小ネタ

(ヴラオベ)

 
 
 

 赤色のボトルを選び、ワインを一本持ち出す。給仕係に気付かれないように、グラスも二つ指に引っかけた。持ち上げた拍子にカチンと音が鳴ってしまう。幸い誰の視線もこちらへは向かなかった。
 人の海をこっそりとかいくぐり、きらびやかなホールを抜ける。夜の色が美しい不夜城も、パーティーとあっては一変する。ぎらついた照明と華やかな衣装。流れる音楽は喧騒にいささか負けている。色鮮やかなドレスを纏った天界と魔界の綺麗で強い女性陣。彼女たちに囲まれてしまっては、男共は見劣りしてしまう。ひらひらとドレスの裾が揺れる。普段は軍服の者が多いため、一層華やかに見えた。
 煌びやかな空間を抜け、バルコニーへと続く扉をそっと押し開く。眩い照明をガラス一枚越えれば、あっという間に夜の空気だ。命の熱気に当てらた体を夜風がなでる。冷たさが心地よい。
 無意識な吐息が漏れた。首だけで振り向けば、変わらずにぎやかなパーティーの光景が、ガラスの向こうに広がっている。見知った顔ばかりだ。給仕の物には一部、知らない顔もないことはない。流石に天界の給仕の顔までは把握しきれていない。覚えていないわけではなくただ、顔を合わせたことがなかった。
 少しだけ、理由のない笑みを浮かべる。視線を正面へ戻す。人気のないバルコニーで、一人ベンチにこしかけたオベロンが首をかしげていた。
「どうかしたの」
「なんでもねえよ。ほら、ワイン貰ってきたぜ」
「こっそり持ち出してきたんじゃないか」
 くすくすと笑うオベロンのとなりに腰を下ろし、差し出された彼の色白な両の手にグラスを渡す。白さで言えばこちらの方がよほど青白いのだが、などと思いながら。
 ワインのボトルを傾けようとして、栓がされていることに気が付いた。栓の抜かれたものを持って来たつもりだったが、取り違えたようだ。取り換えに戻るのも、栓を抜きに戻るのも面倒だ。仕方がないので横着をして、ネックの途中からパキンと切り落とした。それを見ていたオベロンが「横着だな」と呆れて笑う。
「こっちのが早いだろ」
「ああ、困ることもないし」
 二つのグラスに赤ワインをたぷりと注ぐ。ボトルを脇に避け、グラスを片方受け取る。乾杯をして口を付けた。ワインなんて久しぶりだ。
 一気に半分ほど煽ったのち、何故かワインを飲まずにこちらを注視しているオベロンへ視線を返す。なんだ、と覗き込むと何がおかしいのか楽しそうに笑った。
「赤いものを飲んでいると、吸血鬼みたいだ」
 なるほどなと納得して、前にトマトジュースを勧められたことを思い出した。生き血を啜ったことはないが「ガブっといってやろうか?」と話しに乗れば、オベロンはさらに愉快そうに肩を揺らした。
「吸血鬼って処女の血じゃないといけないんだっけ」
「そういう設定の話もあったな」
「それは困ったなあ」などというので、返答が詰まってしまう。片眉を吊り上げ視線だけ向ける。夜の色に似た美しい瞳が、いたずらな色を乗せてこちらを見ていた。どこでそんなことを覚えてきたのだか。言葉に悩んだ末、誤魔化すようにグラスの中身の残りを一気に煽った。
 ワインのボトルを引き寄せると「そんなに一気に飲んで大丈夫?」と空のグラスが差し出された。一気に飲んだのかと呆れながら、二つのグラスにワインを追加する。オベロンは顔色一つ変えていなかった。自分は少し、赤くなっているような気がするというのに。
「ちょっと酔った? 一人で飲むのはさみしいから、酔いつぶれるのはもう少し待ってほしいんだけど」
「分かってるって」
「今はお水貰ってきてくれる人もいないんだし」
「これで最後にするって、あとはやるよ」
 お手上げだ、と肩をすくめる。オベロンはけらけらと笑って、水でも舐めるようにワインを飲み干す。それでも全く顔色は変わらない。呂律も言動もぶれない。この顔で酒に強いのだから、世界は分からない。酒の強さは顔ではないだろうが。
 足を組みベンチに背を預ける。空になったオベロンのグラスにワインを注ぎながら、ガラスの向こうの喧騒に目をやる。
 アルコールが回ったことで、会場があたたまりきった様子が感じられた。騒がしさが増している。はじめは挨拶や様子見や、そういった空気もあった。今はもう残っていないのだろう。
お互いの世界も役職も関係ないとでも言いたげな賑やかだだ。音楽に合わせて踊りだしている空間もある。
 愉快な気持ちになりながら眺めていればふと、ヴィヴィアンに話しかけるファティマの姿が目についた。あの二人も昔から何かと因縁深かったな、と過去を懐かしんでいれば、ファティマが手を差し出していた。それにヴィヴィアンが、他の誰よりもひらひらとしたドレスをつまみ、丁寧にお辞儀して応えている。どうやらダンスに誘っていたようだ。手が重ねられ、誘い誘われるようにして、高いヒールの足元が軽やかにステップを踏む。
「いい関係になったよね」と声を掛けられ、オベロンも同じ光景を見ていたことを知った。ニヤリと笑って「俺たちも踊るか?」と尋ねる。
「ううん。今日は見ていたい」
 穏やかなまなざしが、ガラスの向こうへと注がれている。そうだなと相槌を打つ。ワインを少し舐めた。
 話すことをやめれば、にぎやかなあちらの声が聞こえてくる。誰かが歌う声まで聞こえてきた。流石に内容までは聞き取れないが、楽しそうであることはありありと伝わってくる。眺めていれば自然と口角が上がる。ゆるやかに瞬きする。目に見える今を、記憶のうちに切り取るように。
 ふと肩にオベロンがもたれかかってきた。じんわりと重さが伝わる。
「なんだ、眠たくなってきたか?」
「……いや」
 ベンチの上で指が触れる。するりと小指が絡められ、不覚にもどきりとしてしまった。こんなこと、どこで覚えてきたんだか。だとか考えてしまう。そんな入れ知恵をする人物は限られるのだが。
 いつの間にかボトルの中身も、グラスの中身も空になっていた。酔ったのかとも思ったが、オベロンは規則正しく呼吸と瞬きを繰り返しながら、ガラスの向こうの世界を眺めていた。絡まった指から熱が伝わってくる。もうここにしかないものだ。
 規則正しいリズムを崩し二度瞬きをしたのち、オベロンの視線がこちらに向けられた。
「そろそろ行くか」と尋ねれば頷きが返ってきた。組んでいた足をほどき、オベロンの手を引き立ち上がる。空のボトルとグラスは並べてベンチに置いた。
 並んだ肩の間から、ガラスの向こうの世界を振り向く。
 踊る二人の姿は他の人の波にのまれて見えなくなってしまっていた。けれど変わらず眩いほどににぎやかな世界が広がっている。
「平和そうでなによりだな」
 バルコニーにはもう人影はない。