「お昼寝/気づかないように」

(爆轟ワンライ)

   

 夜勤からの残業明けは、さすがに眠い。
 あくびまじりに家へと帰ってきた。うとうととして、まぶたが重い。今日は確か、爆豪が家に居たはずだ。寝ぼけていても帰れるくらい何度も帰ってきた家の、鍵を開け、扉を開ける。
「ただいま」
 そうかけようとした言葉を、途中で慌てて飲み込んだ。
 部屋の奥、ソファに座って目を閉じる、爆豪の姿が見えたからだ。珍しい。微動だにしないところを見るに、眠っている、のだろう。
 出来るだけ音が立たないように扉を閉め、そーっと靴を脱いでフローリングに上がる。靴下をはいていた方が音が立たないのか、逆なのか、と考えて、きっと布が音を吸収するだろう、と結論付けてそのまま進んだ。正しいのはは分からない。眠気で頭がぼんやりしていた。
 爆豪はソファに背を預け、腕を組み、天井を見上げるようにして眠っていた。
 目の前のテーブルに、開かれたままのノートパソコン置かれている。事務作業の途中で寝てしまったようだ。
 時計を見る。十四時だった。
 昼飯を食べて、作業をはじめて、うとうとしてしまったのだろうか。それとも、腕を組んで瞑想でもするように考え事をしている間に眠ってしまったのだろうか。
 これほどの無防備さは、一緒に暮らすようになった今でも珍しい。寝るなら寝るで、さっさと区切りをつけてしまうのが爆豪だ。「効率悪ィ」と吐き捨ててベッドに潜る姿を時折見かける。
 とすれば、頭をスッキリさせるために、少しだけ眠ろうとしただけの可能性もある。つまり昼寝だ。
 そろそろと近づいて、顔を覗き込む。天井を向いているため、前髪が後ろに流れ、おでこが出ていた。可愛いな、と笑いそうになるが、がんばってこらえる。ふふ、と吹きだしただけでも、爆豪は起きかねない。勘が良く、気配にも聡いやつだ。死角がない。
 昼寝だか寝落ちだか分からないが、寝ている恋人に毛布を掛けてあげる、というシチュエーションには当然あこがれがある。今まで一度も成功したことがないが。
 かける前に起きるか、かけた瞬間起きてしまう。だから今回もダメだろう。幸い部屋は寒くない。暑くもない。しいて言えば心地よい温度が保たれていて、眠くなるかもしれないな、というところだ。
 思えばこの頃、爆豪は働きづめだった。
 大きな事件が片付いて、今は後処理に追われている、のだそうだ。やっぱり疲れが溜まっているのだろう。頭を撫でたい衝動に駆られるが、そんなことをしたら間違いなく起きるし、一歩間違えると掴まれて投げられる。
 昔一度、寝ているところに近づいて、敵と間違われ拘束されたことがある。好きな相手の寝顔を珍しく思って近づいて行くという、世界で一番緊張していて、なおかつヒーローとしては一番油断していた瞬間だった。それはもうあっさり締め上げられた。そのあとの、バツの悪そうな爆豪の顔が珍しかったので、それほど悪い思い出でもないが。
 しばらくじっと眺めてたあと、ふと、晩ご飯を作ってやろう、と思い立つ。今すぐに作るわけではないが、食材が足りるかどうかくらいは確認しておこう。なにもなかったら、買いに行くか、出前を取るか、外食にするか。案を出そう。
 再び足音を殺し、キッチンへと向かう。
 ヒーローではなく、忍者になった気分だ。しかし、そーっと冷蔵庫の扉を開く気分は、どちらかと言えば泥棒だった。空き巣、と考えて、住人がいるので違うのではないか、と思い直す。そもそも自分も住人だ。
 作るなら爆豪の好物にしよう。そうしたら少しは元気も出るはずだ。
 麻婆豆腐だな、とあたりをつけ、冷蔵庫の中を見回す。調味料はあるが、豆腐がない。ハッと目を見開きながら、これまたそーっと扉を閉める。
 今度は野菜室に手をかけ、息を止めて手前に引く。がらり、とローラーが音を立てたので、びくりと肩が震えた。
 慌てて振り返るが、爆豪はまだ寝ていた。セーフだ。
 野菜室の中に、ナスを見つけた。ということは、麻婆ナスで決まりだ。よし、と頷いて、開けたときよりも最新の注意を払って閉めた。
 ほっと胸をなでおろしてから、冷蔵庫を開けたついでに、水を取り出せばよかった、と悔やんだ。喉が渇いていた。
 少し考えた後、やはり開けることにした。ヒーローが脱水症状でが運ばれている場合ではない。ふーっと静かに息を吐き、精神を集中させ、扉を開閉した。
 取り出したミネラルウォーターのボトルは戻さず、台所のわきに置いた。食洗器をそっと開け、グラスを一つ取り出す。ボトルを傾けると、こぽりと音が立ったので、またドキリとした。
 慌てて顔を上げる。爆豪は寝ていた。きっとこの程度の音は、ソファまで届かないのだろう。ちまちまと水を飲み、グラスを置き、さてどうしようか、と考える。
 シャワーは事務所で浴びてきたし、昼食も取った。晩ご飯のために外出もしなくて済みそうだ。夜まで寝てもいいかもしれない。
 寝室に向かう途中、忍び足で爆豪のそばまで行くと、もう一度、寝顔を眺める。
 ゆっくり顔を見ることも久々だった。ヒーローをしていると、活動時間がかぶらず、寝顔しか見ない時期が続いたりもする。だが寝顔を見ることも久しぶりだった。
 肌には擦り傷の跡が見て取れるが、大きな怪我はない。なぜだかひどく安堵するような心地になる。そのまま座り込んで、ここで寝顔を眺めていてもいいな、などと思うほどだ。
 くわ、とあくびをこぼして、慌てて口を手で覆う。ほうっと、息を吐く。寝顔でもいいけれど、あの赤い瞳が見えないと、張り合いがない。夜には一緒に食事がとれるだろう、と思うと浮足立つ気がした。
 しばらくそのまま眺めていたように思う。
 眠くてぼーっとしていた、というのも半分ある。それにしても、意外と、起きないものだ。
 爆豪は元より野生動物並みの勘の良さをしていたが、年々研ぎ澄まされていくようで、背後に立たせてもらうこともままならない。これは、現場での話だが。時々後ろに目があるのではないか、と疑ってしまう。
 その爆豪が、これだけ近くに立って、じっと見つめていても、いても目を覚まさない。
 なにをしたら起きるのだろうか、といういたずら心が芽生える。試さないが、どこまで許されているものなのか、気にならないわけではない。ここに立っている特権に甘えてみたくなる。
 じくじくと湧き上がるいろいろな衝動に、やはり疲れていて、眠いのだろう、と結論付けた。
 起こしてしまいたくない、やはり寝室に行こう。
 そう思った時、ふと、爆豪が動いた。
「なに見てンだ」
 パチッと開いた赤い瞳が、轟を見た。
 見たように、みえた。
「悪い、起こした」か、と謝ろうとしたところ、胸倉をつかまれた。
 投げられるのか、またか、なんでだ、見てただけだし、見ていたって気づいたじゃないか。と思考が流れていく。
 幸い、投げられはしなかった。
 代わりに爆豪の両腕に捕まった。抱きしめるというにはいささか拘束感が強い。そのままずるりと爆豪の体が傾いて、ソファの肘置きに頭を預ける形になる。器用に体の向きを変え、しっかりと眠れるように体制を整えたほどだ。
 轟はといえば、その爆豪の上にのしかかる形で落ち着いた。というより、他に動きようがなかった。胸筋に耳を押し付けながら、頭の中が疑問で満ちる。
「寝ぼけてんのか?」という独り言が口から洩れたが、返事はない。代わりに規則正しく静かな間隔で、胸が上下している。寝息だ。それから、ゆっくりと刻まれる鼓動の音が聞こえる。
 これは、どういう状況なのだろうな、と遠ざかりつつある意識の中で思う。
 寝ぼけて抱きしめて眠ったと、起きた爆豪が気付いたらどういう反応をするのだろうか。それとも意図的だったのだろうか。どちらにしても、平常から体温の高い爆豪に抱きしめられて、落ち着いた鼓動の音を聞かされて、眠くならないはずがない。
 おちつく、とぼんやり思う。
 起きたら麻婆ナスをつくろう、とゆったりとまばたきをする。
 重くないのか、とかんがえて、しこうが、とおのく。

  
 次に意識を取り戻すのは、ソファから蹴り落されて、したたかに背中を打って「ハア?」という爆豪の大声が耳に突き刺された時だった。