(爆轟)
時折突拍子もないことを言い出す恋人が、爆豪にはいる。
十二月に入って間もない今日もまた、件の人物は突拍子もないことを言いながら帰宅した。
爆豪はコートにマフラーに手袋にと、重装備で外を出歩く時分だというのに、気温差に強い男は寒々しい首筋を晒したままだ。見ているこちらが寒い、と思うことにすら飽きて久しい。
「おかえり」「ただいま」という定型句を終えるなり轟は「ミンスパイって知ってるか」と言い出した。
「俺は作ンねーぞ」
「お、やっぱ知ってんのか。さすが爆豪だな」
荷物を手早く下ろした轟が、ソファに座る爆豪のとなりにやってくる。手にはスマートフォンを握っていて、それを眺めながらぼすんと雑に腰かける。つられて座面が跳ねて、体が揺れた。
「おい」と舌打ちするが、全く気にした様子はない。轟焦凍という人間がこの世で一番、爆豪勝己の舌打ちを聞き流している。そんな気がする。
もう一度舌打ちするほどのことではなかったので、手元のノートパソコンへと視線を移した。こういった轟のささいな大雑把な一面に、いちいち取り合っていたら時間がいくらあっても足りない。足りないくせにそれで愛想を尽かせるでもないので、取り合わない方が効率的だと気付いたのは、さて何年目だっただろうか。
「結構簡単そうだな」
ソファに背を預けながら、轟がそうつぶやいた。
モニターを覗き込むために丸めた背中を伸ばす。どうやらミンスパイの作り方を調べているらしい。
「ほら」と見せてくるので「作らねえからな」と牽制しながら視線を向ける。確かに特殊な材料はなく、混ぜて少し火を通すだけ、に見えた。
するすると轟の指先が画面を滑り、文字が流れ、表示される画像が切り替わっていく。星形の飾りが乗せられた、一口サイズのパイがクリスマスカラーに彩られていた。
「一か月前から仕込むのか。少し遅かったな。いや、まあ二週間くらいっつってるレシピもあるし、いけるか。いけるだろ」
「テキトーな野郎だな」
「お、二週間くらいでよくて、一ヶ月熟成するともっといい感じか? 間に合うってことだな」
「はっ、そりゃよかったな」
「おう」
鼻で笑ってやっても、轟はふんふんと頷いているだけだ。どうやら今回は自分で作る気があるらしい。珍しいこともあるものだ。ちなみに作らせたい場合は「こういう材料がいるらしいぞ」と報告してくる。「爆豪は作れるのか?」あたりも多い。
特別甘いものが好きというわけでもない爆豪は、ひとまず放置することにした。本当に作られても、このままうやむやになっても困らないからだ。
再びモニターに視線を移し、作業を再開する。もう少しでまとまるこの書類を始末したら、晩飯にするとしよう。キーボードをタンタンと叩いているとふいに「なあ爆豪」と声を掛けられた。
「んだよ」と顔を上げると、眉間に皺を寄せた轟がこちらを見ていた。
「ケンネ脂ってなんだ」
「検索しろカス」
なんてこともあったな、と思い出したのは、それから三日後のことだ。
キッチンでのんきに鳥肉を蒸し焼きにしていたところ、ガサゴソと音を立てながら轟が帰ってきた。パンパンになった白いビニール袋を持ちながら「うちって保存用の瓶みてぇなやつ、あったよな」と首を傾げる。
その顔を見て、ミンスパイのことを思い出した。
「ある」と答えながら、本気だったのかと驚いた。
轟は部屋着に着替えた後、キッチンへと入り込んできた。爆豪のとなりに並び、手を洗いながら「使ってもいいか?」と覗き込んでくる。
「マジで作るンか」
「おう。まな板と包丁使いてえんだが。後にした方がいいか?」
「あー、こっちは仕込み終わってっから好きにしろ」
「ありがとな」
腕を捲り気合いを入れ神妙な顔をした轟を残し、キッチンを出る。
まるで現場の引き継ぎをしたかのようだ。「よくここまで持ちこたえてくれた」とでも言いそうな顔に、いささか不安を覚える。それほど気合いを入れて作るレシピだっただろうか。
あのあと爆豪はひっそりと一度だけ、ミンスパイの作り方を調べていた。その時幾つかのレシピを斜め読みした限りでは、初見の印象と変わらず、切って混ぜるだけらしかった。火を通すかどうかもそれぞれらしい。
パイにする前にまず、ミンスミートを作るところから始まる。果物やドライフルーツとナッツなどに、スパイスとリキュールを加え、ケンネ油で漬ける。油はバターでもいいらしい。それを二週間ほど寝かせた後、パイ生地で包んで焼いて、晴れてミンスパイが出来上がる。
ソファに移動し雑誌を開きながら、キッチンの様子をうかがう。轟はリンゴの皮を剥いていた。
ビニール袋の中身を覗きそびれたので、他に何を入れるつもりなのかは分からない。だが、たかが知れているだろう。不思議なアレンジは加えたりしない、はずだ。
蒸し鶏が仕上がる頃に保存瓶を出してやりながら、なんとなく確認するか。そう考え膝に乗せた雑誌へと目を落とす。
「お」
突如飛び出た声と、勢いよくまな板が叩かれた音に驚き、顔を上げる。手でも切ったのかと思ったが、どうやらリンゴを半分に切っただけのようだ。ならばその声はなんだと睨んだところ、色違いの瞳と目が合った。
轟が「ああ、そうだ」と言い忘れていたことがあったように呟くと、視線がほどける。シャク、とリンゴに包丁が通る音が小さく聞こえた。
「明日から二週間くらい、北海道に行ってくる」
「ア? 急じゃねえか」
「そうだ、急に雪が降ったろ。ニュースになってる」
「あー」
確かにこの国は、先週から急な寒波に襲われていた。そして四日前には北海道で雪が降り始め、今も尚降り積もり続けている。まるで白以外の色が存在しないかのような光景が、連日ニュース記事を染めていた。
「今日やっと雪が止んでから、明日は飛行機が飛ばせるらしい。で、俺は手伝いに呼ばれてる」
手伝いな。とその言い方に眉を動かす。
確かに轟ならば一人で雪を溶かすことも、雪崩をせき止めることもできるだろう。呼ばれることは分かる。だが手伝いとぼかしたことには、何か意味があるのだろう。機密事項が含まれるか、多岐にわたり過ぎていて話すことが面倒臭いか。そのどちらもか。
「爆豪は、雪山向かねえよな」
ふと、珍しくからかうような響きをした言葉を向けられ、形式的に「ンだと」と返す。腹を立てるほどのことでもない、ただの言葉遊びだ。轟の口元が緩んだ様子が見える。
向かないことは事実だ。爆破の音や振動は雪崩に繋がりかねない。昔と違い冬場でも活動に支障はないが、絶好調でもない。準備は多めに必要になる。
むすりと表情を作ると「爆豪は夏の方が似合うしな」と、刻まれるリンゴの合間から穏やかな言葉が聞こえた。だが「冬は冬で、もこもこで可愛いけどな」などと続けるので、本当は喧嘩を売られているのではないか、と疑った。
「つうわけで、こいつの面倒よろしく頼むな」
そう言って轟は、まだミンスミートの姿に全く辿り着いていない、リンゴを刻んだだけのものを示した。
「面倒見るほどのもんじゃねえだろ」
「まあな。帰ってくるころには丁度出来上がってるだろ。食べるの楽しみだな」
「上手に出来てりゃいいな」
「爆豪はミンスパイ食ったことあるのか?」
「ねえな」
「なら上手いも下手も分からねえだろ」
「美味いか不味いかは分かんだろ」
鼻で笑ったのち、そろそろ蒸し鶏が良い頃合いだろうと立ち上がる。
その前に戸棚を開け、小ぶりな保存瓶を取り出したところ「それじゃ入らねえだろ」と轟が覗き込んできた。一体どれだけ作るつもりでいるのか。そこで帰ってきた時に持っていたビニール袋の大きさを思い出し、背筋がゾワリと震えた。
「これに入るだけにしとけ」
念を押すようにして、もう一回り大きい保存瓶を選び手渡した。
「……分かった」とどこか不満そうながらも頷いた轟は、続けてナッツを刻み始めた。
その横顔を静かにうかがいみる。
この男は意外と、先の予定を立てたがる。
ヒーローなんていつ予定が潰れるか分からない、それどころか死ぬかも分からない生活の中、少しずつ遠くに予定を入れていく。今度あそこへ行こうだとか、あれを食べようだとか。そういうものを、少しだけ具体的に話す。可能なら日程を決め、カレンダーに書き込む。
それが具体的であればあるほど、大きな任務を控えているものだ。きっとこいつなりに、帰る理由を増やしているのだろう。
今回の遠征は言葉の裏側に、それほど重いものを潜ませているのかもしれない。明日から二週間ということは、戻ってくるのはクリスマス直前だろう。丁度いい頃合いになったミンスミートを使ってパイを焼き、クリスマスを迎える気らしい。
今年のプレゼントは何にするか、と考えを巡らせる。何年も一緒にいるため、いい加減ネタ切れしてきていた。間髪入れずに誕生日もやってくるため、毎年この時期は密かに頭を悩ませている。
「なあ爆豪」と考え事を遮るように声を掛けられた。
サラダを作っていた手を止める。轟は銀色のボールの中の、甘そうな具材をざっくりと混ぜていた。
「明日俺遅ぇから、今日は一緒に寝ても良いか」
ミンスミートを作っていたせいだろうか。この日抱いた轟は、やけに甘ったるい匂いがしていた。
気がする。
◇◇◇
いつの間にか、二週間をあっという間だと思うようになっていた。
歳か、代わり映えのない日々をそう思うのか、轟がいない日々が事務的なものだからか。はたまたそのどれもか。
轟が北海道へと旅立ってから、今日で十六日目。あの男の言う二週間は曖昧で、短くて十日、長くて二十日とずいぶん開きがある。そろそろ戻ってくるには違いないが、まだ戻るという連絡は入っていない。
一昨日「メリークリスマス」と電話がかかってきた際には「そろそろ帰れそうだ」と話していた。そろそろ、というのもまた漠然としているが、それにも慣れてしまったものだ。帰ってくる奴だと、分かっていることもある。
十二月は瞬く間に過ぎていき、昨日ついにクリスマスを終えた。あっという間の二週間という感覚は、年末の慌ただしさも含まれているのかもしれない。年末の挨拶だなんだと護衛任務も増える。
クリスマス警備とパトロールの日程調整に追われ、その間にプレゼントを二種類見繕った。空いた時には大掃除をしてと、ただただ目まぐるしい。構う相手がおらず暇なため、前倒した予定を多めに詰めていた、そんな気がしないこともない。
そして今、昨晩からの警備業務を終えた爆豪は、早めの帰路に就いていた。
明け方に事務所へ戻る前まで、視界は確かに一面のクリスマスだった。だが事務処理を済ませている間に、世間もお祭り騒ぎの後片付けを済ませたらしい。余韻もないまま、突然この国らしい年末年始の空気が満ちていた。クリスマスリースが売られていた軒先には、正月飾りが並べられている。
プロヒーローになってから、クリスマスという日をのんびりと過ごしたことはない。かといって全く便乗しなかったわけでもなかったが、今年はついにそれらしいこをとことを何一つしないまま過ぎさりそうだ。轟が戻ってきたらクリスマスプレゼントを投げつけ、それで終わりになるだろう。あっという間に年越しだ。
タートルネックの上に巻いたマフラーに、鼻先を埋める。今年の冬は寒さが厳しい。こちらも雪が降りだしそうだった。
一人マンションの部屋に帰り、ドアを開く。
途端に甘ったる匂いが、内側から漏れだしてきた。バターと砂糖と、嗅ぎ慣れないスパイスの混じった、甘い匂い。
誰もいないと思っていた部屋の中に向け「ハ?」と声を漏らすと、部屋の奥から「お」と返事があった。朝に比べ、玄関には靴が一足増えていた。
「おかえり爆豪」
「そりゃテメェの方だろ。連絡しろや」
「サプライズのつもりだったんだけどな」
大股で部屋の中へと上がると、轟はソファの目の前でスーツケースを広げていた。
幾らかの着替えに混じり、ヒーロースーツが見え、新巻鮭と書かれた大きな箱が目につく。実家への土産だと信じたいが、轟のことなので年末年始に食べようと思っている可能性も捨てきれない。頭の中を巡る鮭を使ったレシピをどうにか振りきり、甘い匂いの出所へと視線を向ける。
「もうすぐ焼き上がるぞ。見た感じ美味そうだった。良い匂いもするだろ」
オレンジ色に光るオーブンを眺めながら、轟が自信たっぷりに言う。
「匂いだけで甘ぇ」
「ちょっと舐めたけど、意外と甘くねえぞ」
そうは言うが、部屋に居るだけで体中に甘い匂いが染みつきそうだ。思わず換気扇を確認したが、きちんと動いていた。
「一日遅れちまったけど、まあいいよな。サンタさんが家に帰ってくるのは、クリスマスの次の日だもんな」
「テメェがサンタさんってか」
「おう。だから色々準備しておいてやろうと思ったんだが、早かったな。あ、昨日クリスマスだから夜勤だったのか」
「つめが甘ぇな」
サプライズが失敗したというのに、大した落胆も見せない男を跨ぎ、ソファに座る。どうせ支度をしながら、これはサプライズっぽいな、と思い付いただけなのだろう。
轟は洗濯物を出したのち雑にスーツケースを閉じ、私室に押し込みむと戻って来た。爆豪のとなりに落ち着くと、ほうっと息を吐く音が聞こえた。
「知ってるか爆豪、ミンスパイって二十五日から一日一個ずつ、全部で十二個食うらしいぞ。そうすると来年幸せになれるらしい」
「まさか二十四個焼いたんか」
「そうだ」
「俺はンなに食わねえからな」
「小さいやつで作ったから大丈夫だ。ちゃんと星形のやつ買ってきて、パイ生地も星形にしたぞ」
どうだ凄いだろう、楽しみになってきただろう。という顔をされてもな、と目を細める。
いつクッキー型を買いに行ったのかは知らないが、浮ついた様子がありありと伝わってくる。それでほだされて、仕方のないやつだな、という気持ちにされてしまう。これは絶対、本人には教えてやらないが。
だが「でも年越しそばも食いてえし、ミンスパイは倍速で食って、年内に終わらせような」と神妙な顔で言うものだから、いささか雰囲気が削がれた。
「蕎麦で災厄を断ち切って、ミンスパイで来年の幸せを願ったら最強じゃねえか?」
「ちゃんぽんすぎんだろ」
「元々この国って、そういう感じだろ」
すん、と轟が焼き上がりを予期するように鼻を鳴らした。
甘い匂いがどんどん濃くなっていく。きっと焼き上がったら轟はすぐに味見をするだろうし、そうしたら夕飯の後にも食うだろう。本当に年内に食べきってしまいそうだなと鼻で笑う。
「ミンスパイが焼き上がったら、ケーキ買いに行こうな。そんで一日遅れのクリスマスをやろう」
「どんだけ甘いモン食わせる気だ。フライドチキンにしろ」
「お、それもいいな」
色違いの瞳がちかりと光った。どちらも買って、食卓を本当にクリスマスにするつもりなのだろう。
まあいいかとソファにもたれる。膝に手を置き、きらきらとした瞳でオーブンを眺める姿を、斜め後ろから覗き見た。目につく限り、大きな怪我はないようだ。少し雪焼けしただろうか。だが動き方におかしな点は現状見当たらず、怪我を隠している様子はない。
今日もまた無事に帰ってきた男に向け、声をかける。
「おかえり」
爆豪の声に、そうだった、という顔をした轟が振り返った。
そして笑った。
「ただいま」