(綾主)
修学旅行の一日目ももう露天風呂入ったしだらっとして終わりか……と順平は旅館のロビーで寛いでいた。一日目なんて移動もあって一瞬だったな、と思っているところに、驚き5割にやけ5割の顔をした友近が駆け込んできた。どこからか勢い良く走ってきたらしい、浴衣が少し乱れている。
目の前で立ち止まった友近は鼻息を荒くして順平を見下ろした。
「順平、俺、すげえもん見ちまったんだけどさ。聞きたい?」
「どしたどした、美人でも居たか」
「いや、女じゃない。けどすげえぞ」
「何だよー。もったいぶんなって」
早く早く、と急かす。友近は片手を腰に当て、顔をきりりとさせた。思わず立ち上がって目線を合わせる。
この様子、きっとスクープに違いない。と順平は思わず身構えた。生唾を飲み込む。
友近が、息を吸った。
「望月が女子とキスしてた!」
順平は言葉の一つ一つを吟味し飲み込んだ。
正直、もっと下らないネタを予想していた。スクープ、と言ってもせいぜい鳥海先生が酔い潰れていたとか、その程度の。まあ下らない話しでも、ここは修学旅行補正で盛り上げてパッと咲かせて散らせてやろうと思っていた。
それが、どうよ。何だって。綾時が、女子と、キッス。
噂のナンパ師綾時くんが、修学旅行で、KISS。は、なんだって?
取り合えず、ここで取るべきリアクションはこうだ。
両手を握って、前で構えて、声を荒げる。
「まじで!!」
「まじだ!」友近も同じポーズを取り、そう叫んだ。
特定の相手とか、誰が好きとか、聞いた事が無いので正直少しばかりショックだ。いつの間にキスなんてする間柄の相手が出来ていたのか。出来たなら教えてくれれば良いのに。これは噂の修学旅行パワーか。それかなんだ、噂のナンパ師は声を掛けてデートに誘うだけじゃ終わらないというのか。その後の段階まで進んじゃうのか。
「つか、相手誰よ」
「それは見えなかった」
「オイオイ、そこ重要だろうが……」
「それが、望月がこっちに背中向けててさー。全然、顔まで見えなくって」
「見えないのに良くキスしたって分かったな」
「動きで分かる」
「はあ」
まあ、綾時には数多の女子が寄って来るし、そういう相手も居たって不思議じゃないか。しかし、その相手に、心当たりがあるような、無いような。確信は無かったので、順平はその事については黙っておいた。
友近は尚も興奮冷めやらぬ様子で「二階の廊下の突き当たりに居た」とかなんとか言っている。二階って思い切り男子専用フロアじゃないか。その男子の巣窟の廊下の突き当りまでやってくる女子というのもなかなか兵だ。
「あれ、じゅんぺー、友近くーん。何してるのー」
そこに渦中の綾時と、眠そうな深月が下りてきた。綾時はここで話されている内容など知らないだろう、晴れやかな顔で手を大きく振っている。この状況でその笑顔は幸せ肯定にしか見えない。
順平は手を上げて答えた。
「二人ともなんだか楽しそうだね。僕達も混ぜてよ」
にこにこと近寄ってきた綾時の肩に友近が腕を回し圧し掛かる。「お前も隅に置けねえな」
「え? 何が」
「綾時お前キスしてたってな! ったく彼女出来たんなら言えよな。水臭いだろ」
「ええー?」
戸惑い顔から一転、綾時は驚いた顔に変わった。「彼女? なんで?」
しらばっくれる様子の綾時を、友近と両側から挟む。
「で、どこの誰だ」
「何組の子だよ」
「ええーちょっと待ってよー」
両脇を拘束されながらも逃れようともがいてはいるが、どうも嫌そうではない。いや、拘束されるのがではなく、追求されるのが。
こういう反応は見たことがある。同学年の男子に時折見られる、彼女出来て幸せにじみ出ちゃってるけど取り合えずまだとぼけている状況。そんな感じ。
つまり、綾時もそういう感じ。これはこれは何か起きたに違いない。追求の手を休めなければ直に白状するに違いない。
「深月は知らねえの?」
綾時と一緒に下りてきた割に、この話題に乗っかるでもなく隣で突っ立っていた深月にも尋ねる。
「知らない」
こいつがこの手の話題にあまり乗ってこないのは知っているが、仮にも友人の彼女だ、多少は気になるだろう。と思ったのだがあまりにもそっけなくそう返された。
深月は浴衣にポケットが無い為手持ち無沙汰らしく、適当に壁にもたれ腕を組んだ。これ以上この話題には干渉しないつもりらしい。
「で、望月。誰よ?」
「えー?」
「いやもう誰とは言わなくてもいい、せめてどんな子かだけでも言え」
「うーん?」
順平の隣りでは相変わらず友近が追求を続けていて、綾時は曖昧に首をかしげている。が、笑っている。
「もう観念しろよ望月……俺は見てしまったんだ、お前がキスしてるのをだ。残念ながら彼女の方は小柄なんだろうな、すっぽり影に収まって見えなかったが」
あれ、なんか今ピリッとした空気を感じた。気がする。
ふと深月を見る。何か、機嫌悪い、気がする。少しピリピリした空気が出てるような。もしや先程のピリッとした空気は深月が発生源か?
「どうかしたか?」深月に問いかける。
「何も」いつも以上に素っ気無く返された。やっぱり少し怒っているらしい。
声に少しばかり棘がある。何で怒ってるんだ。さっきまではただ眠そうだっただけなのに。
ここに来てから話したあったことと言えば、綾時の彼女追求くらいだ。深月に対して特に何かしたわけではない。ほっておかれて機嫌を悪くするような奴ではない。むしろ気付いたら単独行動してるような奴だ。
ならば何故。
と、ここで順平の比較的無い脳みそが奇跡的に答えを導き出した。
キスしてた綾時。
綾時より背の低い彼女。(まあ大抵の女の子は綾時より背が低いわけだが)
機嫌悪くなってきた深月。
っていうかさっきキスしてたって言って友近が走ってきた。
そのほんの少し後、揃って下りてきた二人。
つまり綾時はキスした直後彼女と即別れて平然と深月と一緒に下りてきたことになる。
付き合えないならキスしてくれたら諦めるから、とかいう展開も綾時なら起きそうだが、それだとこんな綾時から幸せオーラが滲み出てるのがおかしい。
それにさっき、何となく綾時のお相手に心当たりがあるような気がした。そう、最近やけに綾時と仲睦まじくね? と思った人物。
(もしや、綾時のキスの相手って……)
しかしこの予想が正しいなら、今友近は地雷の上で元気に飛び跳ねていることになる。これはかなり、危機的状況。
「友近! あっち、今入ってきたお姉さんめっちゃ美人!」
「何! マジか!」
「マジで! すげー友近好みっぽいお姉さん!」
美人なお姉さんとか全くの嘘だが、地雷が爆発してとんでもない事になる前に、ここを離れなくては!
順平は綾時の腕を開放すると、変わりに友近の腕を掴んで勢いよく走り出した。
「痛ったい!」
容赦の無い蹴り後ろから入れられた綾時は思わず仰け反った。鈍器か何かで殴られたんじゃ、というくらい痛む腰を押さえながら振り返ると深月が怒っていた。
珍しくわなわなと怒りに震えている。
「思いっきり見られてんじゃないか! バカ綾時!」
「大丈夫だよ、顔見られてなかったじゃない」
「どこが大丈夫だ……。思い切り順平にはバレてたぞ」
「え? 本当?」
「……最後、俺とお前の顔見比べて血相変えて走ってったぞ」
「あれー?」
深月は大きくため息を着くと、二階への階段を上り始めた。それに続く。
まさか、見ていない順平にバレるとは思わなかった。冷静に考えたらキスした直後一緒に現れた相手がその人、って言うのは分かるかもしれない。まあ、まさか深月がそうだという結論に辿り着ける人物は少ないだろうけど。
あと、小柄、ってワードで深月の機嫌が急降下したから、順平はそれで勘付いたのかもしれない。
「ごめんね、君の浴衣姿って新鮮で」
あとお風呂上りで血色が良くて云々、は言ったら怒られそうなので黙っておく。
深月は何も答えない。
「……でも君だって乗り気だったじゃないか」
ぽつりと漏らせばキッと睨まれた。うう、怖い。けどちょっと照れてるみたいで可愛い。
二階に着く。深月はそのまま自室へ戻る様だ。
順平たちは暫く戻ってこないだろうし、このままだと僕達だけ先に寝付く事になるかもしれない。深月は意外と寝るのが早い。
「あ、そうだ。部屋に戻ったら二人っきりだし、今度は目撃される事無くいちゃいちゃ出来るね!」
「っ! しない!」
「えー……」
「次見られたら、お前と、見た奴の記憶が飛ぶまで殴る」
「……うっ、ごめんなさい」