(爆轟プロヒ)
完全個室制の居酒屋の一室。
そこに入って来た人物の姿を見て、緑谷は目を丸くした。
「悪い、遅れた」
そう言って眉尻を下げた人物は、轟で間違いない。
たとえそれが、まるで彼に馴染みのないデザインのシャツを着ていたとしてもだ。
個性により外見の多様性が認められるこのご時世でも、似た人物は二人と居ないだろう。それほどに分かりやすく目立つ男だ。それでいて顔のパーツはどれも整っていて、必要なところに左右対称に配置されている。大きな火傷痕なんて気にならないほどに。
「あ、ううん。連絡貰ってたし、たった五分なんて」
目を丸くして口をぽかりと開けたまま、どうにかこうにか「気にしないで」と緑谷は伝えた。
「家を出るのに手間取っちまって。あと、飯田、来れなくて残念だな」
「ああうん、そうだね。なかなか、予定って合わないね」
大人にもなるとね。と口にしながら、向かいの席に腰を下ろす轟の姿を眺める。彼は馴染んだ仕草で座布団の上にあぐらをかいた。
この店を選んだのは緑谷の方だ。
二人の予定がようやく重なって、どこかで食事でもしようかということになった。仕事に追われて家事を疎かにしていた緑谷の家は人を呼べる状態ではなく、綺麗に整理された轟の家は常々番人からの許可が下りないのだ。
この居酒屋は和食が美味しいと評判、らしい。個室はどれも畳が敷かれていると見て、なんだか笑ってしまってここに決めた。寮の部屋をその日に和室にリフォームした、というエピソードの印象が強すぎて、畳を見るといまだに轟の顔がちらついてしまう。
顔の知られたプロヒーローが、のんびり外食をしようと思えば個室は絶対だ。
轟は特に目立つ。髪色もそうだが、ここ数年でよりいっそう人目を引くようになったと思う。大人っぽくなったから、などという簡単な言葉で済ませることのできない変化だ。元より素材がいい。それが年々洗練されていく。プロヒーローとしての実績や経験、貫禄なども上乗せされた彼の魅力は留まるところを知らない。のだそうだ。
対照的に緑谷は、地味な服装にまとめてしまえばよほど気付かれない。これは顔を隠すコスチュームのおかげだと思うのだが、轟と並ぶとどうにも言い訳がましく聞こえてしまう。
さて問題は、その轟が己の容姿の魅力を隠すことなく、それどころか全面的に押し出した格好でここに入って来た、ということだった。この姿で外を歩けば盗撮され放題だろう。
「轟くん、今日って何かの撮影だったっけ?」
「いや、仕事だ。遅れたのは家に寄ってたからだけどな」
否定しながら轟が顔を上げた。いつもと違う前髪の分け目が落ち着かないのか、赤と白が混じり合った毛先を指先で払う。
今日の轟は綺麗にヘアアレンジしていた。
右側の白の半分が赤と混じるように流し、余った白は耳にかけている。ワックスで丁寧に作られた毛束は軽そうにふわふわと流れを作っていた。
こういう装いの轟を、緑谷が実際に見るのはこれが初めてだ。
雑誌やSNSなどでは見かけるが、あれはそのために作られた余所行きの姿だ。ヒーロー活動時や普段のオフなどは、ただ乾かして梳かしただけといった様子の、高校時代から変わらない無頓着な姿をしている。寝ぐせがついていなければいい、という程度に思われる。
それが今日に限ってどうしてと思うが、理由など知れたも同然だ。
今日のオススメと書かれた、ぺらりとしたお品書きに目を落とす。
読み込んでいるふりをしながら腕を組み、視線を流す。轟を待っている間に内容を読み切ってしまっていたが、考えているふりをしたかった。
「えーっと、てことは、家からここまではタクシー?」
「おう。電車でも良かったんだが、もう呼ばれてた」
「あー、だよねー」
その格好で外には出さないよね。とこの場にはいない特定の人物の顔を思い浮かべ、すぐに脳内から追い出す。あの顔を脳内にずっと置いておくと、それだけで怒鳴り出しそうな気がするのだ。
「とりあえず飲み物頼むか?」
「うん。食べ物も適当に頼んじゃおっか」
「そうだな」
頷いた轟が手を伸ばし、卓上にある呼び鈴を鳴らした。
その腕に光る、シルバーのブレスレットが目につく。腕時計は見覚えのある彼の愛用品なのだが、その横に光るそれには見覚えがない。厳密には、見たことはある、のだが。
程なくして訪れた店員に、ビール二杯と枝豆と出し巻き卵と、オススメから数品頼んだ。
「緑谷も今日は仕事だったよな?」
「そう、こっちも定時で上がれたよ。今日は大きな事件とか無かったね」
「だな」
「先月はほんと慌ただしかったよねー」
「やっぱヴィランも活発な時期とかあるな」
「ねー。あ、そういえば先週出た雑誌買ったよ、表紙凄かった」
「あれか、あんなの買わなくてもいいだろ……」
「見るよ! ヒーロー雑誌は一通り買ってるし、友達が載るって聞いたそれ以外もね」
「相変わらずだな」
呆れたような照れたような表情で轟が笑う。
先週発売された女性誌の表紙がショートだった。今日みたいに綺麗に飾られて、眩く紙面を飾っていた。クラスメイトたちはあちこちの雑誌に載るが、表紙になるのはやはり珍しい。
「表紙になるとは思っていなかった」と轟が目を逸らす。「あれ、どうでも良い事しか書いてなかっただろ……面白くなかったんじゃねえか」
「まあ、新情報はなかったね」
確かにプロヒーローショートに対する情報は少なかったな、と内容を思い返す。休日の過ごし方だとか、好きな食べ物だとか。個人的な内容が多かった。ファンは嬉しいだろうなと思った覚えがある。轟焦凍という人間を知っている緑谷としては、少し脚色されていると思う部分もあった。
ヒーローの情報集めをしてしまうのは、今も昔も同じだ。細々とノートにまとめている時間は取れなくなってしまったが、雑誌を買ったりSNSを眺めたりする癖はかわらない。
なのでつまり、今轟が身に着けているアクセサリー類が、爆豪の私物だということも分かってしまうのだ。
見慣れない柄物のシャツやブレスレットだけではない、胸元で揺れる轟らしくないペンダントだってだそうだ。
以前どこだったかの雑誌で、若手ヒーローの私服特集が組まれたことがある。その時に見た。
たまたま轟も同じものを持っているという可能性もあるが、十中八九爆豪の物だと思われる。普段の轟の雰囲気とあまりに合わないのだ。
いつもの轟は実に頓着のなさそうな格好をしている。素材が良いので見栄えがしているが、緑谷が同じ格好をしたらただただ地味だろう、という装いだ。当然アクセサリー類も付けていない。アクセサリーを持っているかも怪しいものだ。
そして、緑谷自身が爆豪とオフで会うことはほとんどない。たまたま出くわすか、クラスメイトの集まりで一緒になるくらいだ。それでも爆豪の私物だろうと察しが付くということは、あの雑誌を緑谷が見ていることを分かっていて、わざわざ選んでいるに違いなかった。
いくら轟にとって無害な相手だからといって、見せびらかすために巻き込むことはやめてほしい! 緑谷は歯を食いしばりながら切にそう願った。
――轟を好きに飾りたい。
だが外に連れ出せば当然目立つ。
送り出したら「こうも着飾って来てくれたということは、こちらに気があるのかもしれない」と思われかねない。
となれば知ったクラスメイトだ。
そして緑谷だ。
家から店までをタクシーで往復するならば、ほぼ人目には触れないだろう。
だからといって、だからといって! 緑谷は表情を歪め背を丸めた。
久し振りに会った友人を目の前にしているというのに、その奥に件の幼馴染みの姿が透けて見えすぎる。
今日の轟が身に着けているもので、本人の持ち物はどれほどあるのだろうか。少なくとも今視界に映っている上半身は、腕時計以外どれも違うように思える。そもそも轟は柄物を滅多に着ないのだ。
「どうした、緑谷」
ついに緑谷の挙動を気にされたところで、個室の襖が開いた。ビールと幾つかの料理が運び込まれる。
気持ちを切り替えようと大きく息を吐き出す。今は友人との楽しい食事の時間なのだ。
個室の居酒屋でビールジョッキを掴む。こういう時、すっかり大人になってしまったものだと感慨深くなる。
昔はわざわざ店を探さなくても、学校でいつでも会えた。寮に戻ればもっと自由だった。人目を気にする必要もない。あの共有スペースのソファに座って、お茶やジュースを飲んで、眠くなるまで喋っていられた。
もうすっかり遠い日の懐かしい思い出だ。
「乾杯ー」とグラスを合わせる。
しゅわりと苦く冷たいアルコールが喉を滑り落ちていった。
それから色々なことを話した。
三ヶ月ぶりともなれば話題は存外溜まっているものだ。職業病のように仕事の話から始まり、徐々に遠ざかりプライベートな話に移る。
最近会ったクラスメイトの話、オールマイトのこと。
「やっぱり卒業すると、なかなか会えないね」
なんて、何度言っただろうか。
「そうだな」と同じ数だけ頷きが返る。
緑谷と轟は比較的近くに住んでいるので、こうして度々会うことが出来ている。そこに少し離れた場所に住む飯田が三回に一回ほど混じる。今日も約束はしていたのだが、急な事件で来られなくなってしまった。
地方に行ったクラスメイトも多い。全員が揃う機会など一年に一度あればいい方だ。今や皆がそれぞれ活躍するヒーローのため、予定を全て重ね合わせることは難しい。
日本酒をぺろりと舐めながら、ふと息を吐く。そこにはすっかり酒気が漂っていた。
轟とは日本酒を飲むことが多い。緑谷から見た轟とは、和食、日本酒、畳、というイメージだが、世間はそうでもないそうだ。容姿から受ける印象は違うらしい。
改めて今日の轟を眺める。
確かに、あぐらをかいて干物を摘まみながら日本酒を飲んでいる顔ではない、ような気もする。今日は服装がいつもと大きく違うのでいっそうそう感じるのかもしれない。
酔いが回ってきたことで、先ほどは飲み込んでおいた言葉がつるりと口から滑り出た。
「轟くん、今日はいつもと雰囲気違うよね。服とか髪とか」
「おお、爆豪に着せられたからな」
「だよねー!」
「飲みに行くだけだってのに、大げさだよなあいつ」
「むしろ飲みに行くだけだからこそ、その格好に出来るっていうか」
肩を落とすように息を吐き出し、焼き鳥の串にかじりつく。
「いくら相手が僕だからって、かっちゃん……露骨な」
ううんと唸る。信用してもらっていることは大変ありがたいのだが、だからといってこれはいかがなものか。
全身をコーディネートされることに何の疑いも抱かず出掛けていく恋人を、見せびらかしたいのだろう。それは分からないでもない。
いや待て。この信用は本当にありがたいものなのだろうか。これはありがたがってはいけないところなのではないか。もしかすると多少怒ってもいいのではないか。怒るほどのことでもないのだけれど。
首を捻っていると轟が眉を寄せていた。
「もしかして似合ってねえのか?」
これ全部爆豪のやつだしな。と予想が大正解だと教えてくれながら、轟はシャツの胸元を引っ張り目を伏せた。
分かっていた、分かっていたが正解だと知りたかったわけではなかった。そう思いながら緑谷は慌てて両手を振る。
「まさか! 似合ってるよ。ていうか、轟くんって何着てもだいたい似合うよね」
「そんなことねえだろ」
「そんなことあるよ。少なくとも僕と比べたら、それはもうなんでも」
緑谷の私服を轟に着せてもそれなりになるだろうが、逆はそうではないのだ。少なくとも今の轟のコーディネートを緑谷が着こなすことは無理だ。良く見積もって「着せられてしまった人」になるに違いない。身長がちがうので実際に着ることは叶わないが。
しかし、そうかもしれないと予想することと、本当にそうだと分かってしまうことの間にある溝は大きい。なんだか胸焼けがしてきた。これはアルコールの仕業ではないように思う。
そんな時、轟が不意に「あ」と声を発して立ち上がった。
「え」とその姿を見上げる。
スキニージーンズは流石に本人の物かな、というかトイレかな。そう思って眺めていれば、何故か轟は緑谷の横へとやってきて腰を下ろした。
「え」ともう一度、困惑の声を発する。距離が近い。
となりに来る理由とは何か。酔いの回った頭で考える。
二人きりの個室でわざわざとなりに座る理由など、何も思い当たらない。内緒話か、見せたいものがあるのか。それにしたって変だ。思考を諦めかけたところで、轟がスマートフォンを取り出した。
「忘れてたが、今日は自撮りしてきていいって言われてんだ」
「マジか、かっちゃん!」
あの爆豪が、と驚きで声が裏返る。
みみっちいところがありつつも束縛している様子はない爆豪だが、それでも緑谷と二人で写真を撮ってきていいと、わざわざ言うことはおかしいと分かる。
緑谷と轟が二人で写真に写っていると、言い表しようのない顔を向けてくるのだ。
轟の一番仲良しのお友達が緑谷である事実がそこそこ気に入らないのだろうが、そもそも緑谷であるという時点でそれなりに気に食わないのだと思う。かくいう緑谷も、轟と爆豪のツーショットを見せられても嬉しくもなんともないのだが。
そんなに自分の好きに飾った轟を見せびらかすことが嬉しいのか、あの幼馴染み! と目を見開いている間に、轟はカメラを起動していた。斜め上に掲げながらいい角度を探してもたれ掛かってくる。
「緑谷撮るぞ」
「ちょっと待って、まって、今どんな顔したら良いか分かんないから」
「普通でいいんだが」
「その普通が思い出せないからびっくりしてるんだよね」
「ならオールマイトの顔真似でもいいぞ」
「ぶはっ」
得意だろ。と言われ思わず吹き出してしまうと、ようやく気持ちが落ち着いてきた。息を大きく吸って、ゆっくりと吐き出す。
どうにか普通の笑顔を作ることに成功し、写真に納まった。のだが、画像を確認すると緑谷は思い切り見切れていた。轟は申し訳なさそうに冷や汗をかきながら「滅多に撮らねえから」と写真を削除する。その後失敗を繰り返した末、緑谷がシャッターを切ることで解決した。
枠内に二人収まった写真を見て、満足そうに轟が頷く。
「送るな」と言いながら、再び向かいの席に戻っていった。
すぐさまポケットの中でスマートフォンが震える。取り出せば緑のランプを光らせながら、轟からのメッセージ受信を告げていた。
写真として見ると、轟はいっそう知らない人のようだ。確かに轟なのだが、あまりに見慣れない色味をしている。それでも並んで写る友達の元気な姿が嬉しい。
緑谷はへにゃりと笑い、スマートフォンを机に置いた。
「なんかさ、轟くんとかっちゃんが付き合ってるって聞いた時もだけど、一緒に暮らすって聞いた時もどうなるかと思ったんだよね。でも意外と大丈夫なもんだね」
「なんか心配するようなことあったか?」
俺の生活能力か、と轟が真顔で言うので吹き出してしまった。
「いやだって、かっちゃんだよ」
そう言っても轟は思い当たるものがないらしく、怪訝そうに目を瞬かせている。そういうところが上手くいく要因なのかもしれない。
緑谷はといえば、あの爆豪が誰かと付き合って、その上共同生活をして破綻させていないという状態が、全く想像出来なかった。そういうものは思いやりだとか譲歩だとか、話し合いだとか、愛情だとか、色々と必要だと思うのだが、それらとあの幼馴染みの姿が結びついてこないでいた。
それでも轟の様子を見るに上手くやっているのだと思う。
だが詳細を知りたいかと言われるとそうでもない。確かに雄英高校に入ってから爆豪は変わった。緑谷とて、爆豪と現場が被れば共同戦線を張りもする。
ともあれ友達がそれでいいならいいのだと結論付け、日本酒を煽る。明日は休みだ。少しくらい飲み過ぎてしまっても問題ない。
「なんか頼むか?」
轟が空っぽになったグラスを指差してくる。
「頼んじゃおうかなあ」
気の抜けた言葉を返しながらお品書きを捲る。同じ様に轟が覗き込んでくるので、彼もまだ飲むのだろう。顔に出ないので分かり辛いが、轟もそれなりに酔っている気がするが大丈夫だろうか。だがタクシーで帰るだけなのだから、きっと問題ないのだろう。
酔いが回ってふわふわとしたいい気分で、日本酒の名前を追い掛ける。
そして突如、本当に唐突に、酔いが醒めるほどの事実に気付いた。
「えっ、さっきの自撮りってSNSにアップするの?」
その格好を。
目を見開いて確認するが、轟は首を捻るだけだった。
「マジかかっちゃん」
本日何度目かのつぶやきが漏れた。
◇◇◇
「ただいまー」という声が聞こえて来たのは、辛うじて日付が変わる前の頃だった。
爆豪はソファに横たえていた体を起こし「おかえり」とそっけなく、玄関方向に声を投げた。
不機嫌な声を出す理由はきちんとある。
爆豪は轟と一つ約束をしており、そのためにベッドにも行かずここで待っていた。だというのにその理由をすっかり失念したらしいその男は、ふわふわとした上機嫌な足取りで部屋に入ってくる。少ない荷物を適当に投げ出し、羽織っていたコートをハンガーにかけると真直ぐ爆豪の元へやってきた。
顔色は平常通りだというのに、挙動から酔っていると分かる。
素面の轟だったら、急に大きく両手を広げて抱き着いてはこないし、その上キスをしてくるなどまずないからだ。
酔っ払い特有の熱い体温が唇に押し付けられる。頬を両手で挟み込まれすり寄られたかと思えば、ふはっと笑い酒気にまみれた吐息がかけられた。
「酒くせぇ」
首根っこを掴み引きはがせば轟は大人しく離れた。だがどこへ行くわけでもなく爆豪の膝を叩いて開かせると、おもむろにその間の床に座り込んだ。ソファに背を預けつつ爆豪の両足を抱え込み、ごそごそとスマートフォンを取り出し操作をはじめる。
なんだこいつと目を細めるも、許してしまうのでどうしようもない。これが轟でなければ爆破したのち窓から投げ捨てているのだが、とありもしない仮定の話を考えた。
「てめぇ、結構飲みやがったな」
「おー、うまかったぞ」
陽気な笑い交じりで轟が答える。かなり酔っているらしい。
爆豪としては、これまでに轟をそれなりに甘やかしたという自覚がある。甘え下手を甘やかすという特権を得たことに、優越感を覚えていたのだともいう。
しかしあの甘え下手が、ここまで甘ったれになるとはさすがに思っていなかった。酔った時くらいしかこうはならないが、酔いの程度に比例するように甘ったれが爆発する。
今日はかなりやりたい放題だ。それほど楽しく飲んだのかと後頭部を叩くと「いてぇ」と投げやりな返事がある。
これは先に風呂に入らせておいて正解だったと、足にまとわりつく熱源を見下ろした。酔っ払いを風呂に入れることははばかられるし、酔いが醒めるまで悠長に待ってやるつもりもなかった。
「ほら、爆豪、自撮りしてきたぞ」
唐突に轟がスマートフォンを見せびらかしてきた。熱心に操作していると思ったら写真を探していたらしい。酔っ払いは画像フォルダに辿り着くだけでも時間がかかるようだ。
「ア? デクが撮ってんじゃねえか」
「俺が撮ると、なんでか緑谷見切れちまうんだ」
「テメェがヘタなだけだろうが」
鼻で笑うとスマートフォンが引っ込められた。そして足を殴られる。このヤロウ、と思ったが轟の首にかかるシルバーのチェーンが目に入った。実に単純だが、それでいくらか気分が良くなった。
緑谷とツーッショットの写真には当然、このネックレスも映り込んでいたからだ。
「それ、アップしてもいいぞ」
元々そのつもりで撮ってこいと言っていた。
伝えると、目を丸くした轟が首を反らして見上げて来た。
「いいのか? 珍しいな、やきもちやきさんが」
「ハァ?」
「いつも緑谷と写真撮ったの上げると、ムッとするだろお前」
「ウッセェ」
図星なので轟の額を叩く。ぎゅっと目をつむってぺちんと叩かれたのち、轟は首を正面に戻した。「まあいいか」と興味なさげに呟いた轟は、爆豪の膝に頭を預けて写真をいじり始めた。自撮りはできないが加工はできるらしい。
ふんと鼻を鳴らし、首にかかったチェーンに指を這わせる。出掛ける際に付けてやった、それをつまむ。
轟は滅多にアクセサリーの類を付けない。写真撮影などで用意されていたら身に着けるが、自主的に付けることはまずなかった。だからこうして首筋を彩るものがあること自体が珍しい。それが自分の物であるという事実に対し、優越感を覚えるなという方が無理な話だ。
金具を外し背中を丸め、轟の首筋に唇を寄せる。
「おっ、ヤるのか?」
写真を投稿し終えたらしい轟が、無邪気な声で振り向いた。
「そうだ、つッただろうが!」
出掛ける前に。と目を吊り上げながら怒鳴ると、轟はうるさそうに顔をしかめた。
明日轟は休みで、爆豪は午前半休だ。
だから酒はほどほどにして帰ってこいと言ったというのに、この男は本当にきれいさっぱり忘れていたらしい。思い出そうと視線を彷徨わせてはいるが、酔っ払いの記憶の引き出しは開かないようだ。
外したネックレスを目の前のテーブルの上に投げ捨て、足にまとわりつく腕を振り払う。
「おら、どけや」
「お」
叩いても退く気がない体を跨いで避ける。ギリギリと歯を食いしばりながら振り向くと、轟が両手を広げていた。スマートフォンはいつの間にかテーブルの上に移動している。
「運べってか!」
「おう」
「ンの酔っ払い野郎!」
怒鳴って軽く蹴りを入れてから、渋々肩に担ぎ上げた。
「なんかちげぇ」と背中から不満が漏れてきたが無視した。まさかこの甘ったれ野郎は、横抱きにされると思っていたのだろうか。
ベッドまでの短い距離を移動している間に、おもむろに尻を掴まれたので驚き半分でぶん投げた。酔っ払いに素面で相対することが素直に辛かった。
放り投げられた轟はベッドの上で堂々と大の字になっている。投げられたことはどうでもいいらしい。部屋の電気を消した後、深々溜め息を吐きベッドに上がる。
起き上がろうとした轟の肩を押し、覆い被さりキスをした。
酒の味までするのは気のせいだろうか。唇を舐め食むと、轟の両腕が首へと回される。そのうちの左腕を捕まえて、探るように手を這わせた。手首には腕時計の他にもう一つ、チェーンが回されていることが分かる。
唇を合わせたまま笑い、チェーンの隙間に指先を潜り込ませる。撫でて引っ張れば、轟も釣られるように笑った。
「なに笑ってんだよ」
「は、先に笑ったの爆豪だろ」
唇を離した先に、にまりとした笑顔が見える。
「時計は外してくれ」
腕が差し出されたので、素直にお願いを聞いてやる。外した腕時計はヘッドボードに置いた。
「ほらよ」と言えば「ありがとう」とキスの続きをねだるように腕が伸ばされる。
大人しく体を寄せ、差し出された舌先に吸い付く。酔っ払いは口の中もだが、体全体が熱い。重ねた体からは互いの衣服を超え、熱が伝わってくる。
「、は」
吐き出された息も熱い。いまだ酒臭いことだけが玉に瑕だ。
別の意味で体の熱が上がって来たところで、一度唇をはなす。
体を起こし、改めて轟の姿を見下ろした。
爆豪のシャツやアクセサリーを身に着けた轟が、そこに寝そべっている。
少し乱れてしまったが、その髪も爆豪が整えた。「そこまでしなくても」と言う轟を黙らせて、赤と白を綺麗に混ぜてやった。それをこれから跡形もなく乱してやるのだと思うと素直に興奮した。
「楽しそうだな」
轟が愉快そうに目を細める。
「当たり前だろうが」
口角を持ち上げ、互いの唾液で濡れた唇を舐める。
自分の物で好きに飾った男を、この手で脱がせて暴くのだ。楽しいに決まっている。
轟が右足を持ち上げ、爆豪の胸の上に足裏を置いた。その足首にはアンクレットが付けられている。
「緑谷気付いてたぞ」
「だろうな」
他のやつならいざ知らず、緑谷なら気付くだろうと分かっていてわざわざ選んだのだ。
行儀の悪い足を掴み、アンクレット越しに口付ける。そのまま歯を立てると逆の足に蹴られた。右足を奪い返しながら轟が「さすがに足は気付かれなかったけどな」と付け加えた。
しかしこの男に飾られた自覚があったとは驚きだ。出掛けていく時は「そんなにいらねえ」と面倒臭がるばかりだったというのに。
「分かってて素直に着せられてったんかてめぇは」
問うとにまりとした笑みが返る。
「おう。ちょっと楽しかったな」
「ほう」
「その上、今わりと興奮してる」
「そいつは結構なことで」
「なあ、今度は爆豪が俺の付けてってくれ」
「ハッ、テメェろくなもん持ってねえじゃねえか」
「なら買う。次の休みに買いに行こう」
「俺が選ばされンのかよ」
「ダセェから付けたくねえとか言われたら、困るからな」
轟が目を細めて笑い、手招きをする。
からめとられた先、耳元にふっと息が吹き込まれた。
「俺だって見せびらかしてぇ」