屍王の花嫁

(死柄木崇拝モブ)

   

「仕事終わりに飲む酒は格別だぜ」
 中身を半分煽ったビールジョッキを、テーブルにどすんと置く。ぷは、と息を吐く。冷たく苦い泡が喉を冷やして、かっと体を熱くする。
 向かいに座る男は何も答えず、ちびりとビールを舐めただけだった。
 この男は俺のバディだ。お喋りな俺と違って無口だが、半端に口出しして水を差さしたりしない良い奴だ。仕事もできる。少ない指示で意思疎通が取れる。なんともやり易い。
 サクサクに揚げられたからあげを口に放り込む。「あちいあちい」と呻きながら咀嚼すれば、じゅわりと肉汁が染み出して最高だ。けどやはり野菜も食べたいような気がする。いくらヴィランとはいえ、体が資本なことには変わりない。肉を食ったら魚を食って野菜を食うべきだ。
 広い店内を見回して、手を振り店員を呼ぶ。キュウリの漬物を頼み「野菜も大事だよな」と腕を組んで唸ると、バディが物言いたげな視線を向けて来た。あ、と口を開いたように見えたが、からあげを口に運んだだけだったのかもしれない。それとも何か言ったのだろうか。この酒場はうるさくて、小声の小言なんて直ぐ聞き逃してしまう。
 ならず者が多いのだから、うるさいことも仕方がないなと、この酒場の中をぐるりと見回す。
 ヴィラン御用達のこの酒場はもちろんヒーローに知られていない。上には健全な企業が沢山入ったビルが建っており、この無法地帯は地下三階にある。指名手配犯から、善良な市民のツラをしたヴィラン、ヒーロー面した二重人格者まで幅広く利用している。利用資格はただ一つ、超常解放戦線に組みしているということだけ。いわば社員食堂だ。
 更に下層にはVIPルームがあると聞いている。俺たちのボス、死柄木弔はそこにいる。らしい。たぶんだが。居たり居なかったりもするだろう。偉いので、忙しいのだ。
 程なくして運ばれて来たキュウリの漬物を口に放り込む。緑の味がするのだから、体にいいはずだ。ぽりぽりとかじっていると、バディが通り掛かった店員を捕まえて白身魚の天ぷらを頼んだ。やっぱり次は魚だよなと頷いていると、向かいから視線が向けられた。
「今月、多くないか」
「なにが、あっ、裏切者か」
「そう。まだ半ばだっていうのに」
「確かにな、今日始末した奴らでちょうど十一人だ!」
 大きく頷くとバディが眉をひそめた。「ちょうど?」という声が聞き取れたので首を捻る。
「全く、裏切る理由が分からねえよな。超常解放戦線、めちゃくちゃいいところじゃねえか」
「まあ。申請すれば衣食住保証だし。しくじると捕まるか死ぬ以外は」
「下手な一般企業より、よっぽどホワイトだぜ」
 一日の労働時間は八時間もないし、週五日も働かなくてもいい。実際俺たちは今月、十一人殺した以外には何もしていない。あとは指定の施設で体を鍛えたり、情報収集をたしなんだりした程度だ。
 それで衣食住が保証されていて、更には出来高ボーナスまで出る。勿論、個性も使い放題。当然ヘマをして捕まったり証拠は残さないことが前提だが、一応俺たちもプロだ。裏切者やスパイを消して回る、お掃除のプロ。そんなもの出来て当然なので問題ではない。
「それに何より、ボスが最高だ」
 うっとりと言葉を下に乗せる。「あの最高のボスを裏切る理由が分からねえ」
 死柄木弔、と口にすることも恐れ多い。
 俺は善良なるモブだ。あの方にとってのモブだ。俺が何者であるかなど、あの方にとってはどうでもいいことだ。俺が居ても居なくても、あの方が最高の存在であることになんの影響も及ぼさないのだから。
 いつの間にかテーブルの上に増えていた、白身魚のフライに箸を伸ばす。サクサクの衣を噛み切る。美味いがこの魚が何なのかは知らない。知らなくても美味いのだからそれでよかった。そういうものなのだ、この世とは。
「それなんだけど」とバディが言った。「また個性強くなった?」
 訊ねられ「はて」と腕を組む。少し考えたのちふと、この頃心に光が満ち満ちていることに気付いた。胸元にかけていたロケットペンダントを握りしめる。
「分かるか!」
「予測してた出力と違うから、連携が取りづらい。勝手に強くならないでくれ」
「なんと!」
 驚いて仰け反る。「バディが当然のように合わせてくるから、全く気付かなかった。なんと優秀なバディを持ったものか。まあ、組み合わせを決めたのは俺ではないので、人事が上手いやつがいるのだろう。
 何を隠そう、俺の個性は「崇拝」だ。
 なにかを崇拝すればするほど強くなる。条件が奇妙なだけの単純な肉体増強型だ。だが生憎俺は生まれてこの方無宗教だった。つまりクソザコだった。無個性同然だ。
 これまではずっと崇拝するに値する存在を探してきた。神様なんて居るんだか居ないんだか分からない奴はダメだ。ヒーローも崇拝対象にはならない。オールマイトは良い線をいってたが、結局ダメだ。あれは善良すぎる。信仰対象ってのはもっと傲慢でなけりゃならない。ステインなんかもありかと思ったが、ちょい違う。どちらかというと同類だ。やはりヴィランだ。オールフォーワンでもいいかと思ったが、あれはどうも歴史上の偉人のような気分になってダメだった。だから待っていたのだ、新しいカリスマ性を持ったヴィランの登場を。
 そんな俺はあの日、あの歪な地平線を見たのだ。
 残念ながらテレビ越しだったが。
 一般世間にはただのヴィラン犯罪として報道されたが、裏の世界ではあれがあの方の仕業だと分かっていた。情報が流れてくるのだ。一般人向けにアレンジされた嘘ではない、真実が。そして超常解放戦線の噂もだ。噂と一緒に映像も出回った。楽しそうに笑う男が、世界を破壊し尽くすその一歩目を、大きく踏み出したあの眩い光景が。
 その日俺は生まれて初めて膝を折ったのさ。そして崇拝を手に入れた。
 どうにかこうにか超常解放戦線に取り入り、今では裏切者の始末のお仕事を任されている。実際適任だと思うぜ。あの崇拝に値する男を裏切っている時点で、微かな情けをかける気持ちも沸きやしない」
 さて俺はここまで延々と一人で語っていたわけだが、向かいのバディは黙々と食事を口に入れ、追加で頼んだビールを飲んでいた。
 この話も既に何度目かわからないのだが、それでも聞いている、聞いていないのがこのバディの良いところだ。返事はしないが話を止めもしない。全く良い奴だ。
「そうだ、個性が強まった要因だったな。色々あると思うが、最近だとこれが大きいな」
 ほうっと息を吐いて、ペンダントを握り直す。祈りにも近い。
「このペンダントを付けるようにしたんだ。信仰は心の中にあるものだが、形があるとやはり身の入り方が違うな。偶像崇拝が流行るわけだぜ」
 崇拝の先人たちが過去から現在へと伝えて来た行為には、やはり何かしらの意味があるらしい。為になると頷けば、バディが目を細めていた。
「それまさか、死柄木弔の写真でも入ってるのか」
「そんなわけないだろう!」
 ロケットを開き中身を見せてやる。そこには何も入っていない。買った時に入っていた変な台紙を抜き取っただけの空っぽだ。
「崇拝対象の写真を入れるなんて、恐れ多いだろう」
 胸を張って答えると「分からないな」とため息を寄越された。確かにバディには信心などないだろう。そもそも何を考えているのか知らない。知らないが仕事をする上でとてもやり易く、こうして仕事終わりの飯を食う相手としても悪くない。相性抜群なのだからそれ以上の情報は不要だった。
「まあ、折角ボスに憧れてここに入ったはいいが、本人に会うことがないのは、ちょっとだけ残念ではあるな」
 遠目に見る機会くらいはあったが、それだけだ。今どんな計画を進めているかという情報が、幹部経由で回されてくるのでそれを噛み締めている。あとは超常解放戦線内で公開されている情報の中に、死柄木弔の映像データがある。お前たちのボスは凄く強くて最高だぞ! という部下たちの士気を上げるための映像だが、これがめちゃくちゃに良い。それを何度眺めたか。見る度に最高の気分になる。そして俺の崇拝は更なる高みへと進み、個性は強くなる。
「会えるといいね」と投げやりにバディが呟いた。
「いや、会ったら昇天しちまうぜ!」
「……どっちなんだ」
「どっちもだ。会えたらいいなあ、なんて夢見る気持ちもある。液晶越しにみたあの歪な地平が羨ましくて羨ましくて、次はこの目で見たいと思った。だから来たんだ。だからやっぱり近くで見たい。だが俺がここまで崇拝している相手だ。目の前に現れたら心停止して、そのまま運ばれて安らかに昇天しかねない。だがそれは勿体ない。まだボスの壊す世界を見ていたいからな」
「その死柄木弔のために頑張ってお仕事してるんだろ」
「そうだ。だから褒められたりしたら当然うれしい!」
「本当にどっちなんだ」
 呆れた言葉の間に、豚の角煮が口に運ばれていく。いつの間に頼んだのか全く知らないが、鳥の次は豚か。いいチョイスだ。「ちょっとくれ」と箸を伸ばすと無言で小鉢が押し付けられた。「煮卵はあげないからな」と念を押された。「もちろんもちろん」と頷いて食べた角煮は美味かった。ただ白米が欲しくなるからいけない。
 脂っぽくなった口の端をぺろりと舐める。
「崇拝なんてのは勝手にやるもんさ。崇拝していますなんてすり寄って曇らせたくないだろう。今のままが最高なんだ、俺というモブが絡んだことで変質したら申し訳が立たない。まあ俺程度のモブでは変質させることなんて叶わないだろうから、杞憂だがな」
 それに死柄木弔はこの先、もっと最高の存在になる。
 ヴィラン連合なんてチープな名前の組織として立ち上がった時のことも知っている。あの時を思えば死柄木弔はあり得ない速度で進化し、羽化した。破壊の概念として確立された。
 けれどここが最上ではないのだ。まだ、まだ遠くへ行く。ああ崇拝する我が神よ。幼児的万能感のぬぐいきれない大人子どもと言われた男は、あっという間にここまで進化した。ヒーローが育つスピードよりも、早く。
「ああボスは本当に、無邪気で純粋で破壊を当然とするところが最高にキレイなんだ。最高だ」
「きれい?」とバディが顔を上げたので「みなまで言うな」と両手のひらを向けて言葉を遮る。
「顔じゃねえ! 魂さ! 別に顔も綺麗だろ!」
 ちょっとばかしガサついているがな、と頷けば、呆れたようにバディは顔を逸らした。何度でも褒めるが、興味がなくても何回目でも納得せずとも、その話をやめろと言わないところがバディの良いところだ。前に一度「新ネタないの」と問われたことはあるが、それだけだ。
 急に焼き鳥が食べたくなり、店員を呼び寄せる。また鳥だ、しまった。だがまあいい。揚げた鳥、揚げた魚、煮た豚、焼いた鳥だ。揚げたも被っていやがるのだから、今更だろう。「焼き鳥適当に二人前、あとハイボール」と頼む。
 ぬるくなったビールの残りを煽る。ぷはと息を吐き、大きく頷く。
「俺の大好きなおキレイなボスはな、屍王に魅入られているのさ。人間も人間以外も殺しすぎているからな、きっと遠からず娶られちまうんだろうな。勿体ねえけど、ま、そういうもんだ。ろくな死に方しねえんだろうな」
 本人もきっと、まともな死に方するとは思っていないだろう。そもそも自分の命にどれほど興味があるのだろうか。歪に鳴らした地平線のど真ん中で、大の字になって急に事切れたりしたら、最高の終わりなのではないか。そんな上手くいかないだろうが。
 少しずつ残っていた、卓上のつまみを片付けるように口に運んでいく。美味い。金があるということは、腕のいい料理人を雇えるということだ。知名度があるということは、腕のいい料理人が吸い寄せられてくるということだ。そして破壊の概念などという最高の男の元には、命を連れ去らんとする屍王の影や、俺のような熱烈な崇拝者が勝手に集まってしまうものだ。
 お楽しみの煮卵を口に放り込んだバディが、またも物言いたげな視線を向けて来た。もしゃもしゃと咀嚼したのち、喉仏が大きく動く。そして鼻で笑った。この男が笑うなど、珍しいこともあるものだ。
「崇拝している相手にいう言葉じゃないだろ」
 それ、ろくな死に方しない、とか。と箸の先端を突き付けられた。人に箸を向けるなって教わらなかったのか、なんてヴィランに向かって言う台詞ではないので言わなかった。
「そういうところをひっくるめての崇拝だぜ。自分の都合の良いように崇めて歪めて遊んでんのは三流のやることさ! ごっこ遊びの信者じゃねえんだこっちはよ」
 死柄木弔は商品でもコンテンツでも何でもないのだから、正す必要なんてこれっぽちもない。文句を言う権利なんてこちらにはない。神様というものは傲慢に天災を起こし、人間の命をもぎ取っていい存在だ。だから俺は崇拝しているのだ。
 死柄木弔は実に無邪気に笑う。
 足元では人類の英知も努力も命も何もかもがバラバラに崩れて塵に還っていく。その上で笑うのだ。正しさなんてどこにも必要がない。勝手な理想は外野が考えて形作っていく。その真ん中で死柄木弔はただ壊す。善人も悪人もバカもアホも良いやつも悪いやつも誰も彼も、死柄木弔の前では等しく塵になる。
 死は平等だなどというが、その頂点に立っているのだろうと思う。死に様も死体も命も物も、たどり着く形は一つだ。塵になって、デコボコの穴ぼこの内側に溜まって、歪な地平線を平らに近づけるのだ。
 気付いたら手元にあったハイボールのジョッキをぐいっと傾ける。ごくごくと飲み下し、ぷはっと吐いた息には恍惚が混じっている。
 ああ楽しみだ、俺もそこに混ざりたい。だが一つばかり、気掛かりなこともある。表の世界で育つ、未成熟な眩い光のことだ。きっと将来、死柄木弔と対極の位置に立っているだろう、幼い影。
 ジョッキをゴトンとテーブルに置き「あぁ」と頬杖を付く。
「屍王に娶られて死んじまうと思ってるんだが、ヒーローがさらいに来ちまうかもしれないんだ」
 黄泉路というヴァージンロードに割り入ってくる、無粋な影を思い浮かべる。それはとある少年の姿をしている。
「そうしたらあの人は生きながらえちまう」
 それは幸せなことなのか。
 違うだろうなとは思うが、崇拝相手の御心を勝手に想像するなど愚行でしかない。命があれば、なんてヒーローは良く言うもんだが、俺は全くそう思わない。やりたいことをやり遂げて、その中心で幸せに旅立ってほしい。
 邪魔するなよヒーロー。やっぱり俺は裏切者やスパイを殺して回って、少しでも邪魔者が消えるように頑張るしかない。あの世へ向かう王道に落ちる小石を拾って回ることが、崇拝者の役目だ。いや花嫁に例えたのだから、参列者なのではないか。そしてハッと思いつく。
「俺たち、参列者を名乗らねえ?」
「いやだよ」
 意味が分からないと速攻却下された。ダメかと腕を組む。そのまま焼き鳥に手を伸ばし真横から齧る。どの部位だか全く知らないが、串に刺して焼いた鳥は美味いものだ。串は空になっているビールジョッキへと投げ込んだ。
 腹も随分膨れて来た。酒も回ってきたような気がする。いつも崇拝に身を浸して酩酊しているもんだから、酒のせいなのだかいまいち分からない。だがどうだっていいことだ。
「ああ」と悩まし気に溜め息を吐きだす。
 バディは良い奴なので「なに」と聞いてくれる。こういう溜め息を吐いた時は「なに」と聞いてくれとお願いし続けた甲斐もあるってものだ。
「俺もあの指先で塵にしてもらいてぇ」
 死柄木弔の指先にひたりと触れられた場所から、崩れて吹かれて消える妄想をする。それはこの世で一番幸福な最期に違いなかった。
 例えば戦場で死柄木弔を庇って致命傷を負って「貴方の手で殺してくれ」と願うのだ。それか平らになった世界の真ん中、気分のよさそうな死柄木弔に「この地平の礎になりたい」と願う。この際シチュエーションはなんだっていい。俺のようなモブの願いは、そうそう叶わないのが世の中だ。あの手で終われるならなんだっていい。
「なあそう思うだろ」
 熱のこもった語気でバディに問い掛ける。俺とバランスよくバディをやっている男は、実にバランスの取れた冷めた声で答えた。
「別に」