あたたかいよる

(綾主)

 

 

「君の部屋に泊まってみたいな」って綾時がにこにことしながら迫ってきたのが本日正午過ぎ、昼休みの事だ。
泊める事は別に良いとして、そもそも寮って人を泊めていいものだったか……。仮に良かったとして、巌戸台分寮は他の寮とは根本的に違う。寮、というより寮機能を兼ね備えた対シャドウ用基地の様な感じだ。
無理な気がするぞ、と綾時には伝えたのだがそれでもと両手を掴まれて目をきらきらとさせてにじりよられたら断りきれなくて、美鶴がOKしたら、という条件でその場を収めた。
そして今。食後の優雅なティータイムを楽しむ美鶴は「綾時の奴が泊まりに来たいって言ってるんですけど、泊めてもいいですか」とう問い掛けに眉を顰めていた。
「泊まりか……本来ならば許可は出来ないな」
「ですよね」
まあ、予想通りだ。綾時には申し訳ないが、明日の報告は悪いものになってしまうな。凄く楽しみにしている様子だったので、きっと落胆させてしまうだろう。少し心が痛むが、仕方ない。何と言って伝えようか。
「それにして、君がそんなことを言うなんて珍しいな」
「そう、ですか?」
「ああ。そもそも君が寮に人を招いている所を見た事がないように思ってな。望月も伊織に連れられて此処へ来るのはよく見かけたが」
言われてみれば確かに。寮へ自ら人を招いたことはない、かもしれない。帰り道も途中までは誰かと一緒でも、寮へ着く時には別れた後だ。
カチャンと音がした。顔を上げると美鶴がティーカップを置いて腕を組んで、何やら思案している。
「この寮には人を招く用意など無いから、予備の寝具等は無いが大丈夫か?」

と、いうやり取りがあった数日後、綾時は巌戸台分寮に泊まりに来ていた。
「君の部屋って、本当に綺麗だよね」
綾時は先程までもずっと居た部屋の中をぐるぐると見回している。これ以上どこに見るところがあるんだ。
美鶴の最終的な決定は「作戦が控えている訳では無いので特別に許可しよう」ということだった。特別に、と言われたところからも分かるが、本来なら泊めるなんて持っての他の様だ。
けれどそこを特別に許してくれた美鶴には後日改めてお礼をしなくては。
「綺麗に片付いてるし、順平の部屋とは天と地の差だよ!」
「物がないだけだって……」
風呂上りの綾時は髪から水をぽたぽたち滴らせながら部屋の中を歩き回って、今日一日定位置にしていたベッドの隅へ戻っていこうとするので急いで腕を掴んだ。そんな状態でベッドに座られたら布団が濡れる。
椅子を引いて綾時を強引に座らせ、頭にタオルを被せた。
「わっ、何?」
「ちょっと大人しくしてろ」
わさわさと綾時の髪を拭く。多少乱暴な手つきになるが、まあ仕方ない。突然視界を奪われた挙句のあまりに雑な扱いに、綾時は少々暴れたが、気にしない。
まあこれくらいかな、というところで手を止めドライヤーを取り出しコンセントに繋げる。ドライヤーを綾時に差し出すと、何故かちょっと驚いた顔をしていた。いつもと違って髪は下りているしぼさぼさだし、表情も相まって少し幼く見える。
「君って繊細そうな見た目してるのに、意外とやること豪快だよね」
「……丁寧に拭いて欲しかったのか?」
「出来れば、もう少しばかり」綾時は苦笑した。
ドライヤーを持たせ、鏡使うならあっち、と指差す。だが綾時はドライヤーと自分を交互に見るばかりで一向に立ち上がらないし、ドライヤーを使う気配も無い。
「どうした?」
「あのさ、乾かしてほしいなーって」
「は」
「僕も君の髪を乾かすから、乾かし合いっこしませんか」と、にっこりと笑い掛けられ(何故だ)とは思ったが、特に断る理由も見付けられなかったので「いいけど」と返した。
途端に綾時は嬉しそうに立ち上がって「お先にどうぞお姫様」と椅子をあけた。誰がお姫様だ、と軽くどついてからお言葉に甘え椅子に座る。
「君の髪って綺麗だよね」
「そうか?」
「うん、とても」
ドライヤーのスイッチが入れられ、頭に温風が当たる。それから控え目に髪を梳く綾時の手。こんな歳になって誰かに髪を乾かされる、なんてなかなか無いので何となく居心地が悪い。それでも背後に感じる綾時の気配と、丁寧に触れてくる指の優しさに慣れて来ると、不思議と落ち着く気がした。
自分の髪が乾き終わるとポジション交代。今度は綾時の髪を乾かす側だ。自分より少しばかり長い黒髪に温風を当てる。何でこんなことしているんだろうな、という疑問が僅かに浮かんで、きっと自分もそれなりに浮かれているんだろうな、と思った。
今日の学校帰りに綾時と一緒に帰ってきて、それから部屋で映画を見た。映画は綾時が持ってきた、順平に勧められたというアクション映画。これがなかなか面白かった。見終わって少しどうでもいい事をあれこれと話して、夕食をラウンジで寮の皆と取って、その後少しばかり団欒。それからお風呂に入って、今。
何だかんだ楽しくて、帰ってから今まで一瞬だった様に思う。
「はい、終わり」
「ありがとう」
綾時の髪も乾いたのところで、ドライヤーの電源を切りコンセントから抜く。
「この後どうする?」
「寝るけど」
「えもう? 君もっと夜更かしなイメージだったけど、意外に早寝早起き?」
「そうかも」
基本的に影時間前には寝る癖がついていたから、必然的に起きるのも早いのかもしれない。綾時は少し残念そうな顔をしたが、こればかりは譲れない。やっぱり、影時間に入る前には眠りに就きたい。
ベッドを整えていそいそと潜り込む。いつもより心なしか端に寄って寝そべると不思議そうな顔をした綾時が見下ろしていた。
「……寝るぞ?」
「いや、あの聞きそびれた事があるんだけど」
「何だ」
「僕どこで寝たらいいかな?」
何故かそわそわしている綾時を今度はこちらが不思議そうに見上げる番だ。美鶴に来客用の寝具はないぞ、と言われた瞬間から別に一緒に寝ればいいか、と思っていたので、この反応は予想外だ。
「床で寝たいのか?」
「やだよ!」
「……ソファはラウンジにしかないぞ?」
「深月くん意地悪!」
「お前がどこでとか言うからだろ……」
ほら、と自分の隣に空けた空間をぽんぽんと叩くと「お邪魔します」とやっと綾時が潜り込んできた。
……流石に狭い。

直ぐに寝付いてしまうつもりでいたが、思ったより寝付けない。頭が冴えてしまっているかもしれない。それよりも、やっぱり隣りに人がいるのが一番大きい要因だろうか。
寝返りを打つと爪先が綾時の足に触れた。驚いたらしい綾時の足が引っ込む。変わりに寝返りを打った綾時がこちらを向いた。
「深月くん足冷たい。というか全体的に冷えてるよね」
「綾時が暖かすぎるだけだろ」
「そうかな……じゃあ僕にくっついてたら暖かくなると思うよ」
「間に合ってます」
「うう、冷たい……色んな意味で」
思いの外ヘコまれてなんだかちょっと可哀想になった。
そろりと足を伸ばして綾時の足に触れる。暖かい。湯たんぽみたいだ。綾時はまた足の冷たさにびっくりして、それから嬉しそうに笑った。
何が嬉しいんだか良く分からないが、自分もつられて少し笑った。
「あのね、今日はありがとう。凄く楽しかった」
「それはよかった」
「みんなでご飯食べて団欒したり、ああいうの初めてだったから楽しかったなあ」
「そうなのか?」
「うん、両親とも家を空けることが多くてあんまり一緒に過ごしたことなくって」
だから、誰かと一緒にご飯食べたり団欒したりお風呂入ったり、嬉しかった、と言う。髪を乾かし合いっこしたい、って言ったのもきっとその延長線なんだろう。
綾時がこんなに人懐っこいのは、もしかしたら淋しいからなのかもしれない。
自分も両親を亡くして以来、基本的にずっと一人で過ごしてきたから、こうしてずっと誰かが側に居る、っていうのが不思議で。でも意外と暖かくて安心するものだな、なんて。
思ってみたりして。
「綾時の両親ってどんな人」
「どんな人、かー。あんまり印象に無いんだけど、お母さんは綺麗で優しい人だよ」
「お父さんは?」
「うーん、父親は全然記憶に無くって」
「親なのに?」
「本当、一緒に全然居なかったから。辛うじてお母さんの事は印象にあるくらい」
「親としてそれは……ちょっと酷くないか」
「そうかな、でも僕は好きだよ。僕を育ててくれた人だから」
生きているなら、一緒に居てやればいいのに。と思うのに、綾時は全然一緒に居てくれないという両親の事を大好きと言う。嘘をついたり、強がっている様には見えない。
「さみしくない?」
「淋しいよ。でも今は君が居るからね。全然、淋しくないよ」
そうやって綾時が笑うから、思わず視線を逸らす様に顔を下げた。
「誰かと一緒に寝ると暖かいね」
擦り寄ってきた綾時の額が、自分の額に当たる。「俺は冷たいんじゃなかったのか」
「さっきより暖かいよ」
距離が、近すぎる。
近い、って押し返して離れたいのに、意外と居心地が悪くなくて。もう、このままでもいいんじゃないか、って思ってしまう。心の奥のほうがじりじりとくすぐったい。何故だか泣きそうになった。
「……もう寝るぞ」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ」

あたたかいよる
朝起きると綾時があほみたいにすやすや眠っていて、やっぱり何故だか。
少し泣きそうになった。

 

 

 

 
(ラグさんに!寮の自室に居る綾主でしたー)