貴方に祝福を

(ジタルリ+ルシサン) 
  
 
 
 

 日差しが眩しい。
 降り注ぐ光が海に反射している。あまりの眩しさに思わず手をかざし、視界を遮った。それでも波は揺れ、押しては引き、絶えず光を揺らめかせている。水面でゆらめく光のことを宝石のようだと誰かは言うが、今はただ眩しいだけだった。
「何故だ」と今更で何度目だかの言葉を口にする。
 振り向いた視線の先に、ルリアとジータの姿がある。サンダルフォンはそれを、浜から眺めていた。
 白い砂浜に建てられた海の家。その土産売り場に、はしゃぐ二人の姿があった。
 こうして見ると、年相応の人のこどものようだ。なんの変哲もなく、剣を握ることもなく、幼い肌に傷をつくることもない。如何なる運命が取り巻かれているかなど、誰も気づきはしない。そんなただのこどものようだった。
 海の日差しから逃れるように、軒下へ移動する。歩く度ブーツのかかとが砂にとられた。様々うっとうしいものだと目を伏せれば、賑やかな少女二人の声が耳につく。
「やっぱりルリアもビキニにしようよ。これとかどう?」
「それはちょっと、大人っぽすぎる気が」
「そんなことないと思うけどなー」
「んー、でもジータには似合うと思います」
「ならルリアにも似合うよ」
 ね、とはしゃぎ合う姿は微笑ましいが、純粋にそう思えたのも初めだけだ。待つことに飽きて浜辺に出て、水面の眩しさにも飽きて戻っても、まだ決まっていないとは思わなかった。水着を一枚選ぶために、どれほどの時間を要するのだか知れない。
「いい加減決めたらどうだ」
 勘弁してくれないかという気持ちを込め、言葉を吐き出す。呆れた様子で立つこちらの姿に気付いたルリアが、あっと口元に手を当てた。サンダルフォンが戻っていることに初めて気づいた様子だった。もしかしたら一度居なくなったことにも気付かず、そもそも待たせていることすら忘れていたかもしれない。
 のんきなものだと溜め息を吐く。
「ごめんなさい、折角ついてきてもらったのにお待たせして」
「確かにそろそろ決めないとね。遊ぶ時間もなくなっちゃうし」
「俺は帰ってもいいというなら、どれだけでも好きに選べばいいがな」
「それは困ります! 折角の海なのに……あの、やっぱりサンダルフォンさんも一緒に水着を選びませんか。一緒に海に入りましょうよ」
「結構だ」
 既に一度断ったはずだが、と首を傾げる。諦め難そうなルリアの視線に刺されようとも、着替えて海に入る気など毛頭ない。
 この海へ来たことも、団長命令だからに他ならない。船に乗っている以上は何かしら仕事をしてもらおう、と言われ渋々ついてきた。二人の護衛ならばまあいいかと思っていたが、現状を見るに騙されたとしか思えない。
「じゃあルリア、お揃いにしない? 丁度これ二着あるし、どうかな」
 サンダルフォンを無理やり船から引っ張り出した張本人は、実にマイペースだ。こちらの話を聞いていたのかいないのか。帰す気などないため答えもしないのか。水色と黄色の花が散らばる水着を手に取り、ルリアに見せた。
「わあ、ジータとお揃い! それにその水着とってもかわいいです」
 やっと決まるのか、と呆れと安堵がない交ぜになったため息が零れた。
 支払いを済ませた二人が「着替えてくるね!」と手を振り更衣室に消える。どうしてこんなことをしているのだろう、と行く度目かの疑問を思い浮かべる。何故着替える二人を見送っているのか。何故己はここに居るのか。何のためにここに居るのか。様々なものを見失いそうになる。
 軒下から出れば、視線の先で青い海が揺れている。生暖かい潮風は平穏そのものだ。うっすらと雲のかかる空も今日も変わらずに青い。賑やかではあるが煩くはない程度の賑わい。平和な日常というものを圧縮し放り投げると、こういう形になるのではないかと、見慣れぬ景色に思った。
「お待たせサンダルフォン」
 背後からの声に振り向くと、水着に着替えた二人が立っていた。そろいの水着で実に仲睦まじい。ジータは白いパーカーを羽織り、ルリアは大きな麦わら帽子をかぶっていた。仲良く手を繋いだ二人が、のんびりとこちらへ向かってくる。
 平和呆けしてしまいそうだった。
「今更だが、俺は護衛のために呼ばれたんだったな?」
「もちろん。私とルリアのデートの護衛であってるよ、大丈夫」
「こちらは何も大丈夫ではないのだが。そもそもデートとは二人でするものだろう。邪魔になる前に帰らせてもらってもいいか」
「邪魔なんかじゃありませんよ!」
「そうだよ。もー、サンダルフォンが水着にならないから、本当にデートと護衛みたいになっちゃってるんだよ。本当は三人で遊ぼうと思ったのに」
「……帰ってもいいか」
 子守をしに来た訳ではないぞと眉間にしわが寄る。
「まってまって、それにねここ。水出しコーヒーの美味しいお店があるんだって。あとで探しに行こうね。あ、水出しは邪道とかあったりする?」
「……いや、人の手で発展していくことは本意だろう」
 水出しは試したことがないなと、にわかに興味がわく。仕方がないので今しばらく付き合ってやってもいいかと考えていると、ジータが笑っていた。目細めて少し、嬉しそうに。
 なんだと訝しむ。その視界の端で、ルリアの姿がひらりと舞った。
「二人とも、早く海に行きましょうよ。サンダルフォンさんも、折角なので波打ち際まで行きませんか。ブーツを脱いだらつま先くらい入れますよ、ねっ」
「結構だ。荷物番でもしていてやるから、さっさと行ってこい」
「むう……。ならあの、これを預かってもらえませんか」
 ちょっぴり不満そうな顔を見せた後、ふと思いついたように麦わら帽子が差し出された。それくらい構わないと手を出すが、細い腕はめいっぱい上へと伸ばされていた。「なんのつもりだ」と問えば「これをかぶると涼しいですよ。ほら、サンダルフォンさんは髪の色が濃いので、日差しが暑くないですか?」と微笑みかけられた。
 熱いも寒いも苦と思ったことなどなかった。だが精一杯伸ばされた腕に免じて腰を折る。麦わら帽子の作る影に視界が覆われた。なるほど、思ったより悪くはない。
「次の時は一緒に海に入りましょうね。行きましょうジータ」
「うん。私は荷物を置いたら行くから、先に行っていて」
「なら私も」
「ちょっとだから大丈夫。それに海ではしゃぐルリアの姿を遠くからみたいし」
「ふふ、なあにそれ。じゃあ少し先に行ってますね」
 早く来てね、と手を振りルリアが駆けだした。ビーチサンダルがぱたぱたと音を立てる。一歩砂を踏むたび青い髪が揺れる。
 少ない荷物は近くのビーチパラソルの下に置いた。
「荷物番をさせてごめんね。暇になったらいつでも混じりに来てね」
「一緒に遊ぶ相手が欲しいなら、どうして俺を誘ったんだ」
 他の奴らで良かっただろうと、ジータを見る。海ではしゃぐ奴など、あの船には掃いて捨てるほど居るはずだ。それなのに半ば騙してまでサンダルフォンを選んだのは何故か。問いに対してジータは首をひねった。
「ルリアが気にしていたから、かなあ」
「蒼の少女が」
「島に寄って、船を降りて、街とか歩くでしょ。そうするとね、サンダルフォンさんは今どうしてるのかなー、って時々いうの。ルリアが。ちょっと妬けちゃうなって思って、それで呼んだの」
 なんだそれは、という疑問に別の声が大きく被った。
「ジータ!」と遠くから呼ぶ声が聞こえる。揃って顔を上げ、海を見る。腰まで海に浸かったルリアが、大きく手を振っていた。青い空、青い海、青色の少女。眩しいほどの光景に、その姿に目を細めたのは、ジータも同様だった。
 だが次の瞬間、ルリアの姿が消えた。
 それまで立っていた場所から忽然と消えた。水飛沫が見えたので、海の中に引きずり込まれたのか。何に、誰に。どうして。騙されたとはいえ護衛を受けた身でなんて失態だ。
 飛び出そうと身構える最中、何よりも早くジータが駆け出した。いつ掴み上げたのか、手には短剣が握り締められている。小さな体が大きな歩幅で砂浜を駆ける。つま先が砂を踏む音が最低限響く。息を詰めた彼女の焦りはいっそ、美しいほどだった。
 サンダルフォンが波打ち際に辿り着いた時、既にジータはルリアを抱き寄せていた。
「えへへ……転んじゃいました」
「もー、びっくりした。何かに襲われたのかと思った」
「私もびっくりしました……この辺少し滑るみたいです。ジータも気を付けてくださいね。それから、ごめんなさいジータ。心配かけて」
「いいよ。それより怪我はない?」
「はい」
 海水に濡れた青い髪を、ジータの指先が梳いて整えていく。サンダルフォンも、知らず知らずの間に止めていた息をそっと吐きだした。
 麦わら帽子が作る影の向こうに、笑い合う二人の姿がある。ルリアの前髪を優しく摘まむジータの表情は、どこかで見たことがあるものの様な気がした。ほっと息が吐かれ、目元が緩み作られる表情。
 あれを昔、昔にみたことがあったような。青い瞳が細められ、こちらを向く。そういう遠い記憶が、脳裏で明滅した。

 
 
 
 

 コーヒーの入った透明なグラスを眺める。カップに入っている姿しか馴染みがないため、これだけでも新鮮味があった。陽の光にコーヒーの色が透ける。氷で冷たく冷やし飲むコーヒーのことは知っていたが、初めから水で出すものとは初対面だ。こうした暑い浜辺で飲むには最適だろう。
 同じベンチの反対側に、ジータが座っている。彼女のグラスは半分ほどに減っていた。その横に口の付けられていないグラスが一つ。そのグラスの持ち主は、向こうで青い髪を揺らしながらアイスを選んでいる真最中だ。悩みに悩んでいる様子が、背中からありありと伝わってくる。確かに種類は多かったが、そこまで悩むものだろうか。
 はしゃぎ疲れた二人とこの海の家へと移動してきて少し経つ。店内に人は多くない。空いたベンチもまだ多い。
「ねえ、水出しコーヒーはどう?」
「想像よりは悪くないな」
「良かった。向こうにお土産用のセットも売ってたよ。あとで買って帰ろうか」
 ジータが指さした先に、ボトルと一緒に包まれたものが置かれていた。製法が気になるところでもある。頷いて返す。
「そういえば、さっきルリアが転んだ時。なんか変な顔してたけど、どうかしたの?」
「……なんだと」
「ルリアが無事だったからほっとした、って言う顔でもなかったし。珍しい顔してるなーって思って、気になってたの」
 何かあったのと問うジータの視線は、青い背中へ向けられていた。本当に気になっての問いなのか、本当はどうでもいい問いなのか。これでは話したところで聞いていやしないかもしれない。
 そう思う油断があったかもしれない。口が緩んだ。
「……昔に一度、ポットをひっくり返したことがあった」
 本当に遠い、昔のことだ。コーヒーを淹れ慣れないような頃。あの庭で向かい合って座っていた頃。まだ何も知らなかった頃。そんな時、少しの慣れに油断して、手を滑らせた。
「派手に零したが、湯を浴びることはなかった。だから火傷の一つもなかったんだが、その時に」
 水浸しになったコーヒー粉も、机からしたたり落ちる水滴も、床へ落下したポットも。そのどれもを見た。慌てて状況を確認しはずなのに、そのどれも記憶があいまいだ。ポットの色は何色だっただろう、あの時挽いたコーヒー豆はどういうものだっただろう。だが熱いと思った覚えも、痛いと思った覚えもない。だから無傷だったことは間違いがない、と思う。そういうあいまいな記憶の中で、あの表情だけが、網膜に焼き付いていた。
「……同じ表情をしていたなと」
 思い出しただけだと、コーヒーに視線を落とす。辛気臭い己の顔がうっすらと映り込んでいた。何故そんなことを今思い出すのだろうと考えれば、眉間にしわが寄る。
「へぇー」と、ジータの声が笑った。
 何の反応も寄越さなかったのに聞いていたのか。顔を上げジータを見る。
「何故笑っている」
「ううん。ふふ、あのルシフェルがさっきの私みたいな顔をしてたの?」
「……改めて見ると違うように思えてきたな」
「それ酷くない? なら、さっきの私。サンダルフォンにはどういう表情に見えたの?」
 どうと問われ、記憶を手繰る。それに過去のものが入り混じった。交互に光る記憶の中、転んだルリアを抱き寄せたジータの表情を拾い上げる。あの表情。あれは、何と呼ぶものなのか。
 コーヒーを一口飲み込む。
 はたと我に返り、ふんと鼻を鳴らした。
「何故そのようなことを俺が答えなければならない」
「あ、センチメンタルモードから戻っちゃったんだ」
「なんだそれは。むしろ君はどうなんだ」
「どうって?」
「随分と気にかけているようだが」
 こちらを向いたジータの視線を連れ、青色の後ろ姿を見る。ただの仲間というには、友というには余りある、それでいて運命共同体だからと片付けるにも違う感情が向いているように思う。
 再びジータを見る。彼女は微笑んでいた。ルリアの背中を眺めたまま。
 その背中が、不意にこちらを向く。青い姿は随分困った顔をしていた。
「じーたぁ、迷っちゃって決められませんー。半分こにしませんか?」
「あはは、そんなに悩んでたの? いいよー」
「だって、ジータはチョコの日もあるしイチゴの日もあるじゃないですか。でも暑いしさっぱりしたレモンとかも捨てがたくって」
「あれ、私ので悩んでたの? 適当でいいよって言ったのに」
「えへへ……でも自分のも悩んでます」
 こっちに来てと手招く姿を見て、ジータが嬉しそうに笑う。だが嬉しそう、と言うにも少し違うように思える。それを他になんと表すかは分からない。
 ジータがベンチから立ち上がる直前、サンダルフォンを見た。
 その視線が、記憶に重なる。
「私ね、ルリアのこと、宝物みたいに思ってるの」
 サンダルフォン、と呼ぶあの人の声が急に、脳裏によみがえる。思い出してみれば、とても穏やかな響きだ。なんて温かな呼び声だろう。それに、宝物みたいと言うジータの声が被る。
 白いパーカーの裾が、視界で揺れる。ルリアの元へ駆け寄ろうとする寸前、振り向く。そしてサンダルフォンを見た。何故だか知っているような気がする、表情で。
「貴方はこれから、どれだけ自分が愛されていたか思い知りながら生きていくんだね」
「……なんだと」
「私はね、ルリアに怪我がなくって本当に良かったし、とっても安心したんだ。ルリアは私の宝物だし、いつかこの旅が終わって仲間のみんなと離れ離れになってもルリアとはずっと一緒にいたい。本当に大好きだから、笑っていてくれると、愛しくって嬉しいの」
 そう内緒話のように囁くと、ひらりと背を向け駆けて行った。
 視線の先で二人が笑い合っている。
 それを眺めながら口をつぐむ。
 感情が溢れ出てしまわないようにするだけで、ただただ精一杯だった。