そして何度でも

(ヴラオベ。バカップルコメディ)

 
  

 ここはもちろんヴィレヴァン時空。

 

 オベロンは今、混みあった居酒屋に居た。向かいには呼び出したヒスイが座っている。
 普段ならば個室でも取ってのんびり飲むものだが、時にはあたりが騒がしい方が良いこともある。静かにしんみりと聞かれても困る様な話題ならばなおさらだ。
 中身が半分減ったビールジョッキを片手に、ぐうと唸る。さて何からどう話そうか。
「今日はヴラドは居ないんだな」
 ヒスイの視線が、オベロンの姿の向こう側を見た。当然のようにセット扱いされる同居人が、本日は不在なことが気になるらしい。
 ふわふわで金色の後頭部を思い出す。毛布を首までかぶってうつ伏せで眠っていると、美女に見えることもある頭だ。思わず顔をうずめてみたこともある。そして「なんだ眠いのか」と逆に毛布にくるまれて放置される、なんてことが最近あった。
「ヴラドは仕事で遅くなるって」
 だから呼んでいないよ。とため息交じりに答え、焼き鳥にかじりつく。
 ぐるぐると考えていると頭が揺れる。酔っぱらっているように見えるかもしれないが、至って正気だ。生まれてこの方酔っぱらったことがない。酔っぱらうとはどういう気分なのか。すぐに酔って寝始める、今日ここに居ない人物のことを羨ましく思うこともある。
「一人分の飯作るのが面倒だから、俺は呼び出されたのか?」
「流石にそれだけじゃない」んだけど、と頬杖を付く。
 向かいのヒスイは、いかにもトレーニング帰りですという格好をしていた。太い腕で器用にだし巻き卵を切り分けている。黒く丸い小皿にとりわけ、大根おろしを乗せ、しょうゆを垂らし、こちらに差し出す。
 なんだかとても面倒な気分で、いっそ口にそのまま入れて欲しいほどだったが、残念ながらその担当は本日不在にしている。ビールの残りを飲み干し、おかわりを頼む。今日はとことんビールの気分だった。
「ところで、プレゼントは届いたか?」
「なんのこと? ヒスイから荷物なんて届いていないと思うけれど」
「あれ、差出人書かなかったか? Tシャツだよ、Tシャツ。今流行の」
 今流行の? とだし巻き卵を口に運びながら考える。「流行かは知らないけど、俺たちの顔が大きくプリントされた変なTシャツなら、届いたかも」
「それだよそれ!」
 ヒスイが身を乗り出してきた。
 え、あれなの。と仰け反る。
 ヴラドが、「なにかの嫌がらせじゃないのか」と言っていたあれのことなのか。
 運ばれてきた二杯目のビールに口を付ける。ヒスイはジャージのチャックを下ろすと、中に着ていたTシャツの柄を見せてくれた。Tシャツと本人、同じ顔が二つ並ぶ様子は少々怖い。
「それって、自分で自分の顔を着るものだったんだね」
 純粋な疑問を口にすると逆に驚かれた。
「まさかお前たち交換して着たのか」
 嘘だろ、という顔をされても頷くしかない。こちらの方が嘘だろという顔をしたいほどだった。
「……はずかしい奴らだな」
「君に言われたくない、と思うのだけれど」
「いやだって、お前、相手の顔が印刷されたTシャツ着てるとか、どんなバカップルだって話だろ」
 そうだ、それ。とジョッキを机に置き、ヒスイに顔を近付け覗き込む。
 今度はヒスイが仰け反った。「ど、どうした」と狼狽している。今日呼び出した本題のことを、危うく忘れるところだった。
「前に、なにをされたらドキドキするかって、きいたでしょ」
「お、おお。きかれたな」
 急にもたれかかってくる、無防備に寝姿を晒される、とか言ったっけ。と慌てた様子のヒスイが指折り思い出している。
「そうそれ」と再びジョッキを煽る。しゅわしゅわとビールの苦みが喉を通り抜ける。「あとチャック閉めて」と指をさす。どうしてだ、と言わんばかりの視線に、こちらこそどうしてだ、という視線を返す。まあいいかといった様子でヒスイはチャックを上げた。視線が一組減って、ほっと息を吐く。
 それで本題なのだけれど、と仕切りなおす。
「やってみたんだ。言われたこと全部」
 急にもたれかかれと言うので、シャワーを浴びた後の夜更け、ソファに座るヴラドの横に座って、そのまま肩に頭を預けてみた。あの時ヴラドは端末を操作して翌日の天気を調べていた、と思う。家で眼鏡をかけている姿はとってもいい。時折老眼鏡という言葉が喉元までせり上がってくることが玉に瑕なくらいだ。
 もたれかかって「ヴラド」と呼びながら視線を上げると、彼の瞳がこちらを向いた。「なんだ」と笑いながら眼鏡を外し、ケースに戻す。端末の画面は切られて暗くなった。これは成功なのでは、と思ったのも束の間「眠いのか」と言われ抱え上げられ、ベッドに入れられそのまま寝かされた。ぽんぽんと肩を叩くリズムが心地よく、不覚にもそのまま寝た。
 また別の日に、無防備な寝姿とやらも試してみた。もうすでに結果は見えていたも同然で、これまた寝かしつけられる羽目になったのだが。
 一応、寝姿ならば寝室だろうと、先回りして寝室に入った。そこでちょっぴり頑張って、悩まし気な感じで寝そべってみた。寝そべってしまった時点ですでに失敗だったのだ、ということは今なら分かる。寝室に入ってきたヴラドに「腹冷やすぞ」と言われ毛布を掛け直され、寝かしつけられた。不覚にもやっぱり眠ってしまった。
 翌朝快適な目覚めを迎えて、朝だが昼だかの日差しが目に染みて、敗北感を味わうことも既にルーチンのようなものだ。
 そのようなルーチンがあってたまるかと歯を食いしばる。ぎりぎりと音が鳴る、気がする。知らぬ間にうなだれていた頭を起こし、ヒスイを見る。彼はただただ困惑し「何が何だか分からん」と枝豆をかじっていた。
「だから、ヴラドが」
「おう」
「何しても俺のことを寝かしつけてくるんだ」
「おう?」
「あいつ、俺を寝かしつけるのが上手い」
 免許があるなら皆伝をあげたっていい。
 とにかくとても上手に寝かされてしまう。ご無沙汰どころの騒ぎではない。はらはらと気持ちの上で泣いて、自棄のように焼き鳥を齧る。串をぽいと串入れに放る。ビールを飲み干して三杯目を注文する。ついでにヒスイが呪文のような名前の酒を頼んでいた。
「今俺の知っている限りの情報で、つじつまが合わないことがあったから、少し待ってくれ。整理する」
 ヒスイはそう宣言すると腕を組み、瞼を閉じ俯いた。うーんと唸り声が聞こえる。考え事は、三杯目のビールが運ばれてくるまでたっぷりと続いた。ゴトリとジョッキがテーブルに置かれる音に合わせて翡翠色の瞳が開かれる。
「どっからヴラドの話になったんだ?」
「さいしょから」
 ずっと全部ヴラドの話をしていたけれど。
 今日あいつ居ないんだなから始まり、Tシャツのことも、ドキドキしたら手を出してくるんじゃないかと思ったのだけれども、惨敗の結果寝かしつけられてしまうことも。全部そう。
 ヒスイは再び唸った。そしてカッと目を見開き、かと思えば首を捻った。うーんと顎に手をやり、澄んだ青色の酒に口を付け、だし巻き卵を口にした。
 そしてようやく、口を開いた。
「お前たち付き合ってたのか?」
「それだ!」

  

 それだ、と叫んだ声は良く通った。久々にあれほど綺麗な大声を出したな、などと思い返す。
 ヒスイとの飲み会は、あの後ほどほどで解散した。時計を見るとヴラドが帰ってきている時間になっていたからだ。いてもたってもいられず、そわそわと会計を済ませ足早に部屋に戻った。
 ドアを破るような勢いで入った部屋の中は明るかった。玄関には家を出る時には無かったヴラドの靴もある。バタバタと帰宅の音を立てていると、部屋着姿のヴラドが奥から顔を覗かせた。
「おかえり」ヒスイと飲みに行ったんだろその割に早いな、という不思議そうな顔の元に駆け寄る。ただいまの言葉もそこそこに飛び掛かる。顔を上げた先で、ヴラドが闇色の瞳を丸くしていた。
「ヴラド、俺と付き合おう!」
 この時、断られるという想定は全くなかった。なるほど何をしても手を出してこないのは、恋人関係ではないからかと妙に納得し、その言質さえ取れば問題がないと考えていた。真面目で義理堅い男だ。付き合っていないからダメだったのだろう。
 生まれてこの方酔ったことなどないと思っていたが、この時は少し酔っていたのかもしれない。それでなければたぶん眠かった。とても眠かったのだ。
「お前、俺と付き合ってないつもりだったのか?」
 何を言い出したんだコイツ、と言いたそうな瞳にじっと見詰められる。はて、と首を捻る。
「……付き合ってるつもりだった」
「なら良いな」
「うん」
「じゃあ風呂入って来い。煙くせぇぞ」
 抱き寄せられ、すんと匂いを嗅がれた。焼き鳥屋だったし、と思いながら「うん」と頷く。
 回された腕が離れると、浴室に向けて背を押された。素直にぺたぺたと歩いて行って、服を脱いで洗濯機に放り込む。寝巻やタオルは既に定位置に準備されていた。相変わらず用意のいい男だ。ヴラドは仕事帰りなのに。そんなことを思いながらシャワーを浴びていると、じわじわ体温が上がってくる。瞬きをすると水滴が跳ねる。入浴剤で金色に染められた浴槽に浸かる。
 そうか付き合っていたのか。それっぽいことがさっぱり起きないので忘れていた。
 気の置けない親友とルームシェアしているだけと言われても、驚かない程平和な毎日だ。直近の悩み事と言えば、ヒスイからのプレゼントと発覚したあのTシャツが、どちらがどちら宛てか分からなかったことくらいだ。結局間違っていたのだが、自分の顔のTシャツを着こなすヒスイを見ると、むしろ正しかったように思う。
 ぽかぽかとしてくると、更に眠くなってくる。とても眠い。だが浴槽で眠ってしまうのはまずい。怒られる。怒られた前科がある。前科百犯くらいある。流石にもう怒られたくない。どうにかこうにか浴槽から上がり、浴室から出る。
 バスマットの上に立つまでは出来たのだが、もう限界だ。ずるずるとうずくまりながら「ヴラドー」と呼ぶ。
「ねむいー」と言って目を閉じると、スリッパの音が駆け寄ってきた。
「眠いじゃねえよ、まだ全裸だろうがアホ。つか拭いてすらいねえじゃねえか」
 呆れかえったため息と一緒に、バスタオルを広げる音が聞こえる。文句を言いながらも世話を焼いてくれるので、本当に優しいやつだ。
 眠くて唸っている間に体を拭かれ、寝巻を着せられる。そのままソファに連れていかれ座らされ、ドライヤーを当てられた。頭に触れ髪を梳く指の感触も、ドライヤーの温風も心地よい。いっそう眠りに落ちていきそうになる。実際少し寝ていたと思う。
 ふと目を開けると、ドライヤーを片付けるヴラドの背中が見えた。くるくるでふわふわの金髪が歩く度に揺れる。己が猫だったのなら、飛びついていたに違いない。
 片付けたヴラドはそのままキッチンへ消えた。ほどなくしてマグカップ二つをもって戻ってくる。
 カップの中身はホットミルクだった。温かいけれど熱くはない。ほど良い温度のホットミルクを、ソファに並んで飲む。こいつまた俺のことを寝かしつける気だな、と思いながらも欠伸が噛み殺せない。となりでヴラドがおかしそうに笑っている。
 船をこぎながら「仕事帰りなのにごめん」と呟くと、何故か余計に笑われた。その上「今日も平和でなによりだ」などと言う。
 空になったマグカップは自動で回収された。キッチンへ向かおうとする背中を引き留めて「明日俺が洗うからいいよ」と言えば、マグカップはテーブルの上に残される。「そいつは楽しみだ」と声が跳ねるので信じていないのだろう。確かに先に起きて朝食の準備をするヴラドが、一緒に洗ってしまいそうな気はする。
 俺は世話をされているだけなのでは、という疑問でパチンと目が覚める。
 その時は既に、ヴラドの腕に抱えられ寝室へと移動している途中だった。いや、これでも夕食を作るのは上手いし、掃除も洗濯もできるし、ヴラドが忙しい時は家事を一手に引き受けることだってある。ただただ眠気に弱いだけだ。なので夜は風呂上りから、朝は朝食を食べ終わるくらいまでは、ほぼ使い物にならない。
 それだけだと考えているうちに、寝室に着きベッドに横たえられた。
 照明が落ち「おやすみ」と言ったヴラドがとなりに潜り込んでくる。「おやすみ」と返事をしながら横を向けば、瞼を閉じたヴラドの顔がある。
 あ、こいつ寝る気だ。そう思い勢いよく体を起こす。急にベッドが揺れたことで驚いたのだろう、ヴラドが目を開けた。その襟首を両手でつかむ。
「どうして抱かないんだ!」
「いや、お前眠いんじゃねえのかよ」
「今日は、確かにさっきまで眠かったけど。でも俺、頑張ったんだぞ。ヴラドが全然、手を出してこないから」
 突如項垂れるオベロンの姿を前に、ヴラドはただただ目を丸くしていた。急に掴みかかられ何故抱かないのかと問われては、そういう反応にならざるをえないのかもしれない。実際何の脈絡もなかった。
 襟首をつかんだそのままに、じわじわと頭を下げヴラドの胸に額を寄せる。誘ってもダメだし付き合っていてもダメとなれば、次はどうしたらいいというのだろう。強行策か。考えていると、頭を撫でられた。
「する気はあるぜ」
 その答えに顔を上げる。暗闇の中でヴラドの瞳が光って見えた。体を起こし「さあ来い!」と両手を広げると、腹を抱える勢いで笑われた。
 どうしてそう笑うのか分からず眉を寄せる。滲んだ涙を拭うヴラドに、片腕を掴まれた。そのまま引き寄せられ、額にキスをされる。唇の方がいいなあ、などと思っていると押し倒された。
 見上げた先に、ヴラドがいる。
 そして記憶はここで途切れた。

  

   *
  

 穏やかな寝息が聞こえる寝室の中で、ヴラドはベッドを見下ろしていた。背から滑って落ちてくる髪をかきあげる。そして溜息を吐き、ベッドに横になった。
「こいつまた寝落ちたな」
 そして数か月後、最初に戻る。