ギャップ

(爆轟/ワンライ)

 

「おい轟、ツラ貸せ」
 そう言って共有スペースでくつろいでいた轟を呼び出したのが、五分前のこと。
 その時共有スペースには、クラスの三分の一くらい人がいた。それなりに機嫌が悪そうな顔を作って呼び出したので、居合わせた飯田に「こんな時間に喧嘩はいけないぞ」と止められる始末だ。悪いのは時間かよ喧嘩かよと思いつつも、応じた轟本人が「お、いいぞ」と、実にのんびりした声を出したため、全員の緊張感が一瞬で霧散してしまった。
 喧嘩ではないらしい、と判断された。
 人の気遣いを台無しにするんじゃねえと、ソファから立ち上がった轟をきつく睨み付けたが、当人には全く響かないので意味がない。轟焦凍という人間は睨まれることへの耐性が異常に高い。
「どうした?」と傾けた首が、更に曲がるように頭を引っ叩いてやろうかと思ったが、まあやめた。やはり喧嘩だ、と判断され絡まれても面倒だ。舌打ちをして並んでエレベーターに乗り込む。そのことを疑問に思ったらしい耳郎の「え、」という声が聞えたが、聞こえなかったことにした。
 轟と爆豪が、クラスメイト以上に親密な関係であるということが知られては面倒だ。
 だというのにコイツはその辺の意識が薄い。
 そう、目の前でぜんざいに入った餅と格闘する轟を眺めながら思う。
 部屋にいる轟という光景も、すっかり見慣れたものになってしまった。来客用の折り畳み式の小さいテーブルの使用者は半分以上が轟だ。あとの半分は個別に集計することも面倒なその他のクラスメイト。
 餅を噛み切った轟が、もくもくと咀嚼している。二色の瞳は小豆の粒でも数えるかのように、ぜんざいが入った器に向けられている。
 ごくりと嚥下すると、一瞬顔を上げた。パチンと目が合うとまた視線が外れて、お椀の中の小豆色へ落ちる。
「ンだよ」
「いや……美味いなと思って。だけど急にどうしたんだ、ぜんざいなんて」
 美味いけど、と同じ言葉を言った轟が首を捻ったので、カチンと来た。
「テメェが、言ったんだろうが!」
 つい数日前に「この前砂藤が作ってくれたアップルパイが美味かったんだが、爆豪は甘いもん作れねえのか? メシは美味いけど、菓子作ってんの見たことねえから、やっぱ得意不得意って料理にもあるんだな」と言ったのはお前だろうが、と唸った後で、だが作れとは言われてなかったなと急に冷静になる。
「さすがに、作れって意味じゃなかった」と轟も言う。
「あんだけ煽っといてよく言うな」とうやむやにする。
「煽ってねえ」轟がかすかに唇を尖らせた。
 だろうなと、方々に呆れながら頬杖を付く。轟は相変わらずぜんざいの小豆の粒とにらみ合っている。一切こちらを見ない。
「……ぜんざい嫌いなんか」
「違ぇ。砂藤は洋菓子ばっかだが、家では和菓子食う方が多かったし、ぜんざいは好きだ。これもうめぇ」
「ならなんだ。こっち向けや」
「いや……ぜんざい、ってどうやって作んだ。あんこ煮るのか?」
「小豆から煮てやったわ」
「マジか」
 マジだわ、と鍋の中で小豆を煮詰めていた時間のことを思い出す。材料を揃えるまではムシャクシャしていたため気付かなかったが、何故俺は小豆なんか煮てんだ、とあの時一瞬我に返った。
 匂いを嗅ぎつけてきた上鳴に絡まれたり、そこそこ面倒な目にも遭った。本当に何故小豆など煮たのか。素直にクッキーでも焼いてやればよかった。きっと轟が畳の部屋なんかに住んでいるせいだ。
 轟はスプーンでぜんざいをすくうと、口に運んだ。ぱくりと口に入れ、飲み込む。普段ならばもう少し美味そうに食うはずなのだが、今日は無表情を貫いている。
 何か不満があるのか、と片眉を吊り上げる。言いたいことがあるのならば言え、と言おうとした時、丁度轟が口を開いた。
「爆豪、こういうの良くねえと思うぞ」
「アァ?」
 何がだよと睨み付ける。睨んだところで轟の視線は変わらずお椀の中だ。こっちを見ろと思うが、次に出てきた言葉ですべてが霧散した。
「こういうの、あれだろ。ぎゃっぷもえってやつだろ」
 何を言い出したのか、まるで理解できず絶句する。
 脈絡が無さ過ぎて理解が出来ない。そもそもギャップ萌えなどという言葉が、轟焦凍の口から出てくることへの違和感が凄い。鳥肌でも立ちそうだった。
 結果「何が言いてェんだよ」と素直に聞く羽目になった。
「だってあの爆豪が、寮の台所で、わざわざ小豆ことこと煮てるとか、ヤベェだろ」
「テメェ喧嘩売ってんのか」
「ちげぇ、いい意味だ。俺は既にかなりヤベェ。顔が見れねぇ」
 轟の頭の中で何がどうつながっているのかいまいち分からない。だがどうやら小豆の粒を数えているわけではなく、顔が見られないため俯いているらしかった。
「おい」と呼びかけるも、当然顔は上がらない。
「だから見られねえって言ってるだろ」と無表情で答えられる。
「つか、下に呼びに来た時に爆豪から甘い匂いしてたし、そういうのもたぶん、ダメだろ」
「マジか」
 あんこの匂いがしてるのかと袖を嗅いでみるが、さっぱり分からなかった。長時間甘い匂いを嗅いでいたため鼻がバカになっているのかもしれない。
 つかダメってなんだ。
「あの爆豪から甘い匂いしてて、甘いもん作ってくれてるとか、たぶんダメだ。そんなギャップ見せられたら、普通のヤツはイチコロだぞ」
 だから危ないからやめた方が良い、と轟が言う。
 なんとなく言いたいことは分かった。たぶんこいつは照れているのだなと察する。そして最近誰かがコイツに「ギャップ萌え」という言葉を覚えさせたのだなと言うことも察する。ややこしいことしやがって、と舌打ちする。
「そう思うならちったあそういう顔しやがれ」
「いや無理だ」
「アァ? こっち向けや」
「それも無理だ」
 とにかく無理だ、と連呼する轟に向け腕を伸ばす。
 顎を掴み無理やり上を向かせると、今度は視線を真上に向けて逃れようとした。往生際の悪いことだ。テーブルに手を付き、顔を覗き込むように身を乗り出す。
 しかしそこで、掴んだ轟の顔がやけに冷たいことに気付いた。温かい部屋でぜんざいを食っている人間の温度ではない。
「おい」と顔を近づけると、手のひらで制された。轟の手は熱い。
「テメェ、んで顔だけ冷てぇんだよ」
 風邪ひいたのかとも一瞬考えるが、風邪を引いたのなら逆だろう。顔だけ冷えるとは何か。個性を使っているのか。
 考えていれば、爆豪を遠ざけようとする轟の手に額を押される。もう片手は顎を掴む手を外そうともがいている。それほど逃れたいのかと逆に力をこめると、轟も更に力を入れる。
 地味な攻防を続けていると、先に音を上げた轟が唸った。
「マジで勘弁してくれ。一生懸命冷やしてんだよ、顔あちーから」
 その言葉に、ヒュッと喉が鳴った。
「テメェこそ、そういうのやめろ!」と叫んだ言葉の意味は、きっと轟には伝わらない。
 こちとら顔を冷やす手段を持っていないというのに。