鈍行列車/逃避行

(爆轟/ワンライ)

 
 
 

「今しかできないことなんだ」
 なあ頼む。
 なんてメッセージが届いては、少なからず焦るというものだ。夜も更けてきた頃、一階の共有スペースでたむろしていた奴らも散り散りに部屋に戻る頃だ。
「んだよ」と返信しても「来てくれ」とだけで、用件を良いやがらない。それどころか「だめか」という平仮名三文字が追撃を加えてきた。
 渋々ベッドの上に転がしていた体を起こし、さっさと部屋を出る。誰もいない廊下を進み階段を上り、一つ上の階へ向かう。そして「轟」と書かれた部屋のドアをノックした。
 出会って三年、付き合って三百日ほどの、轟焦凍という人間のことを、他の奴らよりは理解している方だ、と思う。しかしおよそ丸十八年の人生経験では、こいつを理解し切ることはまだ難しいなと、部屋一面に広げられた地図を見て思った。
「よく来たな」
 招き入れられて最初に見えたものがそれだ。
 地図が部屋の大部分を占拠している。敷き布団だから融通の利く、轟の部屋でなければ広げきれないだろう大きさだ。いったいどこから取り出してきたのか。
 柄にもなく逸ったままの心臓を、落ち着けて良いのか悪いのかも分からない。轟の顔色を見るに、そう悪いできごとではないらしいと分かる程度だ。
「まあ座ってくれ」
 そう言って、轟は部屋の中の空いたスペースであぐらを組んだ。そのとなりに片膝を立てて座る。
 近くで見たことで紙は地図ではなく、路線図だということが分かった。だからといって何に使うのかは未だ不明だ。路線図を使うような課題がでた覚えはない。ならばこいつの就職先から出された課題か、何かか。
 話を促すように視線を送ると、轟がこちらを向いた。
 その顔を見て、出会った頃に比べるといくらか大人びたな、なんて思う。卒業も間近だ。こうしていられる時間も残りわずかかと思うと、急に感傷的な気分になった。きっとこいつが「今しかない」なんてメッセージを送ってくるからだ。
「爆豪は四月になったらすぐ十九になっちまうだろ」
「……それがなんだよ」
「だから、十九になる前にやっとかねえと。俺はまだ猶予があるけど、爆豪はもう少ししかねえ。だから今やるしかねえんだ」
「だから」なにを。
 まどろっこしさに苛立ちを覚えつつ言葉を発するその途中、はたと思い当たる。
 十九という歳に大した節目はないが、路線図と十八には心当たりがある。ついでに、思いついたことが直ぐ口から出てしまうような轟が、回りくどい言い方をする時についても心当たりがある。
 にやぁと笑い、肩を寄せる。「なあ轟」と囁く。
「良いことを教えてやるが、青春18きっぷに年齢制限はねェ」
 驚いた様子で顔を上げた轟が「本当か」と言ったので、予想は辺りらしい。
「十八って名前についているのにか」
「どうせ名前だけ聞いて碌に調べてねえんだろ」
「十八っつうから、やべぇと思って。けど、今しかねえわけじゃねえのか」
 ふうと息を吐くと、安心したような、落胆したような表情を浮かべた。
 それを見ながら頬杖を突き、路線図に視線を落とす。本州がまるっと載った地図は大きすぎて逆に分かり辛い。再度轟に視線を戻す。
「で、どこ行きてぇんだ」
 妙なところでお願いごとがヘタクソな恋人に尋ねると、よくわかったなという顔をされた。舐めんなと鼻で笑う。
「行きてえところがあったわけじゃねえんだ」と背が丸まった。「爆豪もうすぐ十九になっちまうだろ。それまでに行かないとって思ったんだが、そんなことねえんだな」
「つっても、鈍行でのんきに出掛けられんのなんて今のうちだけだろ」
「そう、か?」
「プロになったらンな時間取れねえだろうが」
 旅行に行く時間は取れても、きっと鈍行には乗らない。そういう意味でも十八なのかもな、などと考えつつスマートフォンを取り出す。ブラウザを立ち上げ、検索窓に文字を打つ。
「いいんじゃねえの、卒業旅行っつうことで」
「旅行か」
「ア? 違うんかよ」
「いや、旅行になるのかと思って」
「ンッとに何も考えねえで連絡してきやがったな舐めプ野郎!」
 顎を鷲掴みにすると、さすがにまずいという顔で「悪ぃ」と呻いた。ぽいと手を離して舌打ちする。
「悪い、慌ててた」と轟が体を寄せて、スマートフォンの画面を覗き込んできた。人任せにする気満々だなこいつ、とじとりと視線を向ける。轟は慣れたもので「どうした」と首をかしげるだけだ。
 画面をスワイプする。近くの駅から始発で出た場合、一日でどこまで遠くへ行けるのか。
 本当は、真っ先に連絡を寄越されたことが嬉しかった。思い立ってから検討するまでもなく、誘おうと思われることが、嬉しくないわけがない。だがそれを表に出す方法など知らない。見せるつもりもないが、もう少し上手い言い回しもあるのだろうなとも考える。
「一日ありゃ割とどこでも行けるな」
「そうなのか?」
「行先によっちゃ移動だけで一日潰れるがな。大阪あたりまでなら半日でいける」
 へえと相槌を打つばかりの轟に、もしやこいつは画面を覗いているだけで読んではいないなと疑う。
「せめてどっち方向に行きてえとかねえンか」
「……ないな。爆豪とどっか行けたらいいなって思っただけだし」
「ンとにテメェは!」
「近くで怒鳴るなよ、耳いてえだろ」
「誰が怒鳴らせてると思ってンだ!」
 熱の集まる顔を誤魔化すように喚く。
 轟は目を細めて立ち上がると、広げた路線図にそって歩き始めた。駅名を物色したところで、何かが分かるわけではないと思うのだが。
 反対側に辿り着くと、狭い隙間にしゃがみこむ。その足元には新潟がある。
「日本海側に行ってみるってのもありだな」
「そこまで行くと一日コースだ」
「大阪までと距離変わんねえように見えるのにか」
「走ってる電車の本数が違ぇ」
「なるほどな」
「西に行くなら、四国までギリいける」
「おお。うどん食えるな」
「てめぇは蕎麦だろ」
 うどんと聞いて思い浮かぶ顔があったが、腹が立ったので掃いて捨てる。
「あとは何日使うかだな。そっちも四国も、始発で出て着くのは夜だ。三日はねえととんぼ返りだぞ」
「移動だけっつうのはつまんねえよな」
「あとは最終地点の他に、どっか寄り道するかだな」
「おお」
「大阪寄って、最終は岡山とか」
「西に行くならベタに京都でもいいんじゃねえか」
「同じ発想のヤツらでゼッテェ混んでる」
「混んでるのいやか?」
 反射で嫌じゃねえわ、と返しそうになるが、正直嫌だ。他にも選択肢がある中で、この目立つ男を連れ、わざわざ人混みに突っ込んでいくのは嫌だ。
「……ベタすぎんだろ」と言葉を濁すと「確かに、京都とか大阪は行く機会も多そうだしな」と勝手に納得してくれた。
「けど、そうなると移動で一日コースか?」
「三日空けれるか?」
「俺はいける」
「なら三日で考えるか」
「お、東北に行くのもよくねえか?」
「無駄に選択肢だけ増やしてんじゃねェ」
 ぐわと睨むと轟が笑った。笑って立ち上がり、また路線図に沿って歩いてこちらに戻ってくる。
 先程と反対側のとなりに腰を落ち着けると、肩に顎が乗せられた。スマートフォンの画面に指が伸ばされる。するっとスワイプすると「東北も意外と近いな」と呟いた。
 目の前にある大きな路線図の存在意義がすっかり見失われている。最初からこれで良かったのではないかと目を細める。その考えが伝わってしまったのかは知らないが、轟が離れて路線図の手前に膝をついた。
 最寄りの駅名を探しあてて「ここだろ」と指をさす。するすると適当に辿って、適当な目的地を示す。
「お、この辺通るなら城とかあるんじゃねえか」
「あー」
「それかどっか途中で山でも登るか?」
「山登っとったらプラス一日だぞ。つか荷物が増えるから却下だ」
「荷物のこともあったな」
 意外と難しいな。なんて真剣な顔をして言う。
 駅名を睨んで何が分かるのかと思うが、乗り換え案内では分からない通り道のことくらいは分かるのだろう。半分寝そべりながら駅名を辿る轟の背中にのしかかる。「うぐ」と呻いたが気にしない。
「行き先決めるだけでも結構大変だな」
「どっかの誰かが、どんどん選択肢増やすおかげでな」
「でもちょっと楽しいな」
 そう言って轟が首を捻って顔を上げた。提案するばかりのてめえは楽しいだろうなと思っていれば、二色の瞳が嬉しそうに細められる。
 まあそうだよな、二人で旅行など初めてだしな。そう考えながらむず痒い気持ちになっていると、轟が笑った。
「なんか、逃亡計画みてぇだな」
「せめて逃避行とか言いやがれ」