(爆轟/ワンライ)
壁際に逃れ、ふっと息を吐く。
目を伏せ、暫く放っておいてくれという空気を全面的に押し出せば、ようやく話しかけてくる者は居なくなった。それでも名残惜しく視線が追いかけてくるが、壁にもたれてしまえばそれも止む。
深呼吸を一つ。
顔を上げた先ではまだ、生徒たちが踊っている。ドレスに身を包み、化粧をし、髪を整え、パートナーを変えながらボールルームダンスを踊る。そういう煌びやかな光景が見える。
この講堂に集められているのは三年生だけだ。それでも全ての課が揃っているため人数は多い。良く知ったクラスメイトに混じり、なんとなく見たことのあるだけの生徒も多数見える。
パーティーのようだが、これも授業の一環だ。ヒーローとして社会に出ていけば、このようなパーティーに出なければならない時も来る。それは分かる。だがダンスまで必要があるのだろうか。
先ほどまで握っていた、誰かの手の感触が残る手のひらを眺める。
そんな時に「おい」と声を掛けられた。
もう少しくらい休ませてくれと思う反面、まさかその声に呼ばれるとは思っていなかったため、はっと顔を上げる。面倒臭そうな顔をした爆豪が、片手をポケットに入れたままこちらに歩いてくる姿が見えた。
「何サボっとんだ」
「さすがに疲れた。少しくらい休ませてくれたっていいだろ」
「ハッ、随分とモテとったな」
「そういう爆豪も、ひっきりなしだったろ」
自分の記憶を呼び起こしながらうんざりとし肩を落とす。
「俺はオンナばっかに囲まれとったテメーとは違ぇわ」
「爆豪はたしかに、男女問わずって感じだったな」
轟とて、親しいクラスメイトと踊りたかった。気安いからだ。だが女子の圧に負けた友人たちは、遠くの方で苦笑しながら手を振ってくるばかりだった。
一方爆豪は、勝利の化身からにあやかろうと、ご利益を求めて人が集まっている様子があった。一緒に踊れば勝利が約束され、商売も繁盛する、というジンクスでもあるのだろうかというほどだ。
「爆豪も疲れて休みに来たのか?」
「一緒にすんじゃねえ。振り切ってきたんだわ」
「おぉ、すげえな。俺はギリギリ逃れたって感じなのに」
感心していれば、鼻で笑われた。「随分お人よしになったな」と褒めているのか、けなしているのか分からないことを言われた。「そうか?」としか返しようがない。
他愛ないやり取りに、ほ、と息を吐く。今日初めて落ち着けたような気がする。爆豪と話していてほっとするだなんて、一年の頃の自分に言ってもきっと信じないだろう。
正面に立ったままの爆豪を眺める。
オレンジのシャツのボタンを大きく開けてはいるが、スーツ姿は正装という趣がある。髪を後ろに撫でつけているからだろうか。いつもと違い、大人っぽい。かっこいい奴だなと思いながら、どうして正面に立ったままなのか、という疑問に行き当たる。疲れたから休みに来た、のではないらしい。それならとなりに並んで、壁に背を預けていたっていい。
睨むでもなくじっと見つめてくる、炎の色をした瞳と見つめ合う。
意図を掴みかねて首を傾げると、思い出したように爆豪が片手を上げた。
「踊るぞ」
「……俺とか?」
「今俺の目の前に轟以外の誰がいるんだよ」
「だよな」
まさか誘われると思っていなかったから、驚いていた。
壁から背を離し、差し出された手を取る。そのまま手を握られ、空いているスペースへ連れていかれた。爆豪と轟の組み合わせを珍しがる視線が幾つかこちらを向いたが、それだけだった。次の順番を待っていた誰かかもしれない。
振り向いた爆豪を向き合う。そうすればどこからかこちらを見ていた視線のことなど忘れてしまう。この赤色を前にして、他の何が見えるというのだろうか。
「どっちがどっちやる」
「どっちも踊れるぞ」
「俺も踊れるわ」
「なら、俺の方が身長高いし、リードする側やる」
合理的判断、という気持ちで言ったのだが、当然のように舌打ちされた。
一年から比べれば爆豪の身長は伸びていたが、結局差が埋まることはなかった。出会った時から変わらない高さで見つめ合う。
ムカつく、という視線に睨まれたが、提案は呑まれたらしい。「まぁいいわ」と手が差し出された。
珍しいなと思いながら、その手を取る。もう片手を爆豪の背に回せば、肩に手が添えられた。自然と距離が近付く。胸倉を捕まれているわけでもないのにこれほど近い距離に居ることが不思議で、ドキドキと心臓が逸る。
「踊らねえのか」と間近で呆れた顔に笑われ、我に返る。
「珍しいから驚いていた」と素直に答えると、また鼻で笑われた。
音楽に耳を傾け、音に乗るように一歩目を踏み出す。
右、左と足を出せば、それに爆豪が付いてくる。気にしたのは最初の四歩だけだった。今日何度も何度も踏んだステップだ。それにパートナーを気遣う必要がないくらい、爆豪とぴたりと歩調が合う。一人で踊っているような気軽さに、実は自分たちは一人だったのではなどと考えてしまう程だ。
どくどくと脈打つ心臓は、実は一つだったのではないか。バカみたいなことを考えていると、爆豪が笑った。
「変な顔してんぞ」
「、そうか?」
「俺が人に合わせられんのが不思議だ、とか思ってんならぶっ殺す」
「そんなことは思ってねぇ、が」とすぐそばで笑う瞳から視線を逸らす。ドレスアップした同級生たちがあちこちで踊っている様子が見える。非現実的だ。「みんな正装だから、不思議な感じだ」
「その上こんな風に踊ってちゃなあ」
「ああ。あ、爆豪のオールバックって初めて見たけど、似合うな」
「そうかよ。テメーのカッコは、ムカつくな」
「ひでぇ。似合うってみんな言ってくれたぞ」
「だからだろうが。そんなんだから、余計にオンナ共が群がってくんだろ」
そうだろうかと一瞬、先ほどまでのことを思い出す。しかしパチンと目の前の赤色の瞳と目が合えば、考えが吹き飛ぶ。別のことに気を割くことが勿体なく思われた。
こんな風に、直ぐそばに居られる時間もあと僅かだ。数か月のうちに卒業を迎える。学校という枠組みがなくなれば、日々顔を合わせることはなくなる。
進行方向に居たペアを避けるように向きを変える。その動きにも爆豪はぴたりとついてきた。
「爆豪と踊れるとは、思わなかった」とぽつりと零す。
「思わなかったって、考えはしたんか」
「考え、た。な」
たぶん。と曖昧に頷く。
踊りたいと思ったから、見ていたのではないだろうか。誘いを受けて踊る爆豪のことを。そういえばずっとリードする側だったなとか、誘っているのは見ていないなとか、思い出す。
少し自惚れそうだ。つい笑う。
「思ってたより踊りやすいな」
「そうかよ」
「うん。最後にいい思い出が出来た」
あの爆豪にダンスに誘ってもらって、一緒に踊って。今日の爆豪は言葉も穏やかだし、譲ってくれるし、優しいし。珍しいものをみた。誰かに自慢したい気がする。
この思いでは、きっと大事にしよう。
「ありがとう」なんてお礼を言おうとしたら、それまでぴたりと重なっていたステップが急に崩された。
ぱっと体が離れる。何か気に障ったのか、と考えたがそれも一瞬のことだ。
離れた手が握り直され、背に手が回される。反射的に爆豪の肩に手を乗せる。ポジションが入れ替えられたという理解が追い付いてきた時には、ぐっと体が寄せられていた。
腰が支えられ、背が反る。きっと傍目には、ダンスの振りの一つのように見えているのだろう。しかし、顔が近い。瞬きをする。
真っ赤な瞳が睨むようにこちらを見ている。
「何終わらせようとしとんだ」
触れたところから伝わる体温は熱い。脈打つ心臓がどちらのものか分からない。
「何も始まってねえのに終わるかよ!」
びりびりと声が鼓膜に届く。
きっと今、間抜けな顔をしていたと思う。驚いて、目を丸くして、口もぽかんと開けていたに違いない。
程なくして舌打ちが聞こえ、反らした体が引っ張り上げられる。そして何事もなかったかのように、爆豪のリードでダンスが再開される。
その間様々な考えが頭を過って、もつれていた。それでもステップはぴたりと重なったままだ。このダンスも程なく終わる。それが寂しい。ずっと続けばいいと、思った。
爆豪を見ると、赤色の視線がこちらを向いた。
「終わらねえのか?」とやっとのことで口を開く。
「始めたくないわけじゃなきゃな」と爆豪が答えた。