いつもの方がいいと思うぞ

(爆轟/グッドフェイスネタ)

     

「忠告をムシするなんて、悪い子だな」
 ドアにぶつけた背中がじわりと痛い。だがその痛みも至極些細なことに思えるような光景が、目の前にあった。実際、痛みは些細なものだ。ヒーローを目指して日々進む中では、ちょっとドアにぶつかったくらいの痛みなど、なんてことない。
 なんてことはないのだが、体がびっくりして全く動かない。左手に持ったサンドイッチの乗った皿を落とさなかったことを、褒め称えてもいい気がするくらいだ。
 部屋を照らす蛍光灯の明かりが、爆豪の姿越しに見える。見えるが、部屋の中の様子は良く見えない。四センチの身長差では、頭の上を見通すことが出来ないからだ。
 顔の横に、ドアに押し付けた爆豪の腕がある。腕と体とドアで、逃げ道を塞いでいるかのようだ。そこでふと思い出す。いわゆるこれは壁ドンというやつなのではないか。
 以前クラスメイトの女子に、ちょっとやってみて、と頼まれたことがある。その時は通り掛かった爆豪に、急に足払いさえれてうやむやになったが、まさかされる側に回る日が来ようとは。壁ドンをされると胸キュンするらしい、が轟はひたすら困惑していた。
 そろりと視線を外し、手に持っていたサンドイッチへ向ける。ラップに包まれていなかったら、皿だけ残して地面に落下していただろう角度になっていた。手首を動かし水平に戻しながら、ついでに視線を爆豪へと戻す。
 苛烈で鮮烈な赤い瞳は、好きなところの一つだったが、今日はどうにも違う気がする。つやつやと色っぽく、悪く言えば毒気がなかった。
「この俺が目の間に居るってのに、よそ見か?」
「……爆豪、なんか近くねえか?」
 再び視線を逸らし、今度は上を見る。蛍光灯の明かりが淡い金色の髪を透かしていた。ふっと頬に吐息が掛かる。平常の体温が高めなのか、爆豪の吐く息は往々にして熱い。吐息が掛かるほどの距離にいることも、珍しくはない。だがそれにしてもおかしい。
 やはりおかしい。
 そもそも、これは爆豪なのか。
 考えるように天井をなぞりながら、首を傾ける。ここでようやく、何故轟がサンドイッチ運搬係に名指しされたのか、という理由に思い当たり始めた。

「爆豪晩飯食ってないから、持ってってやってくれ」
 目を逸らしながら肩を震わせる切島に、そう頼まれたことが発端だ。
 今日一日、轟は外出していた。夕飯も食べて帰って来てみれば、共有スペースで思い思いの恰好をしているクラスメイトが数人居た。真ん中にあるテーブルの上にはサンドイッチの皿が置いてあって、それを皆で囲む形になっている。緑谷は膝の上で手を組み真っ青な顔をしているし、上鳴は腹を抱えて泣いていた。常闇は天井を仰ぎ見ていて、瀬呂は咽ていて、砂藤は自身の両腕を抱えている。青山だけが立っていて「ライバルが増えたね」とポーズを決めていた。
 悪夢が通り過ぎたかのような光景に思わず声を掛けたところ、切島が答えた。
「俺たちじゃムリだ、殺されちまう」と相変わらず顔を背けて震えながら言い「もう轟しか居ねえ」と続けた。「飯抜きは可哀想だからサンドイッチにしてもらったんだけどさ、俺たちも死にたくねえもんな」と上鳴が両手を上げた。いまいち状況が把握できず緑谷に説明を求めたところ「悪夢だ」とだけ答えられ、何故かまた瀬呂が咽た。
 そして「持って行けばいいんだな」と二つ返事で引き受けた結果がこれとは。

 茶化されて絡まれたくないから、という爆豪の言い分によりクラスメイトには伏せられているが、二人はお付き合いをしている。
 勉強を教えてもらうなどの理由で部屋を訪ねることもしばしば。そうやって逢瀬を重ねているので、夕飯を届けるくらい訳はない。そうでなくても、夕飯を食べ損ねたクラスメイトのために部屋を訪ねるくらい、誰だってする。
 だがそうしなかった理由はこれか、と目の前の爆豪、らしき人物を見る。
 爆豪の部屋なので、爆豪ではない人物がいてはおかしい。特徴も爆豪と酷似しているが、どうにも断定し難い。なにがどう、と一口に説明し難いのだが、間違いなく爆豪はこんな感じではなかった、と言える。
 こんな、訪ねて来た轟を突然壁に押し付け「悪い子だな」と言い出したり、顎を二本の指で掴んで「よそ見か?」と甘ったるく問い掛けてくるタイプではなかった。
 顔面を鷲掴みにされ「ふざけんな!」と怒鳴ったり「よそ見してんじゃねェ!」と怒鳴ったりしてくるなら分かる。経験がある。
「お前本当に爆豪か?」
「当たり前だろ。その世界中の宝石にも引けを取らない美しい瞳で、いったい誰と見間違えてんだ」
「じゃあなんか変な個性に掛かってんのか」
 たしか爆豪も今日は外出していたはずだ。出先で何かあって、一階にいたクラスメイト達は原因を知っているのではないか。なら原因を教えてくれても良かったはずだ。むすりと唇を尖らせると、頬を撫でられた。
「忘れちまったのか? 俺は元からこうだっただろ」
「いや、絶対違うだろ」
 意識改変系だろうか。無害といえば無害なようだが、奇妙なことには変わりない。ひとまず別人と入れ替わっている訳ではないならいいかと頷く。
 そこでふと視線を下に落とすと、はだけた爆豪の胸元が目に入った。元々ネクタイもせず着崩しがちな方だが、脱ぎかけていたのかと思う程ボタンが外されている。そのくせブレザーは羽織ったままなのだから謎だ。
 空いている右手で爆豪のシャツの襟もとを掴むも、生憎片手ではボタンを留められない。
「あんま着崩すなよ、風邪ひくぞ」
 鍛えられた胸筋の谷間を隠すように襟同士を引き寄せると、唐突に腕を掴まれた。よく知った強さで掴まれ、引きはがされる。
「ドアに貼ったる文字が読めねぇンかテメェは!」
「お」
 気付けば見知った苛烈な赤が目の前にあった。

 
 

 そういえばドアに「入ったら殺す」という走り書きが貼ってあったな、とクッションの上であぐらをかきながら思い返す。爆豪らしいなと思っただけでドアをノックして開け、そうしたら勢いよく引き込まれてしまったので、頭から抜け落ちていた。
 その爆豪は今、サンドイッチを食べている。
 むすっと眉を寄せて、大口で頬張る姿は良く知ったそれだ。
 変な個性に掛かったというのは事実らしい。言動が意図せぬものになり、コントロールは全く利かないのだという。「だから入るなって貼っておいたってのにテメェはよぉ」とくどくど文句を言われた。
 すっかりいつもの様子なので解けたのかと思いきや、発現している時間が短くなってきているだけで、まだ解け切ってはいないという。部屋から押し出そうとする爆豪と取っ組み合いにりながら「個性事故にあった恋人を置いていけるか」と粘ったところ、説明してもらうことに成功した。
「なんか、風邪みてぇな個性だな。ぶり返したり」
「つか、いつまでいンだよ。大した個性事故じゃねえって分かっただろ。さっさと帰れや」
 指先で雑に追い払うような仕草を向けられ、眉を寄せて返答する。
「もう少し喋りてぇ」
「こっちはいつあの状態になるか分かンねえんだよ。最悪だっつうの」
「でも今日初めて顔合わせたし」
 朝一で外出してしまったため、挨拶すら交わしていない。
 せっかく堂々と部屋に上がり込んだのだから、もう少し話したい。学生と言えどヒーロー候補。それに四六時中一緒にいる友人同士でもない。共に過ごせる時間は限られている。
 爆豪は「ぐ」と唸ると、仕方がないとでも言いたげに溜め息を吐いた。
 かと思えば急に、テーブルに腕を乗せ身を乗り出した。
「おいおいあんま可愛いこと言うなよ、帰したくなくなるだろ」
「……リアクションに困るな」
 ふっと息を吹きかけるように告げられた言葉は、爆豪が言うか言わないかで言えば、まあ言わないだろうなというものだった。
 それにしたって切り替わりが急だ。くしゃみみたいだ。
 うーんと腕を組むと「照れるなよ」とささやかれる。どこからその声が出てくるのか。爆豪の声帯でもそういう声が出せるものかと、本人に伝えたら爆破されかねないことを考える。
 ふと士傑高校の現身が出した、轟の幻が思い出された。あの時爆豪が真似をして笑っていたが、その鬨の声と似ているかもしれない。やっぱり爆豪の声帯なのかと覗き込む。
「どうした、俺に見惚れているのか?」
 思わせぶりに頬杖をついた様子に、ハッと気づく。最大の違和感はこれだ、と膝を叩いた。
「眉間に皺がねぇ」
「ジロジロ見てんじゃねェ!」
 ぐわと伸びて来たてのひらに顔面を掴まれた。
「お、爆豪だ」
「テメェもふざけてんじゃねえぞ」
「いや、真面目に考えてるぞ」
 首を左右に小さく振ると、舌打ち一つを残して手が離れた。今度はよく見る様子で頬杖をつき、そっぽを向いてしまう。その耳がうっすらと赤い。
 確かに一連の言動は爆豪らしくない。あまり見られたくないからこそ、入り口に張り紙をしていたのだろう。肩を落としながら、そろりと視線を外す。
「やっぱ、帰るな。邪魔して悪かった」
 もう少し話したいというのは轟のささいなわがままだし、何も今しかないわけではない。明日になればまた顔を合わせる。なんならベランダを伝って部屋を訪ねてもいい。
 頻繁に部屋に入ることを許可する、というのは爆豪っぽくないので怪しい、のだそうだ。だから時々こっそりと、ベランダを上ったり下りたりする。爆豪っぽくない行動を取らせているというのは、つまり特別扱いだ。嬉しくて笑ったら、なぜか蹴られたことがある。
「早く個性完全に解けるといいな。おやすみ」と声を掛けて立ち上がると、服の裾が何かに引っ掛かった。それほど裾の長いシャツを着ていた覚えはないがと振り向くと、爆豪が掴んでいた。無骨な指先でシャツを挟み、むすっと眉を寄せている。どうした、と声を掛けるより早く睨まれた。
「もう少し、喋りてえんじゃなかったンかよ」
 掴まれたシャツの先にまで、神経が通ったような気がした。爆豪の耳の赤さがそこから伝って、のぼってくるようだ。それが髪の先から炎の形を取り、パッと抜けていく。
「……おう」
 振り切って走り去りたいような気持ちを押し殺し、再びクッションの上に戻る。同時にシャツの裾は解放された。
 何故だか急に、座りの悪い気分になる。照れくさい気がしてきて膝の上に視線を落とす。
 もう少し、と言ったのは確かだが、外からそれを指摘されると、別の気恥ずかしさを覚える気がした。ごまかすように頬をかけば、向かいで息を吸い込む音が聞こえた。
「そこで照れンのかよ! 可愛い奴だな」
 聞き慣れないまぜこぜな言葉に、バッと顔を上げる。
「今のどっちだ!」