ヒーローの朝食

(爆轟/が新婚なことが公然の事実の世界)

 

 

 

 

 着替えて顔を洗って、最低限の身支度を調える。
 洗面所から、一度自室へ戻る。部屋の隅に置いていた紙袋の中から、ビデオカメラを取り出す。数日前にテレビ局の人から渡されたものだ。
 説明された使い方を思い起こしながら、確かこれが電源で、とボタンを押す。ピロリンという陽気な音が鳴って、ランプが光った。モニターを開いてみると部屋の中の風景が映っている。あとはこの、録画開始ボタンを押せばいいはずだ。
 ピ、という電子音が鳴る。
 これで録画が始まったのだろうか。良く分からないが多分大丈夫だろう。カメラを構え部屋を出る。ペタペタとスリッパの音を立てながらキッチンへと向かう。キッチンからはジュワジュワという軽快な音と、甘くて香ばしい匂いが漂ってきていた。
「おはよう」とキッチンに立つ爆豪に声を掛ける。
「はよ」と振り返ることなく短く言葉が返る。
 キッチンカウンターの内側へ回り込みながら、Tシャツにスウェットというラフな格好でフライパンを掴む、爆豪の姿を撮影する。
 自分の手の中のモニターを介して見る爆豪は新鮮だ。カメラで写真を撮ることは度々あるが、動画を撮ることはまずない。上手く撮れているよなと心配になり首を捻る。モニターの中の爆豪がこちらを向いた。
 向いたかと思えば、ぐわと目を吊り上げた。
「何撮っとんだテメェ!」
「前に言ったやつだ。バラエティで、休みの風景撮ってくるってやつ」
「今日撮るっては聞いてねえ!」
「やっと休み被ったからな」
「んな話も聞いてねえわ」
 言わなかったか、とモニター越しに話しかける。「聞いてねェ、つか撮ってんじゃねえ!」と腕が伸びてきたので背を逸らして避ける。
「朝飯撮りてぇなら出来上がってから撮ればいいだろうが!」
「お、そうだ、今日の朝飯なんだ?」
 フライパンを持っていない方の手がカメラを奪おうと執拗に狙ってくるが、ある程度距離を取ってしまえばお終いだ。爆豪はフライパンを見捨てない。諦めたのか、吊り上げていた目を元に戻すと見せかけ通り過ぎ、ジト目で「フレンチトーストだわ」と吐き捨てた。
 撮影の妨害を諦めてくれたようだと判断し、フライパンの中身が映るように近付く。既に片面にこんがりと焼き色の付いた、美味しそうなフレンチトーストの姿があった。
「うまそう」と呟くと「たりめーだろ」と肩をぶつけられた。
 肩をくっつけたまま、ジュワジュワと音を立てるフレンチトーストの映像をカメラに収める。
 じっと眺めながら、実況をしなくてはいけないことを思い出す。
 このままでは美味しい映像しか撮れない。プロヒーローの休日というテーマの動画を撮らなければならないというのに。
 爆豪の顔にカメラを向け直す。近過ぎたので一旦離れる。
「爆豪よく敵顔とか言われるんですけど、こういう可愛い朝飯とかも作ってくれるんですよ」
「これはテメェが作れって言ったんだろうが!」
 また目がつり上がったかと思えば、顎を掴まれた。むぐ、と言葉が詰まる。
「覚えてねえとは言わせねえぞ」
「……言ったか?」
「昨日急にバケット買って帰ってきて、フレンチトースト食いてえつって人に牛乳買いに行かせたのはどこのどいつだ、言えや」
「おいやめろ。今カメラに爆豪の胸筋しか映ってねえ」
 顎を掴まれて睨み付けられながらも、視線を下に向ければカメラのモニターが見える。ほぼほぼ爆豪に押し付ける形になっているカメラのレンズが映しているのは、なんとなく凹凸があるだけの黒色だ。これでは放送事故ってやつになってしまう。
 眉を寄せると鼻先を噛まれた。
「いてぇ!」と騒げば、フンと鼻で笑われ顎が解放された。しかし今のシーンはカメラに映っていなくて良かった。
 鼻をさすりながら、コホンと咳ばらいをする。
「普段の朝飯は和食と洋食半々なんですが」とリポートを再開すると「続けるんか」と呆れた爆豪の表情がモニターに映し出された。
「どっちが出てくるかは爆豪の機嫌次第です。体が資本なので喧嘩しても飯が質素になったりはしないんですが、機嫌がいいと俺の好物が出ます」
 今日は食べたいといったメニューを作ってくれているので、機嫌がいい方だ。久しぶりに休みが被ったからだろう。
 昨日は酒を飲んで帰ったため、フレンチトーストが食べたいといった記憶はあいまいなのだが、バケットを買った記憶はある。普段の爆豪なら、シチューに添えれたり、ピザトースト風にしたりする。自主的にフレンチトーストを作ることはまずないので、たぶんねだったというのは本当だろう。それで牛乳まで買いに行ってくれたのかと思うとたまらない気持ちになる。カメラを持っていなければ、飛びついていた。
「もう出来るからお前はあっち行ってろ」
「お、じゃあ珈琲淹れるな」
「カメラは置けよ」
「分かってる」
 一旦カメラをダイニングテーブルに置くと、カウンターの隅に置かれた珈琲メーカーのスイッチを入れる。豆を投入すれば、後は全てやってくれる優れものだ。緑茶は美味く淹れられるが、珈琲はイマイチの轟でも、爆豪に文句を言われない仕上がりの珈琲が淹れられる。
 タンクに水を入れ、規定量の珈琲豆を投入し、ボタンを押す。その間にマグカップを棚から取り出しテーブルに置く。
 珈琲が淹れ終わる頃には、朝食が食卓に揃っていた。サラダとスープとフレンチトースト。
 マグカップに珈琲を注ぐと、先に席に着いていた爆豪の向かいに座る。
「いただきます」と口にしてから、あっと思い出しカメラを手に取る。
「朝飯です」と卓上を映せば「まだ撮っとったんか」と爆豪がまた呆れていた。
「爆豪は飯を作るのが上手いので、なにを食っても美味いです」
「テメェの料理は雑だからな」
「食えるもんは出来てるだろ」
「食えなくはねえな」
 カメラを食事から、喉の奥で笑う爆豪の姿に映す。フォークでサラダを刺して口に運ぶ。ちょっと機嫌のいい顔だ。
「爆豪と一緒に暮らしてると、幸せですよ」
 美味い飯も食べられるし、飯だけじゃないですけど。
 そうなんとなく、ポロリと零す。
 モニター越しに見る爆豪の姿が新鮮だったからかもしれない。モニターを介さなくても目の前にある現実に、急に感動したからかもしれない。
 爆豪が驚いたように肩を揺らした。
 皺が寄りがちな眉間が緩んで、心なしか目元も緩んだ。
「そうかよ」とぶっきらぼうに、それでいて冷たくなく、むしろ温かな響きで呟かれた。
 照れたのかマグカップに手を伸ばし、なんでもないように装って珈琲を口にしている。その様子をじっと見つめていると、爆豪がこちらを向いた。カメラ越しでは勿体ない表情に驚いて顔を上げる。照れ隠し程度では隠し切れていない、随分かわいい顔をしていた。
 咄嗟にカメラのレンズを手で覆う。
 その行動を不審に思った爆豪が「ア?」と片眉を吊り上げた。
「その顔はダメだ。勿体ねえ」
 今、モニターは真っ暗だ。そのことに少しホッとした。ふーっと息を吐く。「爆豪のこと見せびらかそうと思ってたんだが、さすがにそれは勿体ねえ」
「アァ?」
「早く顔戻せ。撮れねえだろ」
「いや、こっちはテメェの言いたいことが分からねえんだよ。何急に人の顔にダメ出ししとんだ」
「爆豪は普段敵顔とか言われるだろ。家だと結構優しいぞ、っていうの見せようと思ってたんだが……」
 いざこれがテレビ放送されてしまうかと思うと、惜しくなってしまった。
 表情険しく悩む。流石にこれは自分だけの特権なのではないか、という気がしてくる。そこまでの表情でなくとも、穏やかな顔も出来るのだから、その程度に納まってはくれないだろうか。そんな特別な表情ではなくて、もっとありふれた。
 ということで再度「爆豪、顔を戻してくれ」と言うと「カメラ止めろや」と不満げに唇を尖らせた。
「……つか、爆豪って呼んだらダメじゃねえか?」
「お、気付いたか。俺はテメェの名前を一度も呼んでねえぞ」
「悪ぃ……爆心地……」
「今更すぎんだろ。まあ元々本名伏せてるわけじゃねえからいいわ」
「確かに、雄英時代の映像すぐ流されるもんな」
「今その話題出したから、ゼッテェまた流されるわ」
「俺とお前の馴れ初めの話になると、間違いなく一年の時の映像流れるもんな、またあの拘束姿出ちまうな。悪ィ」
「ンの舐めプ野郎!」
 今日一番の吊り目を見せた爆豪に「お、いつもの顔に戻った」とレンズを覆っていた手を外す。
「聞けや」と顔面を掴まれた。もう顎ですらない。「見えねぇ」と腕を振り払おうとすると、その隙にカメラが奪われた。手が離され視界が開ける。
 爆豪がカメラをこちらに向けて構えていた。
「返せ」
「テメェの顔を映さねえでどうすんだよ。ヒーローショートの休日風景を撮るんだろ?」
「……たしかに」
 今撮れている映像は完全に、爆心地の休日だ。一理あると渋々カメラを奪い返そうと上げていた腕を下げる。
「撮っててやるから飯食え」
「おぉ……」とフォークを握る。
 食卓の上には美味しそうな朝食がある。いただきます、と再び口にして、なんとなく落ち着かない気持ちになってマグカップに手を伸ばす。珈琲で口を潤してから、フレンチトーストを小さく切り分け口に運ぶ。
 もくもくと咀嚼していると「どうだよ」と尋ねられる。顔を上げると、カメラのモニター越しに爆豪がこちらを見ていた。
「……うまい」と喉の奥から押し出すように言う。
 なんだか妙に照れくさい。じりじりと顔に向けて熱が登ってくる気がする。頬が熱い。何かから逃れるように視線を下げ、フレンチトーストを見る。もう一口食べて、フォークを置き、手の甲で頬に触れる。
 何がこれほど恥ずかしいのだろう。
 食べている風景を撮られることは、そう珍しいことでもない。ならば爆豪にカメラを向けられていることだろうか。思い起こせば、スマホのカメラを向けられてもなんとなく落ち着かない気持ちになる。なので爆豪のカメラフォルダに入っている轟の写真は、ほぼ不意打ちで撮られたものだ。
 触れた頬は予想通りに熱くて、それが余計に恥ずかしい。
「爆豪に撮られるのやっぱ、恥じぃな」
 困り果てて笑うと、ピッという電子音が聞こえた。
 カメラから聞こえたその音の向こうに、急に無表情になった爆豪の顔が見えた。かと思えば深々溜め息を吐かれた。そして邪魔だといわんばかりに、カメラを卓上の隅に置いた。
「おい、今カメラ止めただろ」
「いいから冷める前に食え」
「カメラ返せ」
「テメェだってダメだっつったろ」
 再び溜め息を吐かれる。
 黙々と食べ始めた爆豪の目元がうっすらと赤く、そこで言いたいことを概ね察した。これでは「おお」としか答えようがない。
 おかげで、なんとも言い難いむず痒い空気の中で朝飯を食べる羽目になった。
 けれどフレンチトーストは美味しい。甘さは爆豪の好みで控えられているため、より少し甘くしたい時は蜂蜜をかけることになっている。蜂蜜を取りに行くかどうしようか悩むが、悩みながら食べ進めていたら食べ終わってしまっていた。
 そのころには空気も落ち着いていたので、改めて卓上に置かれたカメラを見ることになる。
「で、この後どうすんだ。まだ撮んのか」
「撮ろうと思ってたんだが」
 どうしたものかと首を捻る。無計画に撮って、また先ほどのような空気になっても困る。ならないように気を付けるというのも、久々に休みが被って浮かれる中では難しいようにも思えた。
「なら晩飯でリベンジするか」
「なんのだ」
「これのだよ!」と爆豪がカメラを指差した。「計画的にまともな映像を撮る、んで朝のは消せ」
「なるほど」
 それで行くか、と同意を示す。
 カメラに撮る用の晩飯には、何を作ってくれるのだろうか。ちょっと豪華かもしれないなと期待をしていると「後で買い出しな」と言われたので、予想通りになるのだろう。
「買い物行ったらいちゃいちゃしような」
「掃除だわアホ」

 後日、消し忘れた朝食の方の映像がお茶の間に流され、轟は酷く怒られることになる。