(爆轟)
「蕎麦は月一にしろ」
爆豪は唐突にそういった。少なくとも轟には唐突に聞こえた。
ずずっと吸い込んだ蕎麦の端が、唇をかすめて跳ねる。口いっぱいに含んでしまった。即時の反論ができない。むぐむぐと咀嚼しながら、蕎麦を掴み、つゆに付け、口へ運ぶ爆豪の姿を眺める。
静かな所作だ。爆発音の絶えない男のようで、意外とそうではない。それを知って何年経ったか。家で向かい合って食事をとっているときは、特別静かな気がする。
ようやく蕎麦を飲み込み「なんでだ」と口にすると「食いすぎ」と即時の返答があった。
そんなことはないだろ、という反論はできなかった。なにせ今すすっている蕎麦は、今週二回目だったからだ。月曜日、そして今日、金曜日。
轟が先に家に帰った場合、蕎麦の確率がぐんと上がる。爆豪はチームアップの都合だとかで、ここ半月ほど帰りが遅い。結果、確かに蕎麦をよく食べた。
轟とてメニュー被りは気にしている。昨日はチャーハンだったし、焼きそばも最近食べた、餃子も冷凍のやつを焼いたしばかりだし、カレーも覚えがある、麻婆豆腐は爆豪が作った。
そう考え、自分の作れる料理のレパートリーと、冷蔵庫の中身と相談した結果、蕎麦が選ばれた。轟は蕎麦のことを「最近食べた」と認知しないが故にだ。
ぐっ、と言葉を詰まらせながらも、蕎麦をすする。ずぞぞという音の合間に頭を悩ませる。月一は、どうにか回避しなければならない。
「俺だけじゃ不公平だ。爆豪も辛い物控えるなら、考える」
そう言ってみた。駆け引きのつもりだったのだが、爆豪は凪いだ赤い瞳で一瞥するだけだった。
「辛い物食わされすぎてる、って思ったことあンのか」
はて。
言われて考えたが、そんな覚えはない。しっかりと記憶を掘り起こせば、辛い物が食卓に並ぶ回数は多いかもしれないな、と思う程度だ。それでなぜ印象に残らないかと言えば、単純にバリエーションが多いからに違いない。麻婆豆腐、カレー、チゲ鍋、キムチ炒め、あと名前の分からないピリっとするやつ。といろいろ思い浮かぶ。
辛い物食いすぎだ控えろよ、と思ったことがなかった。
駆け引きも取引も成立しないぞ、と気づいてしまい焦る。だが月に一度は絶対に嫌だ。給料日じゃないんだぞ、と頭を回す。ぐるぐると考えるが、もとより駆け引きに強いタイプでもなかった。さっさと諦め手法を変え、正面から挑む。
「週一でどうだ」
「アホか。今と変わんねえわ」
「確かに今週は多かった。それは、反省する」
だから頼む。と赤い瞳を覗き込む。
ショートさんに正面から見つめられたら、断れる人いないですよね。と言われたことがあったと思い出していた。俺は洗脳とかできねえぞ、と焦った日のことだ。
やっぱりそんな個性も才能もないじゃないか、と視線を返してきた爆豪の顔を見て思う。
怒鳴るでも威嚇するでもなく、ただこちらを見ていた。
こういう顔をするとき、こういう声を出すとき、それは爆豪の心臓の深部に近い場所にあるなにかに触れるときだ。
そんなにか。そんなに蕎麦多かったのか。
そうかもしれない。最近蕎麦を買い物かごに入れた覚えがありすぎる。フザケンナ何回食わせんだいい加減にしろクソ舐めプカスアホくらい言われれば、轟とて言い返しようがあった。
爆豪が、静かに言う。
「月一だ」
◇◇◇
蕎麦は月一回。
それを仮の条件として受け入れ、すでに半月経った。今日の夕飯はカレーだ。爆豪好みの辛いルーを使っているため、ピリピリとスパイシーな匂いが部屋に充満している。それでもぐうと腹が鳴る。同棲し始めのころは、カレーってこんな色だったか、と思ったものだが、すっかり慣れてしまっていた。
轟のカレーには特別に温玉が添えられている。これは辛さを丸くする用だ。スプーンを突き立てると、中からとろりと黄身があふれ出す。食欲を素直にそそる光景に、一口食べる。
ピリッとするが、食べることがつらいほど辛くはない。それに美味い。悔しいが。いや別に悔しくない。食事は美味いのだから。
蕎麦を制限されてからというもの、まじまじと食卓を観察する時間が増えた。
爆豪の勤務時間が通常に戻り、夕飯を作る比率は爆豪の方が少し高くなっている。そして気づいたが、思った異常に辛い食べ物が食卓に並んでいた。家で作れる辛い食べ物のレパートリーが予想以上に多いことに感心し始めるほどだ。
なにより、爆豪の手腕に舌を巻く。
この二週間で二回現れたのは、このカレーだけ。他のメニューに至っても、味付けが轟用に分けられていた。先に轟分を取り分けて、その後香辛料を追加しているところも見た。今日のように中和する食べ物が添えられていることもある。出来心で一度「そっち一口くれ」と爆豪用に手を出して痛い目をみたので間違いない。
この繊細な気遣いに気づかず今まで生きてきた自分にも、気づかれないほど平然と行っていた爆豪にも驚愕する。だから大雑把の舐めプと言われるのか。
ぐ、と眉間にしわが寄る。しかしカレーは美味い。思えばチーズが乗せられていたこともあった。あれも美味かった。どうしてアレンジにまでバリエーションがあるのか。
逆に考えれば、ここまで蕎麦に対して文句を言わなかったことに驚く。
カレーが二回現れるまでに二週間かかったのに対し、蕎麦は最短三日後に現れた。
もしかして爆豪も思ったより蕎麦が好きなのではないか、と閃いたが、たぶん違う。さすがに分かる。この手の発言をして締め上げられた覚えが多すぎるからだ。
正解がなにかは分からないが、ついに限界を迎えたということだったのだろう。そう思うと申し訳なさと、あの爆豪がという感動で胸がないまぜになる。
それでも、二週間蕎麦を食べていない事実は中和できない。
「人相クソみたいになってンぞ」
食器を片付けて戻ると、ソファに居た爆豪にそう言われた。首をひねると「初期コスだった時みてぇ」と眉間を指さされる。
確かにそうかもしれない。「蕎麦不足が顔に出てるかもしれねぇ」と言いながら、マグカップを持ってとなりに座った。湯気に混じって香ばしい、いい匂いがする。
「まさかそのツラでヒーローやってんじゃねぇだろうなァ、ショートさんよぉ」
「今のところなんも言われてねェから平気だ」
「ホントかよ」
鼻で笑いながらも、頬に触れる指の背は優しい。思わず噛みつきそうになったが、ふーっと息を吐いてこらえる。今日は秘密兵器を導入したのだ。指の背にはキスを送るにとどめ、ふふんとマグカップを掲げて見せる。
「今日の俺にはそば茶がある」
「そば茶!」
滅多に見せない顔で笑ったので、やはり噛んでやろうかと思った。こらえ切れなかった空気が漏れるような笑い声を聞きながら、マグカップに口をつける。ソファの座面が揺れていて少し飲みにくかった。
「ハーッ、で、どうだよ、そば茶は」
気でも紛れたンか。
うっすら涙目になった爆豪に言われる。笑いすぎだろうと思ったが、それどころではない。テーブルの上にマグカップを置き、膝の上で指を組む。
無言をおかしく思った爆豪が覗き込んできた。「おい」と呼ばれ、横目に赤い瞳を見る。
「……蕎麦……食いてぇ」
遠くで蕎麦が手を振っている。気が紛れるどころではない。走馬灯のように、蕎麦の記憶が脳内を流れ始めるほどだ。懐かしいな、あいつ元気かな、もうずっと会っていないな。
はあ、とため息を吐くのと、ボンと悔し気な音が聞こえたのはほぼ同時だった。
「しゃあねえなァ!」
ここに月一蕎麦は撤廃され、新たに二週間に一度蕎麦が制定された。