夜の生き物

   6

「きなくさいねえー」と魔女が腕を組み体を捻っている。
「白木の杭に銀の弾丸って、本格的に戦争する気なのかな」に始まり、ゴーストがうだうだと推論を並べ立てて喋り続けている。
 爆豪が持ち帰った品を眺めながら、緑谷と麗日は「困った困った」と唸っており、轟は応接用のソファに座り出された紅茶を飲みながらチョコレートを食っていた。
 爆豪は既に二人を殴ることすら面倒に思えていた。早々に帰りたい一心で仕事の報告を済ませたが、やはり轟だけ一人で帰せば良かったと激しく後悔している。
 実際、一度はそうしようとした。
 魔女の城下町に戻り付くと包みを轟に押し付けようとした。
「適当に報告しとけ」と、お前はどうせ城に戻るのだから一石二鳥だろうと荷物を差し出せば「近付けんな!」と怒り出した。
 だったら燃やしてこれば良かっただろうと青筋を浮かべるも「悪ィけど本当にそいつに触りたくねえんだ。なあ、頼む」と懇願してくるので渋々、実に渋々ここまでやってきた。道端に投げ捨てて帰ってやればよかった。
「もう用はねえだろ、帰ンぞ」と背中を向けて部屋を出ようとすると「待って待って!」と麗日の声に引き留められた。
「アァ?」
「爆豪くんが捕まってた時の鎖、あれの解析結果だけでも聞いていかん?」
「まあまあ強行の仕事で疲れてるでしょ、座ってよ」
「爆豪、このチョコうまいぞ」
 ソファの座面を叩きながら轟がこちらを見ている。報告の一切を人に投げておいてなにをしているのだと一睨みし、渋々足を止めた。座りはしないでいると轟が不思議そうに首を捻っている。どうして素直に座ると思ったのだろうか。
「チッ、さっさと話せ」
「あれね、変わった術が掛かってたんよ。どうも純血の吸血鬼しか外せんみたい」
「ハ? じゃあなんでコイツは壊せたんだよ」
 吸血鬼と神のハーフは純血ではないだろうと轟を示す。緑谷が露骨に「轟くん話したんだ」と驚いた顔を見せた。
「んーその辺は推測だけど、神は夜の生き物と比べると上位の存在やからね。他の種族とのハーフと違って、混じることで吸血鬼の血が薄まったり弱まったりするわけじゃないんじゃないかな」
「チートかよ」
 いっそ呆れる思いで轟へ顔を向けると、今ものんきな顔でチョコレートを口に入れていた。
 この世の幸いは、こいつに己の価値の自覚と吸血鬼らしい自尊心が欠如していることに違いない。でなければ過激派の吸血鬼がこいつを旗印にし、とっくの昔に戦争を吹っかけてきていてもおかしくなかった。
「吸血鬼は純血にしか壊せない拘束具を用意していて、人狼は白木の杭と弾丸を用意してるとか、いよいよきな臭いね。本当に戦争する気かな」
「そうじゃないといいんやけど。ひとまずこれは、魔女で預かるね」
「用は済んだな。じゃあな、二度と俺を呼ぶんじゃねえ」
 吐き捨ててきびすを返すその瞬間、にんまりと笑う魔女の顔が見えた。
「それはムリやから!」
 またよろしくね、お疲れ様。
 のんきに手を振る声に顔をしかめ、部屋を出た。

   *

 あれから十五日経った。
 一日だけ戻ったとはいえ、長く空けていたに代わりない部屋を掃除し、そのついでに模様替えをした。魔女から仕事の報酬が渡されたこともある。
 夜の世界がなんだかんだときな臭い情勢であることも考慮し、爆豪としては珍しくこの城下町に留まることにした。留まるからこそ模様替えをしたともいえる。
 ソファを買い替え、調理器具を増やし、それに伴い収納も買い足した。
 今日はベッドも変えてしまおうと城下町を探し回ったが、これという物は見付からなかった。良いと思う物もあったのだが、サイズが大きく諦めた。部屋に入らないわけではないが、一人で使うものではない。
 食材を買い込み、ぐねぐねとうねる町を歩く。夕暮れに赤く燃える空の下帰宅した。三階へ上がり、部屋の鍵を捻る。
 扉を開けると「おかえり」と聞こえてきた。
 一人住まいに聞こえるはずのない声だ。人を招いた覚えもない。鍵もかかっていた。
 はっと顔を上げた先、新品のソファに優雅に腰かけた轟が居た。
「ア? 何勝手に上がり込んでんだこの吸血鬼野郎」
「わりぃ、居なかったから勝手に入った」
「入るんじゃねえっつってんだよ」
 どうやって入ったというのは、この男に対しては野暮な質問だろう。
「出掛ける時、窓開けっ放しなのはやめた方が良いぞ」と本人からも種明かしがあった。
 やはり吸血鬼など招き入れるものではないなと、あの日のことを少しばかり後悔する。どうせ家の場所など覚えていないだろうし、尋ねてくるような理由もないと思っていたのだ、あの時は。お互い魔女の城下町で暮らす様なタイプだが、これでも人狼と吸血鬼だ。そう思ったこともあった。
「で、なんの用だ」
 何も用がない訳ないだろうと、黒い服に身を包んだ轟へ視線を送る。内側の赤い、黒いマント姿はまさに吸血鬼だ。その格好の方を見慣れないように感じるのは変な話だった。
 組んだ足の先、黒い靴の底からも赤色がちらりと覗く。
「前の仕事の、その後の報告だ。今日の俺は魔女の使いなんだ」
「で、魔女のお使いの吸血鬼野郎は、どんな話を持ってきたんだ」
 わざわざコイツを送ってくるということは、いよいよ雲行きが怪しくなってきたのだろうか。
 轟のそばを通り、台所へと向かう。バケットの入った紙袋をテーブルに置き、別の袋から食材を取り出す。卵と野菜と奮発して買った肉の塊、それから日用品。
 片付けを進めるも、一向に轟は話し始めない。
「さっさと報告しろや」と顔を上げると、二色の瞳が期待で光りながらこちらを、正確に言うと爆豪の手元を見ていた。
 試しに肉の塊を持ち上げると、追いかけるように視線が動く。
「……飯食わなくても死なねえつってただろうが」
「食えるなら食いてえって言っただろ」
 相伴に預かる気満々らしい。図々しい奴だと睨む。
「ンなに長引くような話なんかよ」
「ん、まあ、そうだな。直ぐに帰れるような話じゃねえな」
「しゃあねえなあ。食うなら手伝え」
 盛大な溜め息を吐きながら言うと「おう」と元気よく頷いた轟が立ち上がった。
「その肩の邪魔なもんあっちに掛けてこい」
 壁にあるハンガーを示すと、こくこくと頷いた轟がいそいそと支度を始める。その背中に向け、爆豪も脱いだコートを投げつける。察した轟がそれを拾ってハンガーに掛けた。そして腕まくりをしながらこちらへやってくる。
「何したらいいんだ」
 台所に並び、問い掛けてくる姿にふと不安を覚える。果たしてこの男は料理が出来るのか。
「……冬の城に居た時、何食ってたんだ」
「あん時はあんまり。時々姉さんが差し入れに来てくれたから、持ってきてくれたもん食ってた」
「包丁握ったことは」
「ない」
 潔いほどの断言に、手伝いを命じたことを早速後悔した。指先で轟を追い返す。
「やっぱいい。轟は向こうでじっとしてろ」
「手伝わねえと食わせてくれねえんじゃねえのか」
「食わせてやるから手伝わんでいい」
 戦力外を通告すると渋々轟が戻っていった。その少し背中が丸くなっているように見えたが、包丁を握ったこともない奴を立たせるくらいなら一人で作業する方が確実に早い。
 ソファに戻った轟が「あっ」と声をだし、足元に転がっていた見覚えのない紙袋を掴み上げた。
「手土産があった。爆豪は紅茶飲むか?」
「ありゃ飲む」
「ポットは」
「そこの棚」
「じゃあ淹れるな。紅茶は淹れられるぞ」
 いやに自信に満ちた姿に不安しか覚えられないが、轟はいそいそと支度をし始めた。棚からティーポットを取り出すと茶葉を入れ「やかん借りるな」と言って水を注いだ。
 爆豪は肉の塊を切り分けながら、コンロではなく何故かソファの方へ戻っていく姿を眺めていた。水で淹れる気かと疑っていると、左手から炎を出してやかんを炙っていることに気付く。器用だと感心する気持ち半分、雑だと呆れる気持ち半分の、変な気分だった。
 だが二つしかないコンロが塞がれなかったことに関しては有り難い。片方に鍋を置き野菜を茹で、もう片方にフライパンを置く。肉に味を付けながら、轟に向け声を掛ける。
「おい、まだ掛かるから話、始めろ。どうなった」
「おお、和解した」
 実に軽い言葉だった。
 ティーポットの蓋を開けながら、轟は確かにそう言った。お湯が沸いたことを報告するような気軽さで言った。
 湯気の立つやかんが傾けられ、煮えた湯が注がれる。
「ハ?」
 今なんと言ったのかと聞き返す。
「麗日と緑谷が、人狼と吸血鬼の双方に話に行ったんだ。拘束具と杭って証拠押さえてるから、向こうも話し合いのテーブルに着かざるを得なかったんだろうな」
 熱したフライパンに肉を並べると、じゅうと良い音が鳴る。
 今の物騒な導入から、どう和解へ繋がるのか分からない。
「どうもな、人狼は吸血鬼に仲間が捕まったって聞いて、助けに行くための準備をしてただけらしい。杭や銀の弾丸は流石にやりすぎだと思うが、爆豪の言ってた通り若い人狼が主体だったから、加減っつーのが分からなかったんだろうな」
「あー」
 少しだけ納得する。あの村の人狼たちの、ヘタクソな手段と焦りはそこから来ていたのか。
「で、吸血鬼の方は、急に冬の城の雪が晴れた上に城主が消えて、探し回っていたところに人狼が居たから、人狼にさらわれたんだと思ったそうだ」
「ん?」
 肉の焼き加減を確かめながら顔を上げると、そばに轟が立っていた。マグカップが一つ、台所に置かれる。
「熱い内に飲んだ方が美味い」と言い残し、ソファへと戻っていく。
「んん」と唸りながら紅茶に口を付ける。吸血鬼の手土産だけあって美味い。紅茶は淹れられるという言葉に嘘はなかったようだ。
 轟はソファに座ると足を組み、マグカップを手にした。この家にティーポットはあれどティーカップはない。優雅な所作でマグカップを傾ける、面白い画を眺める。
「つまり、俺が急に城を出ていって、爆豪がうっかり捕まったのが、事の発端ってわけだ」
「ハア?」
 ここ最近で一番の大声だった。
 轟が「ほら、吸血鬼が人狼を捕らえたって噂が、一瞬だが流れただろ。そのおかげで爆豪は緑谷が見つけたわけだが、あの村の人狼たちも助けにいかねば、って思ったらしい。冬の城の地図もあったしな、結構調べたっぽいぞ。一番重要な爆豪脱走までは情報掴めなかったらしいが」とのんびり補足した。
 焼き上がっていく肉を皿に移す。心が無になりそうだった。うっかり捕まった訳じゃねえわという怒りと、あちこちで人のこと勝手に助けようなどと考えやがってという怒りと、まあ人狼はそういうところあるよなという納得と、肉美味そうに焼けたなという満足感と、この吸血鬼なにのんきに紅茶を飲んでいるのだというあきれが、怒涛の勢いで押し寄せてくる。
 バケットを袋から出し、食べる分だけ切り分ける。さっとドレッシングを作り、皿に盛りつけた野菜の上に垂らす。
 テーブルに二人分の食事を並べると、轟が近寄ってきた。以前と同じように椅子に座り「いただきます」と言い、今日はナイフとフォークを握った。
「それで」
 轟が続けるように口を開けた。
 まだあるのかと思ったが、和解に漕ぎつけた方法という重要な部分が不明だ。肉にナイフを入れつつ、視線を送る。
 向かいで轟が肉を一切れ口に入れ、むぐむぐと咀嚼し飲み込んだあと「うまい」と目をきらきらさせながら言った。「当たり前だろうが」と言いながら「で、続き」と促す。
「ああ。で、話をまとめる都合で、俺と爆豪が本当につがいだって、麗日がウソついた」
「は」
 口に入れかけた肉を落としそうになる。もう大声すら出なかった。
「……意味分かンねえわ」
「色々あったんだ。俺も吸血鬼側の話し合いに引っぱりだされるしよ。根掘り葉掘り聞かれるもんだから面倒になっちまって、一目惚れしたってウソ言った」
「ブ、ッ殺すぞ」
 もっと上手く誤魔化せや! とテーブルを叩くと食器が跳ねた。轟は肉を頬張りながら「しょうがねえだろ」という顔をしている。確かにこの男は駆け引きに向いていないのだろう。
 爆豪はつがいだと嘘を吐いての仕事を終えた後の対処についても、それなりに考えがあった。
 一度も「つがいだ」とは口にしてはいないし「魔女の仕事の都合」という揺るぎない切り札もあった。
 それがどうだ。この口ぶりからするに、吸血鬼側だけでなく人狼側にも話がいっている。これでは夜の世界中に知れ渡っているにも等しい様な状況だ。
 あきれと怒りが怒涛のように押し寄せいっそ頭痛がする。
 心を落ち着ける様に深く息を吸い込み、大きく吐き出す。
「……別れたって言っとけ」
「それはまずい。俺が一目惚れしたってウソ吐いちまったから、爆豪が捨てたって話になるぞ。俺のクソ親父とか血の気多いから、たぶん戦争とかそういう話になる」
「クソかよ」
 限界まで表情を歪めて言葉をひねり出す。
 あの魔女、どこまでこちらに押し付ける気なのか。最初からこの筋書きを出すつもりだったのではないか。
 魔女はこの一件で、吸血鬼と人狼との友好関係を手に入れたも同然だ。問題を紐解きつつ、爆豪と轟がつがいであるというウソにより間接的に、両種族の争いの種も消しにかかっている。それが表面上のことだろうが構わない。そういう情報があるだけでもいい。
 魔女が一人利益を得ているのではないかと唸る。
「つかテメェも何ウソ吐いてまで肯定してんだよ。否定しろや、つがいだぞ」
 俺とお前がだぞと指をさす。
「爆豪もあの質問攻めにあったら、認めたくもなるぞ」
「ねェわ」
「それに、認めてもあんま困らねえし」
 ぺろりと食事を平らげた轟がフォークとナイフを置いた。
 つがいの偽装など困る以外にないと思うのだが、あまりに平然と言う。もしかしたら困らないものかと一瞬考えたがすぐに否定する。
「いや、困ンだろ……」
「そうか?」
 轟がどういう基準でそう判断しているのか全く分からない。世間知らずの箱入りお嬢様思考なのか、本当に困らない理由があるのか、はたまた碌に考えていないのか。
 ズキズキと痛む額を押さえる。
「そういうわけだから、悪いがしばらく世話になる」
「ア?」
「つがいなのに別々に暮らしてたらおかしいって、緑谷が」
「アイツらマジでいつか絶対に殺す」
「まあほとぼりが冷めるまでの辛抱だ。戦争になるよりマシだろ」
 こいつはいったいどれほど先の話をしているのだろう。数百年を平気で生きる夜の生き物の世界では、記憶の風化など何年何十年先になるか分かったものではない。
 この吸血鬼は事態をあまりに軽く見ているなと判断し、深々とため息を吐いた。
「……荷物は」
「特にねぇ。ほとんど城の物を借りてたからな」
「マジでこの瞬間からここに住むつもりかよ」
 そして爆豪もついに、この結論に行きついた。
 諦める方が早い。
 情報を正す為に夜のを戦乱の渦に巻き込むくらいなら、諦めて轟と二人暮らしをした方が早い。
「俺結構便利だと思うぞ。お使いとか早いと思うし、食材冷やしたり湯沸かしたりもできるぞ」
「そーかよ」
 呆れたっぷりに頬杖を突く。
 急に自己アピールを始めたなと眺めるが、轟としてはここで爆豪に頷かせる他ないのだろう。もっとあっさり頷くとでも思っていたのだろうか。雲行きが怪しくなってきたので慌てているのだろうか。そう思うと少し可笑しい。
 はっと鼻で笑う。
「まずは寝床だな」
 城下町で見たあの大きなベッドを買うのもありかと一瞬考え、そりゃねえなと直ぐに否定する。
 けれど結局、明日あれを買う羽目になる。

 元より、冬の城に興味を抱いた時点で決まっていた結末だ。
 好奇心は人狼をも捕らえる。