あとで犯人教えてくれ

(爆轟)
 
 
 

 生まれて初めての恋人が、まさかこの男になるとは。

 ちらりと右へ視線を送り、誤魔化すように前を向く。
 クラスメイトの全員が一階に揃った金曜日の夜更け。発起人は誰かしらないが、はしゃぎながら部屋のテレビより大きな画面で映画が見たい、という理由で集まったらしい。知名度も人気も高い映画の、何度目かの地上波放送。ソファ席は全て埋まっており、あふれた奴のほとんどは椅子を持ってテレビの近くへ行っている。
 その中で爆豪と轟は、テレビからは少し離れたこのテーブルに陣取っていた。
 テーブルに頬杖を着いて、もう片手で中身が半分ほど入ったペットボトルをいじる。
 再びさりげなく、目玉をとなりへ向ける。轟の横顔が見えた。
 直ぐに視線を外し、テレビを見ている風を装う。半端な位置に置いた椅子に座る、障子と常闇の頭が見える。更に奥には、テレビを囲むように頭が無秩序に並んでいた。
 どいつもこいつも目立つ頭をしているものだから、どれが誰だか分かってしまう。たとえ風呂上りで髪がしんなりとしていてもだ。その中でも一際目立つ奴は今、となりに座っている。
 並んで座っていても、おかしいとは思われないくらいの関係。
 それがクラスメイトからみた、今の二人だと思う。
 轟は一階に下りてくる時間が遅く、席がそこしか空いていなかった。椅子を持って向こうへ行くほど、興味のある映画ではないらしい。
 爆豪はといえば、軽くランニングをして戻って来たところを捕まった。「みんなで」とは、ここではよく聞くセリフだ。大して興味はなかったが、引き留められる力の方が強かった。
 それに丁度、轟が下りてくる様子が見えてしまったのだ。盛大な舌打ちをこぼしながらこの席に座った。引き留めて来た奴らは皆、意気揚々とソファ席に向かっていってここには居ない。
 金曜の夜。全員集合したクラスメイト。何度見たか分からない映画。
 特別好きというわけでもない、内容も良く知る映画を、仲良く並んで見る理由など何一つない。それでも座っているのは単純に、となりの男が居るからだ。
 関係性を恋人と定めて、たった数日のこの男。
 むすりと眉が寄る。正直、どのような顔をしているべきか分からない。とすればいつも通りに不機嫌を作っておけば間違いない。どことなく浮ついた気持ちが落ち着きを取り戻すには、まだ時間が必要だった。
 偶然のように、当然のように、となりに座った。
 だがそれだけだ。関係性を隠すつもりはないが、この様な場で公表した日には、どれほど面倒な目に遭わされるか分かったものではない。
 無言のままテレビを眺める。映画の声に混じってクラスメイトの雑談が耳に届くが、内容までは分からない。聞く気がないだけともいえる。
 意識の大半は、となりに向いたままだ。二色のまつ毛を揺らしながら、興味深そうに真直ぐ画面を眺める姿がある。
 見過ぎていたのか、CMに入って意識が逸れたからか、ついに轟が視線に気が付いた。
「どうかしたか」と問い掛けられる。
「……見たことねえんか」
 あれ。と顎でテレビを示す。今はキムチ鍋の素のCMが流れていたが、話は通じた。
「初めて見る」
 案の定な答えの最後に「爆豪は」と問い掛けが返ってきた。
 短く「ある」と答える。
「なら爆豪は、誰が犯人か知ってんだな」
「言わねえぞ」
「聞かねえ。ネタバレってやつになんだろ」
 ぎこちない言葉遣いをしながら、轟が僅かに表情を和らげた。一瞬呼吸を忘れ、思い出したように鼻で笑う。そしてまた、顔を背ける。
 これでは抜け出そうなどと誘えやしない。
 せっかくクラスメイトの動向が分かっているというのにだ。
 だが連れ出す方法の見当もついていない。声を掛けて同時に席を立っては目立って仕方がない。指名して連れ出すほどの言い訳も、今はなかった。補講に行っていた時だったならまだやりようがあった。スマートフォンにメッセージを送ったところで、すぐ気付くかは分からない。そういう時、こいつは鈍い。
 色々と策を考えはするが、興味深く映画を眺める轟の邪魔をするつもりはなかった。他人に合わせて行動パターンを変えるなど、一年前の自分に伝えたところで信じないだろう。半年前の自分でも信じるか分からない。
 となり合う椅子は近くも遠くもない。手を伸ばせば触れられるが、肩が触れる程近くはない。よくある距離だ。それが妙にむず痒い。たったこれだけでと思えば、己に腹が立つような気がした。だがやはり、どこか浮ついて落ち着かない。となりに居る。轟が。
 そっと、静かに息を吐く。視線を、意識を、映画に向ける。
 幾度目かのCMの際に、上鳴が勢いよく立ち上がった。体を伸ばすついでのように、大きく手を上げる。
「カップラーメン食う人!」
「え、今から食べんの?」
「なんか腹減らねえ? 俺お湯沸かしてくるわ。食うなら一緒に沸かすぜ」
「俺はいいわー」
「んじゃ、俺は食おうかな」
「私も!」
「え、太らん?」
 ぽろぽろと言葉が飛び交い、上鳴が揚げられた手の本数を数え始める。便乗したのは早々に手を上げた二人だけだった。「案外少ないのね」としょげながら上鳴が歩いてくる。
「お前らは?」
 障子と常闇とまとめて声を掛けられる。三人は断った。その中で「食う」と答えると、轟が少し驚いたように目を開いた。
「おっ今日の爆豪ノリいいな」
「うっせェ、はよ行け」
 腹が減ったというよりは、手持ち無沙汰だったと言った方がいい。気を紛らわせるための物が丁度現れたというだけだ。
 食べると答えた奴らでそれぞれキッチンへ向かい、カップラーメンを手に戻ってくる。癪だが同じように行動し、ぺりぺりと包装を剥がす。
 そうこうしているうちに、CMが終わり映画の続きが流れ始めた。何故か興味深くカップラーメンを眺めていた轟の視線も逸れて、テレビの方へ向き向き直る。
 今一場面ごっそりとカットされたな。なんて思いながら椅子に背を預ける。
 ピィ、と高い音が響いたのは、それから程なくしてのことだった。
 慌ただしく笛に空気を送り込んだような高音が、背後から聞こえて来た。急かす様な騒がしさに振り向くが、視界にそれらしきものは見当たらない。同じように音の出所を探る轟と一瞬、視線が重なった。
「あっ、爆豪。ちょっと行ってきてくんねえ?」
 声を掛けてきたのは上鳴だ。ソファの背もたれにしがみつくようにこちらを向き、手を振っている。
「ア?」と唸ると、高音が鳴り続ける中「やかん、やかん!」と爆豪の背後を指差した。
 漸く合点がいった。ハッ、と鼻を鳴らす。
「テメェで行け」
「お願いかっちゃんー。一番近いじゃん」
 両手を合わせながら甘えた声を出した上鳴に対し、ぞわりと悪寒が背筋を駆ける。顔を歪めて睨むも意に介さず「おねがぁい」と尚も猫なで声を出す。目を吊り上げ「キメェ」と吐き捨てる。
 こういう時に限ってCMには切り替わらないものだ。今の場面からして、映像の切れ目ももう少し先だろう。
 そこで立ち上がったのは轟だった。
 となりの椅子が引かれ、轟の作る影が落ちてくる。
「持ってきたらいいんだな」
「えっ轟は食わないじゃん。さすがに悪ぃよ」
「いや、俺もなんか飲み物淹れてぇからいい。代わりに少し湯を貰ってもいいか」
「それは全然、いいけど」
 ピィと鳴る音に呼ばれるように轟が振り返る。
 煮え湯、なんて言葉が思い出された時には立ち上がっていた。
 数歩先を歩いていた轟に追い付くと、追い払うように腕を振る。言外に「戻っていろ」と伝えると、一瞬だけ不思議そうに目が丸くなった。
 このやり取りがいくつかの視線に見られていると分かる。おや、という疑問が背中に刺さるようだ。偽るように舌打ちし、轟を睨む。
「テメェに恩を売られる筋合いはねェ」
「こんくらいで大げさだなおまえ」
「うっせぇ、戻って座っとけ」
「いや俺も茶淹れるから」
「そんくらいやってやるわ」
 だから向こうで待っていろと、小声で伝える。やり取りの後半は映画の音声にかき消され、クラスメイトには聞こえていないはずだ。こちらへの視線もいつの間にか消えていた。
 だというのに結局こいつはキッチンまでついてきた。
 仕方なく「茶の支度してろ」と追い払い、コンロの火を止める。けたたましく鳴り響いていた高音が、しゅわりと静かになる。
 やかんを目の前に、隠すように息を吐いた。
 それで轟はと振り向けば、思いのほか近くに姿があった。マグカップを握った轟が、伸ばした腕一本分ほどの距離に立っている。まさかそれほど近くにいるとは思っておらず、何かしらの動揺が体の外に漏れそうになる。それを飲み込み、じとりと睨む。
「茶を淹れるんじゃねえンか」
「インスタントにした。お湯だけくれねえか」
 早く戻りてぇし、と差し出されたマグカップの中には確かに緑色の粉末が入っていた。じいっと様子を伺った後、轟を腕で遠ざけながらやかんを持ち上げる。
「向こうで淹れりゃいいだろ」
「お、ありがとな」
「うっせー」
 のんきな声色が背中に掛かる。
 杞憂だった。とでもいえばいいのだろうか。
 三分を待つ間、頬杖を着いてとなりの様子を観察していたが、特に何もなかった。沸騰したての熱いお湯で淹れた、インスタントの緑茶にふーっと息を吹きかけ、そろりと口を付けては飲み込む。視線はテレビに固定されたまま、興味深そうに時折瞬いている。
 映画はもうすぐ種明かしの時間だ。誰が犯人で、どうしてこの事件が起きたのか。
 百八十秒のカウントダウンを終え、カップラーメンの蓋を剥がす。ぶわりと湯気が立つ。箸を掴んで麺をほぐし、ずるりと啜る。
 生まれて初めてできた恋人との付き合い方など、案外分からないものだ。恋人だからというより、この男だからだろう。勝手に聞いてしまった過去のことを、本人の口から改めてきいたことはまだない。
 この男が見た目に似合わず案外図太いことくらい知っていたというのに、匙加減が分からない。加減、なんて考える時点で末期だ。全く癪なものだ。
 大きく口を開け、熱いラーメンを啜る。
「なんだ?」
 轟の声がこちらに向けられた。他意のない純粋な疑問。それと目が合った時に、また視線を向けていたことに気が付いた。
 これは、無意識だった。口いっぱいにラーメンを頬張っていて返事が出来ない。咀嚼を続けていると、考えるように探るように、二色の瞳が動いた。
「お茶ほしいのか?」
「ちっ、げぇ」
 ごくりと嚥下して、はっきりと否定する。
 無意識に見ていたことと、気付かれたことへの羞恥を、怒気でごまかす。その様子に気付いた幼馴染みが、ハッとしたように振り向いた様子が目についた。不安そうな視線に対して純粋な苛立ちが沸き上がってきたのも、今ばかりは好都合だった。
「ちがうのか」と平坦な声で視線が外される。
 眉を寄せながらラーメンを平らげる。区切りをつけるように息を吐き、椅子にもたれた。
 こうしていると、以前と何も変わらないように思う。
 たまたまとなりに座ったクラスメイト。だが確かに今の二人は恋人だ。今ここに、その事実を知る者は二人しか居ないと思うと、幾らか気分がいい。まだとなりの男だ誰にも話していなければだが。
 この関係はまだ、入り口に過ぎない。互いに知らないことの方が多いだろう。それがこれから、目まぐるしく現れてくるのか、はたまたゆるやかに姿を見せるのかは分からない。だが惚れたのは、この男の根底だ。そう確信している。
 今度は轟がこちらを見ていた。それに気付く。映画は今まさに一番大事なシーンだというのに、空にも似た色の瞳が向けられていた。
「ンだよ」と声にしたのは爆豪だ。
 轟はそれに答えず、急に顔を赤くして目を逸らした。
 頬が色づき、耳へと広がる。
 全く脈絡のないそれの、意味が分からない。目が合ったくらいで照れる訳がないからだ。今までだって、今日だって、何度もあった。今なにか話したか。どのような切欠があったのか。
「ア?」と困惑が音となって口から出る。
 理由が分からずいっそ気味が悪い。
 クラスメイトの意識はみな、映画に向いている。緊迫した音楽が流れている。クライマックスが近い。
 だというのに轟は視線を彷徨わせていた。見たことがないと言って、興味深く眺めていた映画ではなかったのか。
 控えめな視線が、こちらを向く。
 伏せた睫毛の隙間から、瞳の色が覗いている。なんだ、とは声にならなかった。
「悪ぃ、なんか、気ぃ遣わせたな」
 そう遠回しに、核心を突かれた。
 こういう時、こいつの鋭さに腹が立つ。否定したらあっさりと受け入れる程度の確証しか持っていないくせに、真実を引き当ててくる。
 全くもって性質が悪い。
 違うと言ってしまうことは簡単だったはずだ。なのに初めて見るその表情に、意識を持っていかれていた。付き合えと言った時でも、そのような顔を見せなかったというのに。
 辛うじて眉を吊り上げる。
 轟は気持ちを落ち着けるかのように息を吐いた。中身が残っているのか分からないマグカップを覗き込み、それから確認するような視線が覗き込んでくる。
 一瞬かち合い、すぐ逸れる。もう映画など意識にはなかった。
「付き合ってんだな、俺たち」
 その声に殴られる。
 事実確認にしては気恥ずかしそうなそれに。今更というには最近のことで、今何を思ったのかと聞くには野暮な言葉に。
 轟の頬の色が、じわりとこちらに移ってくる。今ばかりは、言葉足らずで分かり辛いそれを的確に理解してしまった己が憎い。
 イチミリも動けず、ただ座っていた。いつの間にか映画は終わってしまったらしい。エンドロールが流れ、クラスメイトが騒ぎ出す。そんな中、小さな声が耳に届いた。
「爆豪、やっぱり」
 あとで犯人教えてくれ。