初期ステータス

 
 
 
 
 

   3.

「駄目だよ諦めちゃ」
「……やだもう」
 我ながら凄まじく情けない声がでた。
 色々なものを通り越して悲しくなってくる。いっそ泣いてしまいたい。号泣すれば綾時は許してくれるだろうか。……だめだ無理だ。号泣するのが。
 修学旅行からあっと言う間に帰ってきた。それどころかチドリはあんなことになってしまい、順平は引き篭もってしまい、体験学習まで終わってしまった。
 もう一週間も経つ。
 そして自分と綾時は図書館に居た。
「昨日まで体験学習だったっていうのに……昨日の今日でこんな仕打ちなんて」
「勉強会しようね、って言ったでしょ」
「はい……」
 手元の数学の問題に項垂れながら視線を戻す。隣では綾時が監視していて逃げられない。苦しい悲しい問題難しい。
「順平君大丈夫かな……ここ数日見かけてないから……。元気になったら今度は三人でね」
「はい……」
 カリカリとシャーペンを走らせる。でも筆は走り出さない。躓きまくっている。小気味良くない音が図書室に響いている。
 図書室に見える人影は少ない。図書委員がカウンターに居て、あと本棚を眺めている生徒が数人、というところ。テーブルで勉強しているのは自分達だけだ。
「あ、そこ違うよ」
「ちがうの?」
「えっとね、これ、こっちの公式を使って」
 違う、と言われたところに悲しく消しゴムを掛ける。代わりに綾時が指差していてくれている教科書の公式を当てはめる。あとは流れに従って。
「あ、できた」
「うん正解。ほらね、ちゃんと手順踏めば解けるよ、頑張って」
 次の問題を指差しながら綾時がにっこり笑い掛けてくる。恐ろしいまでの美形オーラだ。これが女子ならきゃーとかわーとか言うんだろう。だが自分は女子でないので呻いた。
「……う、お前顔も良くて頭もいいとかもうヤダ、サイアクだ……」
 容姿端麗頭脳明晰とかもう、字面で見ると画数多すぎて何が何だか分らない。完璧超人ってことか悲しい。ハイスペックすぎて隣りに並んでいることが悲しい。
「でも君の方が僕は素敵だと思うけどな」
「褒められてる気がしないやだもうキライ」
「うんうん」
「笑ってんなバカ」
「でも僕のこと結構好きでしょ? はい次の問題」
 言い返せないし、容赦なく次の問題を指差してくる綾時が酷い。バカもキライも八つ当たりって分っていて、にこにこ笑って頷きながら指先が問題を叩いている。
 くそう、なんでこんなことに。本当に泣いてやろうか。ああでも最後に泣いたのがいつか分らなくて、どうやって泣いたらいいか分からない悔しい。
 諦めて問題に取り掛かると、綾時の指がやっと離れた。問題のパターンは先程のと同じ様なので、復習を兼ねてもう一度、ってことなのだろう。同じ様に解いていく。
「でも、君だって綺麗な顔立ちしてると思うのは本当なんだけどな」
 人が必死に英数字と戦っている最中だというのに、綾時がそんな事をしみじみと呟いた。この地味な人間のどの辺りにそんなものを見出したのか分らない。綾時は尚も続ける。
「その前髪で顔が隠れてるのと、猫背で俯き気味なのがいけないと思うんだ。よく見れば目もぱっちりしてるし睫毛も長いし、整ってるっての分るんだけどなー。だからしゃんと立ったらきっとモテ……」
 綾時は人の顔をまじまじ観察していたかと思えば、突然黙り込んで項垂れ始めた。眺めておいて失礼な。
「う、そうしたら選り取り見取りになって僕なんかお払い箱に……」
「何言ってんだ? ほら、解けたから見て」
「はい……」
 俯いていた綾時の体が倒れ掛かってきて、自分の肩に頭が乗せられた。頬を毛先が掠める。ギョっとして綾時の頭を押し返す。「おい、人前でくっつくな」人が少ないといえどここは学校で図書館だぞ何を考えているんだ。押すと素直に綾時は元の体制に戻っていった。よく見ると目はノートの今解いた数式を追っている。ちゃんと見てはいるようだ。
「……うん合ってるよ。よく出来ました」
 正解にほっと胸をなでおろす。ここで間違えるとまた振り出しに戻されて次の問題を解かされる。既にそのルートには二回ほど入った。あれはかなり辛かった。
「じゃあ今日は終わり?」
「うん、そうだね。お疲れさまでした」綾時はにっこりと笑った。
 小さくガッツポーズをしていそいそと勉強道具を鞄にしまう。
 時計を見れば図書室に入ってから一時間以上経っている。長く苦しい戦いだったが、丁寧に教えてくれたので、理解できた部分も多い。疲労度は半端ないが、成果もあったといえよう。一人でやるよりは、ずっと捗った。普段は割と甘やかしてくる綾時の、容赦ない一面を垣間見てしまったが。
 さあ帰ろう、と鞄を持ち上げるが、綾時は動かずこっちをじっと見ている。
「帰らないのか?」
「あ、ううん帰るよ」
 問い掛けにやっと動き、綾時も鞄を持って立ち上がった。
 廊下に出れば、夕焼けに染まって真っ赤になっていた。今日は凄く赤い。俄かに感動していると、綾時がちらちらと視線を寄越してくる。次第にそちらの方が気になってきて、靴を履き替えながらついに問い掛けた。「どうかした?」
「あ、えっとさ……明日予定空いてる?」
「空いてるけど」
「じゃあ、デートしない? 体験学習とかであんまり一緒に居られなかったし。今日だってずっと勉強してたから。どこか行きたいな、って……だめ?」
「いいけど」
「本当?」
「え。うん」
「やったあ」
 頷けば、綾時は途端に顔を綻ばせた。
 あれでも、よく考えたら今デートって言われたような。出かけるくらい別に、と思って即答したが、よくよく考えてみると、デートって。でも付き合っているわけだから、やはりデートで正しいのか。駄目だ混乱してきた。
「えへへ、君と二人でお出掛け、って夢見たい」
 隣なりに並ぶ綾時が、何がそんなに嬉しいんだろうって言うくらい幸せそうに笑っているから、まあいいか。

 
 
 待ち合わせの日曜日。
 待ち合わせ時間は昼の一時。
 待ち合わせ場所はポートアイランド駅。
 駅で、って言っても駅のどこかは決めてはいなかった。駅も広い。きょろきょろと辺りを見回す。綾時の姿は見えない。まだ待ち合わせ十五分前なので当たり前、だけれど。
 今日起きて、そういえばデートなんてした事が無い、とはたと気が付いてしまった。恋人など居た例がないので当たり前だ。いや別にデートと言われただけで、普通に出掛けるだけだ、気にしたら負けだ。とは思ったが、動揺のあまり支度が早く済んでしまい、部屋でおろおろしているのもついに限界が来て、少し早いけれどこうして出てきた。
 しかしどこで待っていようか。今日の目的地は映画館なので、映画館の近くに居ても良いかもしれない。それでいて駅が見える場所。割と目立つ奴なので、遠目でも多分見付けられるだろう。光っているし、レアシャドウ見たいな奴だ。いや、何考えているんだ自分は。
 一先ず階段を下り、噴水の近くに立っていることにする。
 暫くもしないうちに、駅から大勢人が出てきた。電車が着いたんだろう。この中に居るだろうか。と思っていると人混みの中に綾時の姿がちらりと見えた。
 私服だ。
 いつもと違う格好をしている。というか、いつもあれは一応制服、だったのか。マフラーも巻いているけれど、いつものあの派手な奴ではなく、もっと落ち着いた色だ。
 綾時がきょろきょろとして、直ぐにこっちに気付いて手を振った。そのまま真直ぐ近付いてくる。近付いてくればどういう格好をしているのか等が良く見えるようになってきた。漠然とファッション雑誌にでも載ってそうだな、と思う。順平みたいに、ファッション雑誌に載ってたの見たんだな、っていうのではなくて、ファッション雑誌に載せられていそうだな、といった感じだ。
 つまり何と言うか、いつも以上に煌いている。
 道行く女性に振り返られている。わあ凄い、女の人に振り返られて良い意味でひそひそされる人初めて見た。
「お待たせ。ごめんね待たせちゃったね」
 手を振りながら綾時が近寄ってくる。
 反射的に逃げた。
「わ、どこ行くの?」
 だが捕まった。
 思い切り手を掴まれてしまった。何故自分はこんな逃げ場の無いところに立ってしまったんだ。もっとあっちの、ラフレシ屋の方だったら走って広場のはずれの方へ逃げられたのに。悔やまれる。
「やだもう帰る」
「ええっ、なんで!」
「……眩しくてつらい」
 目が合ってなくても眩しいのが分かる。何だこの自分の容姿の利点を余すところなく生かした様な格好の奴は。眼前まで迫ってくると更に眩しさが際立っている。こいつ絶対人間じゃない。
 格好良くて見惚れるを通り越して悲しくなってきた。何故こんな事に。眩しい通り越してついには焦げて死んでしまうに違いない。
 昨日「まあいいか」と快諾した自分を呪いたい。まるで良くない。動揺のあまり早速取り乱している。
「そんなに光反射する素材じゃないと思うけどなあ」と綾時が呟いた。
 割と真剣に困っている声だ。そんな物理的な話しじゃないんだけれど、と思うと一気に脱力した。
 もう何でもいいや。帰りたいとは思ったけれど、一緒に出掛けたいのも事実なので、一つ溜息を付く。
「……もういいから、手離して。恥ずかしい」
「あっ、ごめん」
 先程掴まれたままだった手を振る。離して、という意思表示だし言葉にもしたのだが、一向に離されない。なんで、と思って綾時を見上げた。照れ笑いを浮かべている。
「あのさ、やっぱり繋いでちゃ駄目かな」
「駄目」即答し、今度は振り解く。
 綾時から残念そうな声が上がるが気にしては駄目だ。こんな人の多いところで堂々と手を繋いで歩く勇気なんて無い。ただでさえ綾時の存在が目立っていると言うのに、それで、手を繋ぐなんて。恐ろしく恥ずかしくて無理だ。
「ほら、早くしないと映画間に合わなくなるぞ」
「あ、うん!」
 恥ずかしいのを誤魔化して、綾時を促す。
 足早に映画館に入りチケットを購入し、劇場に入る。程無くして映画は始まった。
 今日ここに来たのは綾時の希望だ。この映画館にまだ来た事が無いというのだ。映画館なんてベタなデートスポット、もう女の子とでも行っただろうと思っていた。しかし女の子とお茶したり食事したりはしたけどデートはしてない、というので綾時の感覚は良く分からない。
 だが、好きな人と二人っきりで出掛けないとデートにはならないんだよ、と力説されては閉口するしかなかった。こういうとき赤面せずに乗り切る方法があるならば是非知りたい。映画館内が暗いのが唯一の救いだった。
 そして現在上映されているのはまさかのホラー映画だ。これが割と、苦手である。
 影時間内でシャドウと戦っておきながら何を、と思うかもしれないが、あれとはまた怖さが違うのだ。一人では絶対観ない。誘われても余程観ない。だがまあ綾時が観たいというので。自分自身他に観たい映画も無かったので。それに観れない、という訳でもないし。観たいと言われればいいよと言ってあげたくなるのは仕方ないだろう。
 でもやはり怖いどうしたら、と思っていると綾時に手を掴まれた。
 いきなりの事でびっくりして悲鳴が出そうになったが、寸での所で飲み込む。何するんだ暗くて見えないからいいと思ったのか、と綾時の横顔を伺い見る。その綾時は珍しい顔をしていた。視線はスクリーンを凝視しているが、明らかに怖がっている。修学旅行で処刑された時も「ああ怖かった」と苦笑する程度だった綾時が怯えている。
 自分より怖がっている人が傍に居ると不思議と冷静になる所為か、さっきよりも怖さは落ち着いてきた。
 それに、映画の内容よりも掴まれている手が気になって仕方ない。いつもみたいに指先を掴まれたりとか、そいう風ではなく。指と指の間に綾時の白い指が絡められていていつもより接している面積が広い。綾時の手は暖かい。時折、怖いシーンで掴まれている手に力が込められる。指に全部の神経が集まってしまっているんじゃないかと言う程で、なんだか妙に緊張して。
 スクリーンと、綾時の横顔と、掴まれている手を見比べている間に映画は終わった。お陰で怖くなくて助かったけれど、内容は勿論あまり頭に入ってこなかった。

 映画館から出た後はポロニアンモールに移動した。「見たいものある?」と訊かれたので「CD」と答えて今に至る。
 店内をうろつきながら「あんなに怖いとは思わなかった……」綾時が溜息を付いた。
「映画?」
「うん……。全然怖くないって言ってたジュンペーを恨むよ……」
 格好悪いところを見せてしまった、と綾時は項垂れているが別にあれくらい気にする事ではないと思う。こちらとしてはちゃんと弱点もあるんだなとむしろ安心した位だ。ホラー映画が苦手。覚えておこう。まあ自分も苦手なのできっともう観る事はないだろうが。
 何か良い物はないかとCDを物色する。時折棚から引っ張り出してジャケットと曲目を見る。その間綾時はずっと隣にいた。
「……綾時は見たいの無いのか」
「あ、そうだね……。君がいつもどんなのを聴いてるのかが気になって」
 どんなの、って言ってもジャケット見ただけではあまりピンと来ないだろう。ふむ、と考えて、自分の首に提げていたヘッドフォンを取り、それを綾時の耳に掛ける。
「こんなのとか」
 MP3プレイヤーを操作して、よく聴く曲を再生する。少し驚いた様子の綾時だったが、次第に笑顔になっていった。やけに嬉しそうだ。そんな笑顔になる様な曲だっただろうかと疑問に思う。
「気に入ったなら貸そうか?」
「あ、ううん。なんかこういうのって、恋人っぽいね」
 自分の首に掛けられたMP3プレイヤーと、そこから伸びるヘッドフォンのコードを辿って綾時の顔を見上げる。先程までホラー映画に怯えていたのが嘘の様な満面の笑みだ。
 途端に恐ろしく恥ずかしくなってきて、ひったくる様にヘッドフォンを回収する。綾時が残念そうな声を出しているが気にしない。居た堪れなくなってそのまま出口へと真直ぐ向かった。
「CDはもういいの?」
 直ぐ追いかけてきて隣りに並んだ綾時に顔を覗きこまれる。
「だ、大丈夫だから……」そんなにこっちを見ないで欲しい。走り出したい程度に恥ずかしい。恋人っぽいって言いながら嬉しそうにされると、ほわりと心が暖かくなって、それを自覚すると尚更だ。
「じゃあ、どこ行こうか。見に行きたいものある?」
「これと言っては……」
 ポロニアンモールの中を当ても無く歩きながら考える。映画しか予定を決めておらず、他には何も考えていなかった。時計をちらりと見てもまだ四時を過ぎたところだ。折角休みに出て来てこうして会っているのに、ここでさよならも少し寂しい。かといって晩ご飯には早過ぎる。
「綾時はどこか行きたい所ないのか?」と問い掛ける。綾時はうーんと考え込み「君の部屋行ってみたいな」と言った。
 なんていい考えなんだ、と言わんばかりの笑顔だった。取り合えずどういう意味で言っているのかを思案する。少しばかり疑いを含んだ目で見上げる。綾時は首を傾げていた。
「順平君の部屋はお邪魔した事あるんだけど。君のはないし。順平君の隣りでしょ?」
「うん」
「……駄目かな?」
「まあ、いいけど」
 別に大した意味でもない様なので承諾する。他に行きたい所もないし。順平みたいにいきなりは人を招けないような惨状になっている訳でもないし。じゃあ、とポロニアンモールを後にした。

 寮に帰るとラウンジには誰もいなかった。中途半端な時間だし、皆も外に出ているのかもしれない。
 気にせず二階に上がり部屋に入る。
「適当に座って」と綾時を促す。
 適当に、と言ってもこの部屋には椅子が一つとベッドくらいしか座れる物がないのだが。「お邪魔します」と変なところで頭を下げて綾時はベッドに座った。
 じゃあ自分はこっちでいいか、と椅子を引くと綾時に驚かれた。
「どうかした?」
「だって……ここは隣りに座ってくれるところじゃないの」
「そういうものか?」
「そういうものです」綾時は力強く頷いた。
 まあいいか、と言われた通り隣りに座る。
「それにしても順平君の部屋とは大違いだね。綺麗に片付いてるし」
「まあ……順平が汚すぎるんじゃないか。汚すぎて警察来るくらいだし」
「え本当に!」
 頷く。「空き巣と間違われて通報された」美鶴に。
「やっぱり片付けは大事だよね……」と綾時は神妙な顔をして頷いた。
 綾時が部屋の中をぐるりと見回す。あまり物はないとはいえ、まじまじと見られると変に落ち着かない。
「どうしたんだよ」そんなに見るな、という気持ちを込めてじとりと見る。
「うーん、なんか懐かしい気がして」
「どこが?」
「それが分らないんだけど……なんだか凄く落ち着く」
「……そう」
「不思議だね」
 嬉しそうに笑い掛けられて思わず目を逸らして、足元を見た。やっぱり直視されるのは苦手、かも。
「ねえ、君が照れ屋さんでじっと見られるの苦手っていうのは分ってきたんだけど、こっち向いてほしいな」
 お願い。と懇願されては無碍に出来なくて、顔を上げる。空と同じ色の瞳を見詰める。綺麗な色だな。その青がそっと優しげに細められる。
「僕ね、君とこんな風に目線を合わせて話せるなんて、思ってもみなかったんだ。だから、凄く嬉しいんだ」
「そんなのが嬉しいのか」
「そうだよ。凄くね」
 今は頑張って見詰めているけれど、やはり眩しいし恥ずかしい。少し視線を外す。でも、と思い直してもう一度目を向ける。相変わらず青色の目はじっとこっちを見ていた。そして再び合った視線に嬉しそうに笑った。
「変なの」
 なんで目が合っているだけでこんなに嬉しそうなのだろう、って思いながら釣られて笑う。すると何故か綾時が赤面した。
「どうかした」と言うか否か肩を押されて後ろに倒される。勢い良くは無かったので痛くはないが、驚いた。天井が見える。普通に話していただけだと思ったのにこれは何の仕打ちだ、新しい嫌がらせか何かか。体を捻って起き上がろうとすると、肩を掴まれて再び仰向けに戻された。今度はぐっと肩を押さえ付けられる。
「何すんだ」と言うのが早かったのか、額に唇が振ってくるのが早かったのか。
 今度はもう、何するんだ、と言うことも出来ず呆然として。気付けば綾時に抱き締められていた。けど、ただ圧し掛かられているだけな気もするが。腕もまとめて抱き込まれてしまっていて、全く身動きが取れない。
「……重い」
「ごめん……でも少しの間こうさせて」
 首筋に擦り寄られてぞわりとする。だがそれきり動かなくなって、何だか縋り付かれているみたいだなと思った。
 なんとか肘から下を動かして、綾時の背中を撫でる。じわりと、体温が伝わってきて暖かい。重いけれど。
「このままずっとこうして居られたらいいのに」綾時が言う。心の底から、願っている声だった。そうだな、と素直に思う。ずっと、こうして二人で居られたらいいのに。
 何かが無くなる度に、誰かが居なくなる度に、少しずつ空いていったポッカリとした穴に、ぴったり綾時が嵌っていて、綺麗に埋まって塞がっている。満たされてる、とか言えばいいのだろうか。
 でもそんな事、声に出して言えそうにない。ぽんと綾時の背を叩く。
「そうしたら俺が圧死するな」
「えーそれはやだなあ」
 綾時が体を起こし、掛かっていた重みが消えた。ふっと寒くなって、軽くなってよかった筈なのに、少しばかり淋しくなった気がして。
 思わず「りょーじ」と名前を呼ぶと、キスをされた。