれば、呼吸は変わらずかすかに繰り返されていた。安堵しながら、唇の端をつつく。つまんで引っ張る。そうすれば唇に隙間は開くが、それだけだ。
 ビンの口から直接注ぐのも手かもしれないが、加減を間違えてベッドまで真っ赤に染めてしまいそうだ。コップも持ってくるのだった、と俄かに後悔した。コップならば上手に飲ませられたかというと、分からないのだけれど。
 まあいいか、と栓を抜く。
 ビンに口を付け、カクテルを少し口に含む。クロードを抱え直し顔をこちらに向ける。顎を掴み唇を押し付けた。こぼさないように気を遣いながら唇を押し開き、そろりとカクテルを流し込む。首元に触れた指先から、こくりと嚥下する動きが伝わってくる。飲み込んだことを確認し、唇を離した。
 口の端をぺろりと舐める。うっすら赤く染まったクロードの唇をぬぐってやる。
 はて、どれほど飲ませればよいのだか。

 

 半日ほど経った頃、クロードは目を覚ました。
 お気に入りのチェアをベッドサイドに持ってきて座っていた私の顔を見ると、久々に開けたばかりの瞼をせわしく動かしてみせた。ぱちぱちと音が出そうなほどのまばたきを済ませても尚、不思議そうな表情をしていた。
 ぐるりと赤色の瞳が部屋の中を眺めるように動く。そうしてまた私の方を見た。
「主?」と発せられた言葉は疑問に満ちていた。眼鏡がないのであまり見えていないのかもしれない。
「おはよう」と笑うと律儀に挨拶を返した後「何故ここに?」と尋ねられた。
 まだここが私の寝室だとは気づいていないようだ。眠っているところにわざわざ遊びに来たとでも思っているのだろう。実際そういうことをしたこともあるのだから、そう思っても不思議はない。
「また倒れていたよ。だから私の部屋に運んで寝かせていたんだ」
「……は」
 クロードは一瞬で顔を青褪めさせ、ベッドから飛び上がった。だがまだ体は追い付いていないらしく床への着地に失敗し、結果私の胸に飛び込んできた。
 その様子がおかしかったので声をたてて笑う。すると腕の中の体温が、少し上がったように感じられた。
「も、申し訳ございません……重ね重ね……」
「抱き着くのはいつでもいいけれど、貧血には気を付けないか。いつも言っているだろう」
「……はい。ご迷惑をおかけいたしました。倒れていたところを運んでいただいただけでなく、主の寝台までお借りしてしまうなんて」
 以後気を付けますので、と目元を赤くしながらクロードが言う。
 カクテルを口移しで飲ませたりもしたよ、と今教えるのは意地悪だろうか。反応は気になるところだが、またの楽しみにとっておくのも良いかもしれない。
 次があっては、困るのだけれど。

 
 
 
(お題箱:なにがしかを口移しする古城主従)