(綾主。大晦日)
たった一ヶ月も待てず、望月綾時という人間の僕は存在を終えることになった。
たった一ヶ月。けれど一ヶ月。あまりにも短い望月綾時の一生だったけれど、とても楽しくて幸せで溢れていた。
一応、二ヶ月ほどは存在していたけれど、内後半の一ヶ月、それはもう人間の僕ではなかった。だから、望月綾時という人間の僕の一生は、一ヶ月間。
十年余りぼんやりと寄り添った彼と、人間として友達になれて、学校生活を送って、旅行にも行って、恋までした。勿体無いほど充実して幸せな時間だった。人間じゃない僕には本当に勿体無いくらいの時間を与えられたと思う。それもこれも僕に人間性を与えてくれた彼のおかげ。
僕は彼に幸せな余生を与える為に死ぬのです。
唯一僕を殺せる、僕を宿して人間に育ててくれた彼は銃を胸の前で握り締めている。吸血鬼を殺すのは銀の弾丸。僕を殺すのは彼の覚悟。
召喚器を握り締める彼の両手に、自分の両手を重ねる。体温の低い彼の指先は、いつもより冷たかった。せめて、せめて僕の体温が彼に伝わればいいのに。人間の様な僕の、人間の様な体温が、彼の冷たい手を暖められたら。
この、彼の手で終わらせてもらえる。大切で、大好きな、彼の手で。これ程幸せなことは無い。最期の瞬間まで、僕の人間を模した瞳は彼を映していられる。
そういう、どうしようもない幸せ。
「ねえ、酷い事を言ってもいい?」
彼の頭に頬を寄せる。柔らかな髪の感触。触れられるって、幸せだ。
「……何」彼は素っ気無く答えた。
答えてくれたのが嬉しくて、僕は微笑む。何って聞いてくれたって事は、言ってもいいって事だよね。酷い事、って言ったのに、優しい。
僕は優しい彼の言葉に甘えさせてもらって、酷いことを言う。
「好きです」
「ずっと。十年間ずっと」僕は君の事を「愛しています」
とても、伝えきれない。この世界に散らばる沢山の言葉を拾い集めても、どれだけ言葉を重ねても、きっと伝えきれない。
彼は僅かに俯いた。
「本当に、酷いな」
「うん、ごめんね」
でももう少ししたらきっと忘れてしまえるから、許してもらえるかな。
彼が、僕の願いを聞いてくれるって言った時嬉しかったな。彼は、彼の仲間の意思を裏切ってまで僕の願いを叶えてくれるって言うんだ。こんなの、幸せっていう以外どう言えばいいのかな。
そんな僕を幸せにしてくれる彼に酷い事を言う僕は、きっと世界一の親不孝者だ。
「お前さっき、自分のことを人間じゃないって言ったけど。そんな事ない、お前はちゃんと人間だったよ」
「……そうかな」
「だから俺もお前を好きになったんだ」
不覚にも、僕は少し泣いてしまいそうになった。
こんなにも嬉しいのに幸せなのに泣いてしまいそう、なんて変なの。
酷い事を言った親不孝者の僕を受け入れてくれる彼の、懐の深さに僕は甘えてしまう。
彼でよかった。僕が封じられたのが、彼でよかった。一緒に居られたのが、好きになったのが、僕を殺してくれるのが、何もかも全部全部全部。
彼でよかった。
「ねえ、僕凄く嬉しいのに泣きそうなんだ、変だよね」
「そんなことない。人間は嬉しいと泣くんだ」
「そうかな……そうなのかな」
顔を上げて、目尻にじんわりと浮いてきた涙を拭う。少しだけぼやけた視界で、凛とした彼と目が合う。長い睫、綺麗な瞳。片方隠しているなんて、勿体無いな。
「お前を殺したら、影時間に関わる事全部、忘れてしまうんだよな」
「そうだよ」
「お前のことも」
「……うん」
「じゃあ、今何をしても全部忘れるんだな」
「そうだよ、だから何も心配しないで」
僕を殺したって事も全部忘れる。忘れてもらえる。何かを殺した、っていう後ろ暗い気持ちに彼がなることはない。その事は嬉しい。彼は明日の朝目が覚めたらただの普通の高校生。もう何にも傷付けられる事はないし、戦いを、苦しみを強いられることもない。少し遠退いた終わりの日まで、幸せに生きていてくれる。
彼に色んなものを強いてしまう運命を持ってきてしまったのは僕だけど、だからこそ彼に平穏を返して上げれることが嬉しい。僕の存在を引き換えに、彼に全てを返せるのだから、これ以上幸せなことはない。
微笑みかけると彼は握り締めていた両手を解いた。その手でいよいよ僕を殺してくれるのかと胸を期待でいっぱいにする。けれど彼の手は自身の米神ではなく、僕に向かって伸ばされた。両手が伸びてきて、僕の首へ絡まる。
「忘れるから、俺に酷い事、言っても言いと思った?」
「……ん、そうかな。どうしても言いたかったし」
「じゃあ、俺が酷い事をしても、許すな?」
「うん、勿論」本当は許すも何も、彼から与えられる物は全て甘受するのだけど。
ひたりと冷たい感触が頬に当たった。召喚器を握る彼の手が僕の頬に触れている。反対側の頬にも彼の手が添えられた。こっちは暖かい。良かった、さっきより少し暖かくなったみだいだ。僕の温度が移ったんだろうか。それなら、嬉しい。
彼は僕の頬を両手で包み、少しだけ背伸びをして唇に触れた。そっと触れるだけの、柔らかなキス。
「……君も相当酷いね」
少しだけ、これでお別れなのが名残惜しくなってしまった。ああもう、酷いなあ。
「なら、これでチャラだろ」と彼は意地悪く笑った。
カチカチと秒針が進む。もう、今年も残り僅かだ。僕達の今年を締め括るのは除夜の鐘ではなく、一発の銃声だ。彼の人差し指が、引き金に掛かる。
「僕ね、幸せだったよ。きっと世界一幸せ者だよ」
「そうか」
「本当。心からそう思う。良い人生でした」
「なら、良かった」
銃を握る彼の手がゆっくり上げられる。あれに撃ち抜かれて死ぬのもいいけど、僕は銀の弾丸では死ねない。吸血鬼じゃないもの。それに召喚器から弾丸は放たれない。やっぱり僕を殺すのは彼の覚悟。彼の心が僕を殺す。文字通り、彼に、彼の全てで僕は葬られる。これ以上を考えられないほど、幸せな、最期。
僕の人間を模した瞳は精一杯、最期まで彼を映す。
「じゃあな」
最期に映したのは、彼の穏やかな笑顔だ。
「綾時」
こんな風におくってもらえるなんて、やっぱり僕は幸せ者で、最高の人生でした。
「ありがとう」