夜の生き物

   4

「最後の奴がでてきた」
 白む空を睨む爆豪のとなりで、轟が空っぽになった左袖をはためかせながら呟いた。宿の屋上からでは木々に阻まれ蝙蝠の影は見えない。曲げていた膝を伸ばし立ち上がる。
「今日は入った人数と出て来た人数が一緒だ」
「昨日数が合わなかったヤツのことは気になるが、行きゃいいだろ」
「近寄れば爆豪が中の音探れるしな」
「たりめーだわ」
「あと、今日は何か運び込んでたな。抱えられるくらいの木箱を一つ。中身は分からねえ」
「それも行きゃ分かんだろ」
 ふーっと深く息を吐く。吸い込んだ早朝の空気は肺に冷たく染みる。
 結局動き始めたのはこの時間だ。
 昨日一日、爆豪は日中を村の調査に宛て、轟はその間寝こけていた。昼には起きるような口ぶりだっただけに呆れたものだが計画に支障はない。やはり吸血鬼を上手く使うならば、夜中に限る。
 深夜に屋上へと上がり、轟に小屋を見晴らせ、人影の消えた頃合いを見計らい現場へと向かう。それが今日の計画だ。
 轟の左袖の中身は今、蝙蝠に姿を変えて小屋上空を飛んでいるのだという。
「使い魔とかに任せらんねえのかよ」
 ソレ、と風に煽られ揺れる左袖に視線を送る。
「野良の蝙蝠を使うこともできるが、細かい確認は自分を飛ばす方が確実だ」
「ふうん」
 訊ねた割に投げやりな返事をしても、轟は大して気にしない。吸血鬼様は何を考えているのかさっぱりだ。
 爆豪がぶわりと毛を逆立たせ、体を狼の姿に作り替える。前脚を地面に付き、フンと鼻を鳴らすと「おお」と驚いた声が降ってきた。
「犬だ」
「狼だわ! 食いちぎんぞ」
「悪い。あんま見分け付かねえ」
「マジでナメた野郎だな」
 一つ唸り地面を蹴り、屋上から飛ぶ。
 となりの屋根へ飛び移り、目的地へと向け駆ける。極力足音を殺し、静かに、それでいて速く、走る。屋根から屋根へと飛び移っていると、微かな羽音が頭に止まった。それが轟だということはすぐに分かる。轟の一部の、蝙蝠。上空へ視線を送れば、黒い影が疎らに飛んでいる様子が見えた。
「あれ一匹食いちぎったらどうなんだ」好奇心から呟くと「元に戻った時どっか足りたくなるな」と返事があった。
 まさか蝙蝠姿で喋るとは思っておらず驚いた。それで足を滑らせたりはしないが、わずかに動揺する。
 勝手に人の頭に乗った蝙蝠がもぞもぞと動く。
「しばらくすれば元に戻るからそんなに困らねえけど」
「ふざけた種族だな」
「狼に変身できる人狼もすげえと思う」
「蝙蝠に分裂してるヤツに言われてもな」
 それよりも轟は何故爆豪の頭に乗ったのか。本来ならば振り払って牙を立ててやるところだが、そう騒いで見付かっては元も子もない。折角性に合わない隠密行動を取っているのだ。
「異常は」
「ねえ。このまま進んで建物が途切れたら一度逸れて林に入ろう。そこを伝って小屋に行くぞ」
「指図してんじゃねえ」
 小さく唸るが、同じ考えだ。従うようで癪だが、そのためだけに非効率な方法を採ってリスクを高める理由はない。最後の屋根を蹴り、人型に戻りながら林に着地する。轟も羽音を集め人型に戻った。
 獣道すらない林を抜け、小屋の近くに出る。辺りには草が生い茂っているが、明らかに生き物の往来の気配がある。
 スンと匂いを嗅ぐと、妙な匂いがした。キツイ花の匂いだ。これでは匂いをたどり、何者がここを訪れているのかを判別できない。どうやら爆豪たちがこの村に来た理由は勘付かれているようだ。それでなければ村内部の分裂か。どちらにせよ用心深いことだ。
 耳をそばだてて様子を窺う。轟の偵察通り、中には誰も居ないようだ。足音を殺して近付き小屋入り口の取っ手を引く。鍵はかかっていなかった。扉が静かに手前に開く。
 中に人影はない。足を踏み入れると、古びた床板がぎいこと鳴った。
 中はいたって普通の納屋だ。棚に麻袋が積み上げられている。肥料や野菜の種だろうか。となりの壁には鍬や鉈が掛けられている。
「おい、爆豪」
 呼ばれてハッと振り返ると、むすっとした顔の轟が小屋の外で立ち尽くしていた。
「ホント面倒くせぇ制限かかってんな」
「忘れてたくせに棚に上げて笑ってんじゃねえ」
 にまにまと笑うと、対照的に轟が表情を険しくしていくのでおかしくて仕方がない。しかし勝手に入って来られないということは、今も特定の所有者のいる建物ということだ。
「どーぞ、お入りください」
「クソッ、お招きいただきありがとうございます」
 ちぐはぐな表情と態度と言葉遣いで轟が礼を述べ、中に入り扉を閉めた。左腕はまだ空だった。今も周囲を警戒しているのだろう。爆豪も匂いと音で探ることが出来るが、見えないものを探す方に向いている。単純な索敵範囲は轟の方が広い。
 改めてぐるりと小屋の中を見渡す。
 五メートル四方程の狭さだ。一番奥には窓があり、その他の壁は棚か農工具で埋められている。中心に小さな作業机も置かれているが、どれも埃っぽい。数か月は触られていないだろう。
 このような納屋に人狼が集まる理由は当然ない。何かやましいことをしているとみて間違いないだろう。
 だが、何を。
 ざっと見た限り怪しいものは無い。それどころか轟が見たという木箱すらも見当たらなかった。
「狭いな。絶対ここに納まらねえ人数が入ってったぞ。十人も入れねえだろ、これ」
「当然、地下があんだろ」
「だろうな。隠し扉か」
 隠し部屋があるか、通路で別所へ通じているのか。そのどちらもかもしれないと予想する。中々面倒くさいことをしてくれるものだ。
 匂いで探ろうにも、小屋の中にまで妙な花の匂いが充満しており難しい。くしゃみが出そうだ。よくもこのような不愉快な匂いの場所で密談ができるものだと感心する。それとも地下は匂いがしないのだろうか。
 床を探っていると「爆豪」と緊張が走る声に呼ばれた。顔を上げる。轟の横顔が扉の向こうを睨んでいる。
「誰か戻ってくる。急いで出るぞ」
「何人、どんなやつだ」と舌打ちしながら立ち上がる。
「六人。顔隠してるし似たような恰好してるからはっきりとは言えねえが、たぶんここにいた奴の一部だろうな」
「忘れもんか、罠貼られてたんか」
「どうだろうな。だが村に戻ろうとするとかち合うぞ。出て来た林に入るにしても、距離からして姿は見られちまいそうだ」
「じゃあすっとぼけるしかねえな」
 なんだそれ、という顔をした轟を一瞥し、奥の窓を開ける。窓枠をくぐり外へ出ると、わざわざ蝙蝠になって轟が後に続いてきた。「これくらい人型のまんま通れや」と睨むも「悪い、癖で」と悪びれる様子はない。呆れつつ窓を閉めた。
「行くぞ。テメェは何も答えるな、分かったな」
「顔合わせる気か?」
「すっとぼけるつっただろ」
 轟の背を叩き、歩き出す。小屋から離れる様に横へ進んだ後、村の方へと向きを変える。一応誤魔化す気がある程度の工作だが、それで充分だ。
 何食わぬ顔をして歩いていけば、遠くに人影を視認した。六つの影は轟の言葉と一致する。ひっそりととなりへ視線を送れば頷きが返ってきた。鼻で笑い、轟の方へ少しだけ身を寄せる。驚いた轟がその分避けるので「避けんな、それっぽくしてろ」と静かに言葉にした。理解の早い轟が離れた分だけ戻ってくる。
 肩が触れそうなほどの近さで歩く。つがいなどと勘違いされるのは真っ平ご免だが、なかなか使える言い訳だ。
 いよいよ人影が間近に迫ってくる。
 それに伴い酷い匂いが鼻に付いた。小屋に漂っていた花の匂いをより濃くした匂い。人狼の鼻にはかなりきつい。顔をしかめそうになるも耐え、何食わぬ顔で進む。
「こんなところで何をしているんだい?」
 そう声を掛けられた。
 友好さを滲ませた声色を作っているくせに、風貌は怪しさを隠そうともしていない。
 匂いだけではない、六人は一様に仮面で顔を隠していた。鼻から上を覆う仮面は狼を模している。その上にフードまで被るという徹底ぶりだ。当然、この男の声に聞き覚えはない。
 罠の方だったなと呆れ、こちらもわざとらしくにこやかに答える。
「散歩っすよ」
「こんな時間に、こんな村の外れを? もっと昼間の村の中の方が面白いだろう」
「目が覚めちまったんでね。それにコイツは世間知らずのお嬢様なもんで、こんな村はずれの景色も珍しいんだと」
 なぁ、と轟の腰を抱き寄せればムッとした気配があった。どうやら世間知らずのお嬢様呼びがお気に召さなかったようだ。それらしい言い訳であるし、実際お嬢様以外は合っているいるだろう。
 会釈をし通り過ぎようとしたところ、進路をふさがれた。
「……芝居はしなくてもいい」
 早々に芝居をやめた相手の声が静かに響く。同時に広がった六人に囲まれた。
 轟から手を放し「へえ」と主犯と思しき男へ視線を送る。ビリビリと空気が張った。
「魔女はお前に何を命じた?」
 答えによっては帰してやってもいい、という傲慢さを滲ませた言葉の馬鹿馬鹿しさといったらない。数だけで有利を決め付けているところなど最悪だ。はっ、と吐き捨てる。
「言えねえなァ」
 にやりと笑い、立ち位置を調整する。不利を演出するように轟に背を当てた。じゃりと砂を踏む音が聞こえ轟も動く。ちょうど背中合わせだ。
「どうして魔女の仕事なんて受けたんだ」
「色々あんだよ」
 なあ「言っただろ」と言葉を続けると、男がぴくりと動いた。一瞬の動揺を隠すように肩をすくめるところもわざとらしい。いちいち鼻につく。
「なあ、魔女ではなく、こちらの仲間になる気はないか」
「目的はそれか」
「腕が立つと聞いている。それに魔女に何を命じられていようが、同族は同族だろう」
「そいつはどーも。で、魔女裏切って何する気だ」
「それはもちろん、仲間になってくれるのなら話そう」
「なるほどな」
 さすがにここで話す気はないようだ。背後の轟が身じろぐ気配があった。どうするのだと言葉なく問われ、答える様に背を押し付ける。
 このまま着いて行き直接ぶっ潰すというのも手っ取り早いが、吸血鬼連れとなるとリスクの方が勝る。相手が何人居るのかも分からない。
 そもそもだ、この男たちの遣り口が気に食わない。
 ふーっと息を吐き、大きく一歩を踏み出す。
「堂々顔も見せらねェヤツの仲間になるわけねえだろうが!」
 どう考えても、ぶん殴って情報を吐かせる方が早い。仲間の振りをするなどまどろっこしいことなどしていられるか。
 飛び掛かり、初めに正面、主犯の男を殴り飛ばす。
 真後ろから呆れた溜め息が聞こえてきたが無視する。これがお望みだったのではないのかと鼻で笑う。そういう轟も駆け出した気配がした。
 この吸血鬼が戦う姿を初めて見る。じっくり観察できないことは惜しいなと思いながら、右どなりの男を蹴り飛ばし背後を振り向く。轟も一人蹴り倒したところだった。倒れた男を容赦なく踏みつけている。
「人狼は家族を裏切らねえはずだろ!」
 轟の足の下の男が叫んだ。そいつは吸血鬼だけれどなと可笑しく思いながら「勝手に人をテメェの家族にしてんじゃねえ!」と声を張る。
「徒党を組んで襲うクソみてェな身内は居ねえんだよ!」
 怒鳴りつけながら続けざまに拳を振るう。大振りだったからか避けられ舌打ちが零れる。その勢いを殺さず肘を鳩尾に叩き込めば三人目が呻き声をあげ崩れ落ちた。道を空けるようにそいつを蹴り飛ばしたところで、場にそぐわぬ音が聞こえた。
 やけに軽い、破裂音だった。
 音の出所は存外近くにあった。最初に殴った主犯の男が体を起こしており、その手には銃が握られている。
 それが見えた。
 怒りに毛が逆立つ感覚など久しぶりだ。体中を怒りが巡り血が沸きそうだ。銃口の先で、轟が肩を押さえていた。そのまま足から力が抜ける様に崩れ落ちる。
「テメェみてぇなゴミが人狼名乗ってんじゃねえ!」
 銃を遠くへ弾くように足を振り抜き、流れで顎を蹴り上げる。「ここで死ンどけ」と力の限り蹴り飛ばした。そこで意識を失ったのか、もう起き上がってくる気配ない。
 はっと息を吸い、急いで振り向く。うずくまった轟に、短剣を向ける人狼の姿が見えた。飛び道具の次は刃物か。この村の人狼にプライドはないのかと、はらわたが煮えそうだった。
 振り上げられた刀身が、地平線から昇る朝日を反射する。
 ちかりと瞬く光がフードの下の轟の顔を照らした。あの顔は怒っているな。そりゃそうだろうなと思い、はっとして慌てて叫ぶ。
「やめろ!」
 その声に反応をしたのは轟の方だ。
 びくりと一瞬動きを止め、それから体を捻り地面を転がった。振り下ろされた短剣が、ビッと布地を破く。「あ」と驚く轟の顔と、二色の髪色が見えた。頬に一筋傷跡が走る。
 頬はかすり傷だろうが、撃たれた肩は大丈夫なのか。
 そして一番の問題は、轟を隠していたフードが切られたということだ。
 盛大な舌打ちを零し「動くんじゃねえぞ!」と叫び両手を目の前に突き出す。そして一瞬きつく目を閉じる。
 視界を奪う閃光弾のような光が当たりを包んだ。幾つかの短いうめき声が聞こえる中で目を開ける。軒並みうずくまる人狼たちをすれ違い様に蹴り飛ばす。
 その先で同じ様に目を押さえてまるっている轟を回収した。俵のように担ぐと「うわ」と思いの外のんきな声がした。「口閉じとけ」と忠告し、走り出す。
 狼姿の方が早く走れるが、荷物があっては仕方がない。出来るだけ早く、遠くへ。吐き気のするほど濃い花の匂いがしなくなるまで遠くへ。
 急く思いを抑えながら、姿を隠すように林の中へ飛び込む。落ち葉をざくざくと踏みながら駆け、花の匂いがしなくなってくると今度は血の匂いが鼻についた。顔をしかめる。
 もう十分だろうというところで足を止め、周囲を確認しつつ木陰に身を隠す。
「チッ、面倒くせぇな」
 この後どうするかとぼやきながら息を吐く。まずは轟の状況を確かめなければと肩から降ろすと、そのまま崩れ落ちてしまった。離した手を慌てて掴みなおす。大人しく担がれていると思っていたが、まさか立てないような状態だとは思わなかった。
「おい! 轟!」
 抱き止めた顔は真っ青だった。肩を押さえて背を丸め、額には脂汗が滲んでいる。呼吸も安定しない。そのくせ縋りついてくる指の力は無茶苦茶に強く、掴まれた腕が痛い。
 どうにか座らせ、その体を支える。
「どうした、さっき撃たれたところか」
「……これ、たぶん、銀だな。クソッ、あの野郎」
「ハァ? ンで人狼が銀の弾丸なんて持ってんだよ」
 銀といえば吸血鬼の弱点の一つだ。吸血鬼をいくら銃を撃ったところで、ただの鉛玉ではろくな手傷を追わせられない。だが銀の弾丸は違う。
 そもそも夜の生き物は総じて銀を苦手とする。いよいよきな臭い。
「どうすりゃいい」
 爆豪は当然、銀で傷をつけられた吸血鬼の手当て方法など知らない。
 敵対種族の弱点が何であるかを知っているだけだ。人狼などそういうものだ。聞かされて育つのは手傷の負わせ方ばかり。助ける方法など知りやしない。
「ッ、貫通してるから、そう大したことねえ」
「大したことねえ顔じゃねえから聞いてんだわ」
「……クッソ痛ェ。ぜんぜん治って来ねえし」
「直ぐ死にはしねえらしいな」
 わずかに安堵し息を吐くが、この轟を連れて村の中には戻れない。
 血の匂いもそうだが、フードが破れたことで吸血鬼らしい匂いも滲み出している。傷口を見ようにも相変わらず掴んでくる手の力が強く引きはがせない。手の形に痕でも残りそうなほどだ。
「オイ」
「俺だって、銀で撃たれんの、初めてなんだぞ」
 どうしたら良いか知らねえ、と轟が唸る。吸血鬼本人が知らないことを人狼が知るはずもない。
 人狼も銀が不得意だが、これほどではない。治りが遅く痛みが長引くにとどまる。こうも苦しむようなものではない。だからこそ、どうすべきかが分からない。
 じわじわと血の匂いが濃くなってくる。服が血を吸い赤く染まっていく。マズイと思うも、助け方を思いつくわけではない。持っている知識をつぎはぎして、どうにか出来うることなのだろうか。
 吸血鬼にとって銀は毒だ。だが銀に血清はない。
「……このまま、村には戻れねえ、よな」
「他に方法がないなら、戻ってもいい」
 この程度の傷で死にはしないだろうが、上位種であるがゆえに痛みに不慣れな吸血鬼だ。このまま苦しみの中に放置しては寝覚めが悪い。轟はぐうと唸りながら「あんまりやりたくねえけど」と小声でつぶやいた。
「爆豪、悪ぃんだが、少し血貰えねえか」
「血か」
「俺も一応吸血鬼だからな」
 一応も何も吸血鬼だろうがと眉を寄せる。
「それで治るんか」と尋ねると「たぶん」と答えがあった。どうして断言できないのかと呆れながら、腕をまくる。そして背を丸めたままの轟の口元に差し出した。
「おら」
「わるい、ちょっと貰う」
 食いしばっていた口元が開かれると、やけに熱い吐息が肌にかかった。温度などなさそうな見た目との大違いだ。
 鋭い牙が肌に触れる。食い破られる感触を予期し身構えるも、中々牙が下ろされない。熱い息のみを吹きかけながら、轟がむぐむぐと唸っている。
「早よしろや」と急かすと「仕方ねえだろ、誰か噛むとかほとんどやったことねえんだから」と文句を返された。
 こいつは本当に吸血鬼だよなと、今まさに血を飲まれそうな状況で疑念を抱いた。
 吸血鬼は血を飲むはずだ。
 それとも何か、わざわざ生き物をバラして血を絞り、グラスに入れて飲むタイプだとでもいうのだろうか。優雅なようで酷い絵面だなどと想像していると、突如牙が刺された。
 不意打ちに「ぐ」とうめき声が漏れる。
 ごく普通に痛いのは、元よりそういうものなのか、コイツがヘタクソなのかどちらなのだろうか。吸血鬼に噛まれたことなど当然なく、比べようがない。
 嚥下する音が三回聞こえたところで牙が抜かれた。
「ぷは」と頭を上げた轟の顔色は随分良くなっている。
 唇の端にべとりと血を付けている様子をみながら、やはり轟がヘタクソなだけなのではないかと思う。
 腕に開いた二つの穴は、早々に血が止まっていた。捲っていた袖を元に戻す。轟に掴まれていた腕も放された。
「お、塞がった」
 肩を触りながら轟が言った。確かに溢れ出る血の匂いは止まっている。残るは衣服にしみ込んだ匂いのみだ。代わりに吸血鬼らしい匂いは増している。
 ひとまず「血の付いた服脱げ」と命じる。
「……半裸でうろつきたくはねえんだが」
「誰が吸血鬼丸出しで歩かせるかよ」
 ふざけた野郎だなとなじる。着ていたモッズコートを脱ぎ轟に投げつけた。
「それ着とけ」
「おお、ありがとな」
「ったく、手間のかかる野郎だな」
 全く呆れて仕方がない。
 轟と離れ、人一人分ほどの距離を空けて座り直す。あぐらをかいてその上で頬杖を突く。
 轟が脱いだ血の付いた衣服が地面に投げ出された。それをどう処分するかと考えを巡らせていると「悪かった」と少しだけ落ち込んだ声がした。
「撃たれた上に、借りてた服もダメにしちまった」
「……撃たれたのはテメェのせいじゃねえわ。人狼のくせに飛び道具持ってるヤツがクソだ。あと服はどうでもいい」
 つまらないことを気にしやがってと吐き捨てると「ありがとな」と轟の声が笑った。
 横に視線を向けると、コートに袖を通しながらのんびりと緩められた顔があった。
 なんだその表情はと顔をしかめる。
「だがな、テメェは簡単に死なねえからって動きが雑なんだわ。蝙蝠になって避けりゃいいと思って、碌に攻撃警戒してなかっただろ。舐めてんじゃねえぞクソ吸血鬼野郎」
「悪ぃ」
 先ほども爆豪が「やめろ」と言わなければ蝙蝠になっていたのだろう。予備動作を幾度か見たから分かる。
 あれほどバレるな気を付けろと言ったのに、この男は聞いていやしない。それとも覚えてはいたが癖が抜けないのか。どちらにせよ舐めた野郎であることに変わりない。
 着替え終わったころを見計らい、地面に手を突き轟に顔を寄せる。モッズコートのフードを被せてみるが、吸血鬼の匂いは誤魔化しきれていない。「おい急に何すんだ」という言葉が聞こえたが無視した。フードを被せても、やはり首元が肌が晒されるからか。
 立ち上がり轟の正面にしゃがむと、被せたばかりのフードを再び取る。されるがままの轟から発せられる抗議は聴かず、両手で顔を掴んだ。
「な、んだ」
 困惑をたっぷり含んだ二色の瞳に見詰められる。思っていたより表情の変わる奴だったなと感心しながら、轟の顔から首にかけて手を滑らせた。耳、頬、顎、喉仏、首の裏、鎖骨と順番に、肌を擦り付けていく。
「うっ、なんなんだ、やめろ」
「じっとしてろ死にてえんか」
「俺は撫でられないと死ぬのか。銀の副作用か?」
「アホかてめぇ。匂い付けとんだわ」
「あ、そうか」
 なるほどと納得しながらも、居心地が悪そうだ。べたべたと触っては手を放し、匂いを確認する。不足があれば再度触れる。それを繰り返していくと、最終的に参ったように轟が眉を下げた。
「こんな触られたことねえから、落ち着かねえ……」
「テメェの舐めプの代償だわ。きっちり受け取っとけ」
「う」
 どんどんと覇気をなくし、轟は縮んでいくようだった。本当は首を竦めて逃れたいのだろう。そうはさせないが。
 べったりと匂いが付いたことを確認し「よし」と頷き開放する。轟は項垂れていた。
 元の位置に座り空を見上げる。すっかり朝になっていた。
 村の方向を睨むが、特に異変は見当たらない。だが内部がどうなっているかまでは分からない。
「宿に戻りてぇが、村全体がどう動いてるか予想できねえ」
「そうなのか。俺の見た限りだと動いてんのは若い奴らが多かったが」
「そこまで見てたなら報告しろや。まあ、主犯はそうだろうな。年寄りは知っていて黙認してる、ってところか」
「お、そこまで情報掴んでたのか?」
「昨日テメェが寝こけてる間に村を回ってカマかけてたんだよ。村の奴らは俺たちが魔女の使いだってのを、言わねえが知っている風だった。最初に会った三人のうち、最低でも一人は加担してんな」
 話を聞いたやつらの中には、露骨に爆豪を疑うような臭いをさせている奴もいた。この村に何をしに来たのか探る気配もあった。やましいことがなければ、魔女のお使いの内容を探る必要はない。
 年寄り連中は今はまだ黙認し、傍観に努めているだけのようだった。だが爆豪たちが動き始めたことで、どう立場を変えるかはまだわからない。
「だが犯人探しは意味ねえだろ」
 轟がそう言った。「へえ」と笑う。
「魔女は、持って帰ってくるか壊せ、って言っただろ。犯人を捜せとは言わなかった」
「そうだ」
「魔女はこの村に、何かがある、ことを知ってんだろ」
 同意を示すようにニヤリと笑う。
 そうだ、犯人探しに意味などない。あまり大事にされては困ると魔女も言っていた。
「何がある、かも知ってんじゃねえの」
 ゴーストも何も見ていないとは言っていない。
 何かを見たのだろう。見たからこそ急がなければならなかったのではないか。他の誰かの帰還を待てない程に。
「知ってんなら、なんで教えてくれなかったんだろうな」
「さあな、それこそテメェの社会見学でも兼ねてんじゃねえの」
 疎い、と紹介された時点で察しておくべきだったのかもしれない。マジの子守かよと項垂れる。
 全て同時にこなそうとは、あの魔女もしたたかだ。
「ひとまずどうやって宿に戻るかだな。村全体がグルだとまずいよな。帰る途中でまた襲われねえか?」
「その辺の見極めはしてえな」
 横目に轟を見る。
「おい、蝙蝠飛ばせるか」と尋ねると「問題ない」と返事があった。
「何が見たい」
「ひとまず宿の周りとそこまでの道だな。変な動きしてる奴がいねえか探れ。余力があれば村全体の雰囲気に昨日までと違いがあるかもだ」
「わかった」
 頷いた轟の左袖から蝙蝠が飛び立つ。「明るいから少し精度が落ちるぞ」という断りに「構わねえ」と頷く。どちらにせよ爆豪には出来ない芸当だ。
 二人の間に沈黙が訪れる。
 偵察結果が出るまでは待ちだ。その間、雑談をするような仲ではない。轟とはこの仕事限りのパートナーだ。味を占めた魔女に再びペアで送り出されることもあるかもしれないが、その時はその時だ。今は関係ない。
 じりじりと日が昇り、木陰を動かしていく。吸血鬼は日光に弱いとも聞くが、大した弱点ではないそうだ。初日の轟が「眩しいからあんま好きじゃねえ」程度だと話していた。
 念のための警戒は怠らず、それでもただ座っていた。
 それだけでいいはずなのに、先ほどからちらちらとこちらを伺ってくる視線が鬱陶しい。向いては逸れる。口を開こうとしては閉じる。そんな気配がまとわりついてきて、次第に苛ついてくる。
 言いたいことがあるなら言え、と怒鳴りつけようとした瞬間、突如轟の頬から火が出た。不自然な火傷痕の上で火が揺らめいている。そして右手で地面に触れると、その周りに氷が張った。
「は?」と素直な困惑が勝手に口から出て行った。
 轟は顔の炎を消し、右手を膝の上に戻すとこちらを見た。
「やっぱ、手の内を見せあった方がいいよな」
 そう言った。「隠し事してて、さっきみてぇに後手に回りたくねえ。出来ること分かってたら、もう少し上手くやれたよな」たぶん、と余計な一言を最後に付け加えた。
 純血の吸血鬼にはそれぞれ能力がある。
 血と共に引き継がれる力だ。轟家の能力は、炎。左から出したのはそれだろう。だが氷の属性を持つ吸血鬼は居ない。
 居ないはずだった。
 ある時までは。
「テメェ、まさか冬の女王か」
 同時に思い起こすのは冬の城だ。城主が消えた、春の匂いただよう城の姿。
「それはお母さんの呼び名だ。俺んじゃねえ」
「母親だあ?」
「俺は吸血鬼と冬の神の混血なんだ」
 あまりに重大なことが、さらりと伝えられた。「ハ」と驚きで言葉が喉につかえる。
 轟は今「神」と言わなかったか。
「左の炎と吸血鬼の血が親父の家系、右の氷と神がお母さんの力だ」
「……神つったら、夜の生き物より上位存在だぞ」
 それを吸血鬼が娶るなどできるのか。
 そもそも子どもが出来るのか。
 神だから出来るのか。
 疑問は尽きない。第一、神は簡単に姿を見せるような存在ではない。夜の世界で共に生きる種族の一つであるともいえるが、大抵何かの自然現象を司っており、ただの生き物がまみえられるような相手ではない。
「確かに珍しいみてぇだが、お母さんは冬を司ってて、冬の国を持ってた。親父がどうやって知り合ったのかは知らねえ」
「マジかよ……」
「神と夜の生き物の子がハーフになるのは珍しいらしいぞ。他の兄弟はみんなどっちかの性質だけしか引き継がなかった。綺麗に別れたのは俺だけだ」
 結果面倒な感じになった。と、轟は他人事のように答えた。それはそうだろう。
 こいつはとんだ「戦争の火種」だ。
 夜の生き物も神を敬う。自然を敬うことと同義だからだ。それがハーフとして吸血鬼の手元にある。実際の轟の強さはどうでもいいくらいだ。「神」が手中にある。それだけで情報としてはあまりに強い。夜の世界の力バランスが崩れるほどに。
「まあ俺は冬程のものは司ってなくて、精々雪ってところだけどな」
「それでも吸血鬼にとっちゃ、神が手元にあることに変わりねえだろ」
「それなんだ。純血至上主義のくせに、流石に神は欲しいらしくてな。面倒になって集落から脱走して、母さんの持ってた城に引きこもってた」
「……それが冬の城か」
「よく知ってるな。本当はあそこに冬の国があったんだが、俺の力じゃ、城の周りくらいしか結界をはれなくてよ」
「なら、冬の城の雪が止んだのは、てめぇが城を出たからか」
 あの日、白い城をみた。雪の止んだ冬の城の姿。
 それを見たから、見ていたから爆豪は吸血鬼に捕まった。情報の増加により、爆豪が捕まった理由が分かってきた。あいつらは、冬の女王が消えた城をうろついていた怪しい人狼を捕らえたのだ。
 轟は頷きながら「そういえば」と記憶を掘り起こした。
「爆豪あの近くで捕まってたよな」
「観光してたんだよ」堂々嘘を吐き捨てる。
「冬の結界のか? 前は結構色んな奴らが見に来てたな。入ろうとした奴は迷わせて追い返してたが」
 爆豪の言葉を素直に信じた轟は「悪いことしたな」と勝手に謝った。
 冬の女神と吸血鬼の情報が入り混じった結果、冬の女王という吸血鬼があそこの城に住んでいる、という情報が生まれたのだろうか。そんなことを考える。
 轟の言う、見に来た奴らが観光目的だったのかは怪しいものだ。神の能力など誰もがほしいに決まっている。夜の生き物の羨む力を偶然にも手に入れたのが、この男で良かったのかもしれないと横顔を盗み見る。
 こちらからは冬の側が見える。
 雪の日の空模様と同じ色をした瞳が、雲のない空を見上げている。飛ばした蝙蝠の情報はどうやって手に入れているのだろう。自分の体を切り離して飛ばすなど、爆豪には想像も出来ない。
「あ、でも爆豪が捕まってたのあそこでよかったな。あそこ、親父の敷地なんだ。だから招かれないでも入れた」
「それだが、轟の集落つったらもっと別の場所だろ。あんなところにまで土地持ってんのか」
「知らねえ間に手に入れてたな。俺がいつ出てくるか監視するためじゃねえか?」
 などと、根深そうな家庭事情をさらりと舌に乗せる。余計に顔が引きつった。そうでなくとも純血の吸血鬼の一族に嫁いだ神の話など、恐ろしいほどの面倒事に決まっている。
 近年人狼と吸血鬼の種族間に緊張が走っている要因の一端は、こいつのが担っているのかもしれない。全く頭の痛い話だ。
「……あの城に独りで住んでる、っつう噂もきいたが、あれは」
「本当だ。母さんは争いを避けるために別の場所に行っちまったからな、残された城を俺が勝手に使ってた」
 またも実にあっけらかんという。「よく知ってんな。どっから情報が漏れんだろ」と感心までし始める始末だ。
 爆豪が勝手に胃を痛める程、深刻な話ではないのかもしれない。そんなわけあるかと眉を顰める。これだけのピースが揃って、何もないはずがない。
 あの魔女とゴーストは、想像以上の面倒事を人に押し付けてきたのではないか。そう思った。
 腹の立つ顔を思い出していると「爆豪って、緑谷と知り合いなんだよな」と間の悪い轟が名前を出した。
「ア?」と睨むが「変なあだ名で呼んでたし、仲良いんだろ」と見つめ返される。
「俺は全然知り合いとかいねぇから、少し羨ましい」
 そういう台詞は、わざと言っているのだろうか。それとも天然なのだろうか。
 舌打ちをしながら言葉を返す。
「俺の生まれた村に、そん時居付いてたゴーストがデクってだけだ。どこ見りゃ仲良いと思えんだよ」
「そうなのか」
「そういうテメェこそ、デクと仲良さそうに喋っとっただろうが」
「そうなんだ」と突然轟が笑った。
 こんな顔をして笑うのかと驚いたほどだ。
「あの城に始めて来たお客さんが緑谷なんだ。ゴーストは結界もすり抜けるんだな。勝手に入ってきて誘われたんだ、魔女のところで仕事しないかって」
「で、のこのこ出てったんかよ」
「おお。ただまだ家とか借りれてねえから、魔女の城に間借りしてるけどな。爆豪は一人暮らしだよな。いつからあそこに住んでんだ?」
 どうして教えてやらねばならないのかと思うものの、好奇心に光る瞳に負けた。なにが急に緩んだのか知らないが、やたらと感情が漏れ出始めている。
 惰性で仕事に送り出されてきたものと思っていたが、そうでもないのかもしれない。それともこの短時間で、爆豪が表情を読み取れるようになってしまったのだろうか。
「……五年前だ」
「思ったより最近だな」
「家に居ねえ時間のが長ぇがな」
「そうなのか。どこ行ってんだ?」
「適当だわ。それこそテメェん家とかな」
「出てった後で悪かったな、そのうえ捕まっちまうしよ」
「テッめえは……いつ出て来たんだ」
 何度その話題を掘り起こすのかと、表情を歪めながらも言葉を飲む。
 爆豪は一年ほど家を空けていた。
 拠点を持つことは便利だが、居付くための家はない。この一年は冬の女王の情報を追って過ごしていた。まさかその相手とつがいの振りをして仕事に行く羽目になるとは、一年前の爆豪は全く予想していなかった。
 どうすれば種族間の情勢に影響を与えずに、吸血鬼に勝負を挑みブン殴れるものか考えていた程度だ。
「俺は、三か月前だな」
「クッソ最近じゃねえか」
 タイミング悪ぃ、と吐き捨てる。冬の結界を超えられたかは分からないが、もう少し早ければ勝負が出来たかもしれない。今ここで勝負を挑むのは愚策が過ぎるし、魔女の居候となると手出しがし辛い。惜しいことをした。
 しかし轟は、爆豪の想像していた吸血鬼とは大きく異なる。弱点等の種族的な部分は同じだろうが、言動は予想と何一つ一致しない。先程冗談で言った、世間知らずの箱入り娘、という表現の方が的確に思える。
「なあ、爆豪」と話しかけられ、答える代わりに視線を投げた。「吸血鬼と人狼って、仲悪いんだよな」とまさに世間知らずな質問を向けられる。眉間にしわが寄る。
「クッソ悪ィ」
「そんなにか」
「下手すると顔合わせるだけで殺し合いになっから、きちんと居住区域が魔女に把握されてる程度に悪ィ」
「マジか」
「よく知らねえで生きとったな。だから魔女の城下町には吸血鬼も人狼もほとんどいねえんだよ」
「そういやそうだな。俺も爆豪が初めての人狼の知り合いだ」
 思わず鼻で笑う。この天然記念物が、良く今まで無事に生きてこられたものだと感心したが、ひとえにその能力のおかげだろう。それとも孤立することに長けた能力だったからこそ、こうも天然記念物のまま生き延びてしまったのだろうか。
 どちらにせよ知ったことじゃねえなと空を見上げる。
「爆豪は、俺が吸血鬼だとか気にしねえよな」
「ア?」
「だって吸血鬼と人狼は仲悪いんだろ」
「どうして他人が勝手に始めた争いに巻き込まれないといけねえんだよ。俺はてめぇに恨みなんてねえわ」
「……そういうもんか?」
「他に何があんだよ。それより偵察、まだ終わらねえのか」
 そのせいで要らない話をし過ぎてしまった。
 顔に不機嫌を乗せ唇を尖らせる。轟は「お」と少し笑った声でこぼした。
「もう少し待ってくれ。明るいからやっぱあんま分からねえんだ。今のところ宿の周りに怪しい奴はいねえ、のは分かる」
「しゃあねえな」
「あと、さっきの六人な。まだ倒れてるぞ、どんだけ強く殴ったんだ」
「あの程度でまだ起きねえとか雑魚すぎんだろ」
 そちらにも気を配っていたかと感心した。
 そして久々の沈黙が訪れる。
 宿に戻ったら風呂に入って飯を食って、それから仮眠が取りたい。その後轟と二人作戦を練りなおそう。あの小屋からの潜入は諦め、別の入り口を探す方が良いだろうか。
 ぐるぐると考えを巡らせていると、また視線がこちらを向いていることに気付いた。ぴくりと耳を動かすと、釣られた轟の視線が動く気配がある。
「ンだよ、まだなんかあんのか!」
「お、悪い」
「悪いと思っとる顔じゃねえんだわ」
 牙を剥いて唸ると、考える様に視線が反らされた。そしてまた、戻ってくる。面倒くさそうなことを言い出しそうな顔だな、と思った。
「完璧に好奇心なんだが、人狼には発情期が来るって本当なのか?」
「……は?」
 あまりに唐突な問いだった。
 脈絡がなさ過ぎて怒りすら湧いてこないほどだ。純粋に戸惑った。これほど戸惑い以外の感情がなくなったことは、生まれて初めてかもしれない。そう思うほどだ。
「冬の城には結構蔵書があって、暇つぶしに良く読んだんだ。各種族の生態とかな。発情期って吸血鬼にはねえし、本当にあるものなのか気になったんだが、人狼の知り合いも居ねえし」
 饒舌に言葉を繋いでいく姿に、徐々にあきれが勝ってきた。深く息を吐き目を細める。轟がようやく言葉を飲んだ。戸惑いながら瞬きをしている。
「話題に困ってんなら、もうちっとマシなの選べや」
「……悪ぃ。でも気になってるのも一応、本当だぞ」
「……どうだろうな」
 ある、と素直に教えてやることも癪だった。
 この話題を続けさせる気もない。暇つぶしに話がしたいならもっと別のことを言えと視線で促す。
 轟は考える様に空に視線を投げた。それからハッとした表情を浮かべて再び爆豪を見た。
「爆豪がさっき手から出したあの光、あれなんだったんだ」
 そういえば手の内を明かす話をしていたというのに、大きく脱線してしまったものだ。
 右のてのひらを上に向けて差し出し、小さな爆発を起こしてみせる。
「爆破が出来る。さっきのはこれの応用だ」
「へえ、人狼はそんなことが出来るのか」
「これは俺独自の個性みてぇなもんだ。人狼の能力じゃねえ」
「でも使わずに戦ってたな」
「殴って倒せる相手に、要らねえ情報やるわけねえだろ」
 なるほどなと轟が納得し、首を縦に振った。興味津々で覗き込んでくる瞳に向け、サービスでもう一度だけ爆発を起こす。弾けた炎の色が雪雲色の瞳に映り込む。
「てめぇさっき、血飲むのクソ下手だったが、普段どうしてんだよ」
 一つくらいこちらから訊ねるのも良いかと、手を引っ込めながら言葉を吐く。轟は抱えていた膝を崩しあぐらを組んだ。育ちのよさそうな吸血鬼でも、あぐらを組むらしい。
「俺は半分が神だからかほとんど要らねえんだ。血以外もだな。飲まず食わずでもそんな困んねえ」
「ハア? じゃあテメェの分のメシいらんかったんか」
「あったら食いたい」
 冬の城に居た時は本当にたまに、数年に一度くらいしか食べていなかったから。と言われては文句の言い様がない。
 ぐっと喉に言葉を詰まらせ睨む。
「血はさっきみてえに怪我した時とかには必要だが、それくらいだ。そのあたりは魔女が優遇してくれることになっている。交換条件だな」
 助かるな、と轟は言う。あの魔女は随分と破格の条件で、この吸血鬼を手元においているらしい。普通の吸血鬼は血の提供ごときで魔女の仕事を受けたりしない。
「さっきも言ったが、誰かから直に血を吸ったのすげぇ久々だったんだ。俺たぶん下手だから痛かっただろ。悪かったな」
「あの程度どうってことねえわ」
「そうか」
 ほっと息を吐くように轟が笑った。やはり下手だったのかと、袖の下に隠した傷口のことを思う。
 ふと空を飛ぶ黒い点が目に入った。それが真直ぐこちらへ飛んできて轟の左腕に戻る。
「待たせたな。村に目立った変化は見付からなかった。偵察用の野良蝙蝠を何匹か残してるから、動きがあれば知らせてくれる。あと六人組はまだ伸びてる。伸びてるから動きがねえのかもしれねえが」
「なら今のうちに戻んぞ」
「おう。風呂入りてえしな」
 轟が立ち上がり衣服に着いた砂を払いながら「匂いには慣れたと思ってたんだが、直に付けられてるとなんか落ち着かねえな」と言うので眉が寄った。
 ぐうと唸りながら「それ、燃やしていけ」と地面に放ってある血の付いた衣服を指差す。
「おお。破ったどころか燃やしちまって悪い」と淡々とした声色で言い、轟の左手が燃え上がった。服はたちまち灰になり、風に吹かれ消えてしまう。
「何かで返すな」というあてにならない謝罪に対し、適当に返事をした。

 

   5

 机の真ん中に地図を広げる。そのわきに資料の山。ソファに座り、まずは例の小屋の位置に目印替わりの硬貨を置いた。
 昨日振りの景色だ。しかし違うのは、轟と同じソファに並んで腰かけていることと、その上どうにも距離が近いように感じることだろう。
 近いと思うのは流石に気のせいだろうかと首を捻れば「どうした」と怪訝そうな轟と目が合う。炎側の顔、水の色の瞳が一瞬爆豪を見て、また地図へと吸い込まれる。
 あの後何事もなく宿へと戻ると、交互に風呂に入りそれぞれの部屋で眠った。起き上がったのは昼も回ったころだ。宿の主に遅い昼食を用意してもらい、腹ごしらえも済ませた。そして今に至る。
 やはり距離が近いように思う。だが座った位置がたまたまこうだったのだろうと結論付ける。他に理由がない。
 地図に向け身を乗り出す。てのひらに乗せていた硬貨を一枚ずつ掴み、それぞれ建物の上に並べていく。
「なんだ、それ」
「二日目に俺が村ン中を回って、怪しいと思った場所だ」
「俺が寝てる間に」
「轟は夜中に調べもんしてただろうが。俺はそれを昼間にやった。で、妙な動きをしやがった奴らが居たんがここだ」
 魔女の使いだと名乗った翌日、少なからずの動揺や警戒を見せた奴らはそれだけでグレーだ。変に勘ぐってきたやつが居た場所も硬貨の種類を変えて示す。ただの好奇心かもしれないが、念のためだ。
 硬貨が並んだ場所は村中に点在している。偏りからあぶりだすのは難しいだろう。
「実行犯の一味も混じってるだろうし、こっから地下への入り口を探るのは難しいかもしれねえがな」
「でも隠し場所の入り口が近くにあるからこそ、怪しい動きをした奴も居る可能性がある、ってことだよな」
「まあな」
 腕を組みソファに背を預ける。そうするとわずかに轟の背中が見える。今は爆豪が予備として持ってきた服を身に着けている。はじめに貸した服と比べると少々肌が出ている。ただのシャツではやはり首が出る。マフラーの類も持ってくるべきだった。
「お」と熱心に地図を覗き込んでいた轟が声を上げた。「爆豪」と呼ばれ、体を起こし地図へと視線を向ける。
 轟の指先が先ほど置いた硬貨の一枚を指差していた。そこは村の中心部で、集会場のある場所だ。屋根とベンチがあるだけの場所だが、爆豪が訪れた時には若い人狼が四人集まっていた。余所者を見るあからさまな目を向けられたことが印象深い。
「この横に、井戸があるだろ」
 轟は地図に載っていない情報を口にした。断言に等しい語気に押され、記憶を手繰る。
「あー、あったな。んで知ってんだ」
「実は昨日の六人組の後を野良蝙蝠につけさせてたんだが、そのうちの一人がここの井戸を覗いてた。でも水汲んだりもしてねし、ちょっと怪しくねえか?」
「んなことしてたんか」
 感心しながらふと顔を横に向けると、思った以上に近い位置に轟が居た。「まあな」とにまりと笑う顔がごく近い距離に見える。
 顔をしかめながら「ちけえ」と押し返せば「お」と目を丸くしながら左手の指先から蝙蝠を飛ばした。蝙蝠はわずかに開いていた轟の部屋の扉の隙間を通り抜け飛んで行く。こういう距離感だっただろうかと頭を悩ませていることは伏せ「今の蝙蝠なんだ」と冷静に訊ねる。
「この井戸に送った。少し中覗いてくる。横穴があったら当たりだろ」
「気ぃ付けろよ。昼間に飛んでる蝙蝠なんて怪しいからな」
「大丈夫だ」
 任せろと自信たっぷりの返事がある。どこからその自信が湧いてくるのか知らないが、蝙蝠一匹落とされたくらいではろくなダメージにならないと言っていた。数日なのか数時間なのか知らないが、その左手の小指と薬指が消える程度で済むのだろう。
「でも、俺たちが探し物してんのは今朝のでバレちまっただろうしな。気ぃ付ける」
「当然警戒されてんだろうな。入り口見付けたところで中にこもられたら面倒くせェ」
 派手にやりあうのは魔女の依頼内容の手前やり辛い。命じられたのは探し物だ。潰して来いという話ならば早かったというのに。
 どうやって追い出すか、または中に入れないようにするかを思案する。
「正面突破するか?」などと言いだしたのは轟だ。
 顎に手をあて真面目に考え込んでいるなと思ったら、そのようなことを言う。顔に似合わず雑な奴だと鼻で笑う。
「テメェが言うんか」
「その方が早ェだろ」
 なあ、と二色の瞳が悪戯にちかちかと光っている。組んでいた腕を解き、頬杖を突く。
 それからニマリと笑う。
「半分アリだ」

   *

 今夜の空はいっそう暗い、月のない夜だ。
 そして悪だくみに向いた、真っ暗な夜だ。
「爆豪、出て来た」
 頭上の蝙蝠が轟の声で囁く。
「何人だ」
「七人」
「そんじゃ、やんぞ」
 凝り固まった体を伸ばすように立ち上がる。両腕をぐっと上へ伸ばし、稼働を確かめる様に屈伸をする。
 立ち上がった爆豪の視線の先には例の井戸がある。距離にしておよそ百五十メートル。爆豪は見張りに適した建物の屋上に居た。
 轟の偵察の結果、アレは黒だと判定されている。
 入り口のみの確認に留まっているが、先の見えない横穴は村の外れへと続いていたという。方向はあの小屋と一致した。まず間違いない。
 轟は小屋の方を見張っている。爆豪同様にどこかの建物の屋上か、上空にでも佇んでいるのだろう。深い夜の色は吸血鬼の姿をよく隠す。
 今爆豪の頭上に居るのは、連絡用の蝙蝠の一匹だ。たった指二本を切り離すだけで連絡手段として使えるとは、便利を通り越し少々腹立たしいほどだ。こうも便利なのでは、吸血鬼の弱点がああも多いのも仕方のないことのように思える。バランスを取っているのかもしれない。何相手にかは知らないが。
「準備はいいよな」
 轟の声が問い掛けてくる。
「誰に言っとんだ。派手にやれ」
 鼻で笑うと「だな」と愉快そうな声がした。
 そして視線の先に突如、氷塊が現れた。
 井戸の更に向こう、小屋の位置だ。そこに瞬きの前まではなかった氷の山が出現している。
 建物や林に遮られ、小屋は見えない。だというのに氷塊は、見えた。
「派手にやれっつったがなあ」
 限度があるだろうと呆れずにいられない。
「ダメだったか?」
 全く反省の色を見せない声を聴きながら駆け出し、屋上から飛ぶ。となりの建物の壁を蹴り勢いを調整しつつ地面に降り、そのまま一直線に井戸へと向かう。
「こっからでも見えんぞ。まあ目立つからそっち行くだろうな」
「でも確かに少しやり過ぎたな。野次馬集まってきたら困るな」
「その可能性は少ねえな。今日は新月だ、普通人狼は出歩かねえよ」
「なるほどな。確かにざっと見た限り出歩いてる奴は居ねえ」
「ひっかかんのは悪だくみしてる奴だけだ」
「はは、なら爆豪も悪だくみしてる人狼だな」
「アア?」
 唸ると頭に乗っていた蝙蝠が飛んだ。偵察に回ったのだろう。轟の本体も直ぐ近くまで戻ってきているのかもしれない。
 井戸へ辿り着くと中を覗く。轟の情報では深さは五メートルほど。石で組まれた井戸の縁に立ち、一思いに飛び込んだ。底に付く直前、爆破を起こし勢いを殺す。
 当然中は暗い。それでも目を凝らせばうっすらと輪郭が見えてくる。そして嗅ぎ覚えのある匂いがした。あの六人組が匂わせていたキツイ花の匂い。それがうっすらと漂ってくる。
 匂いの出所へと顔を向ければ、横穴が確認できた。その先は真に真っ暗闇だ。明かりを用意するべきだったと悔やみながら、壁に手を添わせて進む。
 地下には今、最低で二人の人狼が居る計算になっている。
 轟が初日に計算が合わないといった人数だ。その二人がこの井戸から出てきていないと仮定して二人。その後も幾度かの出入りがあったそうだが、二人多く出てきたことはないという。井戸から入り込んでいる奴が居た場合はそれ以上だ。
 魔女の示した五日という期日が、この夜が明けると同時にやってくる。時間もない。多少の戦闘はやむを得ないものとして処理をする。それが轟の提案した正面突破を半分採用した結果だ。
 潜伏している人数が最低限になった瞬間に小屋を氷にて封鎖。注意を集めている隙に地下に潜入。氷に気付いた犯人が地下の様子を確かめようと井戸へ回る間に目的を遂げ、小屋側から脱出する。それが今回の強行策だ。
 地下道を壁伝いに進んでいると、不意に背後から冷気を感じた。来たかと振り向くと、急に目の前に光が現れ目が眩む。とっさに腕で顔を庇い、ゆっくりと目を明かりに慣らす。
 炎がゆれていた。
 左手から炎を出した轟が立っている。ランタン代わりにもなるとはとことん便利で腹の立つ奴だ。
「一応入り口塞いできたが、言われた通り直ぐ壊せる程度にしたぞ。井戸の表面に氷の膜が張ったみたいに上手く作れたから、爆豪にも見せたかったな」
「……どうでもいいわ」
 妙に楽しそうだなと呆れながら「先歩け」と轟を前に行かせる。この地下道は並んで歩くには狭い。光源を先に歩かせた方がいい。
 ゆらゆらと炎に照らされた影が伸びる。小さな足音一つ一つが石の壁に反射して響く。
「今ちょうど、小屋の氷を壊せないかって人狼が暴れまわってるみたいだ」
 轟の声が小さく笑った。見たところ轟の体に欠けた部分はない。野良の蝙蝠を残してきたようだ。
「そりゃいい」
 答えて、それから耳をそばだてる。自分たち二人の足音と息遣い、それを除いた音を探る。
 花の匂いに邪魔をされ、嗅覚は役立たない。だが少しずつ、足音が反響する距離が短くなってきた。行き止まりが近い。
 轟の腕を掴み制止する。振り向いた轟に向け、口元に人差し指を立てる。静かにしていろよと示せば、察したように呼吸すら飲んで無音を装った。
 こういう時に察しが良い相手との仕事はやり易い。にやりと笑いながら音に集中する。
 少し先に壁がある。その向こうから物音が聞こえてくる。足音が一つ。それから声が二つ。注意深く聞き分け、足音と声の一つは同一人物と判断する。「やけに寒くないか?」という言葉が聞こえた。椅子を引きずる音がし、ボソボソと会話が続く。
「二人だな」
 そう断定すると、轟が止めていた息をふっと吐いた。
「一人ずつブッ飛ばしたら終わりだな」
「誘い出すぞ」
 肯定するように炎が消えた。視界が果てのない暗闇に包まれる。轟を下がらせ、前方に両腕を突き出す。
 わざと音が響くよう、爆破を起こした。
 爆ぜる音が止むと再び息を殺す。部屋の向こうから、異常を察知し身構える気配を感じた。「何だ今の」「爆発か?」「見に行った方がいいよな」と声が漏れ聞こえてくる。
 そして扉の開く音が聞こえた。隙間から漏れる部屋の光と共に、足音二つと人影二つが恐る恐る出て来た。
 片手をあげ、轟に合図を送る。
 直後手の中で閃光を弾けさせる。
 一瞬あたりが強い光に包まれ、前方からはうめき声が聞こえた。暗闇に慣らそうとしていた目には厳しいだろうなとせせら笑い、大きく一歩を踏み出す。
 勝負というほどのことも起きず、決着は一瞬で着いた。
 爆豪と轟の足元それぞれに一人ずつ人狼が倒れている。そいつらの首根っこを掴み遠くへと放り投げれば、隔てる様に轟が分厚い氷の壁を作り出した。
「ザコにも程があんだろ」と吐き捨てながら、奥の部屋へと向かう。
「計画通りに進み過ぎて気味悪ぃな」
「言っただろ、若手の人狼が集まってるって。ろくな考えはねえンだよ」
 勢いに任せて何かを実行しようとしている。それだけは分かる。その全貌もこの扉の向こうにあるはずだ。
 半開きになった扉を開け放ち、部屋へと踏み込む。
 中は上の小屋と比べれば広い。十メートル四方はあるだろうか。真ん中に大きなテーブルが置かれ、その上には地図が広げられている。壁には棚が一つ置かれ、食料と思しきものが積まれている。そして仮眠用の狭い二段ベッドが一つ。
 アジトというよりは秘密基地と言った方がいい様相だ。緊迫感の中に浮き足立つ空気が匂う、如何にもな男所帯。ゴミや空き瓶が床に転がっている。
 散らかった足元に注意を払いつつテーブルに近寄り、地図を確認する。どことなく見覚えのあるそれを眺めていると「それ、冬の城だな」ととなりに立った轟が言った。
 一つの四角を指差し「これが城。それから、こっちが爆豪が捕まってたところ」と指を滑らせる。
「吸血鬼の拠点の地図かよ」
 銀の弾丸の用途は、直球でそこに繋がるらしい。本当に戦争でも仕掛ける気かと疑いつつ、更に部屋の中を探る。
 探し物はすぐに見つかった。部屋の隅にあった布を捲ると木箱が現れる。肩幅程度の大きさの箱だ。轟を振り返ると頷きが返ってきた。轟が見たという木箱だろう。
「開けるぞ」
「うん」
 釘で厳重に封をされた蓋を、爆破で破壊する。半分ほどは無理やりこじ開ける。
 中からは白木の杭が出て来た。その数十五本。その他に木製の小箱が二つ。中身は銀の弾丸が十発だった。もう一つには九発。欠けた一発は轟が撃たれたそれだろうか。
「正気じゃねェな」
 弾丸と白木の杭を見下ろし吐き捨てる。
 銀は夜の生き物全般が苦手とする。だが白木の杭は、吸血鬼だけの弱点だ。命を止めるための素材。その目的以外でこれは使われない。
 こんなものをわざわざ仕入れているということは、戦争でも起こす気があるということだ。数が少ないのは一度に仕入れられる数に制限があったのか、予算か、何か。
 ふと強い力で腕を掴まれた。見れば轟が真っ青な顔をしていた。
「おい」
「悪ィ。杭は本能的に怖ぇみてえだ」
「吸血鬼を完全に殺す用だからな」
 爆豪とて銀の弾丸は見ているだけで気分が悪い。中身が見えないよう木箱の蓋を無理やり閉めると、掴まれていた腕が放された。
「……どうする、壊してくか」
「いや、持って帰ろう。魔女は持って帰れるなら持って帰れって言ってただろ」
「駄目なら壊してもいいとも言ってたろ」
「大丈夫だ、ありがとな」
 無理やり笑みを作った轟の顔に向け、舌打ちをする。木箱を隠していた布を広げ、そこに杭と弾丸のケースを並べていく。「持てるだけだからな」と吐き、杭の半分は箱に残した。
「持って帰ろうって言っておいて悪いんだが、それ持ってもらってもいいか。触りたくねえ」
「わーったよ! 余りは燃やせ」
「それくらいはやる」
 轟の冷たい視線が木箱を撫でると、一気に燃え上がり灰へと還った。残り火は氷で覆われ鎮火される。
 包んだ荷物を背負う。他にめぼしいものは見付からなかった。
 いやに静かな空間だ。
 上も後ろも氷で塞がれているかだろうか。ほんのりと寒く、音もない。燃えかすの氷塊の前で、轟が立ち尽くしている。
 これは種族仲が悪いという程度で済まない話だ。
 命を止めるための支度が確かに進められていた。それは直接轟へ向かうものではないだろうが、向かわないとも限らない。そういうものだ。
「上は、どうなってる」
 訊ねると、はっとした様子で吸血鬼の男は振り返った。
「この上に、一人。見張りが残ってる。あとは井戸の方の氷を割ってるところだ」
「頃合いだな。脱出すんぞ。その後また氷で入り口覆え。暫く中を見られねえ程度にな」
「わかった」
 小さく頷く轟と連れ立ち、外へ出る。
 部屋の隅にあった梯子を登り、氷の一部を砕き飛び出し、見張りをブッ倒し、氷山は目立つので消し、再び氷で地下室への入り口を塞いだ。
 冬の女王の息子の本気は、永久凍土を作り出す。
「少なくとも、一か月くらいは溶けねェと思う」
 そう言って最後に一度だけ、人狼の村を振り向いた轟を急かして走る。宿に荷物を置き去りにしてきてしまったが、あとで魔女に頼んで送ってもらえばいい。
 誰にも見つからぬまま、静かに村を離れた。通りかかった馬車の荷台に乗せてもらい、近くの町へと向かう。そこで魔女の城下町へ向かうキャラバンを捕まえた。
 がたがたと揺れる馬車の中、轟は勝手に人の肩を使い器用に眠っていた。膝の上には白木の杭と銀の弾丸があるというのにだ。呆れて叩き起こす気にもなれない。
 同じように眠ってしまうかと目を閉じる。
 随分と面倒な五日間だった。