十月十日、晩飯

(爆轟/バックトドザフューチャー参加ペーパー)

    

 年に一度、轟がはりきって晩飯を作る日があり、それが今日だった。
 五年前から唐突に始まった行事だが、爆豪は理由は未だに知らない。作る料理の種類によっては半日休みを取るほど、轟は気合を入れている。なのでなにかしら、重要な日なのだろう、と思う。
 メッセージの受信を知らせ、スマートフォンが震えた。
 のぞきこんだ画面には、十月十日の文字が光っている。
 まず初めに疑ったのは記念日だが、この日付に心当たりはない。付き合い始めたのも、一緒に住み始めたのも、あれもそれもどれも、別の日だ。考えに考えた結果、数字の並びが分かり易い、以外に思い浮かばなくなったほど、思い当たるものがない。
 そのうえ轟は、なんの日か白状しようとしなかった。過去四回ともつめ寄ったのだが、にこにこ笑って「内緒だ」と押し切ってくる。ヴィランっぽいだの、尋問っていうより今から拷問始めそうだの、さまざま言われてきた爆豪に睨まれて尚笑っているなど、この世に轟くらいなものだ。
『飯できてるから、そろそろ帰ってきてもいいぞ』
 メッセージは轟からだった。街灯と星空下で息を吐き、家路を急ぐ。
 見慣れたドアの前に辿り着き、鍵を開け、中へ入ればいい匂いがした。今年は和食か。「たでーま」とスニーカーを脱ぎ、部屋に上がる。
「おかえり」と自信たっぷりの笑みを浮かべた轟が出てきた。この顔を見ると一瞬、ボールを拾ってきた犬を思い出す。尻尾が生えていたら、間違いなく揺れている。
「飯にするか? それとも飯か?」
「メシ」
「だよな」
 茶番に付き合い、変装用のキャップを轟に奪い取られながら、短い廊下を進む。早く部屋着に着替えてこい、という催促だろう。他の装飾品も奪おうとしてくるので「追い剥ぎかテメェは」と頭を叩いてキャップを奪い返した。
 今年の晩飯は、よほどいい出来とみえる。
 早くみてほしいのか、腹が減っているから急かしているのかは、微妙なラインだ。「茶でも淹れてろ」と迫りくる体を押し戻す。「早く来てくれ」と笑う男を指先で追い払い、手早く帰宅後のルーチンを済ませ、着替えてからキッチンへ向かう。
 食卓の支度はすでに調っていた。
 てまり寿司、筑前煮、すまし汁。
 おお、と顔を上げれば、どうだとばかりに轟がこちらを見ていた。見た目はよくてもまだ味が分からないからな、と椅子を引き、席につく。蟹の形をした箸置きの上に、色違いでおそろいの箸が置かれていた。
 熱視線にさらされながら、その箸を持つ。
「いただきます」の言葉に「召し上がれ」と自信満々の頷きが返ってきた。
 お椀を手に取り、すまし汁に口をつける。もしや出汁から取ったのかと目を丸くする。年々腕を上げるなと感心して、次は筑前煮の中から、さくらの形をした人参をつまんだ。外側の部分は、きっと明日の味噌汁にでも入るのだろう。一緒くたに煮込む雑さは引っ込めたらしい。根菜はどれも味がしっかりと染みていて、美味かった。
 メインのてまり寿司からはまず、ホタテを選んだ。小さくも綺麗な丸になっていることに、つい感動する。なにせこいつは、おにぎりを三角に握らなかった男だ。形へのこだわりも覚えたらしい。
 それにしたってこの男が、ちまちま寿司を丸めていたかと思うと、たまらない気持ちになる。てまり寿司にしようと思い立った経緯を想像するだけでも、変にぐっとくる。
 そんなことは表情に出さないまま、ぱくりと食べる。これも普通に美味い。
 一通り箸をつけたところで、そわそわそわそわしていた轟が動き始めた。
「うまいか?」
「うまい」
 答えると満足そうに頷いて「半休とって出汁とった甲斐があった」と言った。今年も休みを取っていたのか。そのうち丸一日使って、フルコース料理でも作り始めそうな勢いだ。
「で、こりゃなんだ。今年で五回目だろ」
「ん?」
 いい加減教えろ、と言いたかったのだが、てまり寿司を口に頬張った轟は首を傾げるだけだった。
 まさかそれ一つで口の中がいっぱいなのではあるまいな、と眉をよせる。蕎麦は無限に入るくせに。
 どういう構造をしているのだか、とあきれるが、その口の中についてはよく知っている。まあまあ小さい。
 ごくり、と嚥下した轟が、考えるように上を見た。
「本当は十回目まで内緒のつもりだったんだけどな」
「はぁ? やっと折り返しじゃねえか」
「そんなに知りたいのか?」
「……全然わからねえから気持ちワリィ」
「気持ち悪くなるほど考えてたのか……。しょうがねえな、教えてやるか。爆豪が最初に飯作ってくれた日だ」
「……ハ?」
 今日の天気を答えるよりも、さらりとした言葉だった。そして聞いたところで、全く思い当たる節がない。
 五年前に始まったので、それより前の十月十日。六年前は特になにもなかった。第一、そのころにはすでに轟の胃袋を掌握して久しい状態だ。
 睨むように眉を寄せれば「高校一年の時のな」とレンコンを摘まみ上げながら教えてくれた。
 高校一年の十月十日。寮生活になっているころだ。でなけば飯を作ってやる機会もなかったが。
 正確な日時が分かったところで、やはり覚えがない。そもそも最初に飯を作ってやった時のことすら、覚えていなかった。
 一緒に食事をする機会は、いつの間にか増えていた。轟がちゃっかり相伴に預かろうとしてきたことにはじまり、いつからかは意図的に胃袋を狙いにいった。飯を作ってやる頻度は年々増え、一緒に暮らし始めてからは、毎日のようにだ。
「全ッ然、覚えてねェ」
 屈辱で歯ぎしりしそうになりながら、呻くように言う。対照的に轟はくすぐったそうに笑っていた。
「俺もなんでそうなったのかは覚えてねえよ。ただ、焼きそばだったことは覚えてる。料理できるんだなって思った覚えもだ。美味かったぞ」
「焼きそばかよ」
「冷蔵庫にあったんじゃねえか?」
 高校一年の時点で、冷蔵庫にたまたまあった焼きそばなどで胃袋を掴みかけていたのかと思うと、大変に複雑だ。メニューまで分かっても、変わらず記憶のどこにも見つからない。きっと、それほど大した出来事ではなかったのだろう。なにせ焼きそばだ。なのに轟は十年経った今でも覚えている。そして、勘定が合わない。
「で? なんで五年前から」
 間の五年間はどこへ行ったのか。付き合い始めたのは五年よりもっと前だ。五年前になにがあったのかと眉間のしわを深くしていると、ことんとお椀が置かれる音がした。
「五年前、爆豪一か月くらい入院しただろ」
 でかい作戦があって、と説明されるが、さすがにそれは覚えていた。
 先ほどまでと別の意味で顔をしかめる。まったく苦々しい記憶だ。だというのに、病室のドアを勢いよく開けすぎたあまり看護師に怒られる轟、という記憶が合間に混じっていて変に気が緩む。堪えきれず吹き出すように笑ったせいで、傷口が痛んだことも、よく覚えていた。
 さくらの形のにんじんを口に運ぶ轟を見る。重要な話の途中で食うことに戻るな、と見つめていると目が合う。目が合うと照れたように笑みを浮かべるが、そうではない。「それで」と急かせば、忘れていたとでも言いたげに目を丸くした。
「その時、退院して帰ってきて早々、飯作ってくれただろ。爆豪は病み上がりだから俺がやるって言ったのに、体が鈍ってるとかいって。飯作っても筋トレにはなんねえだろ、って思てったな」
 それも覚えている。だがそんなことを考えていたとは知らなかった。「それでな」と轟が笑う。
「その時の飯がすげぇ美味かったんだ。一か月ぶりの爆豪の手料理だったからってのもあると思うが、本当にすげぇ美味くて、嬉しかったんだ」
 目を細め話す轟に対し、挟む言葉が見つからない。代わりにてまり寿司を口に放り込んだ。
「で、急に思い出したんだ、初めて料理作ってもらった時のこと。ほら、十月十日って分かり易い日付だろ。あの日焼きそば食って部屋に帰って、カレンダーが目に入った時の風景が急に浮かんできて、そっから芋づる式に」
 まあ五年間忘れてたけどな、と苦笑していた轟が、爆豪の顔を見ると、くっと吹き出すように笑った。
 きっとムスッとしているこれが、照れ隠しだとバレたのだろう。鈍いを極めた天然の振る舞いをする男でも、さすがに気づくほど、長くとなりにいる。
 だが照れ隠しだと見抜かれて平然としていることもできず、かといってなにを言うかまとまらず、里芋を箸でつまみ、ぽいと口に入れた。
「高一のときは、こういう関係になるなんて思ってもみなかったのに、それでも印象に残ってたくらい嬉しかったんだ。それを忘れないでおきたくて、っていうのと、あとは普通にいつもの感謝だな」
 そう、轟が言う。
 綺麗な顔をして、笑うようになったものだ。
「いつも美味い飯作ってくれてありがとな」
「……飯だけかよ」
「はは、全部に決まってるだろ」
 軽やかな答えに対し、むっと唇を尖らせる。
 ぶっきらぼうな、こちらこそ、を聞いた轟はそれはもう盛大に笑った。さて来年は、なにが出てくるのだろうか。