(爆轟/ワンライ)
難攻不落の城を傷を付けずに落とすなら、外堀からじわじわと攻めるに決まっている。
コンビニ帰りに供用スペースを通り掛かると、そこには轟の姿しかなかった。時刻はそれなりに遅い。爆豪も轟も早寝の方であるから、今この空間に二人だけ居るというのは、珍しいことだ。
轟はソファの一角に座り、雑誌をめくっている。端に避けて座っていることから、つい先ほどまでとなりに誰かが居たことを予想させる。候補が幾つか頭を過ったが、腹立たしくなり思考から追い出した。
遠目に眺める二色の瞳は、真剣に紙面を追っている。爆豪の存在にはまだ気付いていないようだ。ビニール袋を握った手が僅かに動く。カサリと音が立つ。
あれを攻め落としたい。
それが容易でないことなど、初めから分かり切っている。
果たしてあれは恋を自覚することが出来るのか、それすらも怪しい。その上で自分を選択させなければならない。更に、横から第三者に掻っ攫われる前に落とさねばならない。だが下手に攻めて、機会を失うことも避けねばならない。
警戒されて距離を取られることも、恋心などと言うものと無縁であろうと思われることもマズイ。
問題はなかなか複雑で、そもそもどうして自分はあれを選んでしまったのだかという疑問まで付きまとう。理由はもちろん様々あるが、とにかくあれが良いと思ってしまったのだから仕方がない。そしてそう思ったからには必ず、手に入れたい。横取りされるなどもってのほかだ。
真直ぐソファへと近付いていき、何食わぬ顔でとなりに腰を下ろす。
突如現れた人影に、轟が顔を上げた。その時「み」と言った音が聞こえたが、全て口にする前に飲み込まれたので聞かなかったことにする。
先ほどまでとなりに居たのが誰で、どうやら今轟が読んでいるヒーロー雑誌はソイツから借りたものらしいというところまで予想が付いてしまったが、気付かなかったことにする。
目を丸くした轟が、爆豪を見ている。
「んだよ」と眉を吊り上げると「、いや」と瞬きをした。
他にも椅子は空いているというのにどうしてとなりに座ったのか、とか思っているのだろう。だからといって、どこか別の椅子に行け、とは思っていないようだ。
ふん、と顔を逸らしビニール袋からポッキーの箱を取り出す。封を開け、ポッキーを一本くわえると、スマホを取り出しニュース記事を開いた。
しばらくの間、轟の視線がこちらを向いていたが、また下を向いた。となりに座る爆豪のことなど忘れたかのように、意識が文字の並びに吸い込まれていく。
そもそも何故こいつはここで雑誌を読んでいるのか。ラッキーではあったが、部屋に戻って読めばいいだろうとも思う。
ニュース記事に目を通しながら、時折轟をちらりと伺う。
現状、爆豪が認識している轟との関係は、特に何でもない、だ。
大して仲がいい訳でもなく、かといって仲が悪いわけでもない。悪くはない、と双方思っているだろう状態まで持ち上げたのだから上々だ。オトモダチに分類されたいわけでもない。
しかしここまで一年も掛かっている。外堀からじわじわと攻めるにしても、時間がかかり過ぎやしないか。
だがどうしても欲しいのだから仕方がない。殴って手に入るものでもないため他にやりようがない。面倒にもほどがあるが、それでもと思うのだからどうしようもなかった。
ポッキーをかじる。知っていたことだが甘い。五本も食べると早々に飽きてきた。
轟の顔を見る。今度は首を捻って、まじまじと。
まだ真剣に雑誌を読んでいた。だがこうもじっと眺めていれば、流石に気付かれる。集中の糸を切られた様に、轟が顔を上げた。
「なんだ」と言おうとした口に、ポッキーを差し込む。
驚いて口を閉じたので、手を離す。ほんのわずかな時間、口からポッキーを生やす間抜けな顔を晒していたが、危険物ではないと察するともくもくと口を動かした。サクサクと咀嚼され、ポッキーが吸い込まれていく。
嚥下したところで再度「なんだ」と問われた。
なにを思っているのだか分からない顔だ。
急にポッキーを押し込まれたことをどう思っているのか、さっぱり分からない。だが怒っている様子はない。食べたから良いだろうと思い、まだ中身が半分以上残っているポッキーの袋を押し付けた。
「やるわ」
「……これぜんぜん減ってねえぞ」
なんで買ってきたんだ、と暗に言われ顔をしかめる。
「時々食いてえ気がすんだが、やっぱ甘ぇんだよ」
「なんだそれ」
そう言った声は、少し笑って聞えた。表情は特に変化していないので、聞き間違えかもしれない。
轟は早速ポッキーをつまみ、口に入れた。雑誌は開いて膝に置いたままだ。
一本ずつ律儀に口に運ぶ姿を眺めていると「やっぱり欲しいのか?」と差し出してきた。大きく仰け反ることで答える。
今更だがこいつ、急に他人が口に押し込んだものを躊躇いもなく食うなよ、と思った。
ニュース記事に視線を戻す。文字は半分くらいしか頭に入ってこない。
ふいに轟が「ポッキーって言えばあれだよな」と言った。
あれってなんだよ、と顔を上げる。轟はじっとポッキーの袋を見ていた。袋の中身は空っぽだ。もう食べきったのかと少し呆れたが、それも次の一言でどこかに吹き飛んでしまう。
「ポッキーゲーム」
グレーの瞳が横目で爆豪を見た。その口からその言葉が出てくるとは全く思っていなかった。そういうのはもっと上鳴や、峰田のような奴の口から出てくるものだ。
そしてそれを、こいつが知っていたことにも驚く。
「あれって、どうすると勝ちになるんだ?」
「……しるかよ」
勝ち負けが必要な高尚なゲームでもないだろう。何とも言えない複雑な気持ちで吐き捨てる。
どうでもいい、と言う気持ちで言ったのだが、轟は別の取り方をしたようだ。
「なんだ爆豪も知らねえのか」
「アァ?」
「峰田はキスする口実だとしか言わねえし」
俺は勝敗の決め方が知りたかったんだが、訳分からねえこと熱弁されて全く分からなかった。と轟が眉を下げている。こいつらはどういう経緯でそんな話をしたのかと思うと、些か苛ついた。
空だと思っていた袋から、轟がポッキーを取り出した。袋をくしゃりと潰す。一本だけ残っていたらしい。
そして轟がこちらを向く。
「やるか?」
さすがに堪え切れず「ハァ?」という声が大きく響いた。「おい夜中だぞ」と、こんな声を出させた犯人に諭されるのは流石に屈辱だ。
どうにかこうにか平静を保とうと、轟を睨む。本当は盛大に溜息でも吐いてやりたいところだった。
「テメェ、俺とキスしてえのかよ」
「おっ」
流れ的にそう聞えるか、と気付いた轟が目を丸くして背を逸らした。そういうつもりではなかったらしいと分かり、変な話だがほっとした。
「悪ぃ」と全く悪びれた様子のない詫びが入れられる。
しかし腹が立ったので、轟が手に持ったままだったポッキーを奪い取って食べた。何をするんだ、という恨めしそうな視線が追いかけてくるが見て見ぬふりだ。
それから、腰を浮かせ、轟へ体を寄せる。覆い被さるように、ソファの背面を掴む。
真ん丸な色違いの瞳が見上げてくるから気分がいい。
「してぇなら、ポッキーゲームとかまどろっこしいことすんな」
顎を掴み上を向かせると「おお」と驚いたように目が見開かれた。顔を近づける。
勿論するつもりなど毛頭ない。計算して距離を縮めている最中だというのに、一時の思い付きで台無しにしてはいられない。
冗談だわバーカ、と言ってお終い。の予定だったのに、轟がぎゅっと目を閉じたので、こちらが慌てる羽目になった。なに目閉じてんだバカが! と叫びそうになる気持ちを必死に飲んだ。
手を離す。
すると轟がそろりと目を開いたので、べぇと舌を出す。
「冗談だわ、バーカ」
予定通りの言葉を吐いて、ソファに戻る。放り出していたスマホを掴み、見ていただけの記事を立ち上げる。
「なんだ、冗談か。驚いた」と驚いた様子のない轟が言った。
全くなんなんだこいつと思いながらも、うるさく走る己の鼓動に眉を顰める。
そのとき急に肩を掴まれた。ぐっと引かれ、轟の方を向かせられる。
「んだよ仕返し」
か、と言おうとした言葉は出ていかなかった。
触れ合った唇に飲まれる。そのまますべての言葉が飲まれた様に消えてしまった。驚きに何も言えない。何もできない。辛うじて、目を伏せる轟の姿を見ることができたくらいだ。
唇が離れ、二色の瞳が開かれる。
そして轟は膝から滑り落ちた雑誌を拾い上げると、さっさと走り去ってしまった。
言いたいことと、処理しなければいけない情報が多すぎる。
あいつは恋を自覚することが出来るのか、その上で自分を選ばせられるのか、横から掻っ攫われやしないか、下手に攻めて避けられては元も子もない。
ぐるぐると様々な考えが頭を回る。
計画は台無しも良いところだった。