(爆轟/ワンライ)
爆豪と二人っきり。というのは意外と、よくあることだ。
改めて思い返せば不思議なくらい、よくある。目立つ出来事はあの三か月の補講だろうか。その他にも思い返せばきりがない。一年の夏の肝試しだって、それから、あれも、それも。
今だって爆豪の部屋に二人っきりだ。
しかしこれは前述した出来事と比べると意味合いが違う。
たまたま、二人、ではなく。意図的に、二人、だ。
ベッドに背中を預けるようにして、二人並んで座っている。膝の上には自室から持ってきた参考書が乗せられている。明日の予習だ。雄英ヒーロー科の生徒の日常は忙しい。いくらお付き合いしている相手と二人っきりだからといって、時間は有限だ。というのは半分ほど言い訳で、どうにも落ち着かない気分だったので、出来るだけ有意義で小難しい物を持ってきただけだ。
ペラペラと紙をめくり、文字を視線でなぞる。情報は半分ほどしか頭に入ってこない。どうにも心臓の辺りと、それからとなりに意識が向いてしまう。
となりの爆豪は、スマートフォンの画面を見ていた。時折チカチカとランプが光っていたので、誰かからメッセージでも届いていて、やり取りをしているのだろう。横顔をちらりと伺いみると、眉がピクリと動いた。うっとうしい、と言いたげな時によく見る顔だ。メッセージの相手は上鳴あたりだろうか。
そわりと身じろぎをして、参考書のページをめくる。しかし直ぐに内容でつまづいて、前のページに戻る。やはりあまり頭に入ってきていなようだ。
ふーっと息を吐いて顔を上げる。
視線だけではなく顔ごと、爆豪の方へと向ける。すぐに気付いた赤い瞳がこちらに向けられた。もういいのかと言いたげに一瞬、視線が参考書へと落ち、すぐに上がる。
そのままパチパチと見つめ合った。
無言を通していると爆豪の表情がぐっと歪む。
なんだ、と言われそうだったので先に口を開く。ついでに視線を外して、部屋の内部へと適当に放り投げた。すっかり見慣れた景色だ。
「いつもなに話してたんだ」
口にしてから、なんだか不自由な言葉だなと思った。
案の定「ア?」と不機嫌と困惑を半々くらいの割合で混ぜたみたいな声がした。何を言いたいのか伝わっていないなと気付くだけの余裕はあったので、急いで次の言葉を探す。
その隙間で爆豪の方を、ちらりと見る。掴んでいたはずのスマートフォンは床に置かれており、視線が真直ぐこちらを見ている。ウッと言葉がのどに詰まる。しかし良くある爆豪ならば、ここで何かしら怒鳴るものだ。こちらへと向けられる譲歩だとかに、気付かずにはいられない。
「いつも二人の時、なに話してたっけって、思っただけだ」
どうにか言葉を整理して吐き出すと、今度は納得した様子の「あー」た聞こえた。
「いつもてめぇがなんか適当に喋ってんぞ」
「俺か?」
「すげぇどうでも良いこととか、延々話しかけてくんだろ」
昔っから。と言われた。
確かに思ったことをそのまま口から出すように話しかけては、怒鳴られていた覚えもある。緑谷に不思議そうと心配そう半々の顔を向けられたものだ。
しかしそれはかなり前のことだ。そうではなく、もっと最近のことだ。
そう言うも「今もあんま変わってねェわ」と鼻で笑われた。
「そうだったか?」
首を捻る。適当に話しているから覚えていないのかと記憶をたどる。三日前もこうして一緒にいたわけだが、その時は何を話したのだったか。
全く思い出せない。代わりに別のことを思い出してしまってぐっと眉間にしわが寄る。開いたままの参考書を睨むように背を丸める。今はもう文字すら頭に入ってこなかった。
「無理して喋らんでも、喋りてぇことあったら喋りゃいいだろ」
素っ気なくもこそばゆい言葉が降ってきて、どことなく居た堪れない。
何をしなくても居るだけでいいというのは、分かる。日中は一緒に居ることの方が珍しい。だからわざわざこうして部屋に来て、一緒に居る時間を作っている。お互い課題を持ち寄って、無言で片付けるだけの日だってある。いっぱい話す日の方が少ないかもしれない。本来二人とも、お喋りではないのだ。
でも、と唸る。
「せっかく一緒に居んだし、喋りてぇ」
無言の時間があることに気付いたのは、今日が初めてかもしれない。今まで大して気にしてこなかったのだなと、今気づく。置物と化した参考書を閉じて床に置き、閉じこもるように膝に額をくっつけた。
「んだよ、急に」
という爆豪の問いはもっともだろう。
だがうまい返しが思い付かず無言でいると、となりで人の動く気配がした。そして直ぐ近くで「轟」と名前が呼ばれる。意図的な感情をこめられた響きに、びくりと体が揺れる。
うらめしく顔を上げると、にやーっと笑った意地の悪そうな顔がそこにあった。
「今更意識しとんのか」
「うっせぇ」
悪態を吐いてもにらんでも、にんまりと笑われるばかりで腹立たしい。むっと頬を膨らませると、顔を背けてげらげらと笑われた。拳を握って肩を殴る。尚も肩は笑いで揺れている。
三日前、爆豪とキスをした。
いわゆるファーストキスというやつだ。
それまで、それなりに、爆豪との関係を舐めていたといってもいい。付き合っているといってもそう深く考えていなかったのだ。たぶん。
付き合う前と変わらず適当な話をして、前よりは少し近いなという距離で過ごしていた。二人でいる時間も増えたなとか、その程度だ。
人を容赦なくブン殴る拳と同じ手が、恐る恐る指先を伸ばしてくる。あの光景をどう例えよう。
見てはいけないものを、垣間見てしまったかのようだった。実際にキスをした感触などよりその、今まで誰にも見せたことがなかったであろう爆豪の姿を見てしまったことの方が、いたく心に響いた。向けられている先には自分が居るという現実には、最早めまいがしそうなほどだった。
そんなものを見てしまっては、となりで静かに座っている爆豪と言うものにすら、むずむずとしてしまっていけない。そわそわと落ち着かなく、色々と余計なことが頭の中を埋めている。言葉の一つも滑らかには出ていかず、もつれた変な言葉が口から出ていく始末だ。
もう一発肩を殴ってから、膝を抱えて小さくなる。
帰ってしまおうかという考えも頭をよぎったが、それは勿体なかった。まだ二十一時にもなっていない。
しかしどうしようかと簡易的な暗闇の中で考えていれば、爆豪が笑い終えた。思えばこうもげらげら笑う姿はそう見ない。自分の何がそんなにこの男のツボに入るのか分からないが、時折めちゃくちゃに笑われる。始めこそ驚いたものだが、最近は少し腹が立つほどだ。
「とどろき」と囁くような響きが吹き込まれる。
良いように振り回されている気がしてきて、だんだんと腹が立ってきた。唐突に、やり返さなければ、という思いに支配される。
勢いよく背筋を伸ばし顔を上げると、驚いた爆豪の顔が、思ったよりも近くにあった。拳一個分ほどの近さで、赤い瞳が見開かれている。それと同時に、ぶわっと顔が色づく様子が見えた。
なんだお前もかよ、という笑いがこみ上げてくる。人のことを散々からかったくせに耳まで赤い。
ふっと笑いが滲み出ると、むかいで眉が寄った。そういうところはとても爆豪だ。このまま二度目のキスをするのだろうか。などと冷静なことを思えたのはこの瞬間までだ。
羞恥のあまり手違いで頭突きを入れる羽目になってしまったので、お付き合いというものは難しい。