夏の終わりに/昔の話を

(爆轟ワンライ)

   

 肌寒さに目を覚ます。うっすらと瞼の隙間から見えた景色は未だ夜の色だ。
 ぼんやりと瞬きをしながら首をもたげる。開けた窓の隙間から夜風が吹き込み、カーテンを揺らしていた。
 くしゅんと、くしゃみが漏れる。すっかり涼しくなったものだ。エアコンを付けなくても寝苦しくない季節がきたかと思えば、あっという間に肌寒くなってしまった。駆け足で夏が遠のき、ひやりと秋の匂いが漂ってくる。
 窓を閉めようにも、壁際で眠る爆豪が邪魔で手が届かない。ぴたりとまぶたを閉じ、仰向けで規則正しく寝息をたてている。起き上がりその体を跨いでまで閉めるのは面倒なうえ、寒くてどうにも眠れないという程ではない。
 まあいいかと少しの距離を這い寄り、爆豪の胸元に乗り上げた。分厚い胸板に頭を乗せれば、静かな心音が聞えてくる。眠る体制としては不向きであるように思えたが、触れた体温はあたたかく心地よい。薄いタオルケットを体に掛け直せば、うとうとと再び眠気が迫ってきた。抗わずゆっくりと瞼を閉じる。
 他人と眠ることにもすっかり慣れたものだな。
 なんて、昔の記憶が頭をよぎった。だから、昔の夢なんて見るのかもしれない。

  

 ぱち、と覚醒すると寮の天井が見えた。
 どうやら少しの間、意識が落ちていたらしい。セックスの途中で寝落ちるなんて、それほど激しくしたものだっただろうかと体を捻る。久々だったからだろうか。単純に眠かっただけだろうか。
 顔を傾けた先、となりで爆豪が眠っていた。畳の上、敷布団。広くもなんともないそこで、轟の横で、爆豪が目を閉じている。
 ぺらりと掛け布団を捲る。下着は身に着けていた。上半身は裸だったので、眠る体にシャツを着せることは諦めたようだ。爆豪は対照的に、部屋を訪れた時と変わらない姿に戻っていた。
 素肌を空気にさらしていると肌寒いように思えて、もぞもぞと布団の中に戻る。
 どうも少し落ちただけ、ではないようだ。体はべたつかないし、敷いていたタオルもなくなっている。それなりに長い間眠っていたのだろう。
 律儀だな、とこちらを向いて目を閉じ眠っている男の顔を眺める。しばらくその顔を眺めた後、目を閉じた。
 しかしどれだけ待っても眠りに落ていくことはない。眠いと感じているはずなのに、どうしても意識が浮上する。そわそわとして落ち着かない、というべきだろうか。
 諦めて再び目を開け、枕元に置いていたスマートフォンに手を伸ばす。ロックを解除すると画面が光り、暗闇に慣れた目が霞んだ。光度を落とし、薄目で覗き込む。
 まだ十二時だった。
 明け方とは到底呼べない時間だ。このまま起きているにも、朝は遠すぎる。溜息のように空気を肺から追い出すと、となりの男が身じろいだ。
 液晶画面の灯りだけの暗い部屋の中で、爆豪が目を開けた。
「……何してんだ」
 眠そうにゆるやかなまばたきをしながら、静かな声で訊ねられる。
 爆豪がこんな声を出すと知っている人間は少ないのではないだろうか。そう思うと少しだけ優越感が芽生える。どことなくくすぐったい思いを抱えながらスマートフォンを置き、布団にもぐりながら爆豪と目を合わせる。赤い瞳が眠気に滲んだまま、見つめ返してきた。
「悪ぃけど、起きたなら部屋に戻ってくんねえか」
「ア?」
 唐突なお願いをすれば、爆豪の目が見開かれた。
「他人が居ると寝られねえんだ」
 爆豪と眠ることが嫌だとかそういう理由ではないから、とさっさと白状する。
「ずっと一人で寝てたからな、人が部屋にいると、なんか寝れねぇ」
「……合宿ン時は寝とったろ」
「あん時は疲れてたからな」
 疲労困憊の体は眠れる眠れないという次元にはおらず、気絶していたといった方がいいくらいだった。つまり先程も、やはり気絶していたのだと思う。
 視線の先で、爆豪が考えるようにこちらを見ている。伺っている。探っているのかもしれない。何一つ嘘は言っていないので、正面から見つめ返す。
 程なくして溜め息一つと引き換えに、爆豪が体を起こした。掛け布団がめくれて、代わりに冷気が内側に流れ込んでくる。
「だからいつもさっさと帰りやがったのか」
「まあな。寝てえし」
 爆豪の部屋でセックスした時は、眠る時間に合わせて部屋に戻っていた。今日この部屋でことに及んだことは、予定外だった。
 爆豪は立ち去る寸前、静かにこちらを一瞥した。その表情はなんと呼ぶものなのか、轟には分からなかった。
「わあったよ、じゃあな」
「悪ぃな。おやすみ、爆豪」
 答えの代わりに指先が振られて、少し丸まった背中が遠ざかっていく。その後ろ姿がなんとなく寂しそうに見えたので、幾ばくか罪悪感を覚えた。
 それでも、音を立てずに閉じられた扉を眺めていれば、うとうとと眠気が降ってくる。
 誰もいない、一人だけの和室。寝息も鼓動も聞こえない、他人の温もりもない涼やかな空間。窓の外からは時折風の吹く音や、虫の鳴き声が聞こえてくる。
 爆豪はもう下の部屋に戻っただろうか。ぴたりと耳を敷き布団に押し付けるが、何も聞こえては来なかった。
 そのうちあっという間に、眠りに落ちた。

  

 それが今ではこうだ。
 他人が部屋にいると眠れないどころか、くっついて鼓動の音を数えている間に眠りに落ちてしまう。温かい体温を求めてすり寄ることまで覚えてしまった。
 長い時間を掛けて、すっかり慣らされてしまったものだ。
 疲れ果てた日にわざわざ部屋に呼ばれ同じベッドで横になり、気絶するように眠り朝になっていたこともあった。翌日が休みの日などは寝落ちるまでセックスした末、知らぬ間に朝になっていたこともある。思えば些か荒療治過ぎる。かと思えば、寝るでもなくただ同じベッドで並んで寝そべって、それぞれ時間を浪費したりもした。
 そういうことを繰り返しているうちに、気付けば寝てしまうことも増えてきて、いつの間にか気にならなくなっていた。今となっては、となりで寝ていてくれた方がよく眠れる気さえする。
 爆豪の計画通りなんだろうな、と夢から浮かび上がった曖昧な意識の中で思う。
「重い」
 ふっと、そんな声が響いてきた。たゆたっていた意識が急に輪郭を表し、顔を上げる。
 目を開いた爆豪が、胸元の轟を見下ろしていた。
「何してんだてめぇ」
「……ぜいたくを謳歌していた」
「んだそりゃ」
 この立派な胸筋を枕代わりに出来る人間など、世界中探しても自分だけだと轟は自負している。
 良く鍛えられた胸筋は柔らかいという真実を堪能していると、ぐいっと額を押された。
「人を枕にしてんじゃねえ」
「いや、なんかさみぃなって。もう夏も終わりなんだな」
「窓閉めりゃいいだろ」
 胸筋枕を取り上げられたので、渋々自分のそば殻枕に頭を乗せる。
 爆豪が僅かに体を起こし、指先で窓を閉めた。それだけで部屋の中が少し暖かくなったような気がする。
「あとな、昔のこと思い出してた」
 思い出したというより夢を見た気がする、と夜の空気の中でささやく。爆豪が掛け直してくれたタオルケットに包まりながら、あの十代の日々に思いを馳せた。
「すっかり一緒に寝ることに慣れちまったな」
「あー、テメェはよく人のこと追い出してくれとったな」
「そうだな」
 そう口にして、ふと笑う。その笑みの理由が分からなかったようで、爆豪が眉を寄せた。
「一緒に寝たかったんだよな、可愛いやつだよなお前」
 だからとなりに人がいることに慣れさせようとしたのだろう。思い出して口元を緩めると、爆豪に蹴られた。そこそこ本気の力加減で。
「痛ェ! なにすんだ、目ェ覚めるだろ」
「うっせぇ! さっさと寝ろ」
 まだ二時じゃねえか、と吐き捨てた爆豪に背中を向けられてしまった。
 もったいないと思いながらその背中にすり寄る。照れると無視してくるところは少々面倒くさいが、それもかわいいなあと思ってしまうので安いものだ。
 今度はは背中越しに、心臓の音が聞こえてくる。それはさきほどより明らかに早く走っていた。ついつい笑いそうになるが、笑ったらきっと余計に怒る。かんばって飲み込んで、目を閉じる。
 そしてまた、緩やかに眠りに落ちていく。
 夏が終われば、くっついて眠るにはいい季節がやってくる。