風呂、それから飯

(爆轟/レンジに~の後日談だけれど単体でも読める)
 
 
 
 

 宣言通りの時間に、玄関の開く音がした。今朝方、今日は多分この時間に帰る、と曖昧なことを言ったくせに、誤差五分以内とは恐れ入る。
 ぐつぐつと煮える鍋とじっと睨み合う。少しくらい目を離しても大丈夫だと判断し、念のため弱火にしてから台所を離れた。パッタパタとスリッパの裏を鳴らし、いざ尋常に勝負、という面持ちで玄関へと向かう。
 スニーカーを脱ぐ爆豪の姿があった。
 黒いキャップの下から、透けるような金色がちまちまと覗いている。
「おかえり」と声を掛ける。
「ただいま」と返事がある。
「飯にするか、風呂にするか? それとも俺にするか?」
 そう問いかけると、真っ赤な瞳が細められた。値踏みするような視線に、じとりと撫でられる。好きなだけ眺めろと胸を張って答える。
 今日はきちんとエプロン姿だ。
 エプロン姿で出迎えられ、ご飯にするお風呂にするそれとも私と訪ねられたい、と言っていたのは目の前の男ではなく上鳴電気だが。全人類のあこがれだと聞いたので、爆豪も全人類には含まれるだろうと判断した。
 さあどうする、と視線で問いかける。爆豪は是とも非とも言い難い顔でキャップを外した。
「飯出来とんのか」
「もうちょいだな。風呂は沸いてるぞ」
「じゃあ風呂。んで飯」
 実にあっさりとしたその答えに思わず「俺じゃなくていいのか?」と訊ねたかったのだが、キスをされたので言いそびれてしまった。ちゅっと触れるだけのキスを残して、爆豪はそそくさと自室へと向かってしまう。
 いってらっしゃいとおかえりのちゅーが日常化してから暫く経つが、もしかして照れているのではと疑う日々は続いている。
 始めたのは爆豪だ。あの爆豪がと思うと可愛くてたまらなく好きだが、自分で初めたくせになとも思う。
 台所に残してきた鍋の元へと向かうと、ぐつぐつこととことカレーが煮えている。
 中辛が良い自分と、激辛が良い爆豪の間をとって辛口のカレーだ。中辛くらいが一番美味く食べられるのだが、爆豪は辛口でも物足りないと文句を言う。辛口でも譲歩しているのだが文句を言うので、いっそ次から中辛にしてしまおうか。辛すぎるとこちらは食べられないが、爆豪は中辛を食べられるのだから。
 部屋着を抱えた爆豪が風呂へ向かう途中、目ざとく辛口カレーの空き箱を見付けていった。反射の様に舌打ちされたが、もう挨拶のようなものだ。
 怒鳴られども舌打ちされども、大して気にしない自分がお前の恋人で良かったな、と大股に歩く背中を見送る。
 冷蔵庫からトマトとレタスとキュウリを取り出し、切ったり千切ったりしてサラダを作る。ドレッシングと一緒に先にダイニングテーブルに並べる。
 カレーももう良いかと火を止めたころ、爆豪が風呂から出て来た。ぽかぽかといった様子の姿と、少しだけしんなりして穏やかそうな金色の髪を眺める。
「出来てるぞ」
「おー」
 カレー皿に白米を盛りカレーを垂らせば、ぐうと腹が鳴った。その音が聞こえたのか、爆豪が小さく吹き出した音が聞こえた。口元を押さえて僅かに肩を揺らしている。それほどツボに入るようなことかと思いながら、カレーを運ぶ。
 向かい合わせに座って「いただきます」と手を合わせた。
 自分が飯を担当した時はいつも、爆豪の最初の一口を待ってから食べ始める。感想が気になるからだ。顔色を窺うようにじっと視線を送る。
 スプーンがカレーをすくい、口に運んだ。
「甘ェ」が第一声だった。
 よし、次から中辛にしてやろう。
「辛さ以外の感想をくれ」
「焦げ付かせたあげく、具材デカくて半煮えだった野郎よりは美味ェ」
「上達してるってことだな」
 満足気に頷いて、スプーンを握る。「ンな自信満々に頷くようなことじゃねェからな。マイナススタートだからふり幅デケェだけだ」とくどくど言われるが、プラスはプラスだ。
 こういう時は「しかたねェだろ、やってこなかったんだから」と返せば言葉を詰まらせるのだが、あまり言うのも可哀想なので今回は言わないでおく。
 ぱくりと口に入れたカレーはまあまあ普通だ。市販のルーを投げ込んでいるので味は悪くはない。だが爆豪が作るカレーと比べると劣るな、というところだ。もう何年も台所を牛耳っていた相手に、料理を始めて数か月の人間が勝てる訳もないのだが。
 しかし争うならばやはりいつかは勝たねばならない、そんな気持ちもある。何で勝つことを目標にするか。やはり得意分野の蕎麦か。しかし蕎麦で勝つとは何か。つゆか。
 そんなことを考えながら、ハッと先ほどのことを思い出す。ごくりと口の中のものを嚥下したところで、一旦手を止め「つか」と言葉を発する。
 大きな一すくいを口に入れた爆豪が顔を上げた。視線だけで「なんだ」と問い掛けられる。
「もうちょいノッてくれてもよくねえか?」
 考えるように視線を外に投げ、カレーを飲み込んだ爆豪が「……なんの話だ」と眉を吊り上げた。
「さっきの。飯か風呂か俺の話」
「飯が出来そうで風呂沸いてんなら、風呂入って飯にするに決まってんだろ」
「合理的に考えたらそうだけどよ、せめてもうちょいリアクションが欲しい」
「ねェわ」
「なんでだ。全人類のあこがれじゃねえのか?」
「それ言ってんのどうせあの辺のアホだろ」
 スプーンの先を突き付けられた。きっと今爆豪が想像した人物、概ね二択くらいと、今自分が思い浮かべている人物は合っている。その通りだなと瞬きをすると「アイツらの言うこと信じるのヤメロ」と呆れられた。
「逆に訊くが、テメェはやられて嬉しいンか」
「たぶん嬉しい。今度やってくれ」
「ヤラネー」
「なんでだ。ちゃんとお前って答えるから」
「答えんじゃねェ!」
 牙を剥いて怒られたが、一体何がそれほどお気に召さないのだろうか。サラダをしゃくしゃくと食べながら首を捻る。ハッと思い付き爆豪を見ると、また面倒なことを言いだす気だなという顔をされた。
「あれか、爆豪は裸エプロンで迎えられたいタイプか?」
「ちっげェわ! バカか!」
「違ェのか……。なら何されたら嬉しいんだよ」
「……普通でいいわ」
 心底呆れたのでこれ以上その話をしたくありません、という態度を向けられ渋々次の言葉を飲む。やはり上鳴提供の全人類の憧れネタは爆豪には当てはまらない様子だ。爆豪は人類ではないのか、などと適当なことを思い浮かべる。
 しかし普通に迎えられるのは嬉しいらしいので、次は普通に迎えることにしよう。しかし普通とはなんなのか。
 ぺろりと夕食を平らげ、食後のコーヒーを爆豪に淹れてもらいソファに並んでいると、ちらりと伺うような視線が向けられていることに気付いた。
 伺われることは珍しい。視線を向けると「明後日休みだったよな」と確認された。
「おー。爆豪もだよな、休み被ってるな」
「被せとんだわ」
「そうだったのか」
 知らなかったと瞬きをすると、爆豪の眉間の皺が深くなった。いつか眉を寄せていない時でも皺が消えないようになってしまうのではないかと危惧する。
「指輪、引き取りに行くからな」
「お、もう出来るのか」
「忘れてんじゃねェ!」
「いや忘れてねえけど、日付感覚がなかったっつうか」
「どっちもどっちだわ」
 ぐうっと睨まれたが、本当に忘れていたわけではないのだ。指輪を作りに行ってから、それほど日数が経過していたことに気付いていなかっただけだ。と言っても爆豪は言い訳するなと怒るばかりだ。記念日とか絶対忘れないもんなと、睨んでくる赤い瞳を見詰めながら思う。
 プロポーズされて、指輪を選びに行ってから、もうそれほど経つのかとカレンダーを見る。歳をとると時間の流れが速くなると聞いていたが、どうやら本当のようだ。
 あっという間に一週間が経つし、カレンダーは捲られるし、気付けば爆豪が作ってくれた年越しそばを啜っていたりもする。それを延々と繰り返していくのだろう。
 しみじみと思いを馳せていると、ふと爆豪の怒りが控えめなことに気付いた。いつもならもう少し「テメェは本当に」どうのこうのと言われたりするものだ。
 カレンダーから爆豪へと視線を移す。爆豪はぐうっと唸るような、言葉を選んで押し殺しているような、まずまず珍しい顔をしてこちらを睨んでいた。目が合うと眉間がピクリと動いて、視線が泳ぐようにどこかへ飛んだ。そしてまた戻ってくる。
「今更だが、あんな直ぐ返事して良かったんか」
 あんな、とは多分だがプロポーズの返事のことを言っているのだろう。確かに言い切る前に頷くほどの速さで答えた。そして本当に今更だなと驚いた。
「もうちったあ考えろや」
「いやでも、爆豪が俺を選んだって、そういうことじゃないのか」
「ア?」
「お前中途半端なことしねえだろ。だから最初から、そのつもりだと思ってた」
 俗にいう、結婚を前提に、というやつだ。いや少し違うかもしれない。
 よほどのことがない限り当然のように結婚して、ずっと一緒に居るつもりなのだと思っていた。なので一緒に住むかと言われた時も当然だなと思っていたし、籍を入れるかと言われた時もそんな時期かと思ったものだ。
 しかし爆豪は思ったより目を丸くしてこちらを見ている。おや、と首を捻る。
「もしかして、違ったか?」
「違、わねェわ……」
「なら良いな」
 額を押さえて深々溜め息を吐いた爆豪が何を思っているのかはいまいち分からないが、違わないならいいのだろう。マグカップをテーブルに置き、何もはめられていない左手を掲げる。銀色がちかちかと光る様を想像する。
「楽しみだな」
 な、ととなりを見る。
「ンとにテメェわ」と爆豪が呻いた。