(五夏/『悪友』時空でいかに初夜に至ったか)
最近悟に恋人ができた。
私はつい最近まで知らなかったのだが、これが初めてではないらしい。あの顔あのスタイルあの家柄なので、恋人ができたことに対しての驚きはない。
だがさすがに、私が悟と出会ってから今までのおよそ四か月の間に、すでに五人と付き合っては別れた、と聞いては驚かざるを得なかった。
「まったく気づいていなかったのだけれど?」と声がひっくり返ったのも仕方がないのではないか。
悟との出会いは高校だ。同じクラスということで接点ができ、紆余曲折を経つつもつるみだした。クラスメイトに「四六時中一緒にいるよね」と言われ、否定しきれなかった程度には一緒にいる。「そこまでではないよ」と言いたかったが、思い起こせば起こすほど、記憶のそこかしこに悟が映りこんでいた。
それなのに、それなのにだ。
となりで五回も付き合っては別れを繰り返していると、気づかなかった。四六時中一緒にいるくせに気づかないなんて、というよりも、恋人がいるのになぜ四六時中といって差し支えないほど私のとなりにいるのか、だ。
悟に恋人が居たと知ったのも、たまたま悟が頬にきれいな手形をつけて帰ってきたからだった。あの顔面に思い切りビンタをかまそうと思う女性が居なければ、私は今も知らなかったことだろう。
あれは凄かった。本当に綺麗な手形だった。思わず心配して駆け寄ったものだ。
濡れタオルで冷やしてやりながら、初めて恋人にまつわるあれこれを聞き出した。そして額を押さえた。
五人って嘘だろう、誰、まったく気づかなかったのだけれど。
そう呻けば、五人分の名前を教えてくれた。言われてみれば、確かに悟の近くで見かけた覚えはある。けれどクラスメイトだとか、知り合いの知り合いとか、そういう感じだと思っていた。
「言ってくれればよかったのに」と思わず口にしたところ「え、知りたいの?」なんて言うので困ってしまった。
ううん、と唸る間に頭の中をいろいろな考えが駆け巡った。その末「その方が助かるかよ」と答えた。
気を遣えるので。
そう思った。そう思ったのだ。確かに思った。
恋人ができたら普通はそちらを構うだろうし、そうなれば私もそそくさとどこかへ行きもする。気を遣ってすうっと先に寮に帰ったりもできる。
つまりまあその時、悟は私に気を遣って恋人との時間を削っているのではないか、と思っていたのだろう。
先入観のようなものだ。AならばB。夏ならば暑い、冬ならば寒い、恋人ならば一緒に過ごす、過ごしていないならば気を遣われている。
だがそうではない。今ならわかる。悟はそういうタイプではない。
恋愛より友情だとかそういう話でもない。他人に気を遣って行動を変えるわけがないということだ。
つまりそう、新しい恋人ができたと聞かされ二週間経つが、何も変わっていない。
この二週間、毎日食堂で悟と向かい合っていたし、放課後も一緒に買い食いに繰り出したりした。寮に帰れば悟が部屋に遊びに来る。
さすがに、いったいいつ恋人と過ごしているのだ、と疑問を抱かざるを得ない。恋人の姿も見かけていなければ、気配すら感じていない。
思わず「恋人ができたんじゃなかったか?」と確認したが「できたけど?」と返ってくるだけだった。今日の課題やった? と訊いたときとほぼ同じ返事だったことが気にかかる。
なにより、二週間前にビンタを食らったはずなのに、もう新しい恋人と二週間経っているので恐れ入る。待機リストでもあるのかと疑うほどだ。
けれどついに今日の放課後、悟の恋人の目視に成功した。
教室に入ってきて悟と話しているのを見て、実在したのか、とつい思ってしまった。
そして私はもちろん、そそくさと寮に戻ってきた。今日は課題の量も多かったので。
「くあ」とあくびをこぼして、ペンを机の上に置く。
まばたきを繰り返し、目じりに滲んだ涙をぼやかしていく。すっかり課題も片付いたが、まだ悟は帰ってきていないようだ。となりの部屋なので、帰ってこればなんとなく分かる。
明日の授業の支度も終え、ついでに制服の替えまで取り出して、ふうと息を吐く。
このままこういった、何もない時間が増えていくのかもしれないな、などと思った。放課後だけでなく昼食も、悟は恋人と過ごすようになるかもしれない。いつしか私の方がたまに会う人になっていく。
少しさみしいかもね、なんて。
思っていたら、ドアが開いた。
いきおいよく、音を立てて。
こんな失礼な入室を試みる人間は、この学校に一人しかいない。複数人居ても困るし、なんならその一人にも改めてほしいものだ。
そこに悟が立っていた。
「傑!」
「こら、ドアはノックしな」
そうたしなめて眉を寄せる。悟は妙に真剣な顔をしていた。というか放課後デートはどうしたんだ。もう終わったのか。もう帰ってきていいのか? 短くないか。
悟は急に大きく口を開け「せ!」と言ったかと思うと、ハッとしたように口を閉じた。それから「あ、やべ」と小声で漏らし、振り向いてドアを閉めた。
「せ?」
聞き返すと、再び悟がこちらを見た。その瞳の色、やはり空の色に似ているな。曇りでも雨でも、そこだけ晴れているから不思議な気持ちになる。
「セックスしよ!」
「なんだって?」
詩的な気持ちがなにもかも霧散した。いや空耳だったかもしれないな、と顎に手を当てる。まさかそんな馬鹿な。せ、から始まって、っくす、っぽく続く似たような言葉、他になにかあっただろうか。
考えている間に、悟がずかずかと踏み込んでくる。これはいつものことだ。慣れた様子でベッドにぼすんと腰かける。
こら静かに座れないのか、とたしなめるより早く、悟がめんどうくさそうに手首を振った。細長く青っ白い指がぶらぶらと揺れる。
「彼女にさあ、付き合ってんだからセックスしたいって言われて」
「直球だな」
「いやさすがにぼかされたけど。そういうこととか、なんとか」
まあ何全然分からねえって言い続けたらセックスっつったから間違っていないよ。
そう補足情報をくれたが、そんなことより、三回も言われたことで、やはり「セックスしよ」が聞き間違いでなかったのだと分かってしまい、それどころではない。
「そんでよく考えたわけよ」
こちらの感情などお構いなしに、悟が続ける。腕を組んで、考え込むように目を伏せる。白くて長いまつ毛が下をむいた。
よく見れば、いつもしているサングラスがない。どこかに置いてきたのか。もしかして恋人に取られたのだろうか。キスするときとか邪魔そうだよね、にしても、そうだった場合、今持っていない理由が分からない。
というか、その話題が出て、この短時間で何故この男は今ここに居るのか。まさかサングラスごと恋人を置き去りにしてきたのか? 嘘だろう。
何一つ分からず脳内が困惑で埋め尽くされる中、急に視界に空の色が飛び込んできた。
悟がこちらを見ていた。
「俺、セックスすんなら傑とがいいんだけど」
何がどうなってそうなると、こうなるのか。
なんだって、と言おうとして口を開け、思わず叫んだ。
「悟童貞なのか?」