ヒーローの朝食その後

(爆轟/これの後日ネタ)

 
 
 

 私はヒーローショートの管轄区域に住んでいる。
 そう言うとちょっと羨ましがられるけれど、その有り難みを大して実感していない。そんなただのしがない女子高生だ。
 ヒーローを目指すわけでもない私の人生は、実に平凡で穏やかだ。毎年雄英高校体育祭の中継を見ては「同じ高校生なのに大変なものだ」と感嘆するだけ。個性を使ってどうこうしたいという願望もない。元より派手な個性でもなかった。
 今日も今日とて一日の授業を終え、部活に出るでもなく教室で紙パックのジュースをすすっている。原材料名の一番上が砂糖なだけある、冷たくて甘ったるいフルーツオレを吸い込む。パックが内側にべこりとへこんだ。
「あ、ショート出動してるみたい」
 そう、スマートフォンを操作していた一人が言えば「どこどこ?」と右に倣えで同じように、みんながネットニュースを開き始める。私は開け放たれた窓からなんとなく外を見てみたが、当然何も見えなかった。
 教室内には私の他に、十人ほど女子生徒がいる。仲のいい子から、別のクラスの名前くらいは知っているかなという子まで顔ぶれは幅広い。三、四人ずつのグループを形成してお喋りをしたいた。それもイケメンヒーロー様の名前が出た途端に一変し、急に一体感が生まれた。
「あそこじゃん」と誰かが知っている商店街の名前を出す。
「帰りに寄ったら姿見れるかな」
「わざわざ行かなくても、パトロールしてるの結構見ることない?」
「まあねえ。いやーうちの学校の数少ない良いところだよね、ショートの管轄区域っての」
「それね」
「そういえばこの前一緒に写真撮ってもらったんだ。見る?」
「見る!」
 教室内はすっかり一塊だ。私はそれを、ちょっとだけ遠巻きに眺めながらストローをかじっていた。
 スマートフォンの画像フォルダを開いて写真を見せあい始めたかと思えば、誰かが雑誌を取り出す。ヒーローもグラビアなどに出る世の中だけれど、ショートのそういう露出は少ない。
 雑誌に載るのはほとんどヒーローインタビューだ。この前の事件がどうというほんのわずかなコメントと、その時の写真が少し。
 ヴィラン捕獲時に氷壁を作り出すショートの姿は、きれいだと思う。容姿に頓着のない私ですらそう思うのだから、他の人はきっとくらくらしてしまうのだろう。
 夏が近付いてきて気温も高くなってきたこの頃、ショートはいっそうきれいだ。近くに寄ったらきっと涼しいのだろうなあなんて考えて、くわえていたストローを離す。紙パックが空気を吸い込んで変な音を立てた。
 気付けば話題はショート中心から、最近の好きなヒーローの話に移っていた。
「最近チャージズマのアカウントフォローしたんだけどさ、写真が上手いのなんの」
「分かる、自撮りとかめっちゃ上手いよね」
「ショートとか自撮り自分写れてないもんね」
「あれかわいいよね」
「たまにきれいに写ってる写真あるけど、あれ絶対本人撮ってないじゃん」
「それね、爆心地でしょ」
「待って、チャージズマの話もうちょい聞いてくんない?」
「でもさあ、チャージズマってちょっと軽そうじゃん」
 話題は一瞬も留まらず、洪水のように流れていく。
 分かるような分からないような話に耳を傾けながら、噂のチャージズマのアカウントを探してみた。話題にあげた友達のフォロー欄を開くと、一番上に表示されていた。
 なるほど写真が上手い。研究され尽くした角度で本人も景色も写真の枠に収まっている。管轄区域がちがうため本人を見たことはないが、メディア露出が多い方なので知っている。
 ショートと一緒に写っている写真をアップして話題になっていたこともあった、と思う。見た覚えがあるのだけれど、写真が多くて見つけられなかった。
 早々にあきらめて顔を上げる。話題はまた流れてすり替わり、爆心地の手料理へと移っていた。
「ロールキャベツめっちゃ美味そう」
「でもさ、イケメンで料理上手の旦那さんって憧れるけど、これ正直辛くない? 勝てないじゃん」
「わかる」
「料理の腕前で勝てなくても、許してくれると思う? ヘタクソとかって罵られない?」
「罵ってるかもしんないけど、許してるんでしょー」
「いやー、ショート相手じゃ許すでしょー」
「ねえー」
 頓着のない私でも気付いたことがあるのだが、ヒーローの話となれば必ずと言っていいほど名前が挙がる二人がいる。
 ショートと爆心地だ。
 ショートはイケメンでクールで個性も強くて、尚且つこの地区管轄なのだから名前が挙がりやすいのは当然だ。それと正反対で、イケメンだけれど言葉遣いも悪く荒っぽいところが目立つ爆心地の名前が、どうしてこんなに一緒にあげられるのか。理由はとても簡単だ。
 一年前に、二人は結婚したからだ。
 あの日私はぴかぴかの高校一年生だった。晴れて高校生になり、地域外から来た子たちはショートの管轄区域という特権にはしゃいでいた。遭遇する確率が高ければ、お近づきになることもあるかもしれない。なんて淡い期待を抱いた。そんな最中の出来事だった。
 当然、クラスメイト達は大いに悲しんでいた。イケメン二人が同時に人のものになってしまうなんて、とさめざめと泣いたり泣かなかったりする姿に、私は首を捻ったものだ。
 私はさっぱり、ピンと来ていなかった。パトロール中のショートを見かける度に、この人があの人とねえと思うくらいだった。ニュースで爆心地の姿が流れてくるたび、この人とねえ、とこれまた全くピンとこない気持ちで眺めていた。
 この人とあの人が上手く噛み合っているものなのだろうか、なんてお節介な心配をしてしまうくらいだ。
 ぼんやりと思いを馳せていたら、急に声が向けられた。はたと現実に戻る。
「ねえねえ」
 小学生の頃から仲良しの、いわゆる幼馴染みが、ふわふわの栗毛を揺らして私を見ていた。流れでこちらに視線が集まる。
「そろそろ推し出来た? 教えてよ」
 にこにこと問い掛けられる。私の返事を待たずして「私はねえ」と続々と自己申告がなされていく。チャージズマ推しに変わったの? と問い掛けられている先ほどの子が目立っていた。あとは比較的いつも通り。やっぱりショートが多いなというところだ。
 推しって急に出来たりするものなのだろうかと考えながら、空っぽになった紙パックを潰す。うーんと腕を組む。
「ショートかな」
「おっ、やっぱり? 実際に会う機会もあると推しちゃうよねえ」
「まあねえ。街の治安を維持してもらってるし」
「あ、なんか違う。そうじゃなくて」
「これを違うって言われると困るなあ」
「ないの? カッコイイーとか、付き合いたいーとか」
「ショート、爆心地と結婚したじゃん」
「そうだけど!」
「そういえば今週の日曜日、ショートがバラエティに出るじゃん。見るよね」
 急にぐいっと会話に割り込んできた、隣のクラスの女の子に対し目を丸くする。
「え、知らない」と言えば「知らないの?」とひっくり返った声で言われた。
「家帰ったら直ぐ録画予約してよ」
 鬼気迫る勢いで念を押され、同時にスマートフォンがピロンと音を立てた。ロックを解除し画面を覗けば、幼馴染みからチャンネルと放送時間が送られてきていた。
「絶対見てね」
 有無を言わさずにっこりと微笑まれては、頷くほかなかった。
 
 

 その日曜日の朝、私は律儀にもぞもぞとベッドから這い出した。運動部の友達なんかは今日も早起きして学校へ行っていることだろうが、私は贅沢に睡眠をむさぼっていた。本当ならもう少し眠っていたかったのだけれどしかたがない。
 ショートが出るバラエティというのは実際、少し気になった。
 番組の名前は私でも知っているものだった。芸能人やヒーローだとかをゲストに呼んで、プライベートの話を聞くのだ。自撮りした朝食風景も流されるはず。ヒーローショートのプライベートな朝食、と言われるとまずまず気になった。
 寝巻きのままリビングに降りると、テレビの前には母が居た。トーストを焼いてイチゴジャムを塗り、グラスに牛乳を注いで母のとなりに座る。
 欠伸を噛み殺しながらテレビに視線を向ける。どうやら母と目的は同じらしい。
「ショートくん見に来たの? 珍しいね」
「まあ。絶対見てって言われたし」
「そんなことだろうと思った」
 サクリとトーストを噛み切り、もぐもぐと咀嚼している間に番組は始まった。
 見慣れたヒーローコスチュームではない、私服っぽいものに身を包んだショートが、ソファ席の真ん中に通される。ゲストの座る位置だ。あの服は私物なのだろうか、それとも番組の用意したものなのだろうか。いつもと違って髪形もセットしている。なんだか知らない人みたいだった。
 ピロンとスマートフォンが鳴ったかと思えば、幼馴染みからメッセージが届いていた。「オフショートヤバイ」と短くも慌ただしい言葉に「見てるよ」と返す。
 確かにきれいに飾られたショートはモデルみたいで、スタジオに居る他の芸能人と比べても引けを取らない。イケメンと騒がれるだけある。この人がいつもこの街に居るのかと思うと、不思議な気持ちだった。
 トーストをぺろりと平らげたが、少し物足りない。牛乳も半分ほど飲んだが、まだ何か食べたい気がする。ヨーグルトでも食べようかと立ち上がりかけたところ、目当てのVTRが始まってしまった。ヨーグルトは諦めて、腰を落ち着ける。
 じいっとテレビ画面を眺める母に並んで、テーブルに頬杖を付く。
 ヒーローショートの朝食風景、というテロップが画面に浮かぶ。
 右上にワイプで抜かれたショートが映っているが、何故か驚いた顔をしていた。何かあったのかなと思うも、聞こえて来たジュワジュワという香ばしい音と、画面に映った爆心地の姿に意識を持っていかれる。
 フレンチトーストという響きと映像に、ぐうとお腹が鳴った。
「あんた今トースト食べたじゃない」
 母に鼻で笑われる。
「一枚じゃ足りないし」
 眉を寄せている間にも、映像は進んでいく。
 見たことのある様子で爆心地が怒っているなあと思えば、途端に言葉が穏やかになったりする。途中で画面が真っ暗になったかと思えば「イテェ」と呻くショートの声が聞こえてくる。
「何してるのかしら」という母に「さあ」と首をかしげる。
 私はそれよりも、ショートのために牛乳を買いに行く爆心地、の部分に驚いてやまないでいた。フレンチトーストが食べたいとねだるショートの時点で中々の驚きだったのだけれど、そのために牛乳を買いに行ってあげるような人だとは思っていなかった。
 人は見かけによらないものなのか。「ショート相手じゃ許すでしょう」と唸っていたクラスメイトの姿を思い出す。そういうものなのかもしれない。
 出来上がったフレンチトーストはとても美味しそうだった。料理が上手いというのは本当のようだ。いいなあ食べたいなあ、と純粋にお腹を空かせた私は思う。
 手元には牛乳がある。食パンも残りがあったから、あとでフレンチトーストにしてしまおうか。けれどバケットがいい。なんて、画面をのんきに見ていた。だからこれは不意打ちだったと言っていい。
「幸せですよ」
 そう笑うショートの声と、くすぐったそうに笑った爆心地の姿。その少し後、カメラを奪われたショートもまた笑っていた。
 その直後映像はブツリと切れて、スタジオに戻された。アナウンサーが喋り出す。それが全然頭に入ってこない。
 だってあんなに幸せそうな顔をして笑う人だと、思っていなかった。私はこの時初めて、この人はきれいな人なんだ、と気付いた。
 一瞬だけ映った笑みは、それほどにきれいだった。
 だというのに、今スタジオに居るショートは渋い顔をしている。困っているようにも、焦っているようにも見える。それを周りが微笑ましく見守っている、という流れだ。理由は直ぐに分かった。
 直後に流されたもう一本のVTR。食卓に並べられた綺麗な夕飯と、自信たっぷりな爆心地の様子と、用意されたように滑らかな言葉の数々。朝食風景と比べるとずいぶんと整えられていて、いっそ味気ないほどだった。
「こっちを流してほしかったんですが」とスタジオのショートが困ったように眉尻を下げている。「俺絶対、あいつに怒られますよ」
 ああなるほど。
 朝食風景が流れたことは、ショートにとっては予想外のことだったのか。だからあんな変な顔をしていたらしい。
「こんなの、流さない方がもったないですよ!」
 満面の笑みでアナウンサーが答える。確かになあと、私も釣られて笑う。となりの母も、同じように笑っていた。
「ショートさんもですが、爆心地さんも意外な一面があるんですね。ファンになりそうです」
 なんて、おだてるコメントが飛んでくる。その中でショートは諦めたように照れ笑いを浮かべていた。
「そうですね」
 そう言って、笑う。くすぐったそうに。
 ショートが私の住む地域を担当するようになってから早数年、一度も見たことのない顔で。あんまり表情が変わらないけれどそういうところもクールでいいよね、なんて言われていた人とは思えない顔で、笑う。
 幸せってああいう姿をしているんだな。
 なんて私は思った。